第百十八話 それでも少年は飛ぶ
第百十八話 それでも少年は飛ぶ
窓の外では文明の光が消えた中、新幹線の車内には明かりが戻ってきた。
『───は停電により運転を見合わせております。東京全域が停電しており、運転復旧について』
アナウンスが流れているが、周囲のざわめきで上手く聞き取れない。
だが、なんにせよやる事は決まっている。
周りの混乱と反比例するように、不思議と冷静になれる気がした。
冷静に、狂っていく。
「エリナさん。新幹線の扉って内側から開く事って出来たっけ」
「出来るよ?行く?」
「ああ」
「OK!任せなブラザー!」
「え?いや……え?」
混乱するミーアさんに視線を向けながら、持っていた荷物をエリナさんに預ける。
「すみません。両親が既に東京都内にいるはずですので。僕は救助に向かいます」
「な、なるほど……いや、待ってください!東京なんだから自衛隊や警察がすぐに」
ミーアさんの声を背に通路を進んでいけば、既に扉付近には人だかりが出来ていた。
車掌さんらしき人と、何やら口論している。
「お、お待ちくださいお客様!現在状況を確認中でして」
「待っていられるか!また氾濫が起きたんだろう!?」
「私覚醒者だからわかるのよ!あそこにモンスターがいるわ!」
「降りて逃げるんだ。この場に残っていたら殺される!」
「距離を、とにかく氾濫が起きている場所から距離をとるんだ!」
彼らの声は車内に響いており、それが更に人の波を作り出す。
あっという間に扉は手動で開かれ、車掌さんを押しのけて乗客が次々と外へと降り始めた。
きっと、『覚醒の日』より前なら日本ではあり得ない事だったと思う。だが、あまりにもこの国は怪物どもの被害を受け過ぎた。
それに何か思うべきなのかもしれないが、今は好都合としか考えられない。
自分も人の波に乗ってさっさと砂利の上に降り立ち、『魔装』を展開した。
「アイラさん。状況はどれぐらいわかりますか」
『さっぱりだ!どうにも、東京全体で停電が起きているらしい。病院なんかは予備電源が働いている様だが、都市機能は麻痺している。これではまともに避難指示すら出せん!それより、原因は氾濫なのか!?』
「原因は不明ですが、氾濫が起きているのは確かです。これから両親の元へ向かいます」
『一応年長者として1度だけ止めよう。やめておけ。ここは東京だ。すぐに自衛隊や警察の救援が来てくれる。君が出る必要はない』
「すみません。行きます」
『はっはっは!会話が通じん!よかろう、いるとしたら霞ヶ関の中央合同庁舎付近だ!『ウォーカーズ』の人員はその辺りに一旦集まる予定だとSNSに書いてある。説明会で行った所だ!』
「はい。ありがとうございます」
自分でも不思議なぐらい、低い声が出ている。
脳みそが泡立つような激情が燃え上がっているのに。心臓が破裂しそうなほど不安が渦巻いているのに。
視界はクリアで、呼吸に乱れがない。
だが、気が急いていると自覚できる。
自衛隊や警察の応援が来るとしても、街中でまともな火器が使えるとは思えない。その上で、自分が見た魔力量は明らかに『Bランク以上』だった。
そこから理論的に言い訳の1つも吐き出せただろうに、わざわざ言う気になれない。
今は、一刻も早く家族の元へ向かわなければ……!
「京ちゃん!」
駈け出そうとした瞬間、背後から投げられた『布』を咄嗟に受け取る。
振り返れば、同じく線路に降りて来たエリナさん達がいた。アイテムボックスに桐の箱ごと預けていたのを、届けに来てくれたらしい。
「シーちゃんのお手製!行くんだったら、使うでしょ?」
「ありがとう。試作品らしいけど、あの人を信じよう」
そう答えて、大山さんの新作を身に纏う。
バサリと、白い布を肩にかけた。否。それを布と表現すべきかは、微妙な所だろう。
形状は『マント』。黒く縁取りされたそれを、胸の前で留め具により固定。ずっしりとした重みを感じるが、風になびく様子は普通のマントの様だ。
しかし、これが『金属』で出来ている事を自分は知っている。
ドロップ品で手に入った金属を組み合わせ、『ウトゥック』の粘土を使った炉で溶かし、布の様な薄さと柔軟性を持たせた一品。
名を、『フリューゲル』。羽の様に軽いとは言えないが、苦にはならない。流石の仕事ぶりだ。名前が少しだけ、むず痒いけど。
どういう機能を持つかは、説明書を読んで知っている。あとは、どこまで彼女の想定通りに性能を発揮してくれるかだが……不安はない。問題なく命を預けられる。
それより、試作品をこんな鉄火場で使うのを、大山さんは許してくれるだろうか?
帰ったら、土下座でもなんでもしよう。
「では、今度こそ行きます」
『いや行くのは良いがちょっと待て!?先にどんなモンスターが暴れているかをだね』
「今ドローン飛ばすから、それにパイセンの鏡つけるね!」
「操縦は私が!」
『焦りはわかるが、情報を』
「先行します」
『ちょっ』
時間がない。アイラさんの言葉を無視し、砂利を跳ね上げ走り出す。
一足で線路脇のフェンスを跳び越え、更に風を踏みしめて跳躍。高度をとりながら目的地へ向かう。
視線を下に向ければ、おぞましい光景が広がっていた。
悲鳴と怒声が飛び交う、炎の中。そこに、青色の巨人が立っている。
尋常な生物ならざる、凍った湖面の様な青い肌。氷が張り付いた様な髪の毛と、氷柱を束ねた様な髭が生えている。
角の生えた鋼の兜に、動物の皮を使った様な胴鎧。そして、手には剣や槍を持っていた。
身長は6メートルほど。その巨人達は、丁寧に、そして無慈悲に人々を殺していく。
必死に逃げようと走るトラックが、正面に飛び出した巨人の刃に自分から突っ込み引き裂かれた。
歩道を全力で走る人々の波を、巨大な口から放たれた冷気が覆う。瞬く間に氷像となった人々の顔は、恐怖と苦悶で歪んでいた。
人々が逃げ込んだビルの屋上によじ登った巨人が、真上から幾度も槍を突き立てる。瓦礫が飛散し、遂には中の人間ごと建物は崩れ落ちた。
死が広がる。悲鳴が、絶叫が、慟哭が広がっていく。
知らず、奥歯を噛み締めていた。直後、『精霊眼』に反応。同時にイヤリングからアイラさんの声が響く。
『奴らは『ヨトゥン』!ステータスから『Bランク』と推定するが、体格からして』
彼女の言葉を最後まで聞く暇もなく、体を捻りながら抜剣。両手で剣を構えた瞬間、それは目の前へとやってきていた。
巨人。氷の吐息を口端から出しながら、見上げるほどの巨体をもつ怪物が宙を飛んでいる。
否、飛んだのではない。跳んだのだ。
『本来の能力値は『Aランク』だ!戦ってはいけない!!』
轟音が、天に響く。
自分の握る片手半剣が針に見えてしまう程のサイズ差。巨人が振るう大剣と衝突し、全身の骨が砕けるような衝撃が襲う。
「っ……!」
その一撃は、間違いなくミノタウロスに匹敵した。あの時、自分が単騎では為す術なく圧倒されていた怪物と同じ。
『でかい』は『強い』。物理法則に縛られる限り、たとえ超常が溶け込んだこの世界でそれは絶対の法則だ。
ウトゥックも、鵺さえも圧倒する大質量の斬撃。それを空中で受けて、無事で済む道理などない。
彼女のくれた翼が、なかったのなら。
───ギチギチギチ……!
革紐を束ねて縛った様な音が、背後から響く。瞬間、竜巻が体を前へ押し出した。
『■■■……!?』
目を見開き、うめき声をあげる巨人。刃が一瞬だけ拮抗した刹那、剣を上へかち上げた。
続けて全速力で横回転。相手の剣が完全に跳ね上がるより速く、斬撃を剣腹に叩き込む。
大量のガラスが同時に割れた様な甲高い音と共に、巨剣が砕けた。金属片が飛び散る中を飛翔し、接近。巨人の鳩尾へと切っ先をねじ込んで、風と炎をありったけ流し込む。
そのまま横へと胴を引き裂きながら飛べば、残された炎風が爆発した様に弾けた。燃えるヨトゥンの体が、地面に辿り着く前に白い結晶へと変質する。
同質量の塩となった巨人を一瞥し、マントを風にたなびかせた。
「いけます。この、『フリューゲル』なら……!」
『マジかね、君……!』
『賢者の心核』
それは錬金術師が追い求める至宝、賢者の石と同じ力を自身の心臓に与える。そして、錬金術における理想とは『完全』に他ならない。
ゆえに、魔力切れという概念はそこに存在しない。ただ、無限と呼べる力の大海から1度に汲み上げられる量に限りがあるだけ。自分と言う器だけでは、空を駆けるにもリソースの大半を持っていかれる。
だが、もう1つ。魔力を汲み上げる器が用意できたのなら。
『京ちゃん!私達は地上から進んでいくから、京ちゃんは好きに暴れて!』
イヤリングから聞こえてきたエリナさんの声に、少しだけ目を見開く。
「いや、2人はこのまま帰っても」
『水臭いぞ京ちゃん!パーティーとは、言うなれば運命共同体!互いに頼り、互いにかばい合い、互いに』
『私も戦います!貴方は、私が意固地になっていた時も、姉さんが捕らわれた時も戦ってくれた。その恩を返します!』
『だ、そうだ。君は好きに飛びたまえ。私もナビゲーター兼通信士となろう』
「っ……ありがとう、ございます!」
『パーティーは姉弟!パーティーは家族!』
「吶喊します!ご武運を!」
『はい!行きますよ、エリナさん!』
『うっす!』
我ながら、良い仲間をもった。
風を蹴ってからの加速。フリューゲルからも風を放出させ、両親がいるだろう場所に飛ぶ。
「っ……」
明後日の方角に飛びかけるのを、足で調整。流石に練習無しではきつい。それでも飛べているのは、作り手の腕があればこそ。直感的に扱える事に、大山さんへ改めて感謝する。
『エリナ君の鏡から割り出した方角からして、君視点だと10時方向に進めばつく。この程度の距離、その加速ならすぐのはずだが』
「妨害なしなら、ですね!」
ほぼ真下から放たれた氷の槍。機関銃の様に連射されるそれを、左に旋回して回避する。
視線を下に向ければ、そこには5体のヨトゥンがこちらを見上げていた。
掲げられたその右拳が氷の茨で包まれたと思った瞬間、高速で射出されていく。音速には届かないが、それに近い『砲撃』の乱舞。
横方向に急加速からの、奴ら目掛けてほぼ直角に降下。すぐに照準を定め迎撃してくる氷の弾幕に、減速する事なく螺旋軌道と三角跳びにより回避していく。
急速に接近する自分に、ヨトゥン達が氷を引っ込め腰に下げていた剣を抜いた。だが、遅い。
「おおっ!」
勢いそのまま、手近な個体の眉間へと剣を突き込む。兜を貫通し頭蓋骨すら砕いて、内側に風と炎を流し込んだ。
『■、■■■……!』
横へ引き裂くように剣を抜いて、次の獲物へ。剣を抜いた勢いで刃を振り上げるヨトゥンに、バレルロールで斬撃を避けながら吶喊。首目掛けて袈裟懸けの斬撃を叩き込み、雪の様に冷たい皮膚を裂いてその下の血肉を引き千切った。
残りは3!速攻で片を付ける!
『■■■■■───ッ!!』
『■■、■■■■ッッ!!』
未知の言語か、ただの雄叫びか。巨人の戦士達は得物を手にこちらへと飛びかかる。
1歩踏み出す事にアスファルトの地面は砕け、乗り捨てられた乗用車をスクラップに変える重量。そこから繰り出された2振りの刃を、急上昇で回避。
上へ逃れた所に、いつの間にかビルの屋上へと上っていたもう1体が氷の機関砲を乱れ打つ。
狙いが甘い。マンティコアの針と比べれば、鈍い!
急減速からの急加速で照準を狂わせ、その隙に更に高度を上げてからの急降下。
目が回りそうな無茶苦茶な軌道を、スキル頼りに成し遂げる。腕をこちらに向ける速度が間に合わず、あらぬ方向に撃ちっぱなしのヨトゥンを強襲し左肩から左わき腹へ通り過ぎ様に剣を振りぬいた。
傷口に残された炎と風が炸裂するのを背に、地面へと飛翔。ほぼ直角に方向転換し、道路と平行に残りのヨトゥンへ間合いを詰める。
対する2体の内片方が機関砲を撃つ中、その援護を受けてもう1体が剣を手に走ってきた。
『■■■■■■ッ!!』
振り下ろされる刃に、地面スレスレを飛びながら上体を起こし左足裏を道路に擦らせる。
火花と共に砕けるアスファルトの地面。眼前を通り過ぎた巨大な切っ先が巻き起こす土煙の中を、片足を軸に横回転しながら突破する。
進路上に見えてきた巨大な脛へと剣を叩き込み、骨をかち割った。
炎の軌跡と共に、巨人の血が宙を舞う。そのままヨトゥンの股下を抜け、もう1体に。
『■■■■■■!?』
氷を乱射する中、左右に蛇行する様な軌道で接近。地面を蹴りつけて跳躍し、突き出されていた右腕の内側を切り裂いた。
内肘を傷つけられよろめきながら、ヨトゥンは左手で握った剣を突き出してくる。
だが、体格差は明白。相手が膂力と頑強さなら、こちらは俊敏さでその差を活かすまで。
ぐるりと切っ先を回避し、腕の内側を走って加速。巨人の目玉に剣を突き立て、炎と風をありったけ流し込んだ。
悲鳴をあげながら仰け反る様に倒れていく巨体を蹴りつけ、斜め後方に飛翔。直後に氷の機関砲が、自分のいた位置へと突き刺さった。
『■■■■■■───ッ!!』
死にゆく仲間諸共に攻撃をしかける、隻足となって片膝をつく個体。
剣を杖に立ち上がろうとするヨトゥンへ、マントを盾にしながら避けずに突っ込む。
衝撃と共に氷が砕ける中を突き進み、倒れ込みながら剣を振るう巨人の刃にこちらも剣を合わせた。
大気を振るわせる衝撃波に周囲の窓ガラスが割れる中、両足とフリューゲルから風を最大出力で放出。
「はあああああ!」
『■■■■■■───ッ!?』
強引に押し切り、喉へと横薙ぎ一閃。斬撃に残した風と炎が爆発を生みながら、5体目のヨトゥンが倒れ伏した。
「このまま……!」
そう呟いた直後、氷の機関砲が雨の様に襲い来る。
瞬時に上へ逃れれば、自分を睨みつけるヨトゥンの群れと視線がぶつかった。
その数、およそ30。先の戦闘音に引き寄せられたか、あるいは魔力の気配を辿ったか。
どちらにせよ、随分と多い。
「そこを……」
頭を焦がす怒りが、胸を渦巻く不安が、ようやく表面へと上ってきた。
人も街も蹂躙する怪物ども。その渦中にいる両親の安否。感情が、喉に込み上げる。
「どぉけええええええええ!!」
『■■■■■■■───ッ!!』
己の怒声と、巨人達の雄叫びが衝突する。
読んでいただきありがとうございます。
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