閑話 何度目かの厄日
閑話 何度目かの厄日
サイド なし
東京都、23区から外れた場所。
かつては丁寧に管理されていた田畑は、現在雑草が伸び放題になっていた。
その雑草を刈る者は、もうこの地にいない。ぽつぽつと点在していた家々に人の気配はなく、代わりに細い道路を何台ものトラックが行き来していた。
巨人の足跡がそこら中に残る、『東京事変』の中心となった地。現在、ゲートを囲うストアが建設中である。
アクセスがお世辞にも良いとは言えない為、その工事はあまり捗ってはいない。人員を被害のあった区に回し過ぎた弊害でもあった。
それでも、自衛隊が監視と間引きを行っている。外側の工事中も、内部の出口周辺に派出所そっくりな建物の建設もしていた。
故に、その変化に気づけたのも必然である。
土台と柱が完成し、壁の設置に取り掛かっている中。白いゲートから大慌てで自衛隊員が出てきた。
「どうした!?何があった!」
ゲート前で見張りをしていた隊員が、膝をついて息を切らす隊員に近づく。
その隊員が、ガバリと顔をあげた。
「た、大変だ!ドラゴンが!ドラゴンが!」
「ファフニールか?まさか、例の融合個体が」
「違う!ファフニールが、『赤いドラゴン』に食われたんだ!」
「……は?」
東京事変で発生した、複数のボスモンスターが融合するという事例は目撃されている。
だが、だからと言って『種類』が増える事はない。ダンジョン内部でモンスターの数が増える事はあっても、別のモンスターが出現するなどこれまであり得ない事であった。
予想外の言葉に呆けてしまった見張りから無線をひったくる様に奪い、ゲートから脱出した隊員が叫ぶ。
「こちら『巨人ダンジョン』!ダンジョン内の崩落個所を破壊し、赤いドラゴンが入ってきた!繰り返す、ダンジョン内の崩落個所から、赤いドラゴンが侵入!内部にいた巨人やファフニールと交戦!あの化け物、他の化け物を食ってやがる!」
悲鳴の様なその報告は、自衛隊がこの2年と数カ月でアップデートした常識を粉砕した。
* * *
時を同じくして、東京霞ヶ関。
国会議事堂前では、現在大規模なデモが行われていた。
「政府はダンジョン対策にもっと全力を出せぇ!」
「この人殺し!お前達のせいでうちの娘は死んだんだ!」
「ダンジョン利益に目が眩み、海外との協調を軽視した政府を許すなぁ!」
「ドロップ品より命を!異世界の土地より日本人の生活を!」
これまでも似た様な内容のデモはあったのだが、今回は参加人数の桁が1つ多くなっている。
警察も対応しようと努力しているが、人不足により手が回っていない。一応統制は取れている様で、デモ隊が何らかの犯罪行為に移ってはいなかった。
その近くを、1台の車が通り過ぎる。
「凄い騒ぎだな。普段よりも数が多いぞ」
それには、官邸にて総理レクに参加していた赤坂部長とその部下2人が乗っていた。
「まあ、東京事変からそれほど時が経っていない。道路や建物の修理はできても、失われた人命は戻ってこないのだからな……」
「それもあるでしょうけど、どうもおかしいんですよね」
彼の隣に座る男性職員、『佐藤健司』が、タブレットの画面をしきりにタップしていた。
「海外のインフルエンサーが火付け役になって、今回のデモを起こしたっぽいんですよ」
「……なに?」
「書き込みを確認しているんですけど、『さくら』も多いですね。わざわざここまでしてデモを起こした辺り、何か狙いがありそうですけど」
「……」
「それは、ダンジョンや異世界に関わりたい海外勢力の手回しじゃないか?」
運転していた、もう1人の部下が話に加わる。
ちょうど赤信号に捕まった様で、ハンドルこそ握ったままだが彼の視線がバックミラー越しに赤坂達へ向けられた。
「ちらっと聞こえた感じ、彼らの主張は海外の軍隊をダンジョンの間引きや氾濫阻止に加えろというものの様だぞ」
「あー、あり得ますね。流石竹内さん、ごついのに頭の回転が速い」
「ごついのは余計だ。というか、お前だって元は野球少年だったろ?しかも甲子園常連校の」
「膝を壊して引退しましたし、ずっとベンチでしたよ。しっかし、まだまだ暑いのによく外で」
「私は車を降りる」
「え?」
シートベルトを外し、鞄を手に取った赤坂に部下達が気の抜けた声をあげる。
「佐藤と竹内はこのまま適当なコンビニに車を停め、車外へ出ていろ。私か冴島君から連絡があるまで、絶対にこの車には乗るな」
「え、ぶ、部長?」
「私はタクシーを拾って合同庁舎に戻る。これはあくまで勘だが」
困惑する部下達に喋る彼の頬に、冷たい汗が伝う。
「誰かが、この東京で何かをやろうとしている。その標的は私か、官邸にいる大臣達である可能性が高い。だがダンジョン庁の職員が狙われているかもしれないから、注意しろ」
「なにを」
「他の職員にもそう伝えろ。1人で行動するなとも言っておけ。いいな!」
「部長?待ってくださいよ部長!」
早口でそうまくし立てると、赤坂部長は扉のロックを外して車外に出てしまった。
呆然とする部下達に振り返る事なく、彼は車道から歩道へ移り大股で歩いていく。
平日とは言え、本来なら23区内ならどこもかしこも人がいるはずだった。しかし、東京事変の影響で一時的に外出する人数は大きく減っている。
少し遠くからデモ隊の声が響く中、赤坂は無言のまま大股で足を動かした。同時に、懐から取り出したスマホで現在頼れそうな人材に片っ端からメールを送っていく。
そんな彼に前方から近寄る人物が1人。
スマホをしまった赤坂が目にしたのは、のんびりと歩いてくる老人だった。どこにでもいそうな、腰の曲がったお爺さん。
足早にその脇を通り抜けようとした赤坂部長に、その老人が突然よろめく様に身を寄せ。
───バチィ!
ムチで地面を叩いた様な音が、周囲に響く。
赤坂部長と老人を遮る様に出現した、半透明の壁。それによって、突き出されたナイフが止められていた。
「流石にこの程度の用意はしてるわな」
「くっ!」
老人の口から出て来た、酒焼けした様な声。
赤坂部長は砕けた卵型の魔道具を背広のポケットから零しながら、全力で走り出す。
それを目で追った老人……否。
顔につけた仮面型の魔道具を外し、本来の体格へと戻った黒髪の男が苦笑を浮かべた。
「ただの通り魔の犯行ってのは、やっぱ無理だよな。あーあ……無茶な任務、引き受けちまったぜ」
ジョージ。姓はとっくの昔に捨てた、ただのジョージ。
ドクター・テスラの研究所にて最重要区画の警備を任され、彼の研究データの奪還を指示されている『元軍人の覚醒者』。
やれやれとばかりに、大仰に肩をすくめた後。彼は『魔装』を展開する。
頭の天辺から、爪先までもが灰色の鎧姿。装飾と呼べる物はなく、手に持った2メートル程の槍も黒一色と華がない。腰にも2振りの短剣を下げているが、そちらも同様である。
『狩り』を楽しむジョージの性格とは正反対の、ただ実用性だけを考えた武装であった。
「なら、『プランB』ってことでぇ……ちっと、派手にいくかぁ!」
アスファルトの地面を踏み砕き、ジョージが加速する。
彼がもしも冒険者であったのなら、そのランクは『B』。1歩目にてトップスピードに達し、時速200キロで赤坂部長を猛追する。
文字通り、瞬く間に縮まった距離。常人では覆しようのない速度差から、戦車すら貫く刺突が赤坂部長を襲った。
しかし、それは硬質な音と共に防がれる。
「もう1つ持っていたか!」
「このっ」
ギリギリの所で、鞄から予備の魔道具を取り出した赤坂。だが、今の1撃で2つ目も壊れてしまった。
結界が割られた衝撃波でよろめきながら、彼は持っていた鞄をジョージに投げつける。
瞬間、鞄が炸裂して箱型の結界が出現した。ジョージを囲う様に展開され、即席の檻となる。
「なんだよ、ダンジョン庁ってのは金がないって聞いたんだがね!」
「自腹だ!」
短くそう答えながら、赤坂が全力で走る。
その背中を見据えながら、ジョージは槍を結界に叩きつけた。1撃、2撃と繰り出された穂先が、障壁に大きな罅割れを作っていく。
5回目の衝突で遂に結界は砕け散り、同時に彼の足が地面を蹴った。
たった数秒の時間稼ぎは、赤坂が彼を振り切るのにまるで足りていない。常人と高位の覚醒者では根本的に生物としての性能が違い過ぎる。
手ぶらとなった部長に、今度こそ黒い槍が突き刺さる───はずだった。
「っとぉ!?」
歩道に突っ込んできた車を、ジョージが跳躍して回避。派手なブレーキ音と共に車が赤坂部長の隣で止まり、勢いよくドアが開いた。
「部長!」
「なっ」
佐藤が赤坂部長の襟をつかみ、全体重を使って強引に中へ連れ込む。
それを見るや否や、ドアも閉じずに竹内が全力で車を走らせた。歩道脇にあった縁石に扉がぶつかり、異音と共に外れてしまう。
「やっべぇ、俺歩道に突っ込んじまったよ……!これセーフですかね!」
「何をしているお前達!私といれば巻き込まれるぞ!?」
「そうは言っても、見捨てられませんって!」
「そうそ、って。追ってきやがった!」
バックミラーで車を猛追する灰色の鎧に、竹内は悲鳴をあげながらアクセルを思いっきり踏む。
それでも彼我の距離は縮まる中、佐藤が赤坂部長を押しのけて壊れたドア側に。
彼は助手席の背もたれを左手で掴みながら、後ろへ向かって右手を振りぬいた。
「くら、え!」
「ちっ!」
飛んできた物体を反射的に槍で打ち払った瞬間、ジョージの目を閃光が焼く。
「当たった!」
「よくやった甲子園球児!」
「元だしベンチです!」
ガッツポーズをする部下に、赤坂が怒声をあげる。
「バカ!あの程度で高レベル覚醒者が」
彼の言葉が終わる前に、車体が大きく揺れる。
車の外へ放り出されそうになった佐藤に赤坂が組み付いた瞬間、彼らの視界が180度回転した。
「お、あああああ!?」
「ぐぅ……!」
それぞれが悲鳴を上げる中、ひっくり返った車が屋根で道路を削りながら滑っていく。
30メートルほど行った所で止まった車から、よろよろと赤坂が出て来た。
彼が車体を一瞥すれば、右の後輪が丸々無くなっているのがわかる。車軸がひしゃげている事から、強い力で無理矢理破壊されたのだと推測できた。
そして、それを人の身でやった超人が槍を手に駆けてくる。
逃げようとする赤坂だが、意思に反し彼の足は膝をついた。常人の体は、覚醒者ほど頑丈ではない。
「ちょっと楽しかったぜぇ!赤坂さんよぉ!」
突撃してきたジョージが突き出す、黒い槍。それをスローモーションに感じながら、赤坂はただひたすらに相手を睨みつけた。
喜悦と覚悟の視線が交差する中、無慈悲な刃が彼の胸に食い込み。
ジョージが後ろへ全力で飛び退いた事で、心臓にまで届く事はなかった。
「何なんだよ!直前で邪魔されてばっかじゃねぇか!」
彼が叫びながら睨む先は、自分が先ほどまでいた位置。
そこには、細長い何かが突き刺さっていた。
先端が鋭く金属質なもので構成された、肉色の縄の様なもの。それが引き戻された先が『口』であった事から、ようやく舌ベロであった事がわかる。
ずしり、と。道路脇のガードレールを踏み潰し、1体の異形が降り立った。
「もん……すたー……?」
その姿に、赤坂部長が首を傾げた。
ヘドロを体表に塗りたくった様な、汚らしい体躯。身長は3メートルを超え、たくましい骨格をしている。
丸太の様に太い手足の先には鋭い爪が生え、頭には狐の耳めいた骨が突き出ていた。腰の後ろからは、槍の様に長い骨の尻尾も伸びている。
目も鼻もないその怪物はケモ耳型の骨をヒクヒクと動かし、体をジョージの方へと向けた。
「おいおい。まさかお前のペットかい?アカサカさんよぉ」
直後、骨の尻尾がダンジョン庁の車に突き刺さる。前輪を打ち砕いた破壊力と衝撃に、車内から情けない悲鳴が聞こえてきた。
「わりぃ。どうやら違うみてぇだ。本当に飽きないねぇ、この国は」
小さく口笛を吹き、ジョージが油断なく槍を構える。
それに対し、謎の怪物も彼を脅威と判断したのか。前傾姿勢となり鋭く長い爪を鳴らす。
とりあえず逃げるかと赤坂が立ち上がろうとするが、やはり足に力が入らない。瞬間、彼の頭上を骨の尻尾が通り過ぎていった。
あの怪物は、後ろの『獲物』も逃がすつもりはないらしい。何とも強欲な事だと、赤坂部長は苦笑する。
「見つけたぞ、あそこだ!」
「おい、車がひっくり返ってんぞ!」
「やばいじゃん!」
そんな彼の耳に聞きなれた声が届いたかと思えば、4人の若者が車両と怪物の間に立ちふさがった。
「大丈夫ですか、って。赤坂さん!?」
「どうも。こんな所で奇遇ですね、山下さん」
赤坂を2度見する猫耳の青年に、部長は苦笑を浮かべながら軽く手をあげる。
「早速だが情報交換と行こうか。まず、あの灰色鎧は暗殺者だ」
「は?」
「それで、あの化け物は?」
山下が宇宙を見た猫みたいに一瞬なるが、彼も数々の修羅場を潜り抜けた冒険者である。
兜の下で抜け毛が増えた気がしたが、どうにか冷静に言葉を返した。
「ヘドロまみれの怪物は、『錬金同好会』のやらかしです」
「……変わった趣味を持っているな。彼らも」
赤坂も一瞬変な顔になったが、どうにか表情を引き締める。
胃壁がごりっと削れた気がするが、本人がそれを気合でなかった事にした。
「罠のある場所で俺達が魔力を放出すれば、釣られるはずだったんですが」
「より濃密な魔力に反応し、こっちへ来たと。それが幸運だと良いんだがな」
騒ぎを聞きつけたのか、遠くから異形の怪物を見て悲鳴をあげる者達がいた。
これだけダンジョン被害の多い日本だ。目撃者は腰を抜かした者以外、すぐに走って逃げていく。
だがその程度の距離、あの怪物やジョージからすればないに等しい。両者がその気になれば、あっという間に2桁の死体が転がる事になる。積極的に襲ったのなら、桁がもう1つか2つ増えるのは間違いない。
そうなっていないのは、強者同士の睨み合いが発生しているからに他ならない。
『シャァァ……!』
「はっ!こいよ化け物!俺は元グリーンベレーか、サットか、スペツナズのどれかだぜぇ!当てたらハワイに連れてってやるよ!回答ボタンは俺の首さぁ!」
じりじりと距離を詰める両者。互いに意識を向けながら、しかし赤坂達にも注意を向けている。逃げ出そうとすれば、最優先で攻撃が飛んでくる可能性があった。
「……奴め。まさか既に撤退を諦めているのか……?」
1歩も退かないジョージの姿に、赤坂が冷や汗を流す。
政治の中枢である、国会議事堂からほんの数キロの地点。そこで発生した人外の戦いに、警察も自衛隊も大慌てで動き出していた。
この日、複数の『大事件』が日本を襲っていたというのを。この場にいる彼らは、少し後になってから知る事となる。
ただし、それは。当然ながら───生存者のみの、話であった。
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