第百二十七話 教授が舌打ちするわけがない
第百二十七話 教授が舌打ちするわけがない
「 」
「 」
燃え尽きたぜ……灰の様に……。
有栖川家のリビングにて、残念女子大生と口から魂を出しかけながら放心する。
もう暫く万年筆は見たくない。何かやたら高そうな万年筆を渡されたと思ったら、『手紙を書く練習』をさせられるとは。
まだ、まだそれだけなら、将来社会人になって必要なスキルと割り切れたかもしれない。紙に書かずにメールとかで済ませるかもしれないが、言葉遣いなんかは参考になる。
だけど何故に英語……!しかもゴリゴリのクイーンズイングリッシュ……!
英語が得意なはずのアイラさんすら、表現やら何やらでダメ出しを受けていた辺り、たぶんかなりお堅い文章を書かされたのだと思う。
何なんだ。教授のご実家にでも手紙を書けと?雇い主の実質的スポンサーの一角とは言え、ただの冒険者がわざわざ手紙送る関係ではなくない?
これまでの授業は一目で『将来の役に立つな』とか『英語の成績に影響する』とかわかったのだが、今回のは流石に意味不明である。意図がわからない。
しかし、教授のおかげで英語の成績はかなり上がっている。これも必要な事だったと、信じるべきか。
未だ白目剥きながら口を全開にしているアイラさんを横目に、麦茶を1口飲む。
冷房の利いた部屋だが、茹だった脳みそを直接冷やしてくれる気がして美味しい。
木製のソーサーの上にグラスを置き、ホッと一息つく。
「2人ともお疲れー!どうだったー?」
「地獄」
「シンプルぅ」
それ以外にどう表現しろと?
満面の笑みでリビングにやって来たエリナさんに、乾いた笑みを向ける。
「悪意もなく、罵倒もなく。ひたすらに善意と正論のもとにダメ出しされ続けるって、どうすれば良いんだろうね……」
「上達するしかないと思うな!」
「シンプルぅ」
それが出来たら苦労はしねぇ。
……苦労したら上達しそうなあたり、教授は何だかんだ教え上手だと思う。
「信じられるか、京ちゃん君」
「あ、生き返った」
「あんな鬼ババアなのにな、大学では『講義を受けたい教授ナンバーワン』らしいぞ。例の異世界の論文が出る前からこの評価だ。世の中、君以外にも脳みそ下半身ばかりらしい」
「まあ……凄く美人ですからね、教授。顔も仕草も」
育ちがすこぶる良いだけあって、品がある。
エリナさん以上に全ての所作が綺麗であり、隙が無い。それでいて善意と公平さでもって知識を丁寧に授けてくれるのだから、人気が出て当たり前だ。
何なら、エルフになる前。年相応の見た目だった時でも、かなり人気のある先生だったと思う。
「2人とも、お疲れ様です。クッキーを持ってきましたよ」
「ありがとう、マイシスター。心の底から愛してるぜぇぃ。いい匂いだ。地獄から救われる……」
「おや。私の手作りでそこまで喜んでくれる可愛げが、まだあった様ですね」
「げぇ、鬼ババア!?」
クッキーを載せたオボンを持ったミーアさんに続き、下敷きやら紙やらを片付けてくれていた教授がリビングにやって来た。
座ったままだが姿勢を正し、小さく会釈しておいた。隣で失礼な物言いをしてしまった残念女子大生に、教授がニッコリと笑みを浮かべる。
「まだまだ元気なようですね。もう少しだけ、詰め込めそうです」
「らめぇ!?溢れる!耳から他の知識が溢れる!昨晩徹夜でソシャゲの周回効率考えていたのに!」
何やってんだこいつ。
長い髪を振り乱してブンブンと首を振る残念女子大生。その勢いで、Tシャツに包まれたお胸様も左右に『たゆん』『ふるん』と揺れた。
ああ、脳が回復する。でもミーアさんみたいにガン見するのは流石にまずいし、視線を正面に戻した。
「……まあ、今は良いでしょう。例の論文を書く時、かなり手伝わせましたし」
「よっしゃぁ!ナイスだ過去の私!ゲーム時間を1時間も減らした甲斐があったぞ!」
力強くガッツポーズをするアイラさん。その勢いで揺れるお胸様に、再び吸い寄せられる自分とミーアさん。
いけない。残念女子大生その2を反面教師とし、気合で理性を稼働させる。
「さて。今日の講義はもう終わったとして、次の話に移りましょうか」
教授が眼鏡を小さく押し上げ、視線をこちらに向ける。
緑色のワンピースに、白い薄手のカーディガンという服装もあり文学少女めいた装いだ。
視力は覚醒の影響ですこぶる良いはずだが、伊達だろうと眼鏡があった方が講義をする時に集中できるらしい。
「先日お話していただいた、『錬金術』の件。例の本を見せていただいても?」
「はい。今出しますね」
『魔装』を部分展開し、1冊の本を取り出す。
ダンジョン探索や氾濫時の戦闘では、あえて実体化させていないそれを、物珍しそうに4人が見つめた。
「ふむ。これが京ちゃん君の言っていた『教本』か……」
「見た目は革張りのシンプルな本ですね。表題もありません」
「厚さは辞書相当……見た目通りなら、3千ページ前後といった具合ですね」
「これを読んで、京ちゃんはびゃっちゃんを作ったの?」
「うん」
藍色の着物を纏ったエリナさんに、頷いて返した。
そこまで頻繁にこの本を読めているわけではないが、時折内容をノートに書き写して頭に入れようと努力はしている。
最初の頃は『ファンタジーな知識』って事で、ノリノリでやっていたものだ。受験勉強の良い息抜きになったと思う。
まあ、読み進めていくうちにきつくなってきたわけだが。内容がシンプルに難しい。『錬金同好会』が公開している物よりは簡単なのだが、それでも化学の参考書みたいである。しかも学校のテストではあんまり使えない知識ばかり。
「京太君。本の内容を撮影しても?」
「えー……あー……」
これが『金の卵を産むガチョウ』である事は、自分でもわかる。
恩人とは言え簡単に見せて良いものかと、流石に迷った。『心核』の事を明かした以上、これも共有して良い気がするが……それでも考えてしまう辺り、我ながら優柔不断である。
「報酬として孫達を好きにして良いですよ。1晩と言わず3日3晩ほど」
「孫を売ったぁ!?」
「あはは……」
教授も冗談を言うのか。目玉が飛び出そうになっているアイラさんの横で、愛想笑いを浮かべておく。
そう。冗談だとわかっているが、こうも美女だらけの空間でそれを言われると気まずい。男女比の差もあって、どうリアクションするのが正解なのか……。
「ようし先輩!一緒に考えたセクシーポーズで誘惑だ!」
「ええ!?」
エリナさんの無茶ぶりに、ミーアさんがあたふたとし始めた。
何言ってんだ、この自称忍者。
他人に無理をさせるボケは止めるべきなのだが、ここはあえて見に回る。
けっして、ミーアさんのセクシーポーズとやらに心を引かれたわけではない!当方の理性はオリハルコンである!
……無宗教だが、教会の懺悔室に行くべきだろうか。
「え、えっと」
ノースリーブの白いシャツに細いリボンタイ。そして青いスカートのミーアさんが、突如リボンを解いた。しかもボタンを3つも外してしまう。
マジで!?
「あ、あっはーん……!」
深い谷間を見せつける様に、前かがみでこちらに笑いかけるミーアさん。
長いエルフ耳も、見事な長乳もほんのり赤くなっている。頬の方はそれ以上に朱を帯びて、冷房が利いているにも関わらずほんのりと汗が浮かんでいた。
え、なにこのドスケベの権化。
「さあ先輩!続けて『うっふーん!』だ!」
「や、やっぱり古いですよ『あっはーん』って!?色々と無理があります!」
「えー。戦国や江戸から見れば未来の知識だよー?」
「今は令和で!さっきのはしょーうーわーでーすー!」
ガバリと上体を起こし、お胸様を引いたミーアさんがエリナさんに抗議をする。その衝撃で、『どたぷん♡』と揺れた爆乳。
彼女は気づいていないようだが、御立派な育ち方をしたお乳は揺れも大きく、ボタンが更に開いてしまった。
チャックボーンならぬボタンボーン。隣で残念女子大生が被弾し『膝にボタンがぁ!?』と悲鳴をあげたが、どうでも良い。
黒……!しかもレースのついた、大人っぽいやつ……!!
白く淫猥な谷間と、見えてしまっている巨大なブラの一端。今、自分は椅子に座っていてよかったと心底思う。
そっと、錬金術の本を教授に差し出した。
「どうぞ、お納めください……!」
「いえ。報酬は不十分ですので」
「これ以上のお戯れはご遠慮ください。わたくしめの理性も共に弾け、この場から逃走せねばなりません」
その際には立って歩く事ができず、アルマジロかダンゴ虫の様に丸まった状態で転がっていく事になる。
自分がその状態で全力ローリングをすれば、壁だろうと破壊して移動できてしまうのだ。周囲にどの様な被害が出るかわからない。
オリハルコンの理性が今、壮絶な悲鳴をあげている!!
「……わかりました。後で金銭や何らかのコネによってお返ししましょう。それと、この本の知識を口外しないという契約書も用意済みです。伝手を頼って魔法を刻んだ物ですから、法的にも魔法的にも縛れるものです」
「ありがとうございます」
心の底から、感謝を。
リボンとボタンを閉じていたミーアさんが、ボタンが1つなくなっている事に気づいた様だ。
耳の先までリンゴの様に真っ赤になって、潤んだ瞳でこちらを見てくる。
「み、見えました……?というか、見ました……?」
「その……すみません」
「いえ……!その、御見苦しいものを……」
「そんな事は、その……何でもないです」
気まずい空気のまま、胸元を隠したミーアさんがこちらに背を向けてリビングを出ていく。後ろからでも横乳が見えるのだから、歴史に名を残すべきでお胸様だ……!
しかし、罪悪感もある。怒りか羞恥か、彼女の息が少し荒くなり瞳孔がガン開きしていた。後日、きちんと謝った方が良い気もする。
見てしまったのは事故だが、すぐに視線を逸らすべきだった。反省しよう。
「痛いの痛いの、飛んでけー」
「うう……膝にボタンを受けてしまった私を心配してくれるのは、エリナ君だけだよ……!」
「パイセンが衛兵に転職しないといけなくなるなんて……!」
「ああ。ミーア……恐ろしい子……!」
なお、隣で残念女子大生が大袈裟に痛がっているが、この人のレベルとステータスでいくら胸囲……脅威のボタン飛ばしがあったとは言えダメージなどあるはずもない。
なんかこちらをチラチラと見ては、麦茶の入ったグラスの結露を目元につけている。嘘泣きのつもりか。
「アイラさん」
「ああ、京ちゃん君。すまないが、私の冒険者人生もここまでだ。君達の活躍を、後方でこれからも見守るよ……!」
「そんな、パイセン!私寂しいよ!!」
「ふふ。私と君達は、いつも繋がっているさ……!」
「今度のレベル上げ探索、いつにします?」
「もっと私を労りたまえよこの外道ヘタレ童貞がよぉ!?」
「明日早速行きますかこの貧弱陰キャがよぉ!?」
「ほえ?今から行く流れじゃないの?」
「エリナ君???」
もしやこの自称忍者、ナチュラルに鬼畜では?
「……諸事情により、時間をいただきたく存じます」
それはそれとして、勘弁願いたい。今は、今だけはだめだ。マジで。
「好都合なので何も言うまい。そのまま立てなくなっていろ、京ちゃん君」
「……?京ちゃんも膝にボタンを受けたの?撫でよっか?」
「やめてください。死んでしまいます」
今は、どうか優しくしないでほしい。罪悪感でメンタルが、そして諸事情により社会的な命が死ぬ。
一瞬そんな会話をする自分達に『チッ』と教授が言った様に思えたが、恐らく気のせいだろう。
こんなにも品があり、尊敬できる大人である教授が舌打ちするわけがない。
読んでいただきありがとうございます。
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