第百二十九話 恐ろしい悪魔
第百二十九話 恐ろしい悪魔
幅、およそ3車線分。高さ、約5メートル。
随分と広く感じる通路だが、両脇の1つにつき6畳ほどの牢屋は天井が2メートル前後と普通だ。
鉄臭い風を不愉快に思いながら、石で出来た床を進む。
「……ペイントを発見しました。『H-11』です」
自衛隊が書いた、黄色のアルファベットと数字。それを人工の明かりで照らし出し、イヤリング越しにアイラさんへ伝える。
『うむ。……よし、そのまま直進し、2つ目の十字路で左に曲がってくれ。そこからまた暫く真っ直ぐだ』
「了解」
短くそう答え、剣の柄を握る手に少し力を籠める。
いつもより、少し緊張しているのを自覚した。この迷宮で出現するモンスターとは、少しばかり因縁のある相手だからだろう。
再度、深呼吸を1回。思考を切り替え、無駄な力を抜く。
言われた通り通路を進み、2つ目の十字路にさしかかった。しかし左に曲がった瞬間、エリナさんの鋭い声と『精霊眼』が危機を伝える。
「敵襲!」
「っ!」
彼女の声を、自分が『視た』ものを脳が理解するよりも速く、剣を盾の様に構えた。
刹那、光りの奔流が通路を満たす。黒と赤が混ざった様な極光と刀身がぶつかり、『概念干渉』で受け止めた。
「こ、のぉ……!」
弾き返す事は、流石に出来ない。だが、
「ぉぉおおおおお!」
縦一閃。極光を引き裂き、四散させる。残滓が石を積み上げて作った壁や天井を砕き、錆びた鉄格子をこそぎ取った。
粉塵が舞う通路の向こう。そこに、赤い影が2つ。
コウモリの様な翼がはためき、奴らを覆う土煙を吹き飛ばした。黒い筋肉質な体を深紅のプロテクターの様な外骨格が覆い、腰からは爬虫類の様な太い尻尾が生えている。
のっぺりと凹凸がなく、目と口だけがバックリと開いただけの顔。捻じれた2本角は禍々しく、手に持った三つ又の槍も相まってまるで子供が絵に書いた悪魔の様だった。
得物こそ違えど、この怪物を自分は知っている。居心地は良くなかったが、それでも日常の一幕だった瞬間を地獄に変えた存在。
「デーモン……」
『■■■■■……ッ!』
こちらの呟きに答える様に2体の怪物は口から短く唸り声をあげると、片方がこちら目掛けて走り出した。
1歩、2歩と加速し、3歩目で跳躍。翼を大きく広げて飛翔し、高い天井スレスレを飛んでこちらに迫る。
そしてもう1体が左手をこちらに向け、指先から光弾を連射しだした。碌に狙いを定めていない、牽制の為の射撃。
それを鎧で弾きながら、上の個体を無視して吶喊する。
『■■……!』
精霊眼の広い視野が、こちらを目で追いかけ方向転換するデーモンを捉えた。
しかしその振り向いた背中に鉄球が直撃し、無機質な床へと叩き落される。お前達が警戒すべきは、自分だけではない。
左手の籠手で顔を庇いながら、フリューゲルの加速を得て一息に接近。乱れ撃ちされる光弾を弾き切り、間合いを詰めた。
『■■■■!』
左の籠手を避ける為に、穂先を横回転させる様な刺突が顔面に繰り出される。それに対し踏み込んだ足を折り曲げて回避し、下から悪魔の右腕ごと斬り飛ばした。
間髪入れずに左手の爪を相手も振るうも、それも返す刀で切り落とし左の鉄拳をアッパーの様に顎に叩き込む。
『■■、■……!?』
顎の外骨格を粉砕し、その先の肉も潰す感触。浮き上がった体を逃さず、右手1本で振るった刃が胴を横に両断した。
その姿を視界にいれつつ、壁に背中を近づけもう1体の様子も確認する。
心配は無用だった様で、槍を手に突撃していた方は氷で腹を貫かれ、鉤爪で顔面をぶち抜かれた所だった。
どちらのデーモンも白く変わったのを視認し、小さく息を吐く。
「ふぅ……」
「ごめん、気づくのに遅れちゃった」
鉤爪のワイヤーを戻しながら、エリナさんが申し訳なさそうに言ってくる。
「いや、問題ない。原因はわかる?」
「たぶん、先に私達の接近に気づいて息を止めて、心臓の音も最小限にさせていたんじゃないかな?今度からは臭いの方をベースに索敵するね」
「頼んだ。それと、全員怪我は?」
「私はないよー」
「私もです」
「なら、良かった」
しかし、敵の方がこっちの接近に気づくのは足音もあって道理ではあるが、そこまで音を消せるとは。
塩になったデーモンを見下ろし、目を細める。
かつての様な苦戦はしなくなったが、それでも厄介な相手であるのは確かだった。
そうしていると、『右近』がのそのそと近づいて塩の中からドロップ品を回収する。
それは、赤い頭蓋骨だった。人間のものではない。少し透明で水晶の様な素材で出来ており、側頭部から同じ素材の捻じれた角が生えている。
奴らのドロップ品、『デーモンの頭蓋骨』。あの氾濫の時に手に入れた物と同じ、なんとも悪趣味な形状をしている。
「アイラさん。戦闘は終わりました。現在、言われた通り十字路を左に曲がった所です」
『そうか。とにかく無事で何より。ここからも油断なく進んでくれ』
「はい」
チラリと、エリナさんのアイテムボックスに入れられる頭蓋骨を一瞥する。
アレの『魔道具』としての能力は、魔力の貯蔵。それだけ聞けば『錬金同好会』のマギバッテリーに似ているが、残念な事に貯蔵した魔力の放出が極めて難しい上に効率が悪い。
結果、ゴーレムに搭載したり魔力タンクとして持ち歩くのにも不適切とされている。現状、悪趣味な美術品以上の価値はない。
ない、のだが。それをアイラさんは求めている。それも1つや2つではなく、結構な数を。
はたして、何を作る気なのやら。教授も賛成しているのだし、変な物では……いや。変な物かもしれないが、悪い物ではないだろう。
『ん~?京ちゃん君、今なにか失礼な事を考えなかったかね』
「いえ、特には」
『そうかい。まあ良かろう。あ、それと帰ったらまた、『AG』の対戦に付き合ってくれないかい?』
「一切の煽り行為をしないのでしたら」
『……善処はしよう』
「こいつ……」
どれだけ煽り行為がしみ込んでいるんだ。もうだいぶ人としてやばいぞ。
あ、それは元からか。なら仕方がないと、小さくため息を吐いて諦める。
「すみません、京太君。私はゲームを普段からやらなくて……」
「いえいえ。ミーアさんが謝る事じゃありませんから。この対戦の意義はわかりませんが、仕事の一環と割り切っていますので」
『え。私、休日の接待ゴルフみたいなノリで一緒にゲームされていたの……?』
「最近の『AG』についてはそうですね」
『ふふ……ちょっと泣きそう』
「ちなみに私は満足のいく忍者機体が出来ないから、あのゲームやってないよ!」
「あ、はい」
そんな会話をして、陰鬱な雰囲気の迷宮を進む。
あまり考えない様にしていたが、ときおり牢屋の奥に不自然な黒い染みを見かける事があった。
悪魔が看守をする監獄。そこで受刑者がどの様な最期を迎えたかは、あまり想像したくない。
「っと、進行方向の少し右から濃い鉄臭さがあるよ。たぶんデーモンが3体、待ち構えていると思う」
「了解」
『君達の位置からだと、恐らく牢屋の中か。看守だったろうに、今は囚人のようだね』
歩調を緩め、ゆっくりと敵集団に接近。
通路に響く自分達の足音が、明確にリズムを変えた。
「気づいた事に気づかれたっぽい。来るよ」
「わかった」
短くそう答えた直後、自分の眼も飛び出してきた3つの魔力を暗がりの向こうに観測する。
『■■■■ッ!』
翼を広げ、ホバー移動の様に床スレスレを飛びながら左腕をこちらに突き出す2体。
その指先から赤黒い光弾を連射する中、もう1体が飛び上がり放物線を描き突っ込んでくる。
「『白蓮』!」
「前進!」
自分とミーアさんの声にゴーレム達が前へ出た。
白蓮の鎧と、斜めに構えた右近達の盾が光弾を弾く。激しい火花が散り、硬質な音が通路に反響する。
その背中を駆け上がり、跳躍の勢いも使って飛翔。天井近くを飛んできたデーモンが、正面に来た自分に三つ又の槍を突き出してきた。
迫る穂先を左の籠手で受け流し、すれ違いざまに胴を一閃。両断とはいかなかったが、振り返らずとも自称忍者が止めを刺したのだと魔力で察する。
構わず残る2体の上を取りにいけば、片方が腕をこちらに向けて来た。
飛来する光弾を加速とバレルロールで避け、急降下。勢いそのままに相手の左腕を切断し、返す刀で逆袈裟に胴を裂く。脇腹から肩に抜けた刃に、心臓を破壊した感触が伝わってきた。
すぐさまもう1体が自分に振り向き、槍を引き絞って突きを放ってくる。
それを横回転で回避し、首に剣を振るった。悪魔が左掌に魔力障壁を作って止めようとするも、概念干渉で巻き込んで諸共叩き切る。
足元の2体が塩へと変わるのを見届け、ようやく構えを解いた。一応向こうの1体も確認するが、無事終わったらしい。
「周囲に敵の気配はなーし!大丈夫だよー」
「わかった」
肩から力を抜き、構えを解く。
かつての強敵も、こうして安定して倒せる様になった。それだけ自分達も強くなったのだと、ちょっとだけ達成感を覚える。
あまり、こういうのを探索中に抱くのは良くないのだが。それでも口元が少し緩むのを自覚する。
『順調な様だね。流石は我が精鋭だ』
「それはどうも」
『よ、『インビジブルニンジャーズ』!』
「黙れ」
「ブイ!」
「喜ぶな」
すん、と達成感に浮かれていた頭が冷める。
それはありがたいのだが、いい加減パーティー名を改名したい。このふざけた名前がネット上にまで広がり、自分の後ろ姿とセットで語られているのは地味に辛かった。
もっと普通のにしてほしい。例えば実働部隊3人とアイラさんの計4人で、名字の頭文字を並べるとか……。そういうので良いと思うのだ。
ミーアさんの方を見れば、諦めた様な顔でそっと首を横に振ってくる。
ダンジョン探索中にわざわざ話題にする事もないと、自分も言葉を飲み込んだ。
「探索を再開しましょう。ナビをお願いします」
『おうとも。頑張ってくれたまえよ、『インビジブルニンジャーズ』!』
「左手と右手、どっちで殴られたいですか?」
『どっちも嫌だが!?』
「安心してください。ただのアンケートです」
『嘘だっっ!!』
───そこから、順調に探索は進んでいく。
デーモンを処理しながら、出口付近にもマーキングが完了。1時間ほど監獄めいたダンジョンの中を歩き回り、開けた空間に到着した。
「ここは……食堂、でしょうか?」
『恐らくは、ね』
体育館ほどの広さがあり、奥の方には厨房らしき空間も見える。
だが当然ながら並んでいた机も椅子も朽ち果て、大半は床に残骸を散らばらせていた。厨房らしき場所も、竈に火などなく何の気配もない。
悪魔が看守をする監獄でも、囚人に牢屋以外で食事をさせていたのか。はたまた、悪魔以外に人間の看守がいたのか。どちらにせよ、こうなってはただ不気味なだけの空間だ。
風で床に散らばる木片を脇によけ、後続の道を作りながら進む。ランタンとゴーレム達に取り付けたライトが照らす中、剣を握る手に力を籠めた。
何の確証もないのだが、自分の経験的に……。
「敵が来るよ。向こうの扉からこっちに6体、接近中!」
「了解!」
敵が来る事が多い。エリナさんの言葉に答えながら、剣を肩に担ぐようにして構える。
それから2秒ほどで木製の扉を粉砕しながら、デーモンどもが食堂に突入してきた。先頭の3体が口腔から魔力を光らせるも、それより先に石の槍と炎の嵐が飛んでいく。
胸や腹を抉られ、丸焦げにされた3体。僅かに遅れて入って来た残りの3体が、槍を手に左右へ別れた。
2体と1体になった敵に、迷わず2体の方に駆け出す。床に散らばる木片を蹴散らし、飛翔。
このまま一気に距離を詰めて切り捨てる。そう考えた時だった。
『■■■■……!?』
デーモンの片方が、槍を手放しでもがき始めた。鋭い爪で胸を掻きむしり、声にならない悲鳴をあげる。
その個体の周囲に、謎の魔力が渦巻き始めた。これは……!
「ミーアさん、霧を!」
「はい!」
加速して『アレ』が出る前に首を刎ねようとするが、もう1体が遮る様に突っ込んできた。
槍を横向きに掲げ、その身自体を盾にする。
「どけぇ!」
構えた得物ごと袈裟懸けに切り捨てる───しかし、1秒遅かった。
魔力の渦が暴力的に膨れ上がり、接近していた自分を強引に押し戻す。
赤い外骨格の悪魔は、その渦の中心で姿を変えていた。
全身を覆う、黒いローブ。首元には貴族がつけている様な白い襞襟をつけている。
骨と皮だけに見える右手には革張りのこれまた黒い本を持っており、音もなく開いていた。
だが、首から上にこそ視線が吸い寄せられる。あまりにも強烈な存在感を、その怪物は放っていた。
その頭に、皮膚はない。血の様な赤い魔力を帯びた、筋繊維を剥き出しにした顔面。目玉はなく、その眼窩の奥に不気味な赤い光を灯らせていた。
頭上には円環状に幾つもの仮面が浮かび上がり、様々な表情を浮かべている。あまりにも精巧に作られたそれらは、まるで生きた人間から顔を剥いだ様だった。
『ダンタリオン』
ソロモン72柱にも語られる、大悪魔。魔界における爵位もち。
そして、『Bランクボスモンスター』。
『───、──────』
聞こえているのに理解が出来ない声と共に、大悪魔が本をこちらに掲げる。
瞬間、猛烈な勢いで魔力の奔流が襲ってきた。デーモンが放つそれではない、人間の脳へと直接伸びる魔の一撃。
即座にイヤリングを左手で覆い、アイラさんへのダメージを防ぐ。ウトゥックどもの呪いと違い、これは『念話』の類。可能性は低いが、彼女にまで届く可能性があった。
そのワンアクションにより、自分の回避も防御も間に合わない。
思念を乗せた魔力の洪水に、全身が飲み込まれた。
まあ効かないのだが。
「ふん!」
『───!?』
一切減速せずに接近し、頭上に浮かぶ仮面ごと脳天を叩き割る。
剣が首辺りまで食い込み、腹を蹴り飛ばして強引に刃を抜いた。真っ黒な血液が宙に舞い、どさりとダンタリオンの体が倒れる。
念のため心臓辺りに剣を2回ほど突き立て、魔力の流れが完全に止まったのを精霊眼で確認した。
「アイラさん、大丈夫ですか?」
『問題ないよ。私も私で、君達をそのダンジョンに送り込む前に対策はしていたしな』
「なら良かったです」
ダンタリオンの洗脳を受けると、そもそも人語を喋れなくなっていたので会話が出来る段階で問題ない。
なんでも、自衛隊の情報曰く発狂して笑いながら自分や味方を傷つけるのだとか。
チラリと視線を残る1体に向ければ、そちらも勝負はついたらしい。3体のゴーレムに囲まれたデーモンが、袋叩きにされて塩に変わっていた。
「エリナさん達も大丈夫?」
「もーんだーいないさー!」
「大丈夫でーす!」
霧を解除し、彼女たちが姿を現した。右近と左近がドロップ品を回収してくれる中、2人に合流する。
「すみません。出現前に倒せませんでした」
「いえいえ。安全第一ですから」
「うん!でも、ボスモンスターと遭遇しちゃったし一応帰ろうか」
「うっす」
ランクが上がっても冒険者のルールは変わらない。ボスモンスターに遭遇したら、極力戦闘は避けて撤退。たとえ倒しても、自衛隊への即時報告が義務である。
時間的にはもう少し探索を続けたかったのだが、残念だ。
『はっはっは。いやほんと、ミノタウロス相手に死にかけていたのが懐かしいな……』
「まあ、単純に相性が良いのもありますが」
ダンタリオン。その能力は味方悪魔を介した転移なのだが、攻撃手段は洗脳と呪殺という、自分に対して有効打がないモンスターである。ステータスも魔力に極振りで、身体能力は『Cランク』とどっこいだし。
強いは強いが、本当に相性次第である。1芸特化は、こういう事故も起きやすい。
アイテムを回収後、エリナさんの転移でさっさと帰った。
なお、件のダンタリオンのドロップ品。これは仮面を被せた相手の人格を破壊する物であり、数少ない『売買不許可』の品である。
ストアに持ち帰ったら即破壊が決定され、当然一銭にもならない。討伐報酬は一応出るが。
本当に、遭遇したくない恐ろしいモンスターであった……。
読んでいただきありがとうございます。
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ダンタリオン
「うそやん」
コカドリーユ
「わかるよ、その気持ち……」