第百四十七話 悩む事が出来る権利
第百四十七話 悩む事が出来る権利
山中にて巨大な虫どもと戦い、ゲートを見つけ出した翌日。日曜日。
教授からのありがたいお言葉を頂いた後、家族と共にリビングにて食い入る様にテレビを見ていた。2人はソファーに座り、その後ろに立っている。
腰を下ろすにはどうにも落ち着かない、焦燥感とも言えるものが体を這いまわっており、それこそ意味もなく走り出したい気分であった。
今は国営の番組で、連続ドラマの宣伝やら避難の時に役立つ豆知識なんかが放送されている。
だが、当然自分達の目当てはそんな物ではない。画面が切り替わり、首相官邸の会見室へ。
多くの報道陣が待ち構える中、アナウンサーの真剣な声が聞こえる。
『間もなく官房長官による会見の予定時刻です。はたして、『ダンジョンの封鎖』についてどの様な話がされるのか』
画面外で男性アナウンサーがそう言ったタイミングで、官房長官が記者会見室に入ってきた。
毒にも薬にもならない挨拶の後、彼は眼鏡の位置を直しながら自身に向けられた幾つものカメラを軽く見回す。
『それでは、現在行われているダンジョンの封鎖と、今後の対処についてお話しさせていただきます』
ギシリ、と音がする。いつの間にか、拳を固く握っていた。
『まず、ダンジョンで起きている異常についてです。2つのダンジョンにて、外側……異世界側から、本来そのダンジョンでは出現しないモンスターが侵入しています』
ざわり、と。会見室が騒がしくなる。
ソファーで見ていた両親も動揺したのが、後ろからでもわかった。
『両方とも侵入してきたモンスターは非常に大型のドラゴンであり、ブレスを使い外壁を撃ち抜いて道を作ったと考えられます。そのドラゴンの支配下にあると思しきワイバーンも多数入って来ており、現在その2カ所のダンジョンはランク通りの難易度ではありません』
記者達の動揺を予想していたのだろう。官房長官は汗こそ掻いているが、淡々と言葉を続けた。
『他のダンジョンでも同じ様な事が起きる可能性を危惧し、全てのダンジョンで冒険者を含めた一般人の立ち入りを禁止しております。現在も調査中であり、あと1週間は様子を見る予定です』
そう告げた後、彼はペットボトルから水を1口飲んで。
『その1週間で他のダンジョンに異常が発生しなかった場合……外部からの侵入があった2つのダンジョンを除いてダンジョンの解放を再開します』
彼の言葉に、まだ質疑応答の時間ではないのに記者達から声が上がった。
『どういう事ですか!?それは、他のダンジョンでは同じ事が起きない可能性を、どうやって証明したと言えるのですか!?』
『危険すぎます!冒険者の、国民の命を何だと思っているんですか!?』
『その侵入してきたドラゴンとは、どの様なモンスターですか?』
『ダンジョンの外壁は戦艦の主砲でも貫通しないと、これまでの調査で結果が出ています。そのドラゴンのブレスは、戦艦の主砲以上という事ですか!?』
次々と投げかけられる質問に、司会者がどうにか場を落ち着かせようとする。
しかし、会見室が静かになる事はなかった。
『モンスターの情報につきましては、只今調査中であり詳しくお答えする事はできません!』
『米軍は!国際協力について、政府はどの様にお考えで!』
『アメリカを始め、様々な国々と話し合いを続けております!今しばらくお待ちください!』
ほとんど怒鳴り合いじみた声量で、なし崩し的に質疑応答が始まった。
『ランクが信用できない状況となりましたが、冒険者はどの様な対策をしてダンジョンに入れば良いのですか!?』
『冒険者の方々には新たに同意書へのサインをしていただき、よりいっそうの危機管理をもってモンスターの間引きに当たっていただきたく───』
自分が気になっていた、この会見で知りたかった事は2つ。
1つは、あのドラゴンの現状。こちらは未だ調査中との事。つまり、あの白トカゲは今も五体満足でのさばっている。
もう1つは、これからの冒険者活動について。
官房長官の言っている事を要約すると、『今後も自己責任』。それに尽きる。
冒険者の年齢引き上げや、そもそも制度の廃止については検討中。これまでと違うのは、書類が1枚増えるだけ。
そしてその書類は、ダンジョンであの白い竜みたいなのがまた現れても、国を訴える事はしないという物だった。
「京太」
母さんが、身をよじってこちらに振り返る。
「あんた、冒険者やめなさい」
それは感情のこもっていない声だったが、母さんの顔はいつになく真剣なものだった。
あの会見に怒っているのか、不安を抱いているのか。いいや、色んな感情がごちゃ混ぜになっているのだろう。
だが、冒険者を今やめる事はできない。
力がいる。あのドラゴンは自衛隊が何とかしてくれるとしても、自衛手段がなければ今後も生きていけるかわからない。
冒険者になって来月には半年だが、その間に何度も命がけの修羅場に遭遇している。
流石にもうないだろうとは思っているが、この不安感を拭えない内は足を止めるわけにはいかない。備えは必要なのだ。
理性でも、本能でも、そう結論を出しているのに。
「少し、考えさせて」
恐怖が、喉に絡みつく。
あの日見た極光を。これまで見てきた死体の山を。
忘れ去る事など、出来はしない。
* * *
『正直、君は病院に行けば何かしらの病名がつくと思うよ』
両親から『自分達が頑張るから』『もうダンジョンには行くな』と言われた後。
自室にて、いつものメンバーで念話をする。
「喧嘩売っているのなら買いますけど?」
『冗談でも、バカにしているわけでもない。PTSDの様なものだ。君は幾度も人の死を見て来たし、自身が死にかけた事もある。常人が、そんな体験を数カ月の内にして平気なわけがないだろう』
「それは……」
『麻痺してしまっているのだよ、矢川京太君。君はね、すこぶる『まとも』なのさ。それ故に、己の精神を守る為に。そして、死地においても剣を振るい続ける為に。自ら壊れる必要があった。無自覚だろうけどね』
アイラさんの言葉に、反論する事はできなかった。
別に、毎晩悪夢を見るわけではない。氾濫で出来上がった死山血河が夢に出てくるのは、週に1度あるかどうかだ。
腹も減るし、眠りもする。性欲もある。アニメや漫画を見て笑う事も、映画を見て泣く事もある。
自分は今も『普通』だ。命を懸けねばならぬ時に、あえて『狂え』と己に言い聞かせる事もある。だが、普段は至極正常なはずだ。
しかし、不思議と彼女の言葉を否定できない。
『君がほしい言葉をあげようか?私達には、君が必要だ。京ちゃん君がいてくれると凄く心強い。研究も進むし、いざという時にも頼りになる。実際、何度も命を助けられた。だから、これからも共に戦ってほしい……とね』
どこか突き放した様な口調なのに、その声音自体は驚くほどに柔らかかった。
『だが、それではダメなのだよ。月並みの言葉だが、これは君自身が答えを出さねばならない問題だ。誰かの言葉に縋る事が悪いとは言わない。しかし、自分で判断できるうちは……迷う事ができるのなら、己で決めた方が良い』
イヤリング越しに会話しているので、アイラさんの顔は見えない。
しかし、彼女が優しく微笑んでいるのが何故かわかった。
『たっぷり悩め。選ぶ権利こそ、人間に最も必要なものだ』
そう告げた後、アイラさんは少し長めのため息をつく。
『もっとも、基本的に安全圏で座っている私が偉そうに言える事ではないがね。そもそも、今しがた言った選ぶ権利とて少ない選択肢しかない状態に思える』
「いえ、そんな……」
『だとしても。悩み続けろ。思考の自動化は、あまりしてほしくない。ああ、それと。これはミーアにも言っている事だぞ?我が妹よ。君も存分に頭を捻ると良い』
『……はい、姉さん』
ここまで無言で話を聞いていたミーアさんが、硬い声で答える。
彼女もまた、己の意思とは関係なしに鉄火場で命を懸けた事のある人だ。きっと、自分と同じ様に選択肢を突きつけられている。
ダンジョンに再び進むか、背を向けるか、あるいはこの場で立ちすくむか。
『エリナ君は……』
『私の答えはもう決まってるっすよパイセン!忍者の道に、終わりはねぇ!!』
『うん、知ってた』
いつも通りすぎる自称忍者に、思わず椅子からずり落ちそうになった。
だが、彼女らしい。己の口元が緩むのを自覚する。
『さて。私から言えるのはそれだけだ。ああ、それとな京ちゃん君。君にババ様が話したい事があるらしいぞ』
「教授が?1時間ぐらい前に釘を刺されたばかりですが……」
『まあ待ってくれ。何故かババ様が私の後ろで涙ぐんで……は?よくこれだけ成長して?普段の残念っぷりが嘘の様?ついにボケたのかババ様。私は常に皆の頼れるお姉さんだぞ?』
アイラさん、それは本気で言っているんですか……?
自分が念話越しに戦慄していると、教授の声が聞こえてくる。
『失礼しました。少々、感極まってしまって』
「あ、はい。大丈夫です。わかります」
『こほん。私が言おうと思っていた事は、アイラが言ってくれました。ですので、まったく別の事を話します』
「はい」
背筋を伸ばし、思考を切り替える。
『京太君。貴方が以前見せてくれた、『魔装』についている本の事です』
「錬金術の本ですか」
『魔装』の部分展開で、革張りの分厚い本を机に出した。
この中には、錬金術における基礎が詰まっている。自分の様な凡才でも多少の術が使える程に分かり易い、教科書とも呼べる代物だ。
『その写本を作り、とある所に交渉へ行こうと思います。コピー、撮影、書き写しその他諸々は一切許さず、ただ少しの間読む事を許す……という条件で』
「はあ……えっと、どこへ交渉に?それに、そもそも何でそんな話に……?」
『あまり詳しく喋る事は守秘義務や個人的な義理で出来ませんので、端的に相手と目的を述べますと』
念話越しに、孫がいるとは思えない美貌の大学教授がニヤリと笑ったのを感じ取る。
普段穏やかで人の良い彼女が、まるで狩人の様に口元を歪めた気がした。
『ダンジョン庁、自衛隊、そして『錬金同好会』。この3つに同時かつ1番高く恩を売れる。今がまさに、その時です』
出て来た組織名の数々に、思わず耳を疑う。
『貴方の固有スキルが、様々な組織から疑われているのは間違いない。故に、相手が動く前に先手を打ちます。上手くいけば、諸々の懸念を解消できるでしょう。……もっとも、京太君やミーアが現在悩んでいる事がすぐに解決する事はありえませんが』
「……詳しく説明は出来ないとの事でしたが、話せる範囲で全て教えていただけますか?」
自然と、思考が仕事の時のそれに切り替わる。
こういう時の探り合いは、他ならない念話先の彼女から教わった。
意識して冷静であろうとする自分に、有栖川教授が何やら更に笑みを深めた気がする。
『ええ。ではこれを今日の講義としましょう。たっぷりと質問してください。答えられる範囲なら、全て答えましょう』
「わかりました。では、早速」
───それから、約1時間。ひたすら教授と話し合って。
椅子から動いていないのに、汗だくになって机に突っ伏す事になった。
……今後もダンジョンに行くかどうかについて、悩むのは後日にしよう。今は、無理。
茹で上がった脳みそを冷やす為、キッチンへ向かおうと立ち上がった。
しかし……まあ。何と言うか。
廊下へ出てすぐに、天井を見上げて小さくため息をつく。
自分が座り込んで頭を捻っている間も、世界というやつは立ち止まってくれないものだなぁ……。
回り続ける歯車に潰されない様、悩んでいる間も立ち回り方は考えないといけないらしい。
まったくもって、人生というのはままならないものである。
読んでいただきありがとうございます。
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