閑話 引き金は誰の指に
閑話 引き金は誰の指に
サイド なし
東京都、某所。
23区外の、コンクリートで埋め尽くされていない緑のある土地。
山に近い森の中に、そういった場所とは不釣り合いな人工物が隠れる様に存在していた。
看板も表札もなく、ただ分厚い壁と背の高いフェンスで何重にも守られた『秘密基地』。
子供っぽい呼び方のそれは、しかし時に大人より残酷な子供よりもなお無慈悲な思惑で建てられた。
ゴーレムと軍服を着ていない兵士が内部を警備しており、それに混ざって白衣の者達が忙しなく走り回っている。
『おい、例の研究データは!?』
『既に本国へ送った!元データはもうない!』
『物資の搬入はどうなっている?注文していた触媒は?』
『依頼していた冒険者から、昨夜手に入った報告がきた。幾つかの業者を挟ませるから、つくのは明後日以降になる』
『地脈の測定状況の資料です!現地のシャーマン系覚醒者から入手しました!』
『よし、ではこれまでのデータと比較して今後の流れを予測する。サーバールームには私から───』
オカルトと科学の混じった会話が、英語で交わされる。
人種も国籍もバラバラな研究員達だが、雇い主は皆同じだ。そのクライアントに合わせたというのもあるが、それ以上に『世界で最も使われている言語』というのはこういう時に便利である。
しかも、ここの警備に加わっている覚醒者達には『一部を除いて』万が一会話の内容を聞かれてもわからないのも、彼らには好都合だった。
忙しさにより早口で発せられる言葉も、専門用語がずらりと並んだ文書も、英語でやられて完璧に理解できる日本人は多くない。何なら、本場の人間でもある程度の知識がないと意味不明な部分が多いだろう。
覚醒者の数は、およそ30人に1人。
しかも日本でしか現れない。世界基準で見れば少ないが、それでも国家と呼べる規模の人数である。
ゆえに、学もなければ社会と繋がりが薄く、それでいてコミュニティには所属している者も一定数いるのだ。ダンジョン庁が冒険者試験で、書類を見た瞬間不合格にせざるを得ないコミュニティに入っている者達が。
そういう覚醒者を積極的に集め、外側の警備に回している。更には、市場に出せば高級車が何台も買える様なドロップ品を湯水の様に使い壁も補強してあった。
ネズミ1匹入れず、竜が何かの間違いで飛んできても隠せるし撃退もできる。それだけの力を、この研究所は有していた。
そんな場所を数人の研究者と護衛を引きつれ、老人が背中を丸めながら廊下を足早に歩く。
忙しそうな他の研究員達もすぐに壁へと身を寄せ、道を譲った。
そうしないのは、物言わぬゴーレム達だけである。
『ちっ』
ゆっくりと書類を運ぶデッサン人形の様なゴーレムの背にぶつかりかけ、老人が舌打ちした。
『まったく邪魔くさい木偶人形だ。これで見た目が若い女なら、まだ可愛げがあっただろうに』
『申し訳ございません。すぐにどかします』
護衛の男達が両脇からゴーレムを抱え上げ、横にどかす。それに小さく鼻を鳴らした後、老人はまた歩き始めた。
彼らがエレベーターに乗ると、老人の秘書である女性が1階から5階までのボタンを奇妙な順番で押す。
すると、エレベーターは下へ移動。パネルには地下2階までしかないはずだが、更にその下へと鉄の箱は降りていった。
『門の創造に必要な材料は整っているのか?』
『はい。明々後日には準備が完了する予定です』
『遅い。何のためにこの国を実験場に選んだと思っているのだ。設備を用意しやすく、妨害にもあいづらいからだろう』
『申し訳ございません、博士。電子部品の類は当初の予定通りすぐに集まったのですが、追加実験に必要な触媒は時間が……』
『言い訳は聞き飽きた。まったく、これもアカサカとかいう猿が余計な事をするからだ。ドロップ品の一般販売なんぞしおってからに……。外務省やCIAは何をやっている』
『奴を消そうとすれば、確実に他の国に我々の動きが察知されます。どうかご理解を』
『まったく。スパイ天国なのが災いして、日本以外のエージェント同士が睨み合う羽目になるとはな』
『それすらも奴の護身術だと聞きますが』
『くだらん。運だけで歩いているだけの男だ。もうじき躓く。もっとも、その前にこの国』
老人の言葉を遮り、エレベーターが電子音を発した。扉が開いてすぐに廊下へと進んだ彼らを、重厚な扉が待ち構えていた。
表面に描かれた紫色の魔法陣。左右にある電子錠と無骨な鍵穴。
オカルトと電子機器とアナログな守りが施された扉に、老人は面倒そうに息を吐きながら右側の電子錠へと向かった。
左側には秘書の女性が行き、指紋認証とパスワードの入力。懐から出した鍵を差し込み、目配せの後同時に回す。
『ビー』という電子音の後、秘書が胸元から割符の様な木片を取り出した。それを魔法陣に近づけると、鋼の扉は左右へとゆっくり動き出す。
博士と呼ばれる老人を先頭に入った彼らを、黒髪の大男が両手を広げて歓迎した。
『ようこそドクター。すみませんねぇ、迎えもよこさず』
『冗談はよせ。儂の許可なく貴様らをこの部屋から出すものか』
じろりと睨みつけてくる老人に、男は軽く肩をすくめる。口笛でも吹きそうなリラックス具合で、ネクタイも緩められていた。
身長2メートル近い恵まれた体格に、鋭い眼光。着崩したスーツの上からでもわかる、鍛え抜かれた肉体。
どう見ても堅気の人間ではない。『覚醒の日』以前は顔に刀傷も存在し、より凶悪な人相であった。
大男はその碧眼を細め、老人の傍に立つ秘書をねっとりと眺める。
『はっ!だったらもっと差し入れが欲しいものですな。こんな所に押し込まれて、欲求不満で暴れだしちまいそうだ』
『きちんと決められた日に、決められた店で羽を伸ばせるだろう。贅沢を言うな』
腰が曲がっている事もあって、一見すると倍近くに思える身長差。
そうでありながら老人が一切怯まないのは、この男が自分に危害を加える可能性を全く考えていないからである。
それは、信頼でも信用でもない。傲慢に近い自信からだった。
『光栄に思えよ。大統領は貴様を気に入っているのだ。貴様の能力や人格ではなく、自身と似た出生をな。そうでなければ、この私の研究所に貴様の様な輩を入れるものか』
老人の言葉に、男はつまらなそうに後頭部を掻いた。
『へーへー。耳にタコが出来るほど聞きましたよ。母親が警察官で、子を産むと同時に死亡。父親とも碌にあった事がない。よくもま、あの人もその出自で大統領になれたもんだ』
『貴様の親はただの兵士と、日本の田舎町にいる警官。大統領の両親は片や大手製薬会社の役員、片や将来を期待されていたエリート警官だ。ものが違って当たり前だろう』
『はっはっは。そのうえ育ての親の差もありましたな』
男はヘラヘラと笑った後、踵を返す。
『さて。楽しい世間話もこれぐらいにして、仕事の話に移りますか』
『まったくだ。貴様の様な無知で無学な男に浪費された時間を、取り戻さねばならん』
吐き捨てる様にそう言った老人には振り返らず、男は進む。
そして、奥の部屋へと通された彼らが見た物は。
『圧巻ですなぁ。電気代を考えたくねぇ光景だ』
大量にならぶ、鉄の塔。
10や100ではない。広大な地下空間に、一定の間隔で建てられた塔。それらの先端には銀色の横に長い楕円形の物体が取り付けられ、天井の照明で鈍く輝いている。
そうして建ち並ぶ鉄の塔を上から見れば、これが『魔法陣』を描く様に配置されている事がわかった。
何ともオカルトちっくな光景に、老人はニタリとした笑みを浮かべる。
『第一実験とは比べ物にならん予算を注ぎ込んだ。そのうえ、今回は『あちら側』の触媒も使う。予定していた第二実験は中止となったが、必ずや儂は成功させる。この成果を、アメリカに持ち帰るのだ』
───この老人は、決して高名な学者ではなかった。
有名大学を幾度も浪人した果てに合格し、単位を落とさない様にあがき続けた学生時代。
名門ではないが、地方にある金持ちの家に生まれた。欲しい物は大概手に入った彼だが、常に劣等感を抱き続けている。それは、成人した後も変わらない。
大学卒業後も、華々しい活躍をする同期達を羨みながら親の紹介で入った職場でお山の大将をやっていた。
だが、彼は趣味でやっていた研究の過程で、偶然にも米軍の倉庫奥深くに眠る『とある資料』を発見。解読に成功したのである。
遂に、自分が認められる時がやってきた。
そう確信を抱いた彼は、もう止まらない。
たとえそれが、どれだけ凄惨な光景を作り出すとしても。幾つもの血が流れる事になったとしても。
彼の、『ドクター・テスラ』の野心は燃え上がる。
『フロンティアの土を最初に踏むのは、この私だ……!』
地方にあるアメリカ海軍基地。その倉庫で埃を被っていた、データ化もされずに忘れさられていた1枚の設計図。
それを彼が手にした時、この物語は動き出したのだ。
* * *
アメリカ、ワシントン。
世界1の大国の首都に、バスから降り立った3人の女性。
元公安にして、現ダンジョン庁職員である冴島が腕時計を確認する。
「それでは、予定通りタクシーでホテルに向かった後、現地の『ガイド』の所へ向かいます」
「はい、冴島さん!」
そう元気よく返事をした、赤坂勇音。まだ高校生でしかない上司の娘に、冴島は一瞬困った様に視線を彷徨わせる。
だが、そうした結果視界に入るのは。
「遂にたどり着いたか。混沌の都に……!」
無駄に格好つけてそう告げる、もっと困った大人だった。
ノースリーブの革ジャンとサングラス姿の桜庭に、冴島は無表情のまま呆れた視線を向ける。
当初彼女は何故かやたら派手なバンダナと、腕に大量のシルバーを巻く予定だったのだ。流石にそれは悪目立ちすると、他2人が必死に止めたのである。
それでもその奇行が収まったわけではなく。
「さて。見せてもらおうか、アメリカのカードショップの、品揃えというやつを……!私に続け!」
「行きません」
「なんだと!?正気か、我が魂の姉妹達よ!我々がここへ来た目的を忘れたのか!」
「……『観光』です」
「ならば何故!」
「『スケジュール』にないからです」
「観光は楽しんだ者勝ち……よく覚えておきたまえ」
「行きませんからね」
「くっ……!分からず屋め……!」
サングラスを外し、悔しそうに顔を歪める桜庭。
こんなのが『護衛役』で大丈夫かと、飛行機に乗ってから既に30回は脳裏によぎる不安で冴島の胃が軋み始める。
名目上は観光だが、当然実際は違う。非常に危険かつ重要なミッションを果たす為、彼女らは海を越えたのだ。
「えぇい!ならば強引にでも連れて行かせてもらう!」
「ちょっ」
「ええ!?」
冴島と勇音の腕を抱え、強引に歩き出した桜庭。流石に文句を言おうと、冴島が口を開いた瞬間。
「振り返るなよ?見られている」
落ち着いた桜庭の声に、吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。
そんな彼女に、『Bランク候補』の冒険者は続ける。
「君が気づかないのも無理はない。恐らく相手は眼球のみを霊体化させている。勇音でも相手の思念を読む事が出来ない手法だ」
桜庭の言葉に、勇音が目を見開く。
「そ、そんな人が……まさか、既に気づかれて……!」
「それはまだわからん。だが動揺はするな。ダンジョンでもそうだが、揺らいだ者から死んでいくのだ」
「たしかに。それもそうですね」
秒で自然体になった勇音に苦笑いを浮かべた後、桜庭は冴島へと不敵な笑みを向ける。
「さて、どうする。あいにくと対人戦の経験に疎くてね。指揮は君にとってもらいたいが、可能か?」
「…………」
冴島武子は非覚醒者である。
当然魔力の流れは掴めないし、スキルなど持っていない。
だが、
「わかりました。予定を変更します」
覚醒者の能力については、人一倍知識を詰め込んできた。彼女の言葉に桜庭が楽しそうに笑みを深め、勇音は深く頷く。
3人の足は、止まらない。
日本とアメリカ。その両方で、密かに事が進んでいく。時代を大きく動かしかねない、弾丸が放たれようとしていた。
それがこの世界の人類にとって、どの様な結果をもたらすのか。それはまだ、誰にもわからない。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。