第百六十三話 最古の竜種
第百六十三話 最古の竜種
燭台に灯された火と、LEDライトが照らす薄茶色の通路。
石のブロックが敷き詰められた床を踏みしめ、慎重に進む。
迷宮を流れる乾いた空気が、自分達から水分を奪っていく様だ。アーチ状の天井から、時折パラパラと小石が落ちてくる。
元々は手入れの行き届いた建物だったのだろうが、今やその面影はない。
自分達の硬い足音が響く通路に、黄色のペイントを発見する。
「アイラさん。現在『B-26』です」
『よろしい。……ふむ、ではそのまま道沿いに前進してくれ。十字路が見えてくるはずだから、そこを右に曲がりたまえ』
「わかりました」
アイラさんの言う通り、更に道を進んでいく。
10分ほど歩いた所で十字路を発見した瞬間、エリナさんが足を止めた。
「待って」
「っ……」
すぐさま重心を落とし、剣を腰だめに構える。
「右側から足音が2つ、こっちに近づいてる。たぶん、もう私達には気づいていると思う」
「了解」
小さく頷き、体内に魔力を循環させる。
「どうする?『使う』?」
「……いや」
アイテムボックスに片手を入れたエリナさんに、小さく首を横に振る。
「アレはボスにまで取っておきたい。それに、普通に戦って勝てるか確かめたい」
「わかった。……そろそろ、見えるよ」
彼女の言葉と、ほぼ同時。
───カツン、カツン。
硬く鋭い物で床を叩く音が聞こえてくる。
やがて、角からぬるりと見上げる程の怪物が姿を現した。
大蛇の頭と、胴体。約2メートルの位置にある黄色の眼球の上に、絞った様に捻じれた1対の角が生えている。
成人男性の腿ほどもある太さの、獅子の前足。同じく一見して強靭であるとわかる、猛禽類の後ろ足。
そして、ひと際目を引く胴体と同等の太さをもったサソリの尻尾。深緑に輝く鱗とは裏腹に、こちらは土色の外骨格に覆われていた。
体格だけ見れば、これまで見てきた怪物よりも常識的なサイズ。姿こそ異形であるが、視覚的な圧迫感はない。
だが、この『眼』には違って視える。
内包する魔力は、ただひたすらに殺意で満ち溢れていた。
人類と言う種そのものを憎悪するかの様に、黒く渦巻く死の気配。ケルベロスが冥府の番犬であるのなら、こいつは冥府より這い出てきた殺戮者に他ならない。
だと言うのに、異様な神聖さをもつ。神獣と称しても違和感ないほどに、清廉な立ち姿であった。
『ムシュフシュ』
ティアマト神が産んだ11の怪物が1つにして、人類史最古の竜ともされる存在。
数々の神をその背に乗せ、時には翼さえ生やし空を飛んだとも言われている。
それと酷似した化け物が、自分達へとその殺意を集中させていた。
『シィィァアアアッ!!』
人間など丸のみ出来てしまいそうな大口を開け、先頭のムシュフシュが喉奥から深紅の霧を吐き出した。
直撃すれば、覚醒者でも全身が焼け爛れた様に腫れあがり苦しみながら死ぬ。非覚醒者に至っては、毒霧を吐き出した個体が消滅するまで数キロ先だろうと命が危ういと聞く。
それほどの猛毒であるが、届かなければどうという事はない。
「はぁ!」
腰だめの状態から、一閃。刀身に纏わせた風でもって、通路いっぱいに広がった赤い霧を打ち払う。
本命は、次。
───ガギィッ!
予知に従って掲げた左腕に強い衝撃が走る。『精霊眼』でも追うのがやっとの速度で繰り出された、サソリの尾であった。
飛びかかる寸前のネコ科動物の様に伏せ、尻をあげたムシュフシュ。その体勢から、連続で毒針が突き出される。
1撃目を剣で弾き、2撃目を籠手で逸らし、3撃目を右に跳んで回避。そのまま壁を蹴って跳躍し、更にもう一度天井近くで壁を蹴った。
先頭の個体を跳び越え、まだ曲がり角の向こうにいる2体目へと斬りかかる。
『シィィッ!』
出迎える赤い霧を風で押し戻し、肉薄。勢いそのまま剣を振るうが、首に触れる寸前で尾の外骨格が受け止めた。
硬い。衝撃波と火花を散らしながら、ムシュフシュは強引に尻尾を跳ね上げる。
相手の力に逆らわず打ち上げられ、フリューゲルを使い滑る様に天井スレスレを移動。外骨格の下の筋肉が伸び、毒針が石材を打ち抜いた。
自分が着地した頃には、既に尻尾は引き戻されている。伸縮速度は、自分が走るよりも速いか。
『シャァアア!』
前足を大きく開き、頭を落として尻尾の連撃をムシュフシュが繰り出してくる。
それを左右のステップで避け、4撃目で膝を折り曲げた。
頭上を通り過ぎる毒針。外骨格からはみ出し伸びている筋繊維へと、真下から剣を振るう。
風と炎を纏った刃が丸太の様な筋肉とぶつかり、尾が『へ』の字型に曲がった。そのまま切断しようとするも、あまりに硬すぎる。
外骨格だけではない。その内側の肉もまた、特殊合金を束ねた様な強度をしている。
「おおっ!」
全身を捻り、強引に剣を振り抜く。肉に刀身をぶつけたとは思えぬ硬質な音をたて、尾は打ちあがり先端が壁や天井を打ち据えた。
だが、相手も無傷ではないらしい。外骨格の一部が黒く焦げ、肉の焼けた臭いが僅かに漂う。
それでも、ただの火傷でこの怪物は止まらない。
『ジィャァアッ!』
怒りに満ちた雄叫びと共に、跳躍。尾を抜いてもクマほどもある巨体とは思えぬ機敏さで、獅子の前足を振り上げる。
即座に左からの爪を剣で受ければ、反動を活かして右からもう1撃が放たれた。
そこから繰り出される6連撃。受け流す事もできず、後退しながら刀身で受け続けた。
衝撃にバランスを崩した直後、左前脚を振り抜いた姿勢からそのまま後ろ蹴りを放ってくる。ここまで使われなかった鷲の爪が、ギラリと輝いた。
回避は間に合わない。胸へ迫るそれを左の籠手で受けた直後、鷲掴みにされて振り回された。
「っぅ!」
肩が抜けそうな勢いで、壁に叩きつけられる。
背中でクレーターを作り、粉塵が視界を覆った。直後、それを突き破って迫る毒針。
それに対し、剣を振り上げて迎撃する。ただし、ぶつけるのは『柄頭』。
ゴォン、と。重い音が通路に響く。
『ジィ!?』
切っ先を両手で握り、柄頭を振りかぶる。
西洋剣術の1つ、殺撃。実戦で使うのは、トレント以来か。
『シャァアッ!』
「らぁ!」
先の1撃で罅の入った尾の先端。顔面狙いで放たれた突きに、袈裟斬りの角度で剣を振り下ろす。
風と炎を鍔の片側から放出し、加速。柄頭が毒針の付け根に直撃し、外骨格を叩き割った。
深紅の毒液と墨汁の様な血液が飛び散り、サソリの尾が床を跳ねた。
そのまま踏み込んで接近。勢いを殺さず、横回転して全力のスイングを蛇の横っ面目掛けて振るう。
だが、首を仰け反らせる様にして回避された。そのまま反撃と獅子の前足が振り上げられるが、関係ない。
「ふんんっ!」
加速においては、こちらが上だ。空ぶった横薙ぎの柄頭を、そのまま1回転。奴の左前脚の付け根へとめり込ませる。
『───ッ!?』
悲鳴さえ置き去りに、吹き飛んでいくムシュフシュ。10メートルほど床を砕きながらバウンドし、鷲の後ろ足と獅子の右前足で踏ん張って体勢を立て直した。
間髪入れず放たれた、先端を失った尾。しかし、それは空を切る。
既に、自分は奴の眼前で剣を振り上げているのだから。
「うるぅぅあああああっ!」
柄頭が鱗に包まれた脳天を捉え、そのまま真下へと振り下ろされる。
轟音。爆撃じみた粉塵が舞い上がり、足元に盛大な罅が入った。それを風で蹴散らせば、床にめり込んだムシュフシュの頭が見える。
飛び散った墨汁じみた色の血も肉片も、瞬く間に白く染まっていった。
「よし、次」
柄頭を引き抜き、背後へと振り返る。もう1体の方に視線を向ければ、尾が凍りついた所を『ブラン』の戦斧が粉砕し、毒霧を放とうとした口にワイヤーが巻き付いた瞬間だった。
伸びたワイヤーを引き戻す勢いで接近したエリナさんが、もう片方の鉤爪で上からムシュフシュの頭を殴りつける。インパクトの瞬間、先端が射出。
鱗を貫通し、鉤爪が脳を破壊する。
パイルバンカーの様な攻撃に、怪物はびくりと体を跳ねさせた後に脱力。そのまま塩へと変わった。
両手の鉤爪を軽く振るって塩を落としたエリナさんが、ボディビルの腕を曲げて上に向けるポーズをしながらドヤ顔をしてくる。
うん。敵は周囲にいないらしい。自称忍者からそっと視線を逸らす。
『……なんというか。京ちゃん君の戦いに関して私は声しかわからなかったのだが』
イヤリングから、アイラさんの微妙に気まずそうな声が聞こえてきた。
『蛮族みたいな雄叫びを上げていたが、大丈夫かね。人語は喋れるか?』
「おふざけ抜きで脳天かち割るぞ、残念女子大生」
『ごめんなさい』
「許します」
『モードシュラッグ』は伝統ある西洋剣術の技である。むしろ、人類の叡智と言って良い。
そんな事を話していれば、苦笑しながらひょっこりとミーアさんが角から顔を出してくる。彼女に続き、『右近・左近』もやってきた。
塩の山からドロップ品を右近が探してくれる中、刀身を寝かして肩にのせる。
「無事な様で何よりです。京太君」
「はい。2人も大丈夫そうですね」
「ナイスパワーだったよ、京ちゃん!」
エリナさんが、いつの間に鉤爪をしまったのかサイドチェスト?とか言う、ボディビルのポーズをしてくる。
貴女の体でそれをやってもセクシーなだけなので、やめてほしい。再び目を逸らし、小さくため息を吐く。
チラリとゴーレム達にも視線をやれば、あちらも無傷らしい。全体的に、戦力は十分か。楽ではないが、連戦も可能なダンジョンだと再認識する。
「しかし、自衛隊の情報通り硬い敵ですね。特に尻尾の外骨格は、普通にやったら斬れる気がしません」
『噂では戦車砲も弾いたとか。戦闘での破壊は不可能と考えて良いだろう』
「ええ。殺撃でやっと砕ける強度です」
『なんて?』
「ボスモンスター以外、打撃を中心でいきます。攻撃がやや大振りになって隙ができやすいので、出来ればフォローをお願いします」
「はい、任せてください」
「ばっちこぉい!」
エリナさんが……なんだっけ。サイドトライセップスだったか。腕を背中で組み、横から見せてくるポーズをしてくる。
これ、自分が力でゴリ押ししているからなのだろうか。なんでボケの方までゴリ押しでくるんだよ。
あと、この人のスタイルでそれは目に毒である。視線が胸元や太腿に吸い寄せられかけるのを、ダンジョンの中だと自制し眉間を兜越しに押さえた。
「……ツッコミづらいボケはやめて」
「はぁい」
『ねえ、さっきなんて?砕いた?人間やめたの?』
「貴女もあまりふざけないでください。探索中です」
『今のは……今のは私が悪いのか……?』
ため息をつき、視線を右近の方へ。
石の掌には、拳大の石板が乗っていた。表面にはムシュフシュの絵が彫られている。
呪詛や毒に対し、これを持っていれば身代わりになってくれる魔道具だそうな。
白い竜のダンジョンは、常に拡張を続けているとダンジョン庁から聞いている。どの様な事態にも対応できるよう、備えはしておかねば。
それに、経験値も中々に貰える。レベルがまた1つ上がった感触があった。
エリナさんが右近からドロップ品を受け取り、それを牛の木像を入れたのとは別の巾着に入れミーアさんと装備するのを確認。踵を返し、アイラさんへと声をかける。
「探索を再開します。十字路を右に曲がり、そのまま直進すれば良いですか?」
『う、うむ。そこから進み、十字路を2つ超えると丁字路に突き当たるはずだ。そこを今度は左に曲がってくれ』
「了解。それでは、出発します」
『ああ。3人とも、気を付けてな』
「はい」
「おっす!」
「はい!」
元気よく返事をする後ろ2人に苦笑し、すぐに表情を引き締める。
勝って兜の緒を締めよ、だったか。前回のケルベロス戦を経て自分達は強くなり、先のムシュフシュ達との闘いでレベルアップを実感している。
だが、浮かれてはいられない。気を引き締め直し、ダンジョンを歩いていく。
燭台の炎に合わせて揺らめく影を引き連れて、迷宮の奥へと足を進めた。
読んでいただきありがとうございます。
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Q.数キロ先までやばい毒霧って、ダンジョン出る時大丈夫?
A.毒ブレスはムシュフシュの一部なので、吐き出した個体が死ねば一緒に少量の塩になるので大丈夫です。