第百六十話 冒険
第百六十話 冒険
『ヴヴヴァァアアア───ッ!!』
ゲーリュオーンの三つ首が吠えたのと同時に、奴の傍で涎を垂らしていたオルトロスが口腔に魔力を収束させる。
その間わずかコンマ1秒。瞬く間に視界を覆う紅の炎が双頭から吐き出された。
もはや炎の津波と言って良いそれが迫る中、白銀の鎧が長柄の戦斧を振りかぶる。
「『ブラン』」
斧が唸りを上げ、逆袈裟の要領で刃は斜め上に振りぬかれた。
本来、炎を切り裂く事などできはしない。しかし、その様な常識がこの場で通用するものか。
『概念干渉』
白銀の刃が、暴風ともなって紅い津波を両断する。
切り開かれた炎の壁。本来はそれに紛れて放たれるはずだった、ゲーリュオーンの投槍姿勢を目視する。
視認してからその腕が振り抜かれるまで、文字通り瞬く間しかない。
音より速く飛来する丸太の様な槍を、予知でもって軌道を読む。1投目を剣で横に弾き、2投目を叩き落し、3投目を左の籠手で真横に殴り飛ばした。
横回転しながら次々と槍を放った三つ首の巨人は、3投目を放った段階で跳躍。勢いのまま、いつの間にか再構築した槍をこちらに突き下ろしてくる。
それに対し、2歩分後ろに下がって回避。視界が粉塵と石畳の破片が覆う中、しかし『視る』事でほぼ真上から迫る槍を前進して置き去りに。
眼前には死人の様な肌に見合わぬ、筋骨隆々とした巨人の足。
頭から突っ込む勢いで踏み込みながら、左足を軸に横回転。姿勢を低くし、続けて右足で強く石畳を踏みつける。足と足の間に滑り込んだ
直後に、炎と風をのせた刃を、勢いそのまま斜め上にある膝裏へと叩き込む。ずぐり、と。刀身が皮膚を裂き肉と骨を断った。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?』
足の1つを失い悲鳴をあげる巨人が、バランスを崩して傾く。近づいた奴の腰紐に足をかけ、体を上に。
叫び声をあげる一番近い胴体の肩を左手で掴み、首に剣を突き刺した。
首の骨を削り、そのまま柄を捻って神経を引き裂く。刀身に纏わせたままの風と炎が、内側から肉を焼いた。
直後、左横の胴体が盾でこちらを殴りつけにくる。咄嗟に足裏をそちらに向け、膝で衝撃を吸収。相手の腕力に逆らわず、吹き飛ばされた。
砲弾の様に打ち出された体。一瞬で縮まる壁との距離に、フリューゲルから風を放出して回転。
足裏を壁に埋め込まれた豪奢な柱につけ、即座に斜め下に跳んだ。間髪入れずに追撃の槍が放たれ、柱を打ち砕く。
巨人の動きはそれで止まらず、こちらを追いかける様に穂先で壁を破壊しながら腕が振るわれた。
体を相手に向けたまま、床を蹴って槍の間合いから逃れる。
瞬間、自分に真横から象ほどもある巨大な番犬が噛み付きにきた。
だが一瞥する必要もなく、幾本もの氷の槍が飛来し黒い毛皮を穿つ。
『ガァアア!?』
『ヴォッ!』
双頭からそれぞれ悲鳴をあげ、血飛沫と腸をこぼしながら吹き飛ばされるオルトロス。それに、長い金髪をなびかせた彼女が突撃していく。
自分は、目の前の巨人に集中すればいい。繰り出された槍をブレる様に横へ避け、相手の右手側。盾を持たぬ方へと駆ける。
当然旋回して盾を向けようとするゲーリュオーン。だが、残された2つの首が自分に集中した瞬間。白銀の巨体が斜め上から突っ込んでいった。
ブランが戦斧を風の加速と重力をのせて叩き込み、巨人の片方を兜ごと叩き割る。衝撃に5本足の内半数以上が膝をつき、明確な隙を晒した。
それでも、残された最後の胴体は即座に自分とブランの双方に盾と槍を向ける。だが、白い影が視界に入ったのとほぼ同時にこちらは踏み込んでいた。
反射的に繰り出したのだろう槍を左掌で下に受け流し、反動で体を浮き上がらせる。
そのまま地面と水平になりながら横回転。片手のみで振るった剣が巨人の首筋に食い込み、炎風の加速もあって斜めに胴体を両断した。
勢いそのまま宙へと飛び出しながら、視線をオルトロスに。
そこでは既に、氷の槍で胴を貫かれ、左側の頭に忍者刀が眼球から侵入し脳を破壊された番犬の姿があった。右側の頭と蛇の尾は、それぞれ『右近』と『左近』によって叩き潰されている。
自分が着地すると同時に、小さく地響きをあげて崩れ落ちる2体の怪物。体を反転させ視界に奴らを捉えていれば、どちらも同質量の塩へと変わっていった。
その光景を見届け、チラリとエリナさんに視線を向ける。
「他に敵の足音はしないよ。問題なーし!」
「了解。……ふぅ」
彼女の言葉に構えを解き、小さく息を吐く。
『お疲れ諸君。怪我はないかね?』
「ありません。大丈夫です」
「同じく!」
「私もです」
『大変よろしい。わかってはいたが、このランクでも問題なくやれる様で何よりだ』
「はい」
念話越しに、アイラさんが胸を撫で下ろしているのがわかる。彼女も、何だかんだ心配してくれていたらしい。
それが、少し嬉しかった。
右近が塩の山からドロップ品を回収するのを横目に、左腕にはめた白銀の腕輪に視線を向ける。
「どう、京ちゃん。シーちゃん達の合作は」
「かなり良い。出力が上がっているのに、安定している」
『炎馬の指輪』改め、『炎馬の腕輪』。安直なネーミングだが、分かり易くて個人的には好ましい。戦場で使う道具は、これぐらいの方が心地よかった。
「特に、左腕を剣から放しても炎を維持できるのが最高だ。戦いの幅が広がる」
「うん!それは帰ったら2人に直接言ってあげてね!」
「勿論」
満面の笑みを浮かべるエリナさんに頷いた辺りで、ドロップ品の回収が終わったらしい。
右近が持っているのは脛の赤い木彫りの牛だった。大きさは、掌に乗る程度。
精巧に作られたそれは、流石『Aランク』のドロップ品と言った所か。膨大な魔力を内包している。
たしか、効果は『所持者の膂力上昇』だったか。これまた、シンプルな能力である。その分、持っていて損がない。
不思議なのは、ゲーリュオーンもオルトロスも同じドロップ品を落とす所か。見た目は全く異なるモンスターだが、案外『ロット』は同じという事なのかもしれない。
まあ、その辺りを考えるのは別の人にお任せしよう。
エリナさんがアイテムボックスから紫色の巾着袋を取り出し、その中にそれぞれ牛の人形をしまった。
そして、片方をこちらに差し出してくる。
「ほい、京ちゃん!」
「ありがとう」
受け取り、『魔装』の剣帯に紐を通す。
見れば、エリナさんは着物の懐にしまっていた。あの忍者っぽい衣装、しまう所が少なそうなのに器用なものである。
「しかし、良いんですか?ミーアさん」
「ええ。私が持つよりも、お2人が持った方が効果的ですから。その分、きちんと守ってくださいね?」
杖を手に朗らかな笑みを浮かべる彼女に、頷いて答える。エリナさんもサムズアップと笑顔を浮かべた。
この魔道具は、売却はするが自分達用にも確保しておきたい。オークチャンピオンのドロップ品よりも効果が大きく、それでいて使い捨てではないのだ。
今後の戦いを考えると、予備も含めて1人につき3個は欲しい。この場にいるメンバーだけではなく、雫さんと愛花さん、教授。ついでにアイラさんの分も確保したいものだ。
ホロファグスの落とした魔道具も、売らずにとってある。今はあのダンジョンは白い竜……グイベルの物となり、回収ができないのが残念だ。
あの白トカゲの首を落とすのに、有用だったろうに。慎重に使わねばならない。
「それでは探索を再開します」
『ああ。くれぐれも油断しない様にな』
「ええ、勿論です」
ゲーリュオーンとオルトロスとの戦いは、結果だけ見れば楽勝であった。実際、手応えからして安定して勝てる相手ではある。
しかし、数で来られたら。挟み撃ちにされたら。横から突然敵の援軍から攻撃されたら。
そこまで考えると、対処しきれるか怪しい所である。不可能ではないが、幾らか危ない橋を渡らねばならない。
再び、自分達の足音が通路に響く。チラリとブランを見るが、魔力の流れによどみも不足もない。マギバッテリーは、正しく機能している様だ。
流石は『賢者の心核』……賢者の石といった所か。
緩やかな傾斜で、体感ではよくわからない程度に下っていく通路。時折、分かり易く下に向かう段差に遭遇する。
そうして進んでいき、アイラさんに言われた3つ目の十字路が近づいてきた頃。再びエリナさんの警告が飛んできた。
「左側の通路から足音がするよ。数は……たぶん3。オルトロス2、ゲーリュオーン1かな?」
「了解。背後を取られるのは避けたい。ここで迎えうちましょう」
「そうですね」
「OK!」
角待ちになる配置だが、恐らく奇襲にはならない。こちらに優れた『耳』がある様に、相手にも『鼻』がある。
───ゥゥゥォォォォオオオオオンンッ!!
通路を揺らす4つの咆哮。直後、複数の足音がこちらへ凄まじい勢いで接近してくる。
「10……5……3……」
しかし、奇襲はできなくとも力技で先制する事は不可能ではない。
エリナさんのカウントに、剣を振りかぶり魔力を循環させ───。
「ゼロ!」
「しぃぃ!!」
最大出力で、正面へと炎の嵐を叩き込んだ。
収束し、そして膨張する熱線。風を纏ったそれが、飛び出してきたオルトロスを飲み込む。
一瞬で炭化した巨体。熱せられた空間が揺らめき、衝撃で四散した残骸を蹴散らして奴らの正面へ。
急停止した直後ながら、すぐさま盾を構えるゲーリュオーン。そしてズラリと並ぶ槍の様に鋭い牙を剥き出しに、こちらへ飛びかかってくるもう1体のオルトロス。
上から踏み潰しにきた獣の足を潜り抜け、すれ違い様に腹を裂く。かと思えば、眼前に瞳のない蛇の尾が大口を開けて迫っていた。
咄嗟にスライディングで回避した直後、足の間を抜けた先でゲーリュオーンの突きが放たれる。それに対し、フリューゲルから風を放出して強引に上体を起き上がらせ剣で防御。
刀身で槍の穂先を斜めに受け流し、足を止めずに巨人の右側面に回り込もうとする。しかし、そうはさせまいと巨人の3つ首が自分を睨みつけ、6本足を動かし旋回。盾と槍を向けてきた。
視界の端では、腹を裂かれたオルトロスは血反吐を吐き、しかし強靭な四肢で石畳を踏みしめ双頭をそれぞれこちらと仲間達に向けていた。
瞬間、巨人が膝をたわめ跳躍。同時に双頭の口から魔力を燃料とした業火が吐き出される。
風と概念干渉で切り払った直後に、真上から迫るゲーリュオーンの槍。ステップで回避すれば、2本目、3本目が追いかける様に放たれた。石畳を穿ち、1撃事に粉塵と衝撃波が襲ってくる。
それらを『S』字に後退して避ければ、今度はその巨体ごと押しつぶすかの様に繰り出されるシールドバッシュ。
アレを受けるわけにはいかない。今度は前へと跳んで盾による押し潰しを回避。通路に割れた石畳の粉塵が舞う中、それを突き破って迫る丸太の様な槍。
刀身の腹で穂先を受け止め、逆らう事なく味方の方へと跳ぶ。直後に自分の後頭部を狙う獣の前足を予知し、振り向きざまの裏拳で強引に軌道を逸らした。
オルトロスと位置が入れ替わるなり、間髪入れずに蛇の尾が牙を剥く。その鼻先を柄頭で弾き、反動でくるりと横回転しながら刀身を長い首に合わせた。
風と炎を纏った刃は、翡翠色の鱗を焼き切る。そのまま尾を両断した直後、ブランが自分達を飛び越え巨人へ斬りかかった。
尾を断たれ悲鳴をあげるオルトロスの双頭が、己の上を通った白銀の騎士を向く。その隙を逃さず壁へと飛び退けば、開けた射線へすかさず氷の槍が滑り込んだ。
巨獣の左後ろ足が貫かれ、通路に絶叫が響く。その隙にフリューゲルから最大出力で風を放出。傾いたオルトロスの横を駆け抜けた。
通り抜け様、左前脚を切りつける。一刀両断とはいかなかったが、しかし骨は断った。
バランスを完全に崩して倒れる番犬を背に、眼前の戦いへと跳びこむ。
比喩ではなく嵐が巻き起こるブランとゲーリュオーンの戦いは、前者がスペック任せに斬りかかるのを、巨人が3枚の盾を巧みに使い防戦を為していた。
つかの間の拮抗。そこへ、自分の刃が加わる。
『オオオオオ……ッ!!』
3つ首が唸り声をあげながら、どうにか距離を取ろうとした。だが、生憎と機動力はこちらが勝る。
後退の隙をつき、戦斧が盾の芯を捉えた。黄金の盾は叩き割られ、その下の巨腕も引き裂かれる。
赤黒く粘性の強い血飛沫が舞う中、吶喊。走ってきた勢いを緩めるどころかフリューゲルで加速し、脇を通り抜けながら足を2本焼き切った。
短い悲鳴をあげながらバランスを崩した巨人に、床を足裏で削りながら反転、飛翔。反対側からもブランが風を放出しながら跳躍し、両サイドから斬りかかる。
戦斧が胴の1つを袈裟懸けに両断し、片手半剣が首2つを同時に刎ねた。勢いでそのまま高度を上げながら、オルトロスの方に視線を向ける。あちらも片が付いた様で、黒い巨体は床に倒れ伏していた。
ゆっくりと着地しながら、残心。塩に変わる2つの巨体を視界に入れつつ、壁を背にして周囲を見回す。
そこへ、相変わらず気の抜けた声が聞こえてきた。
「他に音はなし!敵はいないよー」
「了解。お疲れ様」
「お疲れさまでした」
「おつかれぃ!」
胸を撫で下ろして剣を下げ、ミーアさんに顔を向ける。
「魔力残量はどうですか?普段より消費が激しいと思いますが」
「問題ありません。私も強くなったので」
むん、と。少し自慢気な笑みで胸の左右で両の拳を握るミーアさん。
それに頷いて返し、すぐに視線を逸らす。この人は偶に無防備になるから、目に毒だ。強調された胸元に視線が行きそうになるので、注意しなければいけない。
右近がドロップ品を回収してくれている中、イヤリング越しにアイラさんへ声をかける。
「戦闘終了。ドロップ品を回収後、探索を再開します」
『うむ。その様子だと、全員無事だね。しかし、戦闘のせいで道は間違えてくれるなよ?』
「はい。さっきまで進んでいた道から見て、右ですね?」
『よろしい。そのダンジョンはかなり広いからね。迷うと大変な事になる。次のペイントを見つけた時、そのタイミングで戦闘になって確認できずに移動する可能性も、ゼロではない』
「肝に銘じておきます」
ペイントとアイラさんのナビのおかげで遭難する可能性は低いが、移動が多ければそれだけ消耗もする。
戦いは有利に運べているが、自分達とて消耗はするのだ。無理な連戦は避けたい。
気を引き締め直した所で、右近がドロップ品をエリナさんとミーアさんに渡したのを確認。ミーアさんが自身の巾着袋に木彫りの像をしまったのを見て、剣腹を肩にのせる。
「では、行きましょうか」
「おー!」
「はい……!」
いつも通りなエリナさんとは対照的に、自分とミーアさんの声は少し硬い。それも、無理からぬ事だと思う。その理由は久々のダンジョンだから……というだけではない。
『目的地』が原因である。
まず目指すのは、自衛隊が確保している出口。
そしてその後は───。
このダンジョンの、主に挑む。
偶発的な遭遇でも、襲われている誰かを助ける為でもない。
自分達は、自ら『試練』を選んだ結果ここにいる。
あの竜を討つには、それぐらい出来なければならない。既存のランクをぶち壊す、規格外の災害に勝るには。
ウォーミングアップに、『B』以下のダンジョンに行くつもりもない。十分迷った。これ以上は、足踏みをしていられない。
などと。1番悩んでいた身で言うのは、少し恥ずかしいが。
そんな思考を頭の隅に追いやって、本能が重くする足を理性と気合で前へと進める。
緩やかに地下へ、地下へと下っていく通路。その先に待つ存在を強く感じながら。
自分達は、『冒険』を続けた。
読んでいただきありがとうございます。
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