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第百二十二話 最後の炎

第百二十二話 最後の炎




『……京ちゃん君。矢川京太君。今すぐ逃げろ』


 イヤリング越しに、アイラさんの声が聞こえる。


 冷静さを保とうとしているのだろうが、動揺が隠せていない。声が少し震えている。


『他の冒険者や住民を盾にするんだ。君は悪くない。私が命令する。家族と、仲間だけを連れて離脱しろ』


「できません」


『言う事を聞け!ババ様の救援は間に合わん。優先順位を』


「目が、あってしまいました」


 彼女の言葉の、なんと甘美な事か。叶うのなら、それに従って逃げ出してしまいたい。


 しかし、それは出来そうもなかった。


「背中を見せたら殺される。敵の情報を教えてください」


足が下がりそうになる度に、『精霊眼』が未来を視せてくる。


 たとえ一瞬でも、視線と剣を相手から逸らしたら自分は死ぬ、と。だがスキルだけではない。これまでの経験からくる直感もまた、同じ結論を出していた。


「お願いします。生きる為に」


『……敵のステータスは、ファフニールのおよそ1.5倍。かなり無茶な融合だったらしい。基本的なスキルも変更なし。強いて言うのなら、体表の結界がなくなっている』


「了解。ありがとうございます」


 上空にとどまる魔人は片方の顔でこちらを見下ろしながら、もう片方の頭で周囲を見回していた。


 索敵が終わったのだろう。双頭が、そろって自分に向けられた。


「ふぅぅぅ……」


 深呼吸を1回。その時間は、まだ残されていた。


 怖い。逃げたい。死にたくない。


 ネガティブな感情に支配されかける足を、強引に前へ動かした。



「行きます!」


 その足で、大地を砕く。



 四方に広がる蜘蛛の巣めいた罅。あちこち溶解したアスファルトの破片を置き去りに、魔人目掛けて急上昇する。


『ギギギギッ!』


『ハハハハッ!』


 憤怒をあらわにした唸り声と、狂った様な笑い声が同時に響く。双頭の顔をどちらも歪ませて、魔人もまた剣を手にこちらへ降下してきた。


 一瞬で互いの速度が音速一歩手前に到達。勢いそのままに、正面から互いの刃が衝突する。


 巨大な金属塊同士をぶつけた様な轟音が大気を揺らし、刀身が火花を散らした。腕の骨が軋みをあげ、刃が押し込まれそうになる。


 膂力はあちらが上か……!


 至近距離に来た双頭の口が、こちらを捉える。


『カァ!』


 斬り結んだ状態からのゼロ距離砲撃。咄嗟に刃から力を抜き、体を後ろに傾ける事で回避する。


 そのまま相手の右腕を蹴り上げるが、動きの阻害に至らない。構わず長剣を振るってきた。


 胴狙いの斬撃に天地が逆転した状態で急降下。そのまま背後に回ろうとするも、魔人が身を捻り爬虫類の様な尻尾を振り回してくる。


 丸太の様に太い尾の先端には、鋭い突起が生えていた。それが側頭部に迫るも、首を傾げて兜の曲線で受け流す。甲高い音が脳に響いた。


 視界がぐらつく中、魔人が右腕を振りかぶる。脳天に迫る斬撃に自分から飛び込み、鍔近くの刀身に頭突きを当てた。


 兜が割れるが、斬撃は止まる。密着状態からラップショットで後頭部を狙うも、硬い尾に刃を絡み取られる。


『ゲヒャッ!』


「ぐ、ぁあ!」


 ならばとナイフを抜くより早く、体が横向きに振り回された。半瞬遅れて、尻尾で放り投げられたのだと察する。


 空中でバランスを崩し、背中からビルの壁面に衝突。粉塵と瓦礫が舞う中、小さなクレーターから即座に這い出た。


 自分がいた位置へ降り注ぐ、双頭から放たれる光弾。1発1発が戦車砲の様であり、鉄筋コンクリートのはずの建物を容易く削り取っていく。


 全速力で横方向に飛行すれば、背後でビル群に風穴が量産されていくのが音でわかった。


 2つの口腔から放たれる魔弾に、追い込まれるように高度を下げさせられる。だったら望み通りと斜め下、道路へと急降下。


 衝突寸前で体を起こし、踵でアスファルトの地面を破壊。そのまま横回転で勢いを消しながら、粉塵を巻き起こす。着弾した魔弾により、道路下の地面まで爆ぜて土煙も発生した。


 狙いなど碌に定めず放たれる砲撃。当たればそのまま押し込まれるは確実のそれを、精霊眼で避けきる。


 近くの道路標識をもぎ取り、即席の槍に。土煙の中を『S』字にホバー移動しながら、標識を敵目掛けて投擲する。


 この程度で奴の体に傷をつけられるとは思わないが、よほど自分は警戒されているらしい。口腔が1つそちらに向き、撃ち落とした。


 それと同時に自分も土煙から飛び出る。今撃ったのは右手側の兜がない頭。そちらから回り込み、一気に間合いを詰めた。


『ガァ!』


 左の頭が邪魔だとばかりに吠えるが、射線は通らない。僅かに上を取り、脳天へと剣を振り下ろす。


『ケヒャ!』


 相手の剣が割って入り、火花のみが散った。構わず逆袈裟に振るうも再度防がれ、返す刀で放った横一文字も柄で受けられる。


 こちらの刃を強引に弾きながら、相手の左肘が眼前に。こちらの兜はない。首を傾けて避ければ、回し蹴りの要領で尻尾が振るわれる。


 回避、は、しない!


「ぐぅ!」


 胸甲で受け止め、柄から右手を放しがっちりと鋼色の尻尾を脇に抱えた。


 相手の左側面に回った状態。左手で首目掛けて平突きを放つ。当たれば良し、避けたのなら追撃で……!


「なっ」


『ギ、ギギ!』


 刃は鋼色の肌を確かに貫いた。しかし、それは兜頭の頬。


 頬を貫通した刃を歯で挟み込み、怪物は尻尾と首を強引に振り回す。


 剣が折られる!?咄嗟に尾から手を放し、蹴りを敵の脇腹に打ち込んだ。刃を引き抜き、即座に袈裟懸けの斬撃。


 それを左の裏拳で逸らした魔人が、反撃に長剣でこちらの首を狙ってくる。


 寸前で左腕を挟み込み、籠手で防御。装甲が割れ、その下の肉にまで刃が届いた。


「ぁ、がぁ……!」


 そのまま振りぬかれ、ビルに体が接近。どうにか体勢を持ち直した瞬間、魔人が剣を大上段に構えて突っ込んできた。


 剣で受けるも止められず、ビル内に押し込まれる。背中で鉄筋コンクリートの壁を粉砕し、無人のオフィスに。


 散乱した書類とパソコンの乗ったデスクが並ぶ中、閃光が弾ける。


 胴を薙ぐ長剣を上に受け流し、滑り込む様に右側面へ。そのまま逆袈裟に剣を振るうも、相手は尻尾で床を叩いて跳躍。上下逆転した状態で天井を蹴りつけるなり、袈裟懸けの斬撃を放ってきた。


 半歩下がって回避し、床を深々と裂いた剛腕を踏みつけ首に上段から刃を振るう。


 だが翼でこちらの手首を止められ、直後に力づくで足を押しのけられた。


 勢いに逆らわず後退。そのまま背中から割れた窓から外へ逃れる。閉所では不利だ。身体能力が違い過ぎる。


 自分が勝るのは……!


『ガアアアアッ!』


『ゲハハハハハ!』


 壁を突き破って現れ、口腔から魔弾を乱れ打つ怪物。その砲撃の嵐を急上昇で避ければ、相手も追随して上昇。


 だが、速度はこちらが勝っている。フリューゲルの殺人的な加速でもって引き離し、魔弾を置き去りにして『捻り込み』で背後に回り込んだ。


『ゲア!?』


「はぁあ!」


 相手が振り返るよりさきに、胴へ横一線。赤黒い血が宙を舞う。


 だが浅い!魔力ではなく、物理的に頑強すぎる!


 斬ったはずの剣の方が、折れてしまいそうな有様だ。再構築している暇はない。武器を失う前に、仕留めきる。


 再び背後を晒す事になった自分に、魔人は再度追尾。その状態で魔弾を放つも、今度は片方の頭は口を閉ざしていた。


 同じ手は恐らく通じない。急降下と急上昇を繰り返し、その間に流れ弾を受けた幾つかのビルが限界を迎え崩れ始める。


 ───ドォォォ……!!


 重い音をたてて傾き始めた高層ビル。真ん中から先が道路側に倒れ始めた所に、頭から突っ込んだ。


 窓から中に侵入し、床を削りながら反転。外から迫る砲弾を剣で切り払い、追ってきた魔人にこちらから突撃する。


 正面からの打ち合いなら己が有利と、相手はのってきた。右の頭から哄笑をあげ、両手で握った剣を袈裟懸けに振るってくる。


 だが、応じない。斬り結ぶ直前でバレルロール。刃を空振りさせ、その背中に蹴りを打ち込んで自分はビルの外へ脱出する。


 地面に衝突し、ビルの上半分は瓦礫となった。地響きと粉塵が空高く上る中、それに紛れてまだ比較的無事なビルの中に隠れる。


 当然の様に、魔人が無傷で瓦礫を吹き飛ばして上に出てきた。双頭がこちらを探して動く中、死角から吶喊。今度こそ、仕留める……!


『ケハッ』


「っ───!」


 相手の笑い声が耳に届くのと、精霊眼の予知が視えたのがほぼ同時。


 背中から心臓を貫くつもりで放った突きを引っ込め、右方向に回避行動をとる。瞬間、180度回転した双頭から迎撃の砲撃が飛んできた。


「でたらめな!」


 剣を幾度か傾けて魔弾を受けるも、捌ききれずに左肩を被弾。強い衝撃と共にバランスを崩す。


 フリューゲルで出血はないが、肉が少し潰れた。仰け反る様に空中で無防備な姿をさらす自分に、魔人が正面から接近する。


 怨嗟に満ちた兜つきの頭と、嘲笑を浮かべた剥き出しの頭。そして、右手1本で振りかぶられた長剣。


「しまっ」


 左腕、防御、間に合わない。回避、無理だ。死───ッ!


 斬り殺される。恐怖に精神が支配された刹那、視界の端から何かが飛来した。


『ッ!?』


「えっ」


 自分の右肩に何かが着弾し、体が弾かれる。それに対し魔人は剣を引っ込め、何やら警戒する様に構えを変えた。


 空中で仰け反るも、どうにか体勢を立て直す。当たったのは……矢?


 自分と魔人が、奇しくも同時に矢が放たれた方へと顔を向けた。


 いつの間にか300メートルほどの距離になっていた、中央合同庁舎。その屋上に、見知った顔を2つ、見つける。


「母さん……!?」


 並みの覚醒者を凌駕する視力が、顔を真っ青にさせて何か叫んでいる両親の姿を捉える。


 援護しようとして、誤射した?いや、それは良い。問題は。


『ヂィィ!!』


「まっ」


 魔人の矛先が、両親へと向けられる。


 悪魔の様な翼を広げ、庁舎へと飛翔する鋼色の背中。それを追いかけるも、ほんの僅かに出遅れた。


 まずい、それは……!


 先の1射は、恐らく母さんの矢に父さんが風を付与して放った、2人にとって必殺の攻撃。


 だが、それは自分の『魔装』にかすり傷すらつけられない。魔人に対しては無力である。


 それなのに奴が一目散に飛んで行ったのは、両親と自分で魔力が似ているから。異様にこの身を警戒する怪物が、不安要素を消そうと牙を剥く。


 第2射が放たれるも、明後日方向へ飛んでいった。今度は回避行動もせず直進する魔人が、口腔に魔力を収束させる。


 あと少しで追いつくのに、なのに……!


「逃げて!」


 自分の悲鳴は、きっと届いていない。呆然とする母さんと、それを庇う様に抱きしめる父さん。


 そこに、無慈悲な魔弾が放たれた。


「ぁ───」


 左手を伸ばす。届かない。


 スローモーションに見える世界の中で、両親の目がこちらを向いた気がした。


 泣き笑いみたいな、そんな顔で。その唇が。


『ごめん』って、言った気がして。その顔も、魔弾の光で視えなくなり。


 ───そして。



『させ、るかあああああああああ!!』



 庁舎壁面を削りながら、壁に練り込まれた魔力を絡めとって尋常ではない速度で飛ぶ『手裏剣』が、魔弾を下から叩き割った。


 あまりの加速に自壊し、空中で砕ける『大車輪丸』。それを視界に収めた瞬間にとった動きは、自分と魔人で全く異なるものだった。


『ギィ!』


 翼を広げて急停止し、双頭の片方を地上に向ける魔人。


 対して。


『ぶちかませよ、京ちゃん!』


「おおおおおおおお!!」


 自分は、仲間の言葉を背に最大出力で吶喊する。


 既にすぐ傍まで迫っていた背中。相手も瞬時に横薙ぎの斬撃を振り返り様に放つも、上昇で回避。


 大上段からの斬撃が、鋼色の右腕を引き裂いた。


 肉を断ち、骨を僅かに削った感触。怪物は絶叫と雄叫びを同時にあげながら、傷ついた右腕を振るう。


 深手を負ってなお、ミノタウロスを上回る剣速。しかし!


「しぃぃ!」


 先ほど裂いた場所に逆袈裟の斬撃を叩き込む。今度こそ、骨を断って二の腕から先を切り飛ばした。


 間髪入れずに口腔から砲撃がくるも、それより速く剣を振りぬいた勢いも使って左の爪先を魔人の右太腿に引っ掛ける。


 僅かに傾いた体から発せられた魔弾は、自分の右耳をかすめただけ。


 振りぬいた片手半剣を翻し、袈裟懸けに振り下ろす。狙うは左の首。その根元に、深々と刃が食い込んだ。


『ギ、アアアア!?』


「雄々っ!」


 両手で柄を握り、全力を込める。


 バキリ、と。音がした。


 剣が半ばからへし折れ、同時に左の首も切断される。傷口は焼け焦げ、血飛沫の代わりに赤い炎が舞う。


 まだだ!


『ゲヒャァ!』


 刃の勢いを止める余裕もない自分の、無防備な背中。そこに右腕と左の頭を失った魔人が左手を振り上げた。


 奴の鋭い爪なら、兜のない自分の頭を穿つなど容易。


 だがさせない。最大出力でフリューゲルから風を放出し、自分と相手を同時に吹き飛ばした。


 衝撃で内臓が飛び跳ねる中、強引に反転。折れた剣を腰だめに構え、再突撃する。


 回避する暇は与えない。口腔からの砲撃で左耳が吹き飛ぶが構わず飛翔し、懐へ入る。


 痛みさえも、置き去りに───加速を!


 折れた剣で強引に鋼色の皮膚に貫きながら、更に風を放出。うめき声を上げながら、魔人も五指を揃え爪で脇腹を抉ってくる。


 視界が明滅する中、左手を柄に添えた。


 籠手の下。指輪が悲鳴を上げる様に罅割れる音がする。


「弾けろぉ!」


 過剰なまでに刀身へ、右腕へ魔力を供給。風と炎が軋みをあげ、刹那。赤い閃光を発して弾け飛んだ。


 右肘から先の感覚がない。黒煙の中、自分と魔人が別方向に飛び出す。


 ほとんど落下に近い状態で、互いの視線がぶつかった。双方、まだ死んでいない。


『ハッハッハッハッハッ!!』


「ぁぁあああ!」


 狂笑をあげる魔人が、ボロボロの翼で飛んだ。それに対し、自分もフリューゲルをたなびかせる。


 互いの左腕が引き絞られ、相手の胸へと迫った。リーチは、魔人が有利。


 胸に届く直前で、治ったばかりの右腕で鋼色の貫手に触れる。勢いを止める事はできない。だが小指と薬指を潰されながらも、逸らす事には成功。胸甲を削って火花を散らして、脇腹に抜けていく爪。


 対して、炭化した魔人の胸へと自分の左腕が深々と突き刺さった。


 手首まで埋まり、心臓に届く。それでもなお、魔人はギシギシと首を動かして口腔をこちらに向けた。


 魔力が、収束する。


「燃えろ」


 それは、こちらも同じ事。


「炎馬ぁ!!」



 過剰魔力が、左腕を包み込んだ。



 肉も骨も焼き尽くし、籠手を融解させ、そして砕け散った魔法の指輪。


 内包する魔力以上の供給に、遂に限界を迎える。その最後の猛りが、嘶きが魔人の内側で燃え上がった。



『ヒィィィィンン!!』



 馬の嘶きに似た、炎の音。視界が赤く染まり、火柱が自分を包み込む。


 意識が、保てない。置き去りにした痛覚が追い付いたかの様に、脳を貫く激痛。


 瞬間的に血を失い過ぎたのもあってか、今度こそ重力に従って落ちていく。


 だが、何かに抱えられたと思った直後。ぼふり、と。柔らかい物の上に墜落する。


 頬に感じる、冷たい感触。これは、雪?


 薄っすらと目を開ければ、季節外れの雪が山となって自分を、自分たちを受け止めてくれたらしい。視界の端で、息を切らせて走ってくるエルフの姿を捉える。


 なら、背中を支えてくれているこの人は。



「感謝します。相棒」


「良いって事よぉ!」



 まだかすむ目では見る事が出来ないが、自称忍者が満面の笑みを浮かべているのはわかった。


 肉体の傷が癒えていく。雪で覆われた地面に手をつき、体を起こした。


 エリナさんにも支えられて立ち上がれば、ちょうどそのタイミングで鋼色の物体も落ちてくる。


 アスファルトはどこに行ったのか。剥き出しの地面と所々に壊れた水道管が見える場所に。魔人は伏せていた。


 手足も翼も失い、顔をこちらにゆっくりと向ける怪物。


 その鋼色の顔面は、やはり笑みを浮かべていた。


『カ、カカカ……』


 奴の肌が、白く染まる。足元の雪の様に。


 サラサラと塩へと変わった魔人の姿に、深呼吸を1回。その後、視線を中央合同庁舎の屋上に向けた。


 フェンスを越え、こちらを覗き込む両親。たぶん、父さんは見えていないだろうけど、母さんはスキルで見えているだろう。


 無事を伝えるために、右手の拳を高々と突き上げた。それに対し、母さんがぶんぶんと手を振ってくる。


 あ、落ちそうになって父さんに抱えられた。お願いだから、ここまできて死なないでほしい。


 ───おおおおおおおおっ!


「!?」


 突然聞こえてきた声に、びくりと肩を跳ねさせる。なんだ!?


 音の方向を見れば、何やら庁舎前で歓声を上げている人々がいた。なんで、建物の外に……?


 よくわからないが、何か怖い。エリナさんもいつの間にか透明化しているので、盾にできないし。つうか『白蓮』はどこにいった。あの巨体なら、人々の視線を遮れるのに。


 ミーアさんは、その辺のボロボロになった街路樹に手をついて息を整えている。あっちはあっちで、激戦だったらしい。


 だが。


「すぅぅ……」


『魔装』を再展開。防具と武器を構築し、剣を抜く。


 そして、庁舎を背に構えをとった。



『■■■■■───ッ!!』



「随分とまあ……」


 こちらに向かってくる、巨人の群れ。


 流石にファフニールは打ち止めらしいが、槍や剣を手に地響きをあげて走ってきていた。


「エリナさん、まだ戦えますか?」


「うん。びゃっちゃんも今出すね!」


 彼女がアイテムボックスから出した白蓮は、地面に片膝をついた姿勢で静止している。傷は多いが、小破程度。魔力切れか。


 肩に触れて魔力を送ってやれば、瞳を輝かせて立ち上がり鉄球を構える。


「エリナさんはミーアさんの保護を。あの人も限界です。前衛は自分が」


「オッケィ!っと、パイセン!京ちゃんは無事だから落ち着いて!」


 エリナさんが自身の耳元に触れ、ケラケラと笑う。ああ、自分はいつの間にかイヤリングを落としていたのか。


 どこで失くしたのかを思い出す暇は、ない。あと少しで敵の射程距離に入る。


 剣を肩に担ぐように構え、重心を落とした。『炎馬の指輪』も、既にない。建物を守り切れるか?


 他の地点でも、既に冒険者が巨人と交戦している気配を察知する。援軍は期待できない。


 たらりと、汗が頬を伝う。さて、どこまで持ちこたえられるか……!


 不安を飲み込み、踏み出そうとした。その刹那。



 鋼色が、視界を埋め尽くす。



「……は?」


 魔人では、ない。


 音速を超えた速度で、何かが視界内を駆け巡ったのだ。それはその場に留まり、正体を晒す。


 精霊眼のおかげで『視えて』はいたが、脳の理解が追い付かない。


「……刀?」


 刃文の浮かんだ刀身が、あり得ない長さと角度で道路いっぱいを駆け巡っていた。


 地面や壁にぶつかる寸前で鋭角に折り曲がって、向きを変えながら伸びている。まるで顕微鏡で結晶を見たみたいだ。


 信じられない光景だが、それ以上に刃から溢れ出る魔力に恐怖する。これは、まさか……。


 呆然としている間に、刃が砕け散った。ミリ単位の粒になって散らばるそれらは、人や地面に触れる前に魔力の粒子となって消えていく。


『魔装』


 あるいは、何らかのスキル。自分の眼は、そう告げていた。


 遠くに見えていた巨人どもが、一斉に崩れ落ちる。その巨体に幾つもの穴が開いている事から、謎の刃で幾度も貫かれたのだとわかった。


 そうして倒れ伏す音が、『東京中』から響いた気がする。


 戦闘音が、唐突に止んだ街中。建物からあがる火の手が何かを燃やす音だけが残され、それ以外は無音となった。


 直感で、視線を上に向ける。


 地上の炎で照らされた曇天の下。1機のヘリと1人の人間がいた。


 人間の方は、重量に身を任せて落ちてくる。普通なら、間違いなく死ぬ高度。だが、自分もエリナさんも助けに動こうとはしなかった。


 不思議と、『彼』が着地に失敗すると思えなかったから。


 とすり、と。ビルよりもなお高くから落ちてきたとは思えない音が響く。


 どういうつもりか、自分の眼前に降りてきたその人物は、まるで浮浪者の様な格好をしていた。


 ぼさぼさの頭に、伸び放題の髭。垢のたまった肌に、くすんだ藍色の着物と裾が破れている黒い袴。


 靴どころか足袋の類もなしで、素足のまま地面を踏みしめている。


 だが、手に持っている刀だけは。ただひたすらに綺麗だった。


「やあ、初めまして」


「ええ。初めまして」


 容貌に似合わぬ、穏やかな声。


 それに対し、自分は最大限の警戒をしながら答える。


 きっと、巨人を殲滅してくれたのはこの人だ。援軍の、はずだ。感謝の言葉を贈るのが礼儀である。


 しかし、この人がいつ自分に切りかかってくるかわからない。その予感のせいで、頭を下げる気になれなかった。


 精霊眼が捉える、彼の立ち姿。それが、獲物を前にした肉食獣にそっくりだったから。



「不躾ですまない。突然だが、今から俺と殺し合わないか?」


 

 およそ救援に来た人間とは思えない発言。自分の中で警戒心が1段階上昇する。


「……嫌です」


「どうしても?」


「はい」


「……そうか」


 警戒しながら返答すれば、彼の体からふっと力が抜ける。


 何やら残念そうな顔で、その人物は刀を鞘に納めた。


「むぅ……あっちの『3人組』に声をかけるか?あっちの方が対人戦は強そうだが、うーん……そっちの子も、自分からくる気はないんだよね?」


 いつの間にか、透明化で謎の人物の背後をとっていたエリナさん。


 それに、彼は首だけ振り返って問いかける。


「…………」


「無視、か。最近の子って難しいね」


「はぁ……」


 先ほどまでと打って変わって、声音通り穏やかな雰囲気を纏った謎の人物。


 彼は『魔装』を解除し、迷彩柄の服へと変わる。


「えっ」


「じゃあ、俺は職場に帰るよ。消火とか救助は、他の人の仕事だし」


 それは、間違いなく自衛隊の制服だった。


 ボリボリと、彼はつまらなそうに後頭部を掻く。


「いやぁ。遅くなってごめんね。とりあえず、動いている敵は全部斬った……刺した?から。安心してね。でも、建物が崩れるかもしれないから、そっちは注意して」


「その……ありがとう、ございました」


「いやいや。あ、やっぱ戦う?」


「嫌です」


「そっかぁ」


 彼はまた残念そうに肩を落とすと、とぼとぼと歩き出す。


「あっ」


 かと思えば、呑気な声をあげてこちらに振り返った。


「名前を聞いて良いかな。君達強そうだから、そのうち一緒に仕事するかもだし」


 屈託のない笑みに、どんな顔を浮かべていいのか困る。なんなんだ、この人。


 激戦を終えたばかりの脳が、追い付かない。敵ではないようだが、どうにも不気味な人だった。


 良くも悪くも、浮世離れしている。同じ世界にいるようで、どこか違う気がする人。


 間違いないのは、自分よりも圧倒的に強いという事のみ。


「……僕らは」


「『インビジブルニンジャーズ』!!」


「黙れボケカス」


「!?」


 透明化したままふざけた事をぬかすな。庁舎前の人達も、まだこっちを見ているんだぞ。


 何故かショックを受けた様な顔の自称忍者を睨みつける。


「うん、『インビジブルニンジャーズ』ね。覚えたよ」


「待って」


「それじゃあ、もう戻らないと。じゃ」


「待って」


「ああ、俺は『宮本』。良かったら覚えておいて」


「違うんです」


「じゃ。───いつかまた」


「あの名前はですね」


 言うだけ言って、彼は跳躍してしまう。


 小さく膝を曲げただけなのに、一足でビルより高い。300メートル近く跳び上がり、ヘリに捕まった。


 恐ろしいのは、ちょうど勢いがなくなる地点にヘリを捉えていた事。自分の体を、あの人は完全に掌握しているらしい。


 いや、じゃあこっちが呼び止めたのも聞いて?せめて否定は受け入れて?聞こえてんだろ絶対。


 飛び去って行くヘリと入れ違いに、サイレンの音がそこら中から聞こえ始めた。どうやら、救助が本格的に始まったらしい。


「……はぁぁぁぁ」


 べちゃり、と。腰を地面に下ろして『魔装』を解除する。


 何というか、疲れた。心身ともに。


 色々とあり過ぎたし、治った箇所がまだ痛みを訴えてくるし。正直このまま意識を手放したい。


 だが、まだちょっとだけ気絶するには早い。これだけは、言わないと。


「皆さん、ありがとうございました……」


「応とも!パーティーは家族!パーティーは運命共同体!」


「無事で良かったですよ、本当に……」


 傍にきたミーアさんと、透明になったままドヤ顔を浮かべるエリナさん。その耳につけたイヤリングから、何やら騒いでいるアイラさん。


 自分には過ぎた仲間達に、礼を言って。


 今度こそ、目を閉じて倒れ込んだ。



 長い1日が、ようやく終わる。



 曇天の空から、ぽつぽつと雨が降り始めた。




読んでいただきありがとうございます。

感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。


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― 新着の感想 ―
ストーリー構造的には両親こそが王道ヒロインやってる章でしたが、勝負を分けたのもまた両親の献身でしたね。 なお誤射。
エリナさん良すぎる。もうハーレムじゃなくても良いかも、って思うくらいに良い これまでの作品のヒロインの中で一番好き
子供のためとはいえ勇気ありすぎるってぇ、京ちゃん君のお母さん。
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