第七章 プロローグ
第七章 プロローグ
東京事変。そう呼ばれる様になった、巨人と邪竜、そして魔人が暴れた大氾濫。
30万人もの死者行方不明者を出したあの戦いから、今日で10日目となる。
まだ被害の爪痕は大きく残る中、しかし人々の日常は続くものだ。自分もその内の1人であり、学校を目指してのんびりと足を動かす。
何となくいつもより早めに家を出たからか、少しだけ空気が爽やかな気がした。
と言っても、8月なのでやはり暑いけど。それでも、朝なだけ少しはマシだろう。
『現在も行方不明者の捜索は続けられており、捜索を見守るご家族はせめてお墓には入れてあげたいと───』
バス停の前を通った時、サラリーマンが持っているスマホからそんな声が聞こえてきた。
ニュースを見ているらしい。普段なら、立ち止まる事なく通り過ぎる日常の光景。
『インビジブルニンジャーズ、そしてBランク候補たち。彼らが懸命に戦ってくれなければ、もっと多くの被害が───』
「…………」
しかし、思わず真顔になって足を止めてしまう。
反射的にサラリーマンのスマホを覗き込みそうになるが、流石にマナー違反すぎだ。ぐっと堪えて、苦い顔になりながらも再び歩き出す。
すぐ近くで人が止まった気配を感じたのだろうか。件のサラリーマンがこちらへ振り返った気がする。
自分の後ろ姿に何やら変な声を上げているが、聞こえていないふりをした。
『インビジブルニンジャーズ』
そんな頭の悪い名前の集団とは、縁もゆかりもない。そう言う風に装って、心の平穏を守る。お願いだから改名させてほしいものだ。
学校に近づくほど、人が増えていく。自分に向けられる視線が増えていき、段々と居心地が悪くなってきた。
朝の爽やかさはどこへやら。回れ右して家に帰りたい欲求を抱えながら、下駄箱で上靴に履き替える。
周囲が友人同士で賑やかに話す中、自分が通ると途端に無言で視線を逸らすのは勘弁願いたい。別に、取って食おうというわけではないのだから。
遠くから響く運動部の掛け声や、セミの声を聴きながら、教室へと向かう。
扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。
「おはよう」
まだ少し早いし、中には誰もいないと思っていた。それでも挨拶をしたのは、ただ何となく。
しかし、意外な事にもう先客がいたらしい。
「おはよう!」
鬱屈とした思いを吹き飛ばすような、明るい声。
その声を聞いてすぐに顔を上げれば、窓から取り込まれる日の光を背に美しい少女が立っていた。
こちらに向けられる、太陽の様に明るい笑みが浮かんだ美貌。キラキラと光る長い金髪がツインテールに結われ、彼女の動きに合わせてふわりと揺れる。
夏服に包まれた、瑞々しくも女性らしい体。男の願望を詰め込んだ様なスタイルが、表情のあどけなさとのギャップをうんで目に毒な気がする。
それでも、視線を外す事が出来ない彼女のエメラルド色の瞳。
夏の女神もかくやという少女は、自分に向かって勢いよく手を伸ばし。
「今日も一緒に忍者しようね、京ちゃん!」
「せめて朝からはやっめさぁい」
大概にせぇよ自称忍者。
サムズアップしてくるエリナさんに、口を『へ』の字にしながらカバンを自分の席に置く。
何が楽しいのか、どや顔を浮かべながら胸の下で腕を組む友人でありパーティーメンバーに、小さくため息を吐いた。この流れに、どうにも慣れてしまった気がする。
自分の日常は、今日もこうして始まった。
……それはそれとして、あまりお胸様を強調しないでいただきたい。本当に目の毒である。
合掌し首を垂れそうになるのを、気合で堪えた。
* * *
やけにこちらを気遣った話し方をするか、驚くほど感情を排した喋り方の先生達から授業を受けて。そして休み時間を友人達とだべり、放課後。
今日は文化祭の準備もなく、そのまま家路につく。
家に帰れば玄関は鍵でしまっており、リビングには書置きが残されていた。どうも、母さんは『ウォーカーズ』の支部に出かけているらしい。
こういう事も最近増えたので、自分も家の鍵を持ち歩いている。東京事変以降、どこも忙しそうだ。
当たり前と言えば、当たり前である。下手したら日本という国の存続に関わる大災害だったのだから。
それでも多くの人が日常を続けられているのは、原因でもあるダンジョンのおかげなのだから皮肉なものである。
海外からの支援とか、『ウォーカーズ』や『錬金同好会』の尽力。あとは政府の頑張りというのも、もちろんある。
だがそれら以上に、ダンジョンが生み出す富と技術、そして『可能性』が大きかった。
有栖川教授の発表。それは、ダンジョンのゲートを通じて日本が異世界と繋がったというもの。
荒唐無稽な話だが、そんなものは『覚醒の日』以降珍しくもない。……ここまでのは、流石にそうそうないけど。
まだ見ぬ資源。まだ見ぬ市場。それに目が眩んだ投資家達が、一斉に動き出している。
無論、危険性の方に目を向ける人達もいた。ダンジョンを突破し、閉じられた出入口の向こう側に出られたとして。その先にいるのは、貿易可能な存在か。
自分達よりも優れた技術と、自分達以上の野蛮さを持っていたら。その時は、やらかしたアトランティスと同じ思考でこちらに侵略戦争を仕掛けてくるかもしれない。
特にアメリカの『ファッジ・ヴァレンタイン大統領』が、その危険性を強く指摘している。だが、この件に関して動いている投資家は彼の国が最も多い。
世界は、様々な思惑で動いている。その大きな流れをどうこうする術などない自分は、のほほんと日常を謳歌するだけだ。
「よっと」
自室で着替えを済ませ、荷物を背負う。リビングにある母さんの書置きをひっくり返し、裏面に自分も伝言を残した。
「もしもし、エリナさん?」
『へーい!こちらインビジブルニンジャーズ!』
「……その名乗り、やめない?」
『やっ!』
「そっかー……」
イヤリング越しに呼び掛ければ、エリナさんの元気すぎる声が聞こえてきた。
「準備できたので、迎えに来てもらって良い?」
『オーケーオーケー!オーイエー!』
「なんか、いつも以上にテンション高くない?」
『そりゃあね!お婆ちゃまも頑張っているし、私達の名前も広まっているし!これで高ぶらずにいつ高ぶるのさ、京ちゃん!』
「少なくとも後者はない。マジでない」
『おいおいエリナ君。京ちゃん君が高ぶる時なんて、もちろんエロ』
「だまらっしゃい」
割り込んできた残念女子大生の言葉を遮り、玄関に向かう。
靴を履いた所で、扉の向こうで見知った魔力の揺らぎを感知した。
『私エリナさん!貴方のおうちの前にいるの!』
「了解。今出る」
『背後に転移していい?』
「……家の中にもマーキングしてるの?」
『ううん。していないから、京ちゃんが後ろ向きに出てきて!1回向こうに戻って、もう1回転移するから!』
「断る」
『そんなー』
普通に玄関を開ければ、大正ロマン溢れる袴姿でエリナさんが立っていた。
「それじゃあ今日も元気にぃ!インビジブルニンジャーズ、出☆動!!」
「えっと、鍵はっと」
「インビジブルニンジャーズ、出☆動!!」
「よし、ちゃんと閉まっているな。お待たせ。じゃ、行こうか」
「インビジブルニンジャーズ、出」
「言わねぇよ?」
「言おうよ!?」
『はっ!これは京ちゃん君が仕掛けた心理戦だ!エリナ君、ここはいやいやよも好きの内作戦で』
「近所迷惑だからやめなさい」
「はーい」
『私の扱い雑じゃないかなぁ!?』
荷物をエリナさんのアイテムボックスに預け、少し緊張しながらも彼女の手をとる。
ニッコリと笑みを浮かべるエリナさんから目を逸らし、眼前に作られた転移門へと足を踏み入れた。ここからは、思考を切り替えないと。ミーアさんと合流したら、すぐにダンジョンへ向かうのだから。
そう思い、数秒目を強くつぶる。
───さあ、仕事の時間だ。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。