第百五十九話 自らの足で向かう先
第百五十九話 自らの足で向かう先
東京から帰った、その日。
「母さん。父さん」
夕方になってダンジョンから帰ってきた両親をリビングで出迎え、自分の出した結論を告げた。
自分でも上手く説明できる気がしなかったから……理由は言わず、ただ『答え』のみを。
「僕は、冒険者を続けるよ。また、ダンジョンに行く」
その時の、母さんの今にも泣きだしてしまいそうな顔を。父さんの静かに唇を噛んだ顔を。きっと、暫くは忘れる事はできないだろう。
それでも、2人は。
「……気をつけてな」
「絶対に、無理はしない様にね」
ぎこちない笑顔で、自分の背中を押してくれた。
* * *
「行くのか」
「ええ」
その数日後……金曜日の放課後に、雫さんの工房へと向かった。
今度はエリナさんと2人で。愛花さんも揃った、学校でいつも昼食を囲う面々である。
「……持っていけ」
雫さんがいつもの仏頂面で、2つの木箱を作業台に置いた。
片方はフリューゲルが納められている。だが、もう片方は見慣れぬ白銀の腕輪が赤い布の上に載せられていた。
「これは」
「『炎馬の指輪』……今は『炎馬の腕輪』だ」
「私も手伝ったんですよ?もう、雫さんったらアイツがまたダンジョンに行く時までには間に合わせるんだって、凄く必死に」
「黙れ金床」
「何か言いましたドチビ」
無言で互いの頬を引っ張り出した凸凹コンビに苦笑し、慎重に腕輪を木箱から取り出す。
重い。だが、腕を振るう分には問題ないだろう。そもそも、覚醒者は力に反して質量が軽すぎるのだから。
「ありがとうございます。お代は」
「それに関してはいらん。いや、やっぱりよこせ」
「どっちですか……」
愛花さんの手を振りほどき、雫さんがその三白眼でこちらを見上げてくる。
一見睨んでいる様に思えるが、彼女の気配に敵意はない。どちらかというと、労りや心配の様な魔力を感じる。
「……気が向いたら取り立てる。持ち逃げは許さん」
「アレですよ、京太君。よくある『預けておくから、絶対に死ぬんじゃないぞ』ってやつです!いやぁ、雫さんも中々乙女な」
「うっっるせぇバカ!解説すんな!」
「しょうがないじゃないですか!貴女普段の言動が乙女から離れすぎているせいで、凄く伝わりづらくなっているんですよ!?」
獣みたいに唸り声をあげてまたも睨み合う凸凹コンビ。
学校でもちょくちょくこうなるので、こちらとしては慣れた光景だ。最初の頃は、仲裁すべきかとオロオロしたものである。
「ありがとうございます、雫さん」
「……ふん。別に。アタシは仕事をしただけだ」
「それに、愛花さんも。協力してくれたんですよね」
「ふふっ……京太君」
そっと、愛花さんが右手を差し出してくる。
「どうかご無事で。両親が、改めて貴方にお礼がしたいと。私がまた家族と食卓を囲う事ができたのは、貴方のおかげです」
「いえ、そんな……僕が何かしなくても、きっと」
「きっと、ではありません。貴方が架け橋になってくれた。その事実は変わらない」
催促する様に、彼女は右手を差し出したまま1歩こちらに近づいた。
「また、皆で。これから貴方が行く場所がどういう所かは知りませんが……『覚悟』が、必要な所なんでしょう?」
「……ええ」
腕輪を箱の中に戻し、彼女の手をとる。
柔らかく華奢な、少女の手。少しだけ体温の低い、しっとりとした掌の感触に。少し照れてしまう。
だが相手も同じ様で、愛花さんも頬を少し赤らめながら微笑んだ。
「ご武運を。待っていますからね、私達のヒーロー」
「ヒーローは、やめてくださいよ」
「いやです。飽きるまでそう呼ぶので、覚悟してくださーい」
「えぇ……」
困惑していると、握った手の上にエリナさんが手を重ねてくる。
「うんうん!皆忍者だね!」
「いや、それは違う」
「違いますね」
「違うだろ」
「ええ!?」
雫さんも手を重ね、4人の手が合わさった。
「……行ってきます」
「行ってきまーす!」
「はい。2人とも、お気をつけて!」
「おう。また学校でな」
* * *
そして、土曜日。タクシーで駅に、駅から自衛隊の車に乗り換えて。
自分達は、目的のダンジョンへと辿り着いた。
これまで通っていた『Bランクダンジョン』と、外観はあまり変わらない。ストアらしき建物の周囲は金網が囲い、出入口には歩哨が立っている。
中に入れば、コンビニ等はなく簡素な更衣室とトイレ。そして、腰に拳銃を下げた自衛隊員さんのいる受付しかない。
着替えとトイレを済ませ、エリナさん達を待ってから受付に向かう。
無骨な、いかにも戦士と言った風貌の自衛隊員さんに冒険者免許とダンジョン庁の許可証を提示し、ゲート室へと通された。
「ご武運を」
「はい。ありがとうございます」
敬礼で見送ってくれる彼にお礼を言い、扉を閉める。金属製だが、完全に密閉はされておらず下側に僅かなスペースがあるドア。
だから、空気の流れはきちんとあるはずなのに。どこか、この部屋は息が『重い』。
眼前にある白い扉を前に、深呼吸を1回。『魔装』を展開し、エリナさんに視線を向ける。
彼女が頷きと共にアイテムボックスから取り出してくれた『ブラン』を組み立て、武器ケースを解放し鎧と戦斧を装着させた。
ミーアさんの『右近・左近』も起動を確認し、イヤリング越しにアイラさんへと声をかける。
「準備が完了しました。これよりダンジョン内へと入ります」
『うむ。こちらもダンジョン庁から送信された地図を用意してある。いつでも大丈夫だ』
「はい」
仲間達に振り返れば、彼女らも頷いてくれた。
その手が自分の肩に置かれたのを目視で確認し、白い扉に向き直る。
「では、行きます」
『ああ、行ってこい』
いつになく力の入った声を聞きながら、白い扉の向こうへと足を踏み入れた。
久しぶりの、足元がごっそりと無くなった様な感覚。それでいて浮遊感のない違和感を抱くが、一瞬後にはブーツ越しに硬い床の感触が伝わってくる。
ボウ、と。まるで自分達を出迎える様に通路の壁に取り付けられた松明に青い炎が灯った。
1枚の岩から削りだした様な、巨大な黒い板が敷き詰められた石畳の床。似た様な材質の壁には一定間隔で太く豪奢な柱が埋め込まれている。
その柱の間に並ぶ松明は、しかしよく見ればくべられているのは木材ではない。
人骨だ。もっとも、最初の頃は知らないが今はダンジョンの一部。塩の塊でしかないのだから、不気味がる必要もないだろう。不愉快では、あるが。
それすらもすぐに気にならなくなる、肌を撫でる人の不安感を刺激する風。見上げる程巨大な獣が、目の前で舌を出し涎を垂らしている様な。そんな湿気た風がこのダンジョンには流れている。
「ふぅぅ……」
息を少し長めに吐き出し、背後に振り返った。
「ミーアさん、すみませんが周囲の警戒を。エリナさん」
「おっけぃ!」
サムズアップしながら彼女が差し出してくれた黒い箱状の部品を受け取り、小さく礼を言う。
そして、ブランの背中にあるソケットにはめ込んだ。
ゲート室には監視カメラがあるので、ダンジョン内でなければ取り付けられない。自作のマギバッテリーがきちんと機能しているのを確認し、頷く。
「バッテリーの作動を確認。これより探索を開始します」
『うむ。まずは目印を見つけてくれ』
「はい」
石ともコンクリートとも、当然鉄とも違う感触の、便宜上石畳と呼んでいる床を歩き出す。
念のため腰のランタンも点けるが、光源は壁の青い炎で十分だ。
また、通路の大きさも剣を振るうには問題ない。というか、大きすぎる。
幅は2車線道路ほど、高さは7メートル以上。明らかに人間が歩いて通る事を想定していない、広大なこのダンジョン。
主な『住民』を知っていれば、納得の広さではあるが……。
カツリ、カツリ、と。硬質な音が通路に反響する。気を抜けば足が鉛の様に重くなる道を、腕輪の重みを感じる腕を小さく動かして、肩にかけたマントを翻し進んでいった。
この重圧は、大気を漂う魔力がそうさせるのか。はたまた、単に自分の怯えからか。
どちらにせよ、それでも足は動いてくれる。剣を握る腕には、適切な力しか込められていない。
1分もしないうちに、不気味さと厳かさの同居する空間には似つかわしくない黄色のペイントを発見する。
「アイラさん。現在『H-12』です」
『ふむ。ちょっと待ってくれ……よろしい。そのまま道に沿って進んだ後、3つ目の十字路で右に曲がってくれ』
「了解」
イヤリング越しにそう答え、再び歩き出す。
緩やかなカーブを描くこの道は、ただ歩いているだけではわからない程度の角度で下に向かっているとか。
まるで、地の底へと訪問者を導く様に。
「ストップ」
エリナさんの声に、ピタリと足を止める。
同時に重心を落とし、剣を腰だめに構えた。
「敵ですか」
「うん。数は2、道の向こうから向かってきているよ」
「わかりました」
そう答えた、次の瞬間。
───ゥゥゥウウォォオオオオオオン……ッ!!
通路に、獣の雄叫びが二重に轟いた。青い炎がゆらゆらと揺れ、自分達の影がかき乱される。
その残響がまだ大気を揺らしている中、重い足音がやってきた。
ドスドスという重い4足獣のものと、打楽器を忙しなく鳴らしている様な音。
ほどなくして、通路の向こうから2つの異形が姿を現した。
『ブブブ……!』
『ガァァ……!』
唸り声をあげる、2つの頭。黒い毛並みをもつ、象の様な巨体を誇る怪物。
深紅に輝く瞳と、翡翠色の鬣。その鬣は双頭の首から背にかけてで合流し、尻尾まで続いている。同色の尾が長く伸びているが、それは独立した生物の様に鎌首をもたげた。
瞳のない蛇が、双頭の獣の尾として生えている。計3つの頭をもつ、今にもこちらへ飛びかからんと涎を垂らした番犬。
『オルトロス』
その怪物と並ぶのは、死人の様な肌をした金色の鎧を纏う巨人。
古代ギリシャ風の兜と胴鎧に、円形の盾。それぞれの右手には、巨体に見合ったサイズの無骨な槍が握られている。
だが最も目を引くのは、その巨人が3体で1つの生命である事か。
上半身は背中合わせになり、腰で融合。6本の足は別々の方向を向き、まるで昆虫の様でさえあった。
頭が3メートルほどの位置にある、文字通り3身1体の巨大な重装歩兵。
『ゲーリュオーン』
神話においては、共にかの大英雄ヘラクレスに討ち取られた番人と番犬。
その槍が、牙が。
自分達に向けられた。
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