第百四十五話 山の中で待つモノ
第百四十五話 山の中で待つモノ
肺を、土と草の香りが満たす。
そんな清々しい空気とは裏腹に、いざ山の中へと視線を向ければ深い穴の中を覗いた様な得も言われぬ怖気を感じた。
魔力が濃い。事前情報の通り『Cランクダンジョン』程ではないが、それでも普通の場所ではないと一目でわかる。
「エリナさん、フリューゲルとゴーレムを」
「うん、わかった」
左手に指輪をはめ、『魔装』を展開。再度周囲に視線を走らせた。
お遊びの空気はここまで。今からは、仕事の時間だ。
「出したよー」
「ありがとうございます。では、僕とミーアさんはゴーレムの起動を。エリナさんは警戒を頼みます。アイラさんは絶対に車から出ないでください」
「OK!」
「ええ」
「頼まれても出んぞー」
体ごと振り返り、エリナさんに預けていたボストンバッグと武器ケースを受け取って、手早く組み立て始めた。
この作業も慣れたもので、1分程度で支度が終わる。肩に羽織ったフリューゲルがズレない様、留め具を軽く引っ張って確認。問題ないと判断し、視線を横たわるゴーレムに向けた。
「『ブラン』」
新しいゴーレムの名を呼び、肩に触れ魔力を注ぎ込む。
予備パーツを組み上げた物なのだから、当然その姿は『白蓮』そのもの。だが、やはり魔力の流れ方が僅かに違う。
小さく首を横に振っている間に、ブランがのっそりと立ち上がった。武器ケースから取り出した長剣と、雫さんから購入した盾を白銀の籠手で覆われたゴーレムの手に持たせた。
「それが新しいゴーレムの名前?」
エリナさんが、視線を前方に向けたまま問いかけてくる。
「うん。ブラン、フランス語で『白』って意味……らしい」
「なるほど!じゃあブーちゃんだね!」
「なんか豚っぽいから却下」
「えー!?」
いつの間に結ったのか、いつものツインテールを揺らしてエリナさんがこちらを振り返る。
「別にブーだからって豚さんとは限らなくない!?」
「いや……まあ、いいけどさ」
「よし、勝った!」
ガッツポーズをするエリナさんから視線を外し、同じくゴーレムを起動させていたミーアさんに目を向けた。
あちらも終わった様で、2体のゴーレムが盾と刺す又を手に立っている。
「こっちのゴーレムは『2代目右近』と『2代目左近』ですね。少し長いので、普段はこれまで通り右近、左近と呼びますが」
そう、彼女は苦笑と共に告げる。
分かり易さと、使い手の納得が最優先だ。特にその名前に言う事もなく、頷いて返す。
「では、ブランはここに残していこうと思います。万が一アイラさんの方にモンスターが来た時の、護衛として」
「右近と左近もですね。この山では少し動かしづらいですし」
「おや、中々豪勢な護衛だね」
車の窓を開け、アイラさんがニヤリと笑う。
「ただ、まだ『マギバッテリー』は完成していません。魔力切れが不安になったら、その都度補給をお願いします」
「こっちの右近と左近も同じですね。たぶん、ブランよりは燃費が良いと思いますが」
「わかった。頼りにしているよ、新設ゴーレム部隊」
アイラさんの言葉に、当然ゴーレム達は答えない。
……白蓮なら小さく頷いたかも、というのは。やはり要らない感傷だ。
思考を切り替え、鬱蒼と生い茂った木々の方へと足を向ける。
「それでは、これより探索を開始します。アイラさん、ナビをお願いしますね」
「任された。エリナ君がいるから大丈夫とは思うが、『Bランク冒険者』が遭難なんて格好悪い事になってくれるなよ」
「ここにもマーキングしたからね!いつでも忍法で戻れるから大丈夫だよ!トイレに行きたい時は、山寺さんのお寺前に転移するからその後ダッシュしてね!」
サムズアップするエリナさんに頷き、今度こそ木々の中へと入っていった。
9月の下旬という事もあって、夏と比べれば少しだけ過ごしやすい気温。それが、森と呼ぶべき木々の中へ入ると、更に下がった気がする。
肌寒い程ではない、爽やかささえある風。だがそれを楽しむ事などできず、周囲を見回してむしろ顔をしかめる事になった。
「……剣を振るうなら、少し気を付ける必要がありますね」
木々の間隔は問題ない。車が通れる程度の幅はある。
だが、斜面が多い。それも大きく長い坂があるわけではなく、小さな坂が幾つもある様な凹凸の激しい地面だ。
フリューゲルを使い飛んで戦闘するか?いや、それをするには枝の位置が少し低い。自分の技量では、あちこちに引っかかる。
枝葉をへし折るのも手だが、それで一瞬でも視界が塞がれるのは避けたい。まだ、敵の強さもわかっていないのだから。
「ゴーレム達を置いてきたのは正解でしたね」
「だねー。ブーちゃん達だと、ここで走ったり跳んだりは少し危ないかも。同士討ちとか嫌だし」
2人の会話を背に、イヤリング越しにアイラさんへと呼びかける。
「アイラさん。GPSの調子はどうですか?」
『うむ。君達の位置はだいたいわかるよ。そのまま西南西に前進してくれたまえ』
「了解」
鞘から剣を抜き、ゆっくりと進んでいく。山寺さんから許可は出ているので、エリナさんが目印代わりとして近くの木の幹に苦無で小さく傷をつけながら。
彼女の転移があるとは言え、念には念を入れておく。万が一の時は、これを頼りに救助が来るかもしれない。
それから山の中を進む事、10分ほど。
神経を尖らせて周囲を見ているのだが、どうにも『視え過ぎて』落ち着かない。
普段のダンジョン探索では壁の魔力が濃くてその向こう側の魔力を感知しづらいのだが、この程度の魔力濃度なら遠くまで探る事ができる。
それが、ダンジョン探索に慣れた身にはどうにも違和感があった。こっちに慣れると、ダンジョンが再び解放された時に困りそうである。
……ダンジョン、か。
はたして、自分はダンジョンがまた民間に開放された時、以前の様に入る事ができるのだろうか。
ランクを信じて足を踏み入れたら、また外側から格上の怪物が……なんて。
そんな事が起きてしまうかもと考えると、二の足を踏んでしまう気がする。たとえ、強くなる為に必要な事だとしても。
雑念が思考に混ざりだしたのを自覚し、頭の奥に押しやった。今は目の前の仕事に集中しよう。
その時、視界の端に他の木々とは明らかに違う魔力を捉えた。
すぐさま左手を後ろに向け、2人に停止を促す。
「敵です。右前方、およそ20メートル。木の影にいます」
「……ありゃ、本当だ。京ちゃんに先越されちゃったかー」
エリナさんの言葉に、苦笑を浮かべる。どうやら今回の相手は、かなり静かなタイプらしい。しかも、今は風下にいる。
普段お世話になっているのもあって、勝ち誇る気にはなれない。ミーアさんへと視線を向ける。
「ミーアさん。あの辺の土を槍にする事はできますか?」
「……やれます。それで敵をあぶり出すんですね?」
「はい。敵が姿を見せたら、自分が投擲で攻撃します。エリナさんは鏡に奴の姿を映しておいて」
「わかりました」
「OK」
小声でやり取りを済ませ、視線を敵の方に戻す。ナイフを抜き、出来るだけ静かに構えた。
未だ待ち伏せの構えをとるモンスターの足元へ、ミーアさんが魔力を『伸ばす』。
「大地よ」
短い言葉1つで、指定した範囲の地面から鋭い槍が幾本も突き出てくる。
これには敵も慌てたらしく、『ブブブ』という羽音と共に跳躍して槍を回避した。
そのモンスターは、端的に言って『巨大なカマキリ』に似ている。
誰もが知る昆虫のアレを、そのまま大きくした様な姿だ。触覚抜きでも頭から尻の先まででおよそ2メートル。2振りの鎌は長さ1メートルもある。
『ギチギチギチ……!』
哺乳類ではありえない方向に開く口から、奇怪な声をあげる怪物。その光景に、本能的な嫌悪感と恐怖心が刺激された。
『ジャイアントマンティス』
ダンジョン庁が決めたその名は何とも味気ないものだが、しかしこれ以上ない程あの怪物を現していた。
奴の姿が木の後ろから飛び出した瞬間、風を纏ったナイフが飛んでいく。
マンティスの複眼はこちらを捉えていたが、その後ろ足は石の槍により欠けていた。回避は間に合わず、胸部にナイフが吸い込まれていく。
瞬間、弾かれた様に後ろへ飛んでいく巨大カマキリ。何かが弾けた様な音と、重い衝突音が周囲の木々を揺らした。
地面の凹凸のせいで見えなくなったマンティスを、警戒しながらゆっくりと追いかける。
数メートルほど歩いた所で、地面に散らばった白い塩とコインを1枚発見。視線を上に上げれば、もう数メートル先の木にナイフが根本まで突き刺さっていた。
どうやら、貫通した際に衝撃波でマンティスの体が2つに裂けたらしい。
「周囲に敵影は……なし」
「私の方も他には見えないよー」
ナイフを『魔装』の部分解除で消し、鞘の中で再構築。ほっと胸を撫で下ろし、ドロップ品を拾い上げる。
金貨みたいなコインが1枚。それをエリナさんが構える鏡に見せた後、彼女に手渡した。
「アイラさん。戦闘終了しました。映像は取れましたか?」
『うむ。バッチリだとも』
鏡越しに、アイラさんがカメラを回してくれている。こっちで撮影しても良いのだが、咄嗟に投げ捨てやすいのは鏡の方なのでこういう形になった。
「それで、どうします。一応モンスターの発見報告としては十分だと思いますが」
『オーダーはゲートの発見までだ。無論、君達が厳しいのなら撤退でも良いがね』
「相手は『Dランクモンスター』ですから、戦力的には今の所大丈夫かと」
「私も同意見です、姉さん」
「ガンガン行こうぜ!」
『よろしい。ではくれぐれも注意して頼むよ』
「了解」
マンティスのランクは先ほども言った通り『D』。ヒグマ並の膂力とサイズを持ったカマキリに過ぎない。
……こう言うと、滅茶苦茶脅威に思えるな。
我ながら感覚がマヒしている気がする。
『言うまでもないが、ジャイアントマンティスの怖い所は体色をある程度に自由に変えられるのと、無音で獲物を長時間待ち続けられる事だ。奇襲には注意してくれたまえよ。外骨格の強度は……まあ、ゴリラ達相手に言う必要もないだろう』
「バナナの皮投げんぞ」
『それと、現在マンティスの出てくるダンジョンを検索中だ。……ふむ。マンティスしか出ないダンジョンと、他にも出てくるダンジョンがあるね。大抵が虫系だ。武器を使う程の知能はないが、その分身体能力が同ランク内では高いぞ』
「わかりました」
アイラさんとの念話を終え、小さくため息をつく。
相手のモンスターは『待ち伏せ』が専門。これは、意外と長丁場になるかもしれない。
ゲートから出て来たモンスターは、あまり遠くへは離れないと聞く。追加で溢れてきたモンスターに押し出される様にして、範囲を拡大するのだとか。
故に、化け物の密度が高い方に向かう必要がある。つくづく、一般人がやる仕事ではないな。
「それにしても京ちゃんとパイセン、カマキリは大丈夫なんだね?クモの時は凄い顔していたのに」
「大丈夫じゃねぇよ」
『正直カメラを落とさなかった自分を褒めたい』
「あれー?」
極力、投擲で仕留めたいものである。巨大な虫相手に接近戦とか、有利不利以前にやりたくない。
本気で不思議そうに首を傾げる自称忍者に、こちらこそ尋ねたい。正気かと。
「あの……それはそうと、この散らばった塩はどうしましょう」
魔法使いらしい捻じれた杖を手に、ミーアさんが足元の塩を見下ろす。
確かに。普段の氾濫……普段?の氾濫では、終わった後自衛隊や専門の業者さんが片付けてくれていた。
しかし、ここにそんな人達はいない。かと言って放置するのも、塩害とかあるだろうし……。
『別に、我々がそこまで面倒をみる義理はないと思うぞ?』
「それでも、一応纏めて回収はしましょうか」
「おっきいビニール袋あるよー!」
「じゃあ、僕はその間周囲の警戒を」
『いい子ちゃん達めー』
ミーアさんが土木魔法を使い、地面の表面を動かして塩を一ヵ所に集める。
それをエリナさんがアイテムボックスから取り出した箒と塵取りで取り、これまたアイテムボックスから出したゴミ袋に入れた。
「いやぁ。パイセンのエチケット袋に持ってきたけど、こういう形で役立つとはね!」
『待って?その量吐いたら私死ぬからね?というか、私の様なクールビューティーがゲロなんて吐くわけないだろう。吐くとしてもピンク色の綿あめみたいなものだ』
「アイラさん。今仕事中なので、真面目にお願いします」
『エチケット袋どうこうの部分はツッコまないのに!?』
うるせぇ。全てにツッコミ入れていたら日が暮れるわ。
「よし、お掃除完了!」
『ぐぬぬ……!まあ、君達のその行動について、山寺氏に報告して報酬に色をつけてもらえる様に交渉しておこう』
「ありがとうございます。では、探索の再開を」
『その前に』
アイラさんの声に、真剣さが戻る。
『今検索結果が出たのだが、目撃情報とマンティスでは微妙に合致しない点が多い。飛行能力がある、虫タイプのモンスターだ。上からも攻撃が来るかもしれん』
「わかりました。肝に銘じておきます」
『うむ。では、その位置からだと……取りあえず、北北東に向かってみてくれ』
「了解しました」
飛行型、か。
アイラさんの言葉に上を見れば、そこにはまだまだ赤くなっていない緑色の葉っぱが生い茂っていた。
おかげで雑草がまばらにしか生えていないのは嬉しいが、上からの奇襲はわかりづらい。
「エリナさん。地上は僕が見ますので、上の警戒を頼みます」
「OK牧場!でも巨大カマキリが風上にいたら、私の方が先に気づいちゃうかもだぜ!」
「それはそれで、お願いします」
「うんむ!どーんと頼ってくださいな!」
御立派なお胸様を張るエリナさんからそっと目を逸らし、剣を握り直す。
「ミーアさん。色々とフォローお願いします。山での戦闘には慣れていないので、貴女の判断力と魔法を頼りにしています」
「任せてください。山は土木魔法使いのホームです」
杖を握ったまま、ぐっとお胸様の前で両手に力を入れながら笑みを浮かべるミーアさん。
彼女に頷いて返し、刀身の腹を肩に担ぎながら歩き出した。
さてはて。鬼が出るか蛇が出るか……いや。
ハチが出るか、トンボが出るか。の方が、この場合正しいだろう。
そんな事を考えながら、両の瞳に神経を集中させた。
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