第百三十話 どうやって身を守るんだ
第百三十話 どうやって身を守るんだ
終焉の足音が聞こえる。
天を見上げれば、今にも泣きだしてしまいそうな曇り顔。どこかからカラスの鳴き声が響き、じっとりと粘り気のある空気が肌をねぶる。
ああ。何故人は、同じ過ちを繰り返すのだろうか。他者の不幸に対して、無関心でいるか、愉悦に浸るか、同情すれども見て見ぬふりをして通り過ぎるか。
だが、それを糾弾する権利などこの身にはない。自分とて、他者が被った災害に対し他人事と目を逸らしたのだから。
ならばこれは罰なのか?無知を装う罪人に振り下ろされる、断罪の鎌なのか?
だとするなら、執行人は間違いなく彼女だろう。
太陽の様に笑い、黄金の髪をなびかせる少女。見惚れる程に美しい顔をこちらに向け、無邪気な瞳がこの身を射抜く。
桜色の唇が、溌溂とした声で刑の執行日が迫っている事を告げた。
「もうすぐ文化祭だね、京ちゃん!」
「いっそ殺せ」
9月。とうとう文化祭まであと数日になり、じっとりとした暑さの中自分は有栖川邸の玄関前に立っていた。
何故すぐに入らなかったかって?現実からね、逃げたかったからさ……。
しかしその鋭い五感で気づいたのか、エリナさんがわざわざ出迎えに現れたのである。そして、挨拶もそこそこに先の発言をしたわけだ。
とっても辛い。
「さ、入って入って!シーちゃんももう中にいるよ!」
「うっす……」
「元気ないね?遅めの夏バテ?」
「うっす……」
紫色に金色の葉が描かれた着物姿のエリナさんが、こちらを心配そうに覗き込む。
その優しさを、大衆の面前で女装姿を晒す事になる男子高校生の心情に対しても、少しぐらい向けてほしい。
「じゃあリビングでゆっくりしてね!すぐにお菓子と飲み物持ってくるから!」
「ありがとうございます……」
背中をグイグイと押され、リビングに通される。
扉を開けた瞬間、妙に重苦しい空気を感じ取った。というのも、対面する様に座る2人の女性が全くの無言であり、その上片方が信じられないぐらいあぶら汗を掻いていたからである。
自分達が入って来たのを見て、あぶら汗を掻いていた女性ことアイラさんが満面の笑みを浮かべた。
「やあやあやあ!遅かったじゃないか京ちゃん君!待っていたまえ、今お茶とお茶菓子を用意しようじゃないか!エリナ君と座って待って」
「ううん!2人にお話があるのはパイセンだし、私が持ってくるね!」
「あ、うん。頼むよ」
「任された!」
椅子から立ち上がったアイラさんが、エリナさんの言葉にストンと座り直した。
颯爽とリビングからキッチンへ向かったエリナさんを横目に、小さく会釈する。
「どうも。お待たせしました」
「い、いいや。大丈夫。大丈夫だとも」
なにが大丈夫なのか。
「おーう。先に要望書読ませてもらってたぞー」
「あ、はい」
背もたれに体を預け、大山さ……雫さんが、少し厚めの冊子をめくっている。
アイラさんからの依頼。何を作る気かは知らないが、自分と雫さんの力が必要だとは聞いた。概要はデーモンのダンジョンから帰った後に聞いたが、詳しい話し合いは今日である。
というのも、文化祭の準備をする必要があったので予定が中々合わなかったのだ。
『道具』の方はなんちゃってとは言え錬金術師と、ドワーフの職人がいるのだからすぐに終わったが、それ以外の事で練習やら何やらが必要だったのである。
閑話休題。今日のクライアントはアイラさんなので、雫さんの隣に座ろうとした。
瞬間、何故かアイラさんがこちらをガン見しながら首を横に小さく振ってくる。
どういう事かと首を傾げれば、彼女は何度も自分と己の隣で視線を動かした。『私の隣に座れ』、と伝えたいらしい。
なるほど。入室した瞬間感じた重苦しい空気と、彼女の異常な汗の理由を察した。
この人、『従妹の友達』相手にどう接すれば良いのか分からず緊張しているらしい。
これまで雫さんや毒島さ……愛花さんと接する時、アイラさんは『自分は酔っている』と思い込む事で気を大きくさせていた。
しかし、今回はそれをしていない。大方、有栖川教授から『いい加減素面で話せる様になれ』とお酒もノンアルも取り上げられたのだろう。
同じコミュ力に難がある身として、アイラさんの苦悩はとても理解できた。
出来るだけ優しい笑みを浮かべ、小さく頷く。それに対し、彼女は希望を見たとばかりに瞳を輝かせ。
自分が雫さんの隣に座ったのを見て、絶望の表情を浮かべた。
「……!?……!!」
そんな『裏切ったのか!?私を、君はぁ!!』って顔をされても困る。
今日は仕事を依頼する側とされる側。される側として、同じ立場の雫さんと共に対面へ座るのが正しい。
これもアイラさんの為だ。心を鬼にしよう。
まあ、自分の個人的な事情もあるのだが。
透けてるんすよ……ちょっとだけ……。
普段のジャージやTシャツ姿ではなく、今日はきちんと白いYシャツに黒のジーパン姿のアイラさん。
9月初旬でまだまだ真夏日が多い中、リビングは冷房のおかげで心地よい気温になっている。
しかし彼女が緊張した事によって出た汗が、シャツを濡らし薄っすらのその下の肌や青色のブラジャーを透けさせているのである!
あの全身スケベ人間である、ドスケベ一族の隣へ座ろうものなら最後。自分はまともに仕事の話ができる自信などない。理性の約9割は、視線をアイラさんの胸元に向けない事に費やさねばならないだろう。
恨むのなら、己のスケベボディを恨むが良い……!
真面目に仕事の話をする為、致し方ない事だったのだ。自分の分も冊子が用意されており、その表紙に視線を落とす。
『最強!アイラちゃんの㊙計画!!』
「馬鹿じゃねぇの?」
「開幕言葉の暴力はやめてくれたまえ」
この世の終わりみたいなセンスに、思わず顔をしかめる。
えぇ……この人、ここまで残念だったのか……。
「待ってくれ。これには海よりも深い理由がある」
「聞きましょう」
「良い名前が浮かばず、ネタに走った」
「ネタとしても浅いんじゃたわけ」
なんでも『!』と『ちゃん』を使えば良いと思うなよ。そのネタ擦り過ぎてそろそろ摩擦熱で発火するからな。
「お待たせー!アイスティー持ってきたよー!」
「そんなエリナ君、私達にいかがわしい事をする気なのかい!?野獣と化して」
「黙れ残念オブ残念」
「とうとう『女子大生』部分まで『残念』に置き換えられた、だと……!?」
「シーちゃん、どうしてアイスティーで野獣なの?」
「アタシにもわからん。つうか、あの人のテンションがわからねぇんだけど。突然よく喋るようになったし、アタシなんか嫌われる様な事したのか?」
「んーん。パイセンはマウントを取れる相手か、家族みたいな相手にしか会話できないだけだよ!」
「ふっ……エリナ君。待って。あの、もうちょっと、こう……」
ああ、アイラさんがいつになく縮こまっていく。その分左右から寄せられた胸の谷間から発せられる重力から、全力で意識を離脱させた。
いけない。視線をこのアホみてぇな表紙の冊子に戻さねば……!
「ほい、どうぞー」
「あ、どうも」
木製のソーサーと共に、アイスティーの入ったグラスが置かれていく。
そして机の真ん中にも棒状の焼き菓子が入ったグラスが置かれ、エリナさんがオボンを手に数歩下がる。
「それじゃあ、後は若い子だけで……」
「エリナくぅん!?待ってくれ。私を置いていかないでくれ。というか君の方が若いじゃないか。だから隣に座って私の心を守ってくれ……!」
「ごめんねぇ、パイセン」
エリナさんが困った様に眉を『八』の字にし、苦笑いを浮かべる。
「ババ様から、お仕事の話が終わるまでは先輩とお部屋にいろって言われているんだぁ。だから、3人の話し合いが終わったらまた来るね!」
「そう言わずに!ねえ、もうちょっと!ちょっとだけで良いから!」
「それじゃあ皆、健闘を祈るZE☆」
「置いてかないでぇええええ!」
アイラさんの悲痛な声を無視し、エリナさんは去った。
「林崎エリナは、クールに去るぜ……!」
訂正。残念な感じで去った。あの御仁クラスのクールな去りっぷりは、常人に真似できねぇよ……。
閉じられた扉を名残惜し気に見た後、アイラさんがこちらに向き直る。
「えー、それでは、その、えー」
「落ち着いてください、アイラさん」
「黙れ小僧!貴様に私の苦しみがわかるか!」
「わりとわかります」
「だよね!」
「……家族みたいな相手、ねぇ」
雫さんが自分とアイラさんを見比べた後、ニヤリと笑う。
「なるほどなるほど」
「雫さん?」
「気にすんな。有栖川さん。いや、あえて名前で呼びますけど、アイラさん。話を始めてください」
「ひゃい」
この場で1番堂々としているのが、女子高生な件について。
冷や汗を流すアイラさんから視線を逸らしつつ、心の中で彼女の奮闘を応援する。
仕事モード。仕事モードは全てを解決します。最初はもう、必要な事だけを敬語と笑顔で言うだけで良い。難しい事は後回しで、今はまだそれだけで良いんです……!
アイコンタクトは、顔を上げるわけにいかないので出来ないけれど。どうかこの思いが伝わってほしい。
そう考えながら、自分も冊子を手に取った。
* * *
30分後。消費した水分を補う様に、1人アイスティーを飲み切ったアイラさんが大きくため息をはいた。そして、ぐでーんと体から力が抜ける。
燃え尽きたらしい。それでも後半はまともに会話が成立していたので、これは大きな前進である。
心の中でスタンディングオベーションを送りながら、冊子を閉じて持ち込んだボールペンをポケットにしまった。
「つめるべき所は、だいたいこんな感じですかね」
「後は実際にやってみんとわからん。かなりの大口契約になるから、契約書類は親父とお袋にも見てもらわんといかんがな」
「大山さん……雫さんの工場で、作れそうですか?」
「『サイズ』的には問題ない。技術的な方も何とかなるだろう。しかし、アイラさんって物理や電気系にも詳しいのか?アタシどころか親父達よりその辺の知識ありそうだが……。つうか、諸々の計算とか聞いた感じもうそっち系のプロだろ」
「この人、大概の事は一流レベルで出来るから。運動とコミュニケーション以外」
「わぁ……わぁ……」
目が左右で離れ、口をポケーとあけた残念美人を見やる。
この人、母親まわりのアレコレが無ければ案外コミュニケーション能力の方は人並みにあったのではなかろうか……。
そう思うも、人前でキリッと出来ているアイラさんが想像できない。自分の中では、彼女は残念女子大生である。
「お話終わったー?」
「あ、はい」
リビングの扉を開け、エリナさんが入ってくる。
随分とタイミングが良かったが、もしやスキルで盗み聞きしていたのだろうか?
何だかんだ、アイラさんの事が心配だったらしい。
「じゃあ遊ぼう!先輩はお勉強中で遊んでくれなかったから、暇だったんだよー」
いやちげーわ。単に遊びにくるタイミング探していただけだ、この自称忍者。
「あ、そうだ!京ちゃん、パイセンが最近ゲームで迷惑をかけているって本当?」
「まあ、うん。あの煽り癖はどうにかしてほしい」
「煽らずして……なにが勝者か……」
「こいつ、壊れてもなお言うか……」
「本心から言ってんだろうな」
雫さんと2人、呆れた目を残念女子大生に向ける。
相変わらず脳みそをオーバーヒートさせてアホ面を晒しているが、声は聞こえていたらしい。
「そっかー。よし、じゃあ前にパイセンが恥ずかしいからって拒否していた服を着させるから、それで許してね?」
「はあ……?別に、そんな事しなくても」
「面白そうだし!それに、今回の話し合いにも関係すると思うな!」
「聞けや」
「諦めろ京太。こうなったエリナは言う事をきかん」
満面の笑みでエリナさんがアイラさんを抱え、隣の部屋に入っていく。いったい何を着させるつもりなのか。
それから5分後。雫さんと依頼について話していると、2人が戻って来た。
「お待たせー!」
「おう。何やってたんだよ、マジで」
満面の笑みで戻ってきたエリナさんに、雫さんが呆れた様な視線を送る。
着物をたすき掛けして腕を出している彼女が、やり切ったとばかりに額を拭った。いや、汗1つ掻いていないけれども。
「よくぞ聞いてくれました!さあパイセン、カモーン!」
「え、エリナ君。本当にこれを着て人前に出なければならんのかね……!」
「良いから良いから!大丈夫、大丈夫だから!」
「ちょ、まっ」
エリナさんが隣の部屋に戻ったかと思うと、アイラさんの背中を押してまた戻ってきた。
「っ!?」
アイラさんの格好に、思わず吹き出しそうになった。
端的に言って、『ロボットアニメに出てくるパイロットスーツ姿』だったのである。それも、かなりピッチリとしたやつ。
肩から先や足の付け根から先は黒い素材なのだが、胴体と股間だけ白い素材でできている。
薄い生地越しに抜群のスタイルを惜しげもなく晒し、多少正気に戻ったらしいアイラさんが頬を真っ赤に染めていた。
耳や前腕、そして胸の先端には金属製の装飾がついており、どことなくSFっぽさを感じないでもない。
だがそれ以上にエッチだった。華奢な両腕で必死に胸や股間を隠そうとするのが、余計卑猥に感じる。
「エリナ君……!これは所謂、『そのパイロットスーツでどうやって身を護るんだ』的なやつじゃないかね……!?」
「大丈夫だよ、パイセン」
「大丈夫とは」
エリナさんが、アイラさんに対し自信満々に親指をたてた。
「肌の露出は、ほぼ0……!」
そういう問題か?
「なる、ほど……!」
あ、まだ脳みそ茹だったままだわこの人。
何を納得したのか、途端に自信満々な様子で胸をはる残念女子大生。『ふよん』と立派なお胸様が揺れ、それに追従する様に自分の首も上下する。
抗えない、この引力に……!
「言われてみれば出ている肌は顔だけだし、隠すべき所は隠れている!一切の問題はない!」
「そうだよ!」
「何を恥ずかしがっていたのだろうな、私は!いやぁ、どうやら頭が真っピンクだったらしい!」
「そうだね!」
胸の揺れに合わせて、当然先端の金属部品も揺れる。その中央には丸い青のガラス部品があり、それが『山頂』の位置を示している様にしか思えなかった。
純粋なサイズなら、アイラさんよりもエリナさんやミーアさんの方が大きい。カップも身長の問題で雫さんの方があるかもしれない。
だが、アイラさんのそれは『美巨乳』と呼ぶにふさわしい形状をしている。エリナさん達のお胸様も綺麗な曲線を成していたが、彼女のそれは別格だった。
あと股間の方はまったく保護されていないというか、何というか……。布地、薄くない?あと少し食い込んだら、わかっちゃいけない形がわかる気がする。
椅子に座る自分の位置から、そこを凝視する事は難しかった。しかし『精霊眼』の視力は、非常に高い。意識すれば望遠レンズを上回る。
このスキルに、きっと今年で1番感謝した……!
「京太」
「はうぁ!?」
隣からかけられた声に、びくりと肩を跳ねさせる。
「ち、ちが、これはですね」
「これを、持っていけ」
そっと机の上に差し出されたのは、コンビニのポイントカードだった。
「割引券は流石に期限切れになっちまったが、ポイントはわりと貯まっているからな……!」
いやサムズアップすんじゃねぇよ。
やりきったとでも言いたげにドヤ顔を浮かべる自称忍者。なんか格好つけてポージングしだしたスケベ残念女子大生。期待する様な目を向けてくるセクハラドワーフ。
なんだこの状況。誰か説明してくれ……!ミーアさん……は、どうせ暴走するからダメだとして。教授!説明してください、教授!主に貴女の孫ですよ、このカオスは!
「ようし、京ちゃん君!折角だから撮影会だ!アニメのシーンを再現するから、撮ってくれたまえ!」
「承知しました!!」
本能で頷いていた。スマホを取り出し、片膝立ちのまま『魔力変換』による風でホバー移動する。
なるほど、雫さんがかつて言っていた『スキルの習熟度』……それを、頭ではなく感覚で理解できた気がした。
まるで人型ドローンの様にアイラさんの周囲を自在に飛びながら、スキルの理解度が深まった事を強く実感する。
それはそうと、この写真はどうにかしてオフライン上に保管すると決めた。
───この日の夜。
今度こそ正気に戻ったアイラさんによって、自分はゲームでフルボッコにされた。しかし、甘んじて受け入れる他ない。終始無言で、煽りすらなかった。
そして、写真を消せという言葉も。
ありがとう……心の底から、ありがとう……!
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
次回、ようやく文化祭にいける……はず!