第百四十八話 もしも迷宮から離れるのなら
第百四十八話 もしも迷宮から離れるのなら
9月も下旬となり、気温も秋らしくなってきた。
世間では『今後冒険者はどうなるのか』『謎の竜の対処は』『これらによる株価への影響が』等々。この前の官房長官が行った会見が話題の中心となっている。
それだけ、ダンジョンの壁を撃ち抜いてくる存在は予想外だった。
未だあの迷宮の事も、その向こう側の事もよくわかっていない。『覚醒の日』から2年数カ月。ようやく、アトランティス帝国なる国がかつて異世界にあったとわかった程度だ。
だが、人々は少しずつ適応しかけていたのである。慣れや、感覚の麻痺とも言えるかもしれない。
それが、再びぶち抜かれた。
アップデートした、あるいはしたと思い込む事ができていた所を、横からぶん殴られたわけだ。
これに動揺しているのは、当然自分達も同じである。
放課後。一度家に帰宅してから、エリナさんと共に雫さんの工房にやってきていた。今日は愛花さんも一緒である。
というのも、この前手に入った『トンボ型の琥珀』を見てもらう為だ。
「……何というか、美術的に価値が高そうですね」
作業台に置かれた琥珀に、愛花さんが小さく目を見開く。
色んな角度からそれを眺めた後、彼女がこちらへ恐る恐る問いかけてきた。
「本当にこれを魔道具に……?」
「はい。可能なら、火力の向上に使いたい」
彼女の問いかけに、キッパリと答える。
このドロップ品の相場を知って心と懐に大ダメージこそ受けたが、もう決めた事だ。あの日の報酬が飛んだどころか、貯金まで少し削れた事に後悔はない。
ないったらない。
同じく琥珀を眺めていた雫さんが、ガリガリと後頭部を掻く。
「やれと言われたらやる。こいつを、改造中の『炎馬の指輪』に追加で組み込むんだな?」
「ありがとうございます。お願いします」
「おう、マジで感謝しろよ。そもそも、完成された魔道具を改造しろって段階で無茶なのに、追加で素材足せとか……せめて最初に言え」
「す、すみません」
「まあ、良いけどよぉ……」
相変わらずの三白眼が、こちらを見上げてくる。
「だが。これ以上火力を上げてどうするんだ?」
「どうって、そりゃ戦闘に……」
「お前、これからもダンジョンに入るのか?」
雫さんの問いに、思わず口をつぐむ。
「これはダンジョン外で手に入れたって言っていたよな」
「……ええ。山中に出現したゲートの捜索中に、モンスターと交戦して」
「お前が今後『ダンジョンの外』……そういう、人があまり入らない山とか森の中をメインに活動するのなら、行き過ぎた火力は危険なだけだぞ。山火事が起きたら事だ。すぐに消火できなかったら、間違いなく大惨事になる」
「……周りへ燃え移る前に、敵を焼き尽くせば火事にはならないかなぁ、と」
「それが出来るだけの実力差があったら、そもそも高い金かけて強化とか要らなくないか?今の出力でも十分だろう」
ごもっともである。
「言っておくが、反対はしてねぇぞ。むしろ、アタシは今すぐこの素材とお前の血を混ぜて鉄に打ち込みたい。だが、職人として一応忠告はしとかないといけないからな。で、どうする?この素材は売らずに、改造用の部品として使うのか」
雫さんはいつもの仏頂面だが、眉間に皺は寄っていない。彼女は本気でこちらを気遣ってくれているのだろう。
深呼吸を1回。うだうだと悩む己の脳みそを、一旦落ち着かせる。
「『備え』です。今後ダンジョンに入るかどうかは未定ですが、また氾濫に巻き込まれるかもしれない。その時に『あの時ああしていれば』と思いながら死なない為に、力が欲しいのです」
「そうか。そういう事なら承った」
自分の答えに納得してくれたのか、雫さんが頷く。
そして、引き出しから電卓を取り出した。
「じゃ、値段の方な。素材を後から追加って事になるから、当然その分金は取るぞ」
「うっす」
「エリナに倣って、たとえ身内相手でもそれを理由に値引きはしないから覚悟しろ」
「うっす……」
電卓に表示された数字に、ちょっと後悔してきた。
やっぱ、過剰な火力はいらないかも……いやいや。もしも『Aランク』の怪物とまた遭遇した場合を考えると、これは必要経費……!
死後の世界には、三途の川の船賃以外持っていけないだろう。ここは、出し惜しみなしだ。
……やっぱつれぇ!
「今お前、高過ぎって思ったろ」
「まあ、はい。ですが雫さんの腕は信じているので、値段に見合った物ができるとも思っています」
「おう。そこは任せろ。それはそれとして、アタシは情で値引きはしないが物々交換は受け付けている。例えばそう、今からコンビニでこんど」
「はいストップ」
雫さんの赤い頭が、白く華奢な手にがっしりと鷲掴みにされた。
手のサイズが足りなそうだが、握力で無理矢理掴んでいる。そのまま『ギチギチ』と軋む音が聞こえてきた。
「ぬおおおおお……!?」
「乙女が言ってはいけない事を言いかけた気がしましたので、止めました。というか、本当にその内セクハラで訴えられますよ?」
「きょ、京太なら訴えない……!最悪色仕掛けでどうとでもなる……!」
酷い認識だ。しかし否定できない。
いや、訴えない方ね?友人としての情だからね?決して『低身長巨乳美少女に誘惑されたら、大概の事は許しちゃう』というわけではない。
このオリハルコンの理性に誓って、断じてない!!
「まったく……それはそうと、その、一応……そう、一応聞きますが!血を使った場合と、せ、せい……そういうのを使った場合って、どちらが魔力の効率が良いんですか?」
「ん~?聞こえんな~?せ?せが、なんだって?」
「ちゃんと言ってくれないと、わからないよアーちゃん!『せ』ってなに!背脂!?」
「絶対わかっていて言っていますよね!?あとエリナさんはクッキーでも食べていてください!」
「むぐぉ!?」
慣れた手つきで鞄から取り出したクッキーの包み紙を破き、中身をエリナさんの口にねじ込む愛花さん。
無言で咀嚼する自称忍者を気にした様子もなく、味方が沈黙した事に雫さんが小さく肩をすくめる。
いや気にしようよ。今エリナさんが口にねじ込まれる瞬間、見事な体捌きでお互い怪我しない様にしていたぞ。
なんて無駄に無駄のない無駄な体術……。やっぱ気にしなくて良い気がしてきた。
「正直言って、たぶん変わらん。『錬金同好会』の公開している資料によると、血液も精子も魔法的な価値はほぼ同じだ。ただ、得意不得意は異なる」
「なんでもやってんな、あの同好会……」
「ちなみに、魔法的に価値が高い人間の素材は圧倒的大差で1位が心臓。次に頭蓋骨。3位が同率で血と精液だな」
「待ってください。3位はともかく、なんで心臓と頭蓋骨のデータが……?」
まさか、遂にやらかしたのかあの変態集団……!
いつかやると思っていました……!
「あくまで『理論上は』ってまくら言葉についていたぞ。正直アタシも最初疑ったが」
あ、良かった。流石に彼らもそこまで道を踏み外してはいなかったらしい。
別の方向に踏み外すどころか道路作っているだけで。
「得意不得意があると言うのなら、鉄に打つ場合はどちらが効率的なんですか?」
「血」
「あ、な、た、はぁ~!」
「ちょ、待て待て!落ち着けぇ!?」
雫さんの後ろに回り込んだ愛花さんが、拳骨で彼女のこめかみを押さえ挟む様にぐりぐりと動かす。
身長差だけ見ると、姉妹の様だ。まあ容姿やスタイルはまったく似ていないが。
「別にアタシは性欲で精液を要求しているわけじゃない!三好さんと一緒にすんな!」
「む。聞きましょう。本当に三好さんと同じではないのかどうか」
ミーアさんへの風評被害が酷い事になってる……。
別にあの人、アイラさんとエリナさん以外には無害なのだが。特に僕なんて、性欲の対象ではないだろうし。
「職人としての知的好奇心と、向上心だ!京太ほどの鉱山で採れた素材を使えば使う程、アタシの腕も上がる。……気がする」
「だとしても、もう少し慎みを持ちましょうよ……」
「いや。その前に人を鉱山扱いしないでもらえます?」
「断る」
真顔で返された。なんだ、その確固たる意思は。
「で、どうする。今なら愛花が採掘を手伝うぞ」
「貴方の頭につるはし叩き込みますよ!?」
「いや、流石にクラスメイトの女子にそういうのを渡すのは、ちょっと……」
「ちっ。やはりダメか」
自分にだって羞恥心はある。血液の提供で済むのなら、そちらにしたい。
男子高校生の繊細なハートをもっと労わってください、マジで。あまりその辺を蔑ろにすると、引きこもるぞ。
「それはそうとさー」
クッキーを飲み込んだらしいエリナさんが、ツインテールを揺らしてコテリと首を傾げる。
「京ちゃんはまだ、ダンジョンにまた通うか検討中なんだよね?シーちゃんとアーちゃんはどうするの?」
「アタシ達か?まあ、行く予定ではあるぞ」
「レベル上げは必要ですから……」
彼女らの選択に、少し意外だと目を見開く。特に愛花さんは、安全第一で距離を取ると思っていたので。
「その、良いんですか?もしかしたら、ランク詐欺みたいな事が起きるかもしれませんが……」
「そうは言っても、元々自衛の為のレベル上げですから。自分だけ立ち止まって、悪事に加担する覚醒者ばかり強くなる可能性を考えると、リスクを承知で行かざるを得ません」
「アタシの場合、ドロップ品の確保もあるな。官房長官の記者会見の影響で、仕事とダンジョン産の金属が減るかもしれねぇ。自分で採りに行けるのなら、行かねぇと」
「それは……そうですか」
2人とも、考えた上でそう結論を出したらしい。
であれば、自分が止めるのは筋違いだが……。
「なら、そのダンジョンにはいないはずのモンスターを見かけたら、すぐに逃げてくださいね?絶対に戦おうと思わないでください」
「……聞いて良いのかわからんが、『白蓮』を失ったのってやっぱり」
「はい。官房長官が言っていた『白い竜』。それと遭遇し、自分達を逃す為に白蓮は殿を務めました」
あのゴーレムの性能は、雫さんもよく知っているだろう。
白蓮が帰還できない程の怪物。ハッキリ言って、戦闘面ではごく一般的な冒険者でしかない彼女達では、抗う事すら出来ない。
あの白い竜が直接動かずとも、ワイバーンや白い兵士達だけで文字通り秒殺される。
「まさかとは思っていたが……白蓮でも無理な相手か」
「ええ。もしもあの時正面から戦うと判断していたら、白蓮と共に自分達もあそこで散っていました」
「ご忠告、ありがとうございます。肝に銘じておきましょう」
愛花さんにもこちらの本気が伝わった様で、神妙な顔で頷いてくれた。
それでも、ダンジョンに通うつもりらしいけど。
「あ、そうだシーちゃんアーちゃん!」
「あん?」
「はい?」
「もしも京ちゃんと先輩がダンジョンへ行かないってなったら、私達でパーティー組もうよ!」
あっけらかんと、まるで週末に遊びへ誘うような気楽さで発せられた言葉。一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかった。
エリナさんが……自分を置いて別の人達と組む?一時的にじゃなく、正式に?
はぁ?
「ランクなら大丈夫!ちゃんと2人のレベル上げはサポートするからね!」
「……お前さぁ」
「あの、京太君。エリナさんに他意はないので、どうかその辺りは誤解しないであげてください」
「ほえ?」
ドン引きする雫さんと、焦った様子でこちらを向く愛花さん。そして、能天気な様子の自称忍者。
小さく深呼吸して、どうにか冷静さを維持する。
「大丈夫です。この自称忍者が自称忍者な事は、よく知っていますので」
「動詞扱い!?あと自称じゃないよ!?公認だよ!」
「どこのだよ」
「私!」
「自称じゃねぇか」
御立派なお胸様に手を添え、『むん!』とドヤ顔をする自称忍者。
いつも通りな彼女の様子に、額を押さえてため息を吐く。
……自然な形で、目元を隠せたと思いたい。
そこから、2、3言会話して帰路につく。エリナさんに家の前まで転移で送ってもらい、小さく頭を下げた。
「送ってくれてありがとう。それじゃあ、また明日」
「うん!また明日ね!あ、その前に京ちゃん!」
「はい?」
出来るだけいつも通りな自分を意識して、彼女に向き直る。
「晩御飯食べたらゲームで遊ぼうってパイセンが言っていたよ!3人でレースゲームだ!今夜は寝かさないぜぃ!」
満面の笑みを浮かべる自称忍者に、口を『へ』の字にして返す。
「受けて立つけど、徹夜は断固拒否する。また教授に怒られても知らんぞ」
「はぁい。じゃ、対戦の準備ができたら連絡するね!」
「はいはい。待ってますよ」
「じゃ、ばいびー!あでぅおーす!」
手をブンブンと振った後、転移で姿を消すエリナさん。
それを見送って、脱力し背中を玄関の扉に預けた。
「はぁ……」
自然とため息がこぼれる。
どうやら、自分は己が思っている以上に面倒くさい男だったらしい。仲間が別の友人とチームを組むかもと聞くだけで、こうもへこむとは。
いや、あれだ。友達が自分を除け者にしてグループ組んだら、誰だってショックだし?別におかしな話でもないのかもしれない。
そう自分に言い聞かせるが、再びため息が溢れてくる。
……友達が行くから、なんて。そんな理由で『答え』を出してしまってはダメなのだろうな。
エリナさんは、きっと『ダンジョン関係なく友達は友達!』というノリなのだろう。実際、愛花さん達とだって普段は一緒に冒険者活動をするわけではないが、交友があるのだから。
そう。別に、冒険者を辞めたとしても彼女らとの付き合いは続く。
ただ、共に戦う事が、出来なくなるかもしれないだけで。
「……ん?」
その時、スマホから着信音が聞こえてきた。
ポケットから出して確認すると、ミーアさんからメッセージが送られてきたらしい。
画面のロックを解除して、早速中身を確認する。
『今度のお休みの日に、良かったら2人でドライブに行きませんか?』
前後の挨拶を省くと、その様な事が書いてあった。
自分と同じ様に、冒険者を続けるか迷っているあの人からの誘い。はたして、どういう意図があるのだろう。
そう疑問を抱きながら、了承する旨を返信した。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
Q.まさか、ここから昼ドラ展開もありえる!?
A.私がそんな濃密な人間関係を書けるとでも?
咄嗟に思いついた昼ドラ
京太
「この……泥棒猫!」
エリナさん
「にゃぁん!?」
ミーアさん
「うんうん。それはエリナさんが悪いですね。じゃ、京太君は自分のスケベな匂いを反省してくださいね」
アイラさん
「めんどうだしインド映画みたいに踊って解決しよう!あ、待って急に動いたら足がっ!?」