閑話 やりたい事
閑話 やりたい事
サイド なし
アメリカ、ニューヨーク。
高層ビルが立ち並び、道が見えない程に人と車が行きかう世界の中心と言っても過言ではない大都会。
乗りなれない高級車の後部座席で、借りてきた猫の様に縮こまっている青年達がいた。
「はわ、はわわ……!」
「お、落ち着けぇ博ぃ。落ち着けぇ……!」
世界最大の覚醒者団体。『ウォーカーズ』代表、山下博。
及び、幹部であり彼の幼馴染である川島省吾。
2人は今にも心臓が口から飛び出しそうな顔で、革張りの椅子に浅く座っている。その体が小刻みに震えているのは、車の揺れとは恐らく関係ない。
「お2人とも、どうか冷静に」
そんな彼らとは対照的に、高級スーツを着こなした初老の男性がゆったりとした声で話しかける。
アッシュグレイの髪をワックスで撫でつけ、細いフレームの眼鏡越しに見える瞳に高い知性を宿した人物だった。
「しかしですね、クリ」
「アッシュ・レイモンドです。山下代表」
「あっ、し、失礼しました」
アッシュ・レイモンド。『ウォーカーズ』に所属する、山下の秘書……と、いう設定で変装したクリス・マッケンジー元大使である。
英語が喋れず、なおかつ外交や社交界での知識がほとんどない山下のサポートとして、彼は己の故国へとやってきていた。
「別に、とって食われるわけではありません。貴方は、貴方らしく振舞ってくだされば良い。ユウスケもそうおっしゃっていたではないですか」
『チチッ!』
クリスが着るスーツの胸ポケットから、1匹のリスが顔を出した。
そのリスが何やら頷いた気がするが、きっと見間違いだろうと山下は首を横に振る。
「そうは言いますが……そもそも、アメリカには初めて来たんです。それで、最初に行く場所が国連の本部って」
「先に観光しておきたかったですかな?」
「いや、そうじゃなくって!?」
「ふむ……何をそんなに緊張していらっしゃるのですか。まるで、『場違いな所に来てしまった』とでも言いたげな顔で」
「え、いや……まるでも何も、そのまんまですよ。俺、じゃなかった。私はそんな場所に呼ばれる様な人間じゃ……」
「いいえ。それは違いますよ、山下代表」
泣きそうな顔で否定する山下に、今度はクリス元大使が首を横に振る。
彼の碧眼が、猫耳をペタンと閉じている青年を真っすぐ見つめていた。
「貴方は今の日本で、最も国連に……世界の代表たちに呼ばれるに相応しい人間だ。むしろ、各国の大統領や首相が一堂に会している時でもないのに呼ぶなと、声を大にしても良い」
「ええ!?いや、それは言い過ぎ」
「はい。言い過ぎました」
「そこは否定してぇ!?」
「ふふっ……そうです。そうやって、腹から声を出してください」
反射的にツッコミを入れた山下に、クリスが柔らかい笑みを浮かべる。
「胸を張り、大きな声を出していれば。自然と縮こまっていた気持ちも大きくなるもの。まあ、やり過ぎるとポカをするので程々に……が良いのですけどね」
「はあ……」
「……そうだぜ、博」
山下の肩を、厚い掌が叩く。
「俺達は、『ウォーカーズ』はそれだけ大きくなったんだ。覚醒者と非覚醒者を繋ぐ橋として、申し分ないデカさによぉ。その柱であるお前が折れそうになっちまったら、これまでの苦労が水の泡だぜ」
「省吾……」
「安心しろよ。お前がマジでやべぇってなったら、俺が抱えて逃げてやるから!」
ニッ、と。子供時から変わらぬ笑みを浮かべる友人に、山下が小さく頷いた。
その猫耳は、もう閉じていない。
「……ああ。やってやろう。胸を張って証明するんだ。覚醒者は危ない存在じゃない。非覚醒者と変わらない、ただの人間だって。同じテーブルについて、同じ様に喋る事ができるんだってな」
「その意気だぜ、親友!」
2人のやり取りを微笑ましいと眺めていたクリス元大使のスマホが、小さく振動した。
「失礼。……ふむ」
ウィッグと同じ色の付け髭を撫で、彼はスマホの画面を山下達に向けた。
「山下代表。朗報なのか悲報なのかわかりませんが、大ニュースです」
「え、な、なんですか?まさか『やっぱ来なくて良いよ』って国連から?」
「いやまだビビッてんじゃねぇか」
若干期待した様子の山下に、クリス元大使が首を横に振った。
「いいえ。中東に出来た『覚醒者の国』。さきほど滅びました」
「……はぇ?」
宇宙を見てしまった猫の様な顔で、山下は硬直した。
ついでに、その隣で省吾も固まった。
* * *
中東の、とある地域。
覚醒者を擁する傭兵集団が占拠し、『覚醒者の国』を自称していた場所は、現在怒号と銃声の響く地獄と化していた。
そんな事は、彼らにとって日常茶飯事だったかもしれない。
しかし今回は、戦っている相手が違った。
「お、おい!味方だろう!?味方なのに、なんで!」
「うるせぇ!よくも、よくも俺達を騙したな!」
銃を乱射する兵士が、防弾チョッキごと剣で切り裂かれる。
また別の場所ではアサルトライフルの掃射を正面から盾で受けきり、槍で胴を貫く者もいた。
「信じていたのに……!助けてくれたって、思っていたのに!」
ある者は怒り狂い、ある者は涙を流しながら兵士達を蹂躙する覚醒者達。
この土地を占拠した時と同じ光景であり、本日まで幾度も繰り返してきたことだった。
だが、戦っている兵士達はこの間まで肩を並べて戦場に挑んでいた仲間である。
彼らは何らかの薬や術で操られているわけではない。狂ってしまったのかと問われれば、とっくに狂わされていた者達。
日本から誘拐され、『実験対象』にされていた覚醒者達であった。
砂だらけの街中では人と獣を混ぜた様な怪人達と兵士達が共同戦線を張り、覚醒者達の猛攻をどうにか防いでいる。
だが、互いに手の内を知り、双方に現代兵器がある以上……数の差など容易くひっくり返せる超人達の独壇場となっていた。
───■■■■■■■……ッ!!
ウミウシに似た、しかし明らかに異なる怪獣。怪獣となり果てた、かつて人体実験の被害者だった青年。
彼はこの世ならざる雄叫びをあげ、雷撃でもって怪人達を蹂躙する。一方的に、もはや戦いとすら言えぬ、破壊が行われていた。
『くそっ!』
地下通路を進む、ボスと呼ばれていた男。側近2人を引き連れ、無骨な軍用の衛星電話を何度も操作しては舌打ちをしている。
『ちくしょうめ、奴らいったいどこで知りやがった……!』
『ボス。それよりこれからどうします……地上はもう』
『わかってる!とにかくセーフハウスに移動するんだ!そこで待っていれば、必ず救助が』
「来るかもしれませんし、来ないかもしれませんね」
3人の足が、止まる。
地下通路を曲がってすぐ。彼らの進行方向に、1人の男が立っていた。
迷彩服の上からでもわかる、鍛え上げられた肉体をもった30代の日本人男性。片目を眼帯で覆い、残ったもう片方の目で彼らを真っすぐに見つめている。
硬い唾を飲み込みながら、ボスは彼、平塚菊三郎に笑いかけた。
「よ、よおヒラツカ。ちょうどいい所に来てくれた。俺達の撤退を」
銃声が響く。
平塚が瞬時に抜いた拳銃から硝煙が上がり、弾丸はボスのつま先を撃ち抜いたのだ。
『いってぇえええ!?』
「くどい、と。言いましたよ」
『このぉ!』
母国語で吠えながら、側近が手榴弾を投げる。同時に、もう1人がボスを引きずって先ほどの曲がり角を戻った。
3人がもつれ合う様にして角に隠れたのと、爆発がほぼ同時。慌てて立ち上がった側近達が、再びボスを連れて逃げようとした。
だが、眼前に現れた不可視の壁に阻まれる。
『なっ』
「逃がすとでも?」
コツリ、コツリと。ブーツの音が響く。
煙を肩できり、姿を現す平塚。彼を見た3人は、喉を引きつらせた。
「わ、わかった!降伏する!だ、だから、お願いだ!命だけは!」
「……貴方達を拘束します。武装の解除を」
平塚の言葉が不自然に止まった直後、ガラスが割れる様な音が地下通路に響いた。
彼らの視線が、新たに現れた2人の覚醒者に向けられる。
「ギリセーフ……っスかねぇ?」
「生きているからセーフでしょ!」
獣の様な兜を被った槍使いの男性と、重機関銃を2丁持ちにしたフルプレートアーマーの女性。
彼らは呆然とするボス達の横を通り抜け、平塚と相対する。
「なにボサッとしているんスか。早く逃げてくださいよぉ」
「そうそう!あれだよ。ここは任せて先にいけー!ってやつ?あれなんだからさぁ」
「お、お前達……!わかった!ご、合流したら追加報酬を出す!だから死ぬ気でそいつを殺せ!いいな!?」
「あいあい~」
側近達に肩を貸されて逃げていくボスに、軽薄そうな声で槍使いが振り返らずに手を振る。
その光景に、平塚は拳銃をしまい代わりに神主を彷彿とさせる『魔装』を展開した。
重心を落とし、隻眼の元自衛官は低い声で問いかける。
「……2人にも、事情は話したはずだが?」
「うっす!覚えてるっス!ボスは凄く悪い奴で、聞いてた美談は全部自作自演!」
「私達は利用されていただけ!上手くいけば元の生活に戻れるかも!皆で希望の未来にレディゴー!」
そんな平塚に対し、2人はそれぞれ得物を構えた。
「で。7つの頃には親からスリの手伝いさせられていた俺の元の生活って、どんなもんだったと思うっスか?」
「初潮がくる前から売りをさせられていた私は、あんまり元の生活に戻りたいとは思わないなー」
「……君達の境遇には同情する。私も、本気で元の生活に戻ろうとは思っていない。もう、信じられるのは家族だけだ」
平塚が、拳に結界を纏わせる。
「だが、それでも。君達にも未来が」
「ああ、いいっス。お涙頂戴の説得とか。そんな事より、俺らを殺さないとボスを追いかけられないっスよ?」
「マッドさんも、馬鹿笑いしながらウミウシ君に突撃して死んだっぽいし?私達も最期まで笑って逝きたいだけなんだよねー」
一直線の地下通路に、濃密な殺気が満ちていく。
地を這うそれらが、3人の足元から喉元へと這いあがっていった。
「人は変わらないって言う人もいれば、変わらないといけないって言う人もいるっスけど」
「変わる気がない人もいる。多様性ってやつだね!平塚さん!」
「……わかった」
はらり、と。平塚の眼帯が地面に落ち。
その下の義眼が、ぎょろりと2人を捉える。
「半殺しにしてでも、君達を制圧し彼を追いかける。それが、私の今やるべき事だ」
「なら、俺らは!」
「楽しく死のう!それがやりたい事だから!」
───その日。
覚醒者を擁していた傭兵集団は壊滅。彼らが打ち立てた旗はへし折られ、所属していた覚醒者達は全員が行方不明となっている。
大規模な爆発があった事から、仲間割れか弾薬管理を怠った結果の事故。あるいは某国の爆撃があったなど、様々な憶測が飛び交う中。
眼帯の男が数人の人間を連れ、どこかへ去っていた目撃情報は……数ある噂の中に、消えていった。
* * *
時と場所は戻り、アメリカ。ニューヨーク。
国連本部のとある一室。
「くそっ……!」
近くの壁に蹴りを放とうとした山下が、直前で足を止め代わりに小さく拳を叩きつけた。
「一方的な事ばかり言いやがって……!」
「どうするよ。今からでもあいつらにガツンと言ってきてやるか?」
「おやめください。それではただの恐喝になります」
額に青筋を浮かべた省吾を、クリス元大使が諫める。
「チャンスは確かにありました。それを、我々が掴めなかっただけです」
「中東の傭兵組織壊滅を、上手く利用できていれば……!逆に、やり込められる材料にされるなんて……!」
「落ち着いてください。あの場で激昂しなかった。それだけでも、貴方はよくやったと称賛されるべきです」
「ですがっ!」
「焦ってはいけません。貴方が進む道は、長く険しいものだ。まだ歩き出したばかりなのです」
「……はい」
喉元まで上がってきていた言葉を飲み込み、山下が大きく息を吸う。
広々とした応接間を見回し、彼は眉間に深い皺を刻んだまま首を傾げた。
「それで。なんで我々はここに通されたんでしょうか」
「どうやら、お忍びでやってきた大物が会いたがっているとか。誰かまでは、わかりませんでしたが」
「なんだよ。アメリカ大統領でも来るってのか?」
「はっはっは。その場合、私は死を覚悟しますよ」
省吾の言葉に、クリス元大使がハイライトのない瞳で笑う。
直後、山下の耳がひくりと動き、ほぼ同時に元大使の胸ポケットにいたリスが小さく鳴いた。
「誰かこっちに来るな」
「例のVIPとやらか?……暗殺者とかじゃないだろうな」
「さて。流石にこの様な場所ではやらない……と思いたいですが。それがそのまま実行する理由になる場合もございますからねぇ」
静かに警戒する彼らの耳に、扉をノックする音が届く。
「どうぞ、お入りください」
省吾がよそ行きの顔になり、ゆっくりと扉を開ける。
それに『日本語』で軽く礼を言いながら入ってきた人物に、クリス元大使が目を見開いた。
「これは……お会いできて光栄です。『アルフレッド・H・アームストロング首相』」
彼の言葉に、山下と省吾が一瞬固まる。
彼らもテレビで眼前の、黒髪を後ろに撫でつけた鷲鼻の老紳士を見た事があった。
アルフレッド・H・アームストロング。彼こそが、現在の英国首相である。
「は、初めまして!わ、私は山下博……えっと、マイネームイズ!」
「ああ、落ち着いてくれ。日本語で大丈夫だよ」
秘書を1人連れただけのアームストロング首相が、ニコリと笑う。
流暢な日本語に呆然とする山下に、彼は好好爺然とした笑顔のまま続けた。
「親戚が大の日本好きでね。国籍まで変えて、墓まで日本に作ったほどだ。その影響で、私も日本語が得意なんだよ」
「そ、そうでした。その……い、いい天気ですね!」
顔中に汗を浮かべて上ずった声を発する山下に、アームストロング首相は小さく吹き出した。
「いや、すまない。そう緊張しないでくれ。ここにいるのは、ただの『アルフレッド』という名の老人だと思ってほしい」
「はい!?いえ!いや……はい!」
尻尾を己の背にピッタリとくっつけ、山下がぎこちなく頷く。
そんな彼に、クリス元大使が小声で耳打ちをした。
「代表。椅子に……」
「はっ!アームストロングさん!どうぞ、椅子に!」
「ありがとう。失礼するよ」
綺麗な所作で座るアームストロングと対面する様に、山下も椅子に腰をおろした。
借りてきた猫というより、もはや置物に擬態しようとしている猫みたいになっている山下が、引きつった笑顔を浮かべる。
「そ、それでアームストロングしゅ……さん。本日は、どの様なご用件で?」
「単刀直入に言おう。今日は、君達に善意で警告をしにきた」
「警告……?」
物騒な単語が出てきたと、山下が目を細める。
「ああ。普段ならここまでハッキリ言わないが、私も長居できない身でね。端的に言って……世界は、既に君達の真上に『叡智の炎』を落とす気でいる」
「なっ……」
赤坂から既に『フットボールの会場にされかけている』と聞いてはいたが、それでも現職の英国首相に言われるのでは重さが違う。
思わず腰を僅かに上げた山下だが、どうにか座り直した。
「……アメリカですか?」
「一番強く声をあげているのは、ね。だが、言っただろう。『世界は』、と。もう天秤はかなり傾いている」
「それは……」
「これを聞いて、日本の人々は海外に避難しようと考えるかもしれない。発射が止められないとしたら、だがね。しかし……覚醒者を受け入れる国は、ほとんどないだろう」
「な、何故ですか!?むしろ、取り合いになっている所さえ」
「君達は、力を示し過ぎた」
アームストロング首相は、淡々と言葉を続ける。
「衣食足りて礼節を知る……だったか。古代中国の言葉だね。その中国が今どうなっているかは、君も知っているだろう」
「……はい」
「あの国の崩壊は、世界経済に大きな打撃を与えた。市場の喪失。工場の閉鎖。未だ帰国できていない他国民も、少なくない。どこの国も、余裕はないのだよ」
彼の言葉に嘘はない。事実、三国志時代に逆戻りした中国の混乱でどの国も株価が大きく変動している。
そのうえ、これ幸いと動き出したテロ組織や活動家達も多い。
血生臭い話が多いのは、日本だけではないのだ。
「その状況で、日本という市場を失ったとして。覚醒者の集団を受け入れたらどうなるか。そして、帰る場所を失った覚醒者達もまた、紳士淑女でいてくれるとは限らない」
「そ、それは」
「違う、と。言い切れるのかね?覚醒者は非覚醒者となんら変わらない。そう語る君が、覚醒者は非覚醒者よりも理性的で心優しい者ばかりだと?」
「っ……!」
移民や難民による問題は、世界中で起きている。
覚醒者がそうなったとして。単独で軍隊の1個小隊に匹敵する戦闘力をもった難民など、受け入れた国の民からすれば恐怖でしかない。
「受け入れるとしても、強固な首輪が必要だろう。集団になる事も許されない。およそ、人道的な扱いをする事はできない。……紳士でいるには、懐と心に余裕が必要なのさ」
「……そもそも」
山下が、膝の上で拳を強く握る。
「そもそも、核を落とさないという選択肢はないんですか?そうすれば、日本の覚醒者は日本だけで……」
「白い竜と赤い竜」
アームストロング首相は、糸の様に細い目を僅かに開く。
まるで猛禽類の様な鋭い眼光が、山下を射抜いた。
「私には友人が多くてね。そもそも、この1件はそう隠せる事ではない。君も、既に赤坂雄介から聞いているだろう?」
「……はい」
「ダンジョンに軍隊を派遣し、あの2体のドラゴンを討伐する。それにかかるコストはどれほどか。そして、その回収はできるのか。今の日本にそんな財政的な余裕はなく、それは世界にも同じ事だ」
沈黙する山下に、彼は続ける。
「一方的な都合ばかりと思うだろう。だが、それが当たり前なのだ。人は、己の都合で生きている」
「……だったら、今日の国連への呼び出しは」
「ただのパフォーマンスだ。君を使い自分の価値を高めたい者と、逆に貶めて自分をどこかに売り込みたい者のね。あの場に、覚醒者の人権を本気で考えていた者などいない。少なくとも、今日の会議ではそうだった」
「くっ……!」
悔しさか、怒りか。山下が唇を噛む。
そうでなければ、今にも眼前の人物へ掴みかかってしまいそうだったから。
「あのドラゴン達を野放しにすれば、世界が危険だ。故に、世界は『日本の犠牲』を許容するしかないと考えている。たとえ、禁忌とされる力を使う事になっても」
「…………」
そう締めくくったアームストロング首相に対し、山下はただ瞳を閉じた。
彼の様子に、首相は表情には出さず落胆する。目を閉じ、耳を塞いで。子供の様に現実逃避でもする気かと。
だが、再び目を開けた山下の瞳を見て。
「だとしても」
小さく、息を飲んだ。
「私は、俺は、諦めたくありません。最後まで、足掻きたい」
「……それが己の使命だと、悟ったつもりかね。思考を自動化するのは、お勧めできないな」
「いいえ。これは、やるべき事じゃない。俺が、やりたい事です」
真っ直ぐに自分を見つめる山下に対し、アームストロング首相が初めて『本心からの笑み』を浮かべる。
三日月の様に唇を歪め、犬歯を剥き出しにして。およそ、紳士とは言えぬ顔で彼と相対した。
「私の3分の1も生きていない小僧が、よくも吠える。ただの子猫でしかない貴様が、何をしようと言うのだ」
「まだ、何も決まっていません。わからない事だらけです。それでも、やりたい事が2つある」
「それはなんだ?山下博。捨て猫の長になりかけている貴様が、いったい何を為す」
「1つは、核攻撃の阻止。2つ目は、世界に覚醒者を認めさせる。何度だって言います。俺達と貴方達は、同じ存在だ。ただ腕力が強いとか、魔法が使えるなんて事は、些細な事だ。同じテーブルにつき、同じように飯を食べて笑い合える。俺も、貴方も……!」
山下が立ち上がる。
一瞬秘書の男が眉を跳ねさせたが、アームストロング首相は無言で彼を見つめていた。
「だから、友達になってください」
「……なに?」
差し出された手に、アームストロング首相が不思議そうに視線を向ける。
「俺の目標の為に、貴方とは友達になっておきたい。ダメですか?」
「……一方的な都合だな」
「はい。俺も、人間なので」
彼の言葉に、アームストロングは少し呆れた様子で笑った後。
老いた骨を僅かに軋ませながら立ち上がり、山下の手を握った。
「私の友人になるなど……後で骨の髄まで利用されて、後悔するかもしれんぞ?」
「お互い様ですよ、アームストロングさん。俺も貴方を利用する」
不敵に笑う大鷲と、必死に笑ってみせる子猫。
そうとしか思えぬ2人は、しかしこの時『友人』となったのだ。
「……首相。そろそろ」
「うむ」
腕時計を一瞥した秘書の言葉に頷き、アームストロング首相は不敵な笑みのまま手から力を抜く。
2人の指が離れ、彼は踵を返した。
「ではな、博。せいぜい使ってやるから覚悟しておけ」
「勿論ですよ、アームストロングさん。お爺さんだからと言って、加減はしませんからね」
「ぬかせ、小僧」
そう言い残し、退室する首相とその秘書。
彼らが去った後、省吾とクリス元大使が山下に駆け寄る。
「す、すげぇぞ博!お前、流石だぜお前!」
「やりましたね、山下代表……!これは間違いなく、大きな1歩で……?」
興奮した様子でまくし立てる2人だが、返事をしない山下の様子に首を傾げた。
そっと、省吾が彼の前で手を振る。
「……あ、ダメっすレイモンドさん。こいつ、気絶してます。立ったまま」
「えぇ……」
山下博。『ウォーカーズ』代表。
彼は笑みを浮かべたまま、真っ白に、燃え尽きていた。
* * *
空港に向かう車の中で、杖に両手を乗せたアームストロング首相は思い出し笑いを浮かべる。
『機嫌が良さそうですね、首相』
『ああ、そうだな。哀れみから会いに行ったが……くくっ』
無表情の秘書とは対照的に、首相は堪えきれないとばかりに笑みを深める。
『ただの子猫だと思っていたが、あるいは獅子の類かもしれんぞ?まったく、これだから人生は面白い……!』
『では、新しくできたご友人に何かプレゼントでも?』
『要らぬよ、あの憎たらしい若僧には。だが、そうだな』
杖の上で、彼は指をコツコツと鳴らす。
『衣食足りて礼節を知ると彼には言ったが、何があろうと死ぬ時まで紳士でいたいのが英国人というものだ。そう思わんかね?』
『そうですね。そうありたいものです』
『で、あれば。紳士らしく、禁忌の天秤に重しを載せるのを控えるとしよう』
上機嫌な首相を横目に、秘書は隠し持っていた護身用の魔道具を確認する。
精神感応や、何らかの呪いをかけられたわけではない。アームストロングはただ1個人として、山下博という男を気に入ったのだ。
『それはそうと首相』
『なんだね。無論、日本が火の海になった後の事も』
『いえ、そうではなく』
長年彼と共に歩んできた秘書は、無表情のまま淡々と。
『貴方の笑い方は怖いので、直した方が良いと何度も言っているじゃないですか。どうにかならないのですか?あのハゲタカみたいな笑い方は』
『……そんなにダメかね』
『私が映画監督なら、モリアーティ教授役に抜擢する顔ですよ』
『……気を付けよう』
『そうしてください』
アルフレッド・H・アームストロング首相と、山下博代表の邂逅。
彼らの奇妙な友情が後にどの様な影響を世界に及ぼすのか……まだ、誰も知らない。
また、山下一行が日本へ帰国するまでの間に幾つかの事件が彼らを襲うが、それは別のお話である。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
※山下さん一行の帰国までにあった色々
「ククク……あの猫耳野郎が今回のターゲットか……!」
「なんだと!?リスが爆弾のコードを噛みちぎったぁ!?」
「へっ、簡単な仕事だったぜ!」
「な、なにぃいい!?リスが、クマになっただとぅ!?」
「まさか、あの中に1人だけ非覚醒者がいたとはな……」
「クジラが船を牽引した、だと……!?」
「我々は真に覚醒者の未来を憂う者……!」
「飛び出してきたバッファローに撥ねられた!!」
「博……お前は、俺の……!」
「あのクマ強いよぉ!今度は象になったよぉ!」