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第百五十話 世界はいつも、待ってはくれない

第百五十話 世界はいつも、待ってはくれない




 魔法で出来た、綺麗に石が積まれた(かまど)の横に荷台から持ってきた薪を置く。


 早速竈に薪を積もうとしたら、ミーアさんから待ったがかかった。


「薪を竈にいれるのは、薪割りをしてからですね」


「え?でも、もう割れていますけど……」


 彼女が持ち込んだのは、恐らくホームセンターで購入したのだろう薪だ。


 当然の様に4分の1サイズにカットされており、火をつけて問題ない状態に思える。


「もちろんこのままで使えますが、最初の火が育っていない時はもう少し細い状態の方が良いのです」


「なるほど……」


 彼女の言葉に納得し、薪を1本手に取る。


「というわけで、鉈を持っ」


 ───メキィ!


「え?」


「おぉぅ」


 木目に沿って薪を指で引き裂いた自分に、ミーアさんが微妙な顔をする。


「……だめでした?」


「別に良いのですが……。いえ!ここはやはり、京太君も薪割りを体験してみましょう!ゴリラ式ではない薪割りを!」


「誰がゴリラですか」


 いつの間にか木製の台座を持ってきていたミーアさんが、鉈の柄をこちらに差し出してくる。


「木目に沿って、というのは知っていますね。では鉈の刃を薪に軽く食い込ませて……そうですそうです。では、そのまま『ほどほどの力』で振り下ろしてください!」


 言われるがまま、鉈が食い込んだ薪を台座に振り下ろす。


 すると、子気味良い音と共に薪が真っ二つになった。


「これは……けっこう気持ち良いですね」


「でしょう?私達の力なら魔法で簡単に薪なんて裂けますが、こうして割るのも『粋』なものです。……素手は予想外でしたが」


「いやぁ、いけるなーっと思ったので。つい」


 確かに、アニメとかで見る薪割りもこんな感じだった。


 ただ、明らかに素手でやる方が速い。それでもこの非効率なやり方は、どうにもクセになる。


 ほとんど無心で薪を割っていると、ミーアさんから声がかかる。


「薪割りはそれぐらいで十分ですね。割っていない薪は、後から火にくべる様にします。では竈のチェックも済んだので、この丸めた新聞紙と解した麻紐に火をつけてみましょう」


「わかりました」


「おっと、その前に。今回私は地面で焚火をしますが、こういう事をしちゃダメなキャンプ場も多いです。火事の原因になったりしますからね。このキャンプ場は、HPでその辺OKと書いてあったので大丈夫ですが」


「え!?じゃあ、どうやって焚火を……?」


 焚火のないキャンプなど、福神漬けのないカレーに等しい。福神漬け過激派なら、この表現だけで涙するだろう。


 自分は福神漬けがなくとも楽しめるが、片手落ちと言わざるを得ない。それと同じぐらい、焚火とキャンプは密接な関係にあるはずだ。


「つまり、地面の上で直接焚火をしなければ良いのです。アレを使ってね」


 そう言ってドヤ顔のミーアさんが親指を向けたのは、足の着いた金属製の箱だった。


『V』字型にへこんでおり、内側が少し黒くなっている。この中で何かを燃やした証拠だ。


「焚火台と言ってですね、これの中に薪を入れて燃やすのです」


「ああ、そう言えば何かの番組で見た気がします」


「そうでしょう?大半のキャンプ場では、今やこれの持ち込みが必須とされています。もしも京太君が今後ソロキャンをする時は、くれぐれも注意してくださいね。わからない事は、とりあえずキャンプ場の管理人さんに相談です」


「うっす」


「よろしい!では着火作業に入ります!」


「はい!」


「さあ。『炎馬の指輪』を使うか、こちらの『ファイアスターター』を使うか選ばせてあげましょう」


 ミーアさんが、手に持ったスティックをこちらに見せてくる。


「あ、ドラマで見るやつですよね、それ。棒の部分をナイフとかで擦る」


「そうそう。よく知っていますね!まあ、ナイフは怖いので私の場合付属のストライカー……この金属の板で擦りますが」


 彼女が持つファイアスターターの柄頭には、紐で親指大の金属板がぶら下がっていた。


 恐らく、あれがストライカーとかいうやつなのだろう。


「で、どっちを使います?ちなみに私がやるという選択肢もありますが」


「じゃあ……せっかくなので、それを使わせてもらっても良いですか?」


「その言葉が聞きたかった……!」


 満面の笑みでサムズアップするミーアさんから、スターターを受け取る。本来は指を守る為に手袋をした方が良いが、自分達なら問題ないそうな。


 竈の中心より少し手前辺りに置いた麻紐の上で、棒部分を金属板で擦る。


 しかし、ドラマで見た様にはいかず首を傾げた。


「あ、あれ?」


「ふっ……懐かしい。私もそうなった時がありました……」


 何やら遠い目をミーアさんがしているが、こっちは必死である。


 あまり力を入れすぎると壊してしまいそうだし、何より手間取るのは格好悪い。金属板の角度を変え、色々と試してみる。


「焦ってはだめですよ、京太君」


「うぉ……」


 突然隣にミーアさんがしゃがみ込んできたので、少し驚く。


 肩が触れ合う距離にいる彼女から、ふわりといい匂いが漂ってきた。すぐ近くにある美貌に、心臓がドキリとする。


「表面をただ擦るのではなく、『削る』感覚で動かしましょう。棒の部分はマグネシウムですからね。ストライカーで、こう『カッ!』とやると意外と簡単に削れるんです。そうすると火花が散るので、それを解した麻紐にかけるのですよ」


「な、なるほど」


 朗らかな笑みの彼女に照れながら、言われた通りに動かしてみる。


 すると、今度は簡単に火花が散って下にあった麻紐に小さく火がともった。


「おお……」


「筋が良いですね、京太君!よ、野生児!」


「褒めてませんよね?」


「あははは!冗談です冗談。ではこの麻紐に新聞紙をくっつけて、更に上から薪を載せていきましょう。きちんと空気の通り道をつくってー」


 心底楽しそうに焚火の準備をしていくミーアさんの顔がすぐ近くにあって、どうにも集中できない。


 彼女の長いエルフ耳が少しだけ上下にピコピコ動いており、時折その先端がこちらの耳たぶをかすめる。


 それがどうにもこそばゆく、少しだけ距離をとった。


 何というか、心臓がもたない。


「よし、火が育ってきましたね。では、こちらでは飯盒を焚きましょう!」


「おお、『あの』」


「そう、『あの』!」


 ミーアさんが立ち上がり、近くのテーブルから黒い飯盒を持ってきた。


 小学校の林間学校以来、画面越しにしか見た事のない代物である。なんかテンション上がってきた。


「先ほどお米と水を入れたので、すぐに火で温める事ができます!」


「い、いつの間に……!」


「ふっ……私が、どれだけのソロキャンをしてきたとお思いで?」


 ドヤ顔で三脚を組み立て、そこから飯盒を吊るすミーアさん。


「出発前に別の容器で水につけておいた甲斐がありました……!これで20分もあれば、炊き立ての美味しいご飯ができるでしょう」


「す、すごい……それはそうと、毎回1人だったんですか?その、寂しくは?」


「京太君」


「はい」


 ふっ、と。


 ミーアさんが、悟った様な笑みをこちらに向けてくる。


「ソロキャンをまるで恥ずかしい事、寂しい事の様に言わないでいただきたい。キャンプはマナーを守ったうえで、楽しめればそれだけで大成功なのです。なにも、大人数で騒ぐ事が全てではありません」


「はい」


「次にソロキャンを侮辱すれば、貴方の後頭部に全力の魔法を叩き込みます。良いですね?」


「以後気を付けます」


「よろしい」


 あの目はマジだ。マジで言っている。


 ソロキャンとボッチを一緒にしてはいけない。今日この場で、強く心に誓った。


「おっほん!では次に、お肉を焼く準備をしましょう!網の方は、こっちの焚火台を使います!」


「あ、それで既に設置していたんですね」


「普段は竈か焚火台の片方で全て済ませますが、今日は2人ですからね。食べ盛りの京太君のために、たくさん作ってあげましょう」


「ありがとうございます」


「ではこっちもパパっと火をつけちゃってと」


 そうして、ミーアさんが手際よく焚火台の中で麻紐に火をつけ、その上に薪を組んでいく。


 自分が加わっていた時より、遥かに素早い。かなり手慣れている。


「じゃあ京太君。網をそこのリュックから出してください」


「はい」


「そして……これも魔法の活用法。ただのクーラーボックスも、『水氷魔法』を使えば家の冷蔵庫と同じ性能を発揮するのです!お肉もお魚も安心!」


「……いや、最近のクーラーボックスなら、半日やそこら魔法なしでも大丈夫では?保冷剤とかで十分かと」


「甘いですね、京太君。昨今の地球温暖化を舐めていると、悲しい事になりますよ……!」


「うっす」


 鬼気迫るミーアさんの表情に、何があったのかを察した。


 夏場に、きっとやらかしたのだろうな……。


「水は魔法で用意しますので、手を洗ったらお肉を焼き始めましょう。飯盒の方も、ちょうど良いタイミングで炊き上がるはずです」


「わかりました。ありがとうございます」


「いえいえ。私の方こそ、今日は付き合ってもらったわけですし」


 そうして、彼女が空中に生み出した水の玉で手を洗い網の前に。


「そう言えば京太君。焼肉とバーベキューの違いを知っていますか?」


「え?え、英語か日本語の違い……とか?」


「ふっふっふ。実はですね、その場でお肉を焼きながら食べるのが『焼肉』。『バーベキュー』の方は、食材を粗方焼き終わってからお皿に盛って食べるものでして───」



*    *     *



 そうして、焼肉と炊き立てのご飯に舌鼓を打った後。


「食器はですね、指定された水場で洗わないとダメなんですよ。ここの場合、あの受付があるロッジの隣ですね」


「なるほど。それで、そのカゴは……?」


「ふふん。これ、食器を洗うのに便利なんですよ。魔法で食洗器みたいな事が出来るのです」


「本当に応用が利きますね、『水氷魔法』……」


 キャンプ場の洗い場のマナーを聞いたり、魔法のありがたみとそれとタメを張れる現代文明に慄いたり。


「京太君!良い感じの木がありましたよ、木!ハンモックを吊るしましょう!」


「え、ハンモックですか?でもそう言うのって虫とか伝ってくるんじゃ」


「大丈夫です。何を隠そう、お婆様から虫除けの魔法薬を貰っておきました!お香として焚いておけば、一切問題なしです!」


「アイラさんが聞いたら『この前の時に寄こせ』って怒りそうですね」


 人生初ハンモックに、自分が上手く乗れずに顔面から落下しかけたり。


「ハンモックの楽しみ方は、ただ眠るだけにあらず……そう、このラジオと推理小説です」


「……つまり?」


「ハンモックに揺られながら、ラジオで音楽を聞きつつ推理小説を読む……なんだか、すっごく頭が良くなった気になれます!」


「発想がバカのそれ」


「まあまあ!騙されたと思ってやってみてください。これが意外と、リラックスできるんですよ!」


 半信半疑でハンモックに揺られながらジャズを聞いていたら、確かに彼女の言う通り心が穏やかになるのを実感し。


「少し早めですが、晩御飯の準備といきましょう!」


「え、あっ。もうこんな時間でしたか」


「キャンプと言ったらカレー……ですが!ここはあえてパスタといきましょう!」


「パスタ、ですか」


「ソースは特製トマトソースと、持ち込んだソーセージとピーマン、マッシュルームと玉ねぎを使います。そして……なんと、麺の方は折って小鍋に入れます!」


「あの有名なイタリア人がぶちギレる!?」


「そう!こういう時じゃないと、やる必要がまったくありませんからね!何なら、キャンプでも普通に大き目の鍋ぐらい持ち込めるから、ただの面白半分です!」


「でもそれはやるっきゃないですね!」


「ええ、やりましょう!」


 2人してキャッキャと笑いながら麺を半分に折って、小鍋で茹でたりもした。


 彼女特製のミートソースは美味しかったが、麺自体は普通である。半分に折ったからと言って特別感はなかったなと、ミーアさんと苦笑した。


 そんな風に時間が過ぎていき、すっかり夜に。


 満点の星空の下、彼女が『魔装』の杖を部分展開する。


「さてさて。京太君。何故私が、人気もなければ整地も碌にされていないキャンプ場を選んだと思いますか?」


「え?……陽キャグループに遭遇しない為?」


「残念、ハズレです。まあ確かに、そういうグループと遭遇したくはありませんが。しかし、本命はこれです」


 ミーアさんが杖を振り上げたかと思えば、その石突を勢いよく地面に突き立てる。


 瞬間、杖を通して魔力が広がっていき、ボコリと石が次々と地表に出てきた。


 あっという間に石がひとりでに組み上がり、大きな『桶』の形となる。そして周囲を囲う様に土の壁も現れれば、これが何なのかすぐにわかった。


「まさか……露天風呂!」


「そう!満天の星空を見ながら、自作のお風呂に浸かる……それがミーア式キャンプの醍醐味なのです!!」


 力強くガッツポーズをミーアさんが決めるが、こっちとしては冷静ではいられない。


 まるで同性の先輩みたいな距離感で一緒にキャンプを楽しんでいたが、彼女は100人中100人が認める美女である。しかも爆乳。


 エロゲの世界から飛び出してきたのかという彼女と2人しかいない空間で、露天風呂なんて単語を出されてしまっては健全な男子高校生としてはたまったものではない。


 管理人であるお婆さんも先ほど車で帰ってしまったし、正真正銘。他には誰もいないのだ。


『やらかす』つもりはないが、それはそれとして心臓に悪い。


「『水氷魔法』は水を出すも氷を出すも自在……つまり、水を温める事も容易なのです。まあ、流石に沸騰させるのは大変ですが。40度前後に保つことぐらい、朝飯前なのですよ」


「い、良いんですか……その、色々」


「安心してください。石鹸やシャンプーなどを使った水はこちらの水桶にちゃんと入れますし、何なら魔法でわけます。流し場の方にそれらを捨てて良いのかも確認済み。帰る前にこの湯船と壁を元に戻せば、キャンプ場を荒らしてしまった事にはなりません。私の魔法の腕は、この作業で鍛えられたと言っても過言ではありませんよ……!」


「いや、そうではなく」


 アニメの話をするアイラさんばりに早口で語るミーアさんに、首を横に振る。


「あの、一応男と2人で来ているので……もう少し、警戒心をもってください」


「……あっ」


 こちらの言葉にようやくその辺りに思い至ったのか、ミーアさんの頬がみるみる赤くなっていく。


 だが、そこは流石年上というべきか。あるいはただのやせ我慢か。彼女は小さく咳払いをした後、こちらに視線を戻す。


「も、もちろん私は京太君を信用していますから。普段はゴーレムを1体持ってきて、念のため見張りをさせていますが今回はいません。貴方の理性次第ですが、問題ないでしょう」


「ま、まあ。はい。勿論覗きなんてしませんけど……」


「ですが、そうですね。だったら」


 ニヤリ、と。


 少し前屈みになって、こちらを見上げてくるミーアさん。その動作に合わせて、彼女の爆乳が『たゆん』と揺れる。


 重力に引かれる胸元。襟から、僅かに白い谷間が見えていた。


「もしも京太君が覗きをしてきたら、お仕置きです。とっても恥ずかしい目に合わせるので、そのつもりで」


「肝に銘じておきます……!」


 頬が熱い。顔ごと彼女から逸らして、夜風でどうにか冷ませないかと試みる。


「よろしい。では、私は着替えを持ってきますね。京太君も準備を。あ、私が先に入ってしまいますが、良いですか?」


「はい、勿論大丈夫です……!」


「……なんなら、一緒に入ります?」


「はぁ!?」


 思わず叫びながらミーアさんの方に振り返れば、アイラさんそっくりの笑みを浮かべていた。


「冗談です。期待しましたか?」


「な、あ、ぐぅ……!」


 こちらの様子にケラケラと笑い、彼女は軽トラへ向かった。


 しかし、生憎こちらの両目は『精霊眼』。


 光源の少ない中でも、ミーアさんの耳が赤くなっている事はハッキリと見てとれた。


 照れるくせに、捨て身で揶揄(からか)ってこないでほしい。滅茶苦茶心臓に悪いので……!


 そんな一幕があったものの、しかし露天風呂は彼女の言う通り素晴らしいものだった。


 壁の外側で見張りをしている時は、僅かに聞こえてくる音に悶々としたものの……いざ自分の番になって、お湯に浸かりながら夜空を見上げれば感動が胸を満たす。


 うちの近所も、世間一般で言えば十分に田舎だ。空を見上げれば、ほとんど遮る物はない。夜中なら、家々からも明かりが消えている。


 だが、こうした大自然の中でというのは……もしかしたら思い出補正みたいに、環境でそう感じているだけかもしれないけれど。


 とても、綺麗な空だった。


 ……もっとも。


 すぐにこの、自分が浸かっているお湯に先ほどまでミーアさんが入っていたのだと。邪念が頭の中でグルグルとしだしてしまったのだが。


 我ながら、悲しいほどに俗な男である。


 何はともあれ。入浴を終え、着替えを済ませた後に折り畳み式の椅子へ腰かけた。小さな机を挟んで、ミーアさんの椅子も置いてある。


 火照った体に、夜の風が心地よい。正面には真っ暗な山々。見上げれば星々と三日月。不思議と、贅沢な気分になってくる。


 ダンジョンに通っているくせに、と我ながら思うが。どうにもこのシチュエーションに非日常感を強く感じる。それも、悪くない形で。


 血の臭いも、刺すような危機感もない。


 穏やかな風が、頬を撫でていく。


「どうぞ。コーヒーです」


「あ、どうも」


 机のこちら側にコーヒーカップが置かれ、小さく頭をさげた。


 ダンジョンでも使っているLEDランタンが机の中央にあり、その向こう側に彼女が自身の分のカップを置く。


「砂糖とミルクを多めに入れましたが、大丈夫ですか?」


「はい。ありがとうございます」


「ふっふっふ。実はこれ、自分で豆を選んで淹れたんです。お婆様には秘密ですよ?」


 そう言って、椅子に座ったミーアさんがこちらにウインクをしてくる。


 美人がやると、気障な行為も絵になるものだ。不覚にも少しドキリとしながら、誤魔化す様に問いかける。


「なんで教授には秘密なんですか?」


「前に台所でコーヒー豆を挽いていたら、お婆様が扉の陰から寂しそうにこちらを見ていたんですよ。裏切られた、とでも言いたげなあの視線を忘れられません」


「あの教授が?」


「はい。あのお婆様が」


 その光景を思い浮かべて、つい笑ってしまう。


「市販のコーヒーについては何とも思わない様ですが、豆からというのは許せなかったようです」


「それはまた……しかし、どうしてミーアさんもわざわざコーヒー豆を?」


「浅い理由ですよ。去年ぐらいに、他県まで遠出したら中学生ぐらいの女の子達がキャンプ場でコーヒーを淹れていたんです。それが、なんだか格好よくって」


「なるほど……」


「今では、豆にまで拘る様になってしまいました。絶対にお婆様への告げ口はしないでくださいね?」


「……フリですか?」


「ちーがーいーまーすー」


 唇を尖らせるミーアさんに、苦笑を浮かべる。


 何というか……この人とも長い付き合いな気がしていたが、よく考えればまだ出会ってから半年にも満たない。


 幾度も命を預けあったせいか、どうにも濃密な数カ月間だった様に思える。もはや、戦友と呼んでいい間柄と言えた。


「あ、そう言えばミーアさん」


「なんでしょう?」


「僕がお風呂に入っていた間、壁の周りをやたら歩いていましたけど……どうしたんですか?」


 彼女の魔力が壁越しに右往左往していたので、少し気になっていた。


 最初は敵の気配を感知したのかと思ったが、どうにもそういう風には見えなかったのである。


 あれはそう。何かに迷っていた動きだ。


「……話題を変えましょう」


「はい?」


「今から真面目な話をします。その話は、やめましょう」


「あ、はい」


 何かわからないが、ミーアさんが冷や汗を掻きながら首を横に振った。


 特に深く追求する気もないので、素直に頷く。


「これからも……『ダンジョンに通うか』という話です」


「……それを話すか否か、僕が入浴中迷っていたんですね」


「え?ああ、はい。そうですね。たぶんそうです」


 コーヒーを1口すすり、小さく息を吐く。


「……正直、まだ答えは出ません。焦らなくて良いとは、アイラさんやエリナさんから言われているんですけど」


「……私もです」


 ぽつり、と。彼女はそう言って、コーヒーを飲んでから続ける。


「理屈では、あんな事が早々起きるわけないと思っているんです。でも、理屈で言ったらそれこそダンジョンも覚醒者も、理外の存在ですから」


「何が起こっても不思議じゃない……。それを理解したつもりでいて、しかし誰もが失念していた。ダンジョンは閉鎖された空間だと、思い込んでいたのです」


「もしも、また乱入があったら。もしも、その衝撃でゲートが使えなくなったら。もしも、乱入者があのドラゴンと同等の力をもっていたら」


 彼女がつむぐ不安は、自分も考えたものである。


 ダンジョン。そう名前がついてこそいるが、決してその全てが解明されたわけではない未知の領域。


 人は名前をつける事で、わからぬ物をわかった気になるとどこかで聞いた事がある。


 これは、まさにそれだ。未知の存在を勝手に理解した気になって、安心していたに過ぎない。実際は、何が起こるかわからぬ危険地帯だったと言うのに。


「……どう、しましょっか」


「どう、しましょうね」


 2人して、背もたれに体をあずけ天を見上げる。


 困った時の天頼み、と言うが。当然ながらお月様は何も答えてはくれない。


 三日月が、まるで『自分で考えろ』と笑っている様に思えた。


「……蓄えは、わりと十分だと思うんですよ。お金も、力も」


「……」


 彼女の言葉に、耳を傾ける。


「立ち止まって冷静になれば、私達は十分に強い。覚醒者は何百万人といますが、『Bランク冒険者』なんてほんの一握り。その中でも、上位にいます」


「……でも、いつか追い抜かされますよ」


「このランクまで来られる才能とやる気を持ち合わせている人なんて、そうはいませんよ。それに、追い越してきた相手が悪漢でなければ何の問題はありません。代わりに、モンスターと戦ってくれるのなら」


「ダンジョンに行かなければ、弱くなります」


「それも、1年に1レベル程度のペースと聞きました。そういう意味でも、蓄えがあると思うんです」


「……もしもまた、氾濫に巻き込まれたら?」


「それは、問題ですね」


「その氾濫で出て来たモンスターが、今の自分達より強かったら?五体満足で逃げる事すら叶わない……あの、ドラゴンみたいな」


『白蓮』が極光に飲まれる姿を、思い出す。


 白銀の背中が、1秒とかからずに見えなくなった。『Bランク冒険者』と比べても遜色ない性能を誇るゴーレムが、その身を挺して自分達を守ってくれなければ……間違いなく、誰かが死んでいただろう。


 それは、僕だったかもしれない。エリナさんだったかもしれない。ミーアさんだったかもしれない。


 今度は、アイラさんや教授、うちの両親や雫さん達もその場に居合わせるかもしれない。


 そうなった時、僕らは……。


「でも。そういう時の対処を考えるのは、本来自衛隊ですよね?」


「それが道理です。ですが、道理だけではないのが世の中だ」


「ですよねー……」


 彼女も、自分も。理性では結論が出ている。


 それでも足を止めざるを得ないのは……『恐怖』故に。


 圧倒的だった。絶対的だった。鱗1枚1枚が絶大な力をもつ、大いなる竜の威容は今も瞼を閉じれば正確に思い出せる。


 ───アレと、また遭遇してしまうのでは?


 ───今度は、逃げられないのではないか?


 そう思うだけで、足がすくむ。


 恨みはあるし、怒りもあった。だが、恐れが勝る。


「…………」


 沈黙が、夜の帳を支配する。虫の鳴き声すら聞こえぬ空間で、思考はただグルグルと同じ所を回っていた。


 全身に絡みつく恐怖を振り払う、何かが足りない。


 それは復讐心か、蛮勇か、自信か。名前もわからぬピースが、欠けている。


 きっと、これを見つけ出すには時間が必要だ。さもなければ、余程の『荒療治』がいる。



 そして───どうやら時間の方は今、もらえないらしい。



 椅子から立ち上がり、『魔装』を展開する。


「京太君?」


「ミーアさん、構えてください」


 ランタンの明かりも、月の光も届かぬ森の中。


 それでも、この眼はどす黒い魔力の輝きを捉えている。


 人ならざる気配。もはや慣れてしまった、尋常な生物でありえぬ不可思議な魔力の流れ。



「敵です。楽しいキャンプは、ここまでだ」



 獣の様な唸り声が、穏やかな夜を引き裂いた。








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