第百五十一話 暗い森の中
第百五十一話 暗い森の中
暗い森の中から、それは現れた。
一瞬、『狼男』かと誤認する。しかし、すぐにそれは間違いだと気づいた。
木を削って出来た、黒い狼の頭。人に近い首から下の形状も、同じく木製である。
簡素な麻のシャツとズボンに、薄緑色の上着姿。布製の靴も履いた、まるで絵本に出てきそうな格好だ。
球体関節を袖から覗かせる狼男に似た人形は、しかし確かに魔力を帯びている。
それも、ゴーレムの類ではない。この魔力の流れは間違いなく、
『グルァァアアアッ!!』
モンスターだ。
『キリングドール』
前にダンジョン庁のHPで見た、人形タイプの怪物。そのランクは、『C』。
総じて道具を使う程の知能をもち、人と見分けがつかない姿の物から、この個体の様に一目で人外とわかる物まで様々である。
獣さながらの俊敏さでこちらにドールが走り出し、跳躍。両腕を突き出し、組み付きにきた。
その顔面に、左の鉄拳を叩き込む。
1撃で木製の頭部は粉砕され、衝撃で首から下も後方に吹き飛ばされた。ゴロゴロと転がった後、体の方も塩へと変わる。
それを視界の端におさめながら、正面を見据えながら剣を抜いた。
「結構多いですね……ミーアさん、通報は?」
「電波が少し悪いので、姉さんに連絡して代わりに電話してもらいました」
「ありがとうございます」
幸い、もしかしたら風呂の温度調整に使うかもと『炎馬の指輪』は装着済み。
自分の分のイヤリングはリュックの中だが、そちらは後で回収すれば良いだろう。
今は、目の前の火の粉を打ち払う時だ。
「見えている範囲で数は6体。こちらに接近中。もう少しで姿も見えます」
「わかりました」
ランタンの明かりを背に、剣を構える。
魔力の流れ通り、すぐに他のドール達も姿を現した。
中央に立つのは、絵に描いた様なピエロの人形。丸くカットされた赤い髪に、同じぐらい真っ赤な鼻。道化師らしい衣服は、夜の闇の中でもよく見える。
その左右に展開する、様々な格好のピエロ達。星や月のメイクをした個体もあれば、目元と口元に過剰な紅を塗った個体もいた。
その全てが、こちらの姿を視認するなり走り出す。手にはナイフと縄を持ち、不気味な笑みを浮かべて襲い掛かってきた。
投じられた縄が届くより先に、風の鉄槌で纏めて薙ぎ払う。直後に氷の槍が6本飛んでいき、1槍1殺……いや、1槍1壊にてドール達を打ち砕いた。
散らばった木片が白く変わるのを見届け、森の中へと視線を向ける。
「……近くに他の人形は見受けられません。ひとまずは安全かと」
「了解。姉さん、聞こえますか?」
隣にやってきたミーアさんが、手鏡に声をかける。
表面に見慣れた銀髪の麗人が浮かび、自分達へ盛大なため息を吐いてきた。
『君達、呪われているのかね?』
「やかましいわ」
人が微妙に気にしている事を、この残念女子大生め。
アイラさんは頬杖をつきながら、こちらをジトッとした目で見てくる。
『まあ、不幸中の幸いか。そのランクの敵ならば君達の敵にならん。警察と近くの役所には電話しておいたから、近寄ってきたのを蹴散らしながら救助を待っていたまえ。山の中な上に田舎だから、時間はかかるがね』
「了解。そうします」
『キリングドールには完全に日中しか活動しないタイプと、逆に夜しか動かないタイプがある。君達が遭遇したのは恐らく後者だ。救助は遅いだろうが、最悪夜明けまで持ちこたえてくれれば良い』
「はい」
『……時間がかかると言っても、流石に夜の運動会とかはするなよ?臭いとかで絶対ばれるからな?気まずいぞ?』
「貴女は何を言っているんだ……」
自分とミーアさんはそういう関係ではない。
というか、なんで言った側であるアイラさんの方が照れているのか。自爆癖でもあるのか、この姉妹。
しかし、普段ならこの残念女子大生がこういった発言をするとミーアさんが残念その2に変貌するのだが……。
やけに静かだなと隣に視線を向ける。
そこには、思わず息が止まってしまう程の美貌に、真剣な表情を浮かべるエルフがいた。
「……姉さん。このキャンプ場に一番近い村、あるいは集落とは連絡がとれましたか?」
『なに?いや……わからん。しかしこの位置は……』
「ダンジョンゲートから危険とされるのは、約2キロ。ゲートの位置は不明ですが、管理人さんも巻き込まれている可能性があります」
「あー……」
兜の下で、眉間に深い皺が刻まれるのを自覚する。
剣を地面につきたて、机の上のランタンを手に取った。そのまま持ち手を剣帯に通して、いつもの様にぶら下げる。
『むう。では警察にもその旨を連絡しておこう。やれやれ、まったく面倒な』
「ついでに、僕が山の中に入る事も伝えておいてください」
『は?』
「私も行きます。木に目印をつけていきますから、もしも私達を探す場合はそれを追ってくださいと」
『いやいやいや』
焚火が完全に消えている事を確認し、軽トラの方へと歩き出す。
自分のイヤリングを装着してからの方が、万が一ミーアさんとはぐれた時に合流しやすい。
ついでに『ブラン』も起動しておこう。彼女も同意見な様で、特に何か言うまでもなく同時に歩き出した。
『待ちたまえ。その管理人は知り合いか?』
「そこまで親しくないですね」
「はい。あ、姉さん。試しにこの番号に電話を。先ほどから、どうにもこの辺は電波が悪くって……」
「昼間はラジオが使えたんですけどねー」
『そうではない!いや、電話はするが……。君達が助けに行く義理はないだろう。夜の森は危険だ。しかもモンスターがいる。そこに待機していたまえ』
「道に迷ったら空を飛びますので」
「今更『Cランク』程度なら敵にはならないと、姉さんも言ったではないですか」
そう、ミーアさんが今言った通り、現在出現しているのは『Cランクモンスター』である。
これが『Bランク』なら迷ったが、このランクだと何もしないというのは……『見捨てた』様で気分が悪い。
嵐の海に飛び込んでまで他人を助ける気はないが、多少の擦り傷を負うかもという危険度で助けないのは、流石に憚られる。
「助けられるのなら、助けたい。間違っている事ですか?」
もっとも。そんな計算をしているのは自分だけらしい。
ミーアさんの瞳には、強い使命感が浮かんでいる。
『……出現しているモンスターが、1種類だけとは限らんぞ』
「そこまでのレアケースを言い出したら、この場に留まるのと危険度は変わりませんよ」
『素人が山に入るなど、二次遭難が予想される。即刻やめたまえ』
「ただ遭難するだけなら京太君が空を飛べますし、姉さんとの念話もありますから」
軽トラの荷台からブランが入ったボストンバッグを下ろし、中から部品を取り出して組み立てていく。
「安心してください。少しでも危険と判断したら、撤退します」
『……既にババ様とエリナ君には君達が氾濫に巻き込まれた事を報告済みだ。2人は今、万が一に備えそちらに向かっている。後でこの独断専行も伝えるから、たっぷりと説教されてしまえ』
「うっす」
「はい!」
ブランを組み立て終わったタイミングで、ミーアさんがこちらの肩を指でつついた。
いつの間に作ったのか、彼女の足元の地面から石で出来た楕円形の盾と、同じく石で構成されたクリケットバットに似た鈍器が生えている。
頷いて返し、魔力を流して起動したブランにそれらを持たせた。すると、『魔装』を展開したミーアさんが杖先をバットと盾にかざす。
刹那、青白い光が瞬き、気が付けばバットに氷の刃が歯の様にズラリと並んでいた。
南米の方でかつて使われていた、『マクアフィテル』に似ている。盾も氷で補強されており、見た目以上の強度がありそうだ。
彼女の氷が、鋼を遥かに凌駕する硬度である事を自分はよく知っている。
イヤリングを耳につけながら、小さく頭をさげた。
「ありがとうございます。では、行きましょうか」
「ええ」
『あー、もう!私は知らんからなぁ!』
「そう言いながら念話を切らないんだから、姉さんのそういう所大好きです!」
「うっす。尊敬してます」
『調子良いなぁ、君達ぃ!?』
しかし、こんな事ならフリューゲルも持ってくるべきだったか。
少し肩の辺りに寂しさを感じながら、夜の森に入っていく。アイラさんの言う通り、普通なら自殺行為としか言えんな。
我ながら愚かしい自己満足だと思うが、せっかくキャンプに来たのだ。
苦も無く助けられた命を見捨てたと、本来感じる必要のない罪悪をお土産にするなどごめんである。
「ごめんなさい、京太君。私が連れ出したばっかりに」
「いえ。これを予想しろという方が無茶な話ですので」
視線を周囲に巡らせながら、背後のミーアさんに答える。
順番は先頭に自分。次に彼女で、最後尾はブランだ。
森の中は雑草もほとんど生えておらず、古く大きな木が夜空に高く伸びている。枝葉が多すぎるのか、月や星の光がほとんど届かない。
ミーアさんも懐中電灯を持ってきているが、光源2つでもまだ暗く感じた。
これは、思った以上に歩きづらい。山寺さんの依頼で山中を歩き回った時も感じたが、やはりダンジョンと山では勝手が違う。
しかもこの山は、恐らくまともに手入れがされていない。腐って倒れた大木もあれば、急な角度で傾いている場所もある。
今の体でなければ、あっという間に滑落して救助隊の手間を余計に増やしていた負の自信があった。
いや、現在進行形で迷惑をかけている可能性はあるけども。そこは、うん。すみませんとしか言えない。
「ミーアさん、方角は合っていますか?」
「ええ。コンパスを見た限りは」
剣で近くの木にバツ印を刻みながら、慎重に進む。
『というかだね。なんで森の中を行くのかね君達……管理人とやらが心配なら、道なりに進めばよかろう」
「勘です」
『おぉい!?』
「いえ、別に根拠がないわけではなくってですね」
ちらりと、足元に視線を向ける。
雑草がろくに生えない程に木が好き勝手伸びている森に、不釣り合いな出来立ての足跡がそこにはあった。
薄っすらと魔力の残滓が視えているので、キリングドールのもので間違いないだろう。
「奴らの足跡を一応追いかけているんですが、どうにも森の中から来たみたいなんですよ」
『……ふむ』
怒鳴り声から一転、アイラさんが聞く姿勢に入る。
「キャンプ場に向かう途中、ずっと外を見ていましたがゲートはなかった。あるとしたら、森の奥深くです。そして、あのキリングドール達に『直近の殺意』はない」
『は?どういう事かね』
「複数体で襲ってきたのに、拘束役と攻撃役に分かれる事なく全員でこちらに縄を投げてきた。恐らく、捕まえて『巣』に連れ去る為です」
『……なるほど。さては、その部分が勘だな?』
「はい」
『ハッキリ言いおって。で?囚われのお姫様を助けに行くため、暗い森の中を歩いているわけだ』
「えっ。いや、お姫様と言うには年齢がちょっと……」
『やかましい。だが、ゲートは村近くにあり、人形どもは山越え森越え君達の所へ来たとしたら?』
「その時は諦めましょう。僕らにはどうしようもない場所とタイミングで、とっくに村は滅んでいます」
『まあ、車で道路を走っても20分近くかかるからな。村まで』
「まあ、そもそも誰も捕まっていない可能性もありますけどね」
後ろから、ミーアさんが苦笑交じりに言ってくる。
「ベストは、最初に狙われたのは僕らである事ですね。それなら被害者は0です」
『ふん。気色の悪いお人好し発言だ。京ちゃん君はそういうキャラだったかな?』
「さあ、どうでしょう」
「京太君は元々優しい人ですよ」
そう、だろうか……。
自分主体の天秤を抱えたこの身が、そうも手放しで褒められる存在に思えない。
別に、この価値観を改める気はないけれど。そもそも、自分が冒険者になったのは───。
「ん?」
思考を中断し、顔をあげる。
「……なんだか、あっちの方少し明るくないですか?」
「え?そう……ですか?」
『私にはさっぱりだぞ』
ミーアさんが鏡を掲げながら、自分の肩越しに指さす方向を覗き込む。
彼女らにはわからないらしいが、確かにあちら側から明かりが見えた気がした。
「ペースを速めましょう。思ったより敵の巣が近いかもしれません」
「わかりました。信じます」
近くの木に再び目印を刻み、大股で進む。
ちらりと視線を足元に向ければ、キリングドール達の足跡も同じ方向に残されていた。
そこから15分ほど歩いていくと、ミーアさん達でもわかる程の光量が木々の隙間から届く様になる。
そして、このルートが正解であると告げる様に、多数の魔力反応を感知した。
「当たりを引いた様です。数は15から20、こちらに接近中。正面と左右斜め前……背後に回り込む様な動きもあります」
「わかりました。背中は任せてください」
「頼りにしています。ブラン、ミーアさん……そちらの女性を守れ」
頷くでもなく、武器と盾を構える事で答えるゴーレム。
それにまた、白蓮との違いを感じた後。
ケタケタと笑うピエロ人形たちと、獣の様に吠える狼人形たちに剣を向けた。
読んでいただきありがとうございます。
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