第百十五話 喧嘩するほど
第百十五話 喧嘩するほど
機械の稼働音が響く工場内で、パチリパチリと、爪切りの音が鳴る。
本来ならかき消される音が、自分にはいやに大きく感じた。
───むにゅう……。
まあお胸様が押し付けられているので、腕の感覚が現在最大まで研ぎ澄まされているのが原因だが。
こちらに背を向けて座り、脇にこちらの前腕を抱え込んで爪を切る大山さん。小柄なのもあって、彼女の頭の位置は低い。
赤い頭頂部しか見えない様に思えて、しかし僅かに覗く耳がほんのりと赤くなっているのがわかった。
張りの強い、それでいて柔らかさもあるミッチリとしたお胸様。その感触に、自分は未だ慣れない。
「……動くな」
「は、はい」
我ながら顔が熱い。前に来た時よりも彼女の作業スペースは広がっているのに、妙に酸素が薄く感じた。
前腕から伝わる大山さんの体温も、心なしか高い気がする。それが、余計に自分の心拍数を速めた。
というかお胸様すげぇ……。彼女の二の腕の感触も良いのだが、それ以上に『ドォン!』って感じのオッパイが押し付けられ、その張りと柔らかさに脳が焦げそうである。
「よし、終わったぞ」
「は……はい」
解放された腕に外気が伝わり、酷い喪失感を覚える。
さようなら、お胸様……またお会いできる日を、楽しみにしております……。
こぼれそうな涙を堪え、口元に精一杯の気丈な笑みを浮かべようと力を入れた。
───じゃねぇ!?いけない、砕けるな理性!
頭がオッパイに支配されている。思考が下半身でしか出来ていない。このままでは、脳みそが金●に移転してしまいそうだ。
……金●に移転するってなんだよ!
「あの、僕も流石に手を握られただけで震えたりしませんから、もう固定される必要はないんですけど……」
「あ?」
まだ少し頬が赤い大山さんが、その三白眼でこちらを睨みつける。
彼女は大事そうに切った爪が入った瓶の蓋をして、今度は櫛と鋏を持った。
「お前の爪の価値を考えろ。それが万一どっか行ったらどうする気だ。それとも、あの槍を紛失した事への当てつけか?」
「いや、槍の件は犯人が100悪いので気にしてませんが。そうじゃなくって、その、乙女としてですね……!」
「そうです。言ってやってください矢川君」
作業スペースの壁を背に立った毒島さんが、ため息でも吐きそうな顔で会話に混ざる。
なお、エリナさんも今日一緒に来ているのだが、彼女は並べられた出荷予定の武装を見学するのに夢中な様だ。
「職人として高みを目指すのは良いのですが、だからと言って異性に対して近すぎるというか……その、『アレ』を要求するのは如何なものか。恥じらいを持ってほしいものです」
「アタシにだって羞恥心ぐらいある」
頬を赤らめて視線を泳がせる毒島さんの言葉に、大山さんがロケットなお胸様の下で腕を組んだ。
なんという迫力。所々煤で汚れたツナギ越しだというのに、戦艦にでも搭載されそうな圧巻の大きさである。
まだ思考が下半身へ旅行中らしい。『考える人』のポーズでどうにか脳みそを回復させよう。
それはそうと、ツナギの胸元が少し開いて黒いシャツと白い谷間が見えるのってエッチじゃない?
もしや、ドスケベ一族の分家……?
「ただ、楽しいんだよ」
「え、矢川君の理性がグラインダーで削られていく姿が……?」
「それはちょっとだけだ」
ちょっとは楽しんでいるのか。
やめなされ、やめなされ。いくらオリハルコンと互角の強度とは言え、限度がある。僕が獣になる前に改めた方が良い。
「鉄を打つ度、魔力を込める度、良質な素材で武器を作る度。自分の腕前が上がっているのを実感できる。まるで翼でも生えたみたいなんだ。次はどれだけ高く飛べるのか。そんな錯覚さえ覚える」
「……大丈夫なんですか、それ」
「偶に鍛冶が面倒になるから、依存とかそういう意味では大丈夫だ」
ふん、と。小さく鼻を鳴らして大山さんがそう言った。
まあ、好きすぎてそれしか考えられなくなるという状態でないのなら、『スキル中毒』とまではいかないだろう。
『覚醒の日』より2年と4カ月。その間に、己のスキルに溺れてしまう者達が現れた。
ただ超常の力に酔いしれる者もいれば、自分にはこれしかないのだと考えてしまう人もいる。それが、スキル中毒。
四六時中スキルを使う事しか考えられず、食事や睡眠すら忘れて力に執着するとか。
これは覚醒した事が直接の原因というより、本人のメンタルや環境に起因する。ある意味トリガーハッピーみたいなものだ。
その解消方法は様々で、噂だが高ランクの冒険者はスキル中毒である事が多い。
……それと、『トゥロホース』に所属していた者の中にも中毒者が多数いる。
おおむね、あまり良いイメージのない状態だ。まあ、『中毒』なんて呼ばれている段階で当たり前だが。
「アタシの知る限り、矢川以上の素材はない。こいつの体を使えば使うほど、鉄に魔力を込めるってのはこういう事かと実感する」
「……つまり、矢川君以上の素材が見つかればそちらに熱中すると?」
「さあな」
小さく肩をすくめた後、大山さんがチラリとこちらを見る。
なんでしょうか。こちらはまだ生理現象の問題で、考える人をやめられませんが?
「だが……こいつは危なっかしいからな。アタシが良い装備作ってやらないといけないから、放置はしねぇよ」
そんな放っておいたら迷子になる奴みたいな。
自分が現状遭難しかけたのは、東京駅だけである。人生という迷路に関しては、逆に迷ってない人の方が少ないのでノーカン。
「今、ちょっと面白い物をどうにか作ろうとしているからな。楽しみにしておけよ」
「面白い物……?」
「楽しい物!?」
ギュイン、と音が出そうな勢いで、エリナさんが大山さんに接近する。
目をキラキラとさせる自称忍者に、彼女は口を『へ』の字にして近づいてきた顔を押し戻した。
「うるせぇ。よるな、暑苦しい」
「え~?良いじゃん教えてよ~!いや、待って!やっぱ教えないで!こういうのは後で知った方が面白いから!」
「おう、そうしとけ」
「あの……もしも僕が使う装備でしたら、事前に教えてほしいんですが。値段も含めて」
流石に考える人も卒業し、背筋をきちんと伸ばす。
脳内に思い浮かべた強敵達との戦いの記憶が、久々に役立った。思考が冒険者としてのものに近づく。
半分ぐらい仕事モードになった自分に、大山さんはニヤリと笑った。
「嫌だね。特にアレをお前に教える気はない」
「なぜに……?」
「察してあげてください矢川君。サプライズしたい気持ちと、先に宣言しておいて失敗する事への恐怖で説明できないんです。乙女ですね!」
「うるせぇぞ金床……!」
「呪いますよおチビさん」
メンチをきる大山さんと、笑顔だけど目が笑っていない毒島さん。
その光景に、エリナさんが胸の下で腕を組みながら『うんうん』と頷いた。
「相変わらず仲良しさんだね!2人が仲良くなった切っ掛けも喧嘩だったはずだから!」
「そうなの?」
「うん!最初は喋る機会もなくてお互い不干渉だったんだけど、授業で関わる事があったの。その時に口論になったけど、アーちゃんもシーちゃんも相手の事を知るうちに認め合う様になっ」
「エリナさぁん?」
「お喋りは嫌われるぞ、てめぇ」
「ふぇぇぇん!」
毒島さんにほっぺを『みょいーん』と伸ばされ、大山さんにお尻をつねられるエリナさん。
半泣きでバタバタと暴れ、自称忍者が脱出する。
「酷いよアーちゃんシーちゃん!」
「勝手に人の若気の至りを語る方が酷いです」
「まだ全員若いよ?花の10代だし」
「ガキの頃の事をガタガタ言うんじゃねぇ」
「だからまだ子供だけど?」
正論を真顔で言うエリナさんに、アーちゃんシーちゃんコンビこと毒島さんと大山さんがジリジリとにじり寄る。
そのタイミングで、作業スペースを区切る厚手の布をめくり大山さんのお母さんが入ってきた。
「お待たせー。麦茶持ってきたわよー」
「ナイスタイミングおば様!今年のベスト忍者賞の候補者入りだよ!」
素早くお母さんの後ろへ隠れたエリナさんに、大山さんが舌打ちする。
「お前後で覚えておけよ……!」
「あんたねぇ。子ども扱いされて怒るところが子供だってのを自覚しなさい」
「そうだそうだー」
「うっせぇ。……おい、お袋。なんで会話の内容を知っていやがる」
「……外にまで聞こえていたからだけど?」
「嘘つけ。機械が動いているのに、普通に喋っている声がわかるか」
「…………」
そっと目をそらす母親に、大山さんがじっとりと睨みつける。
「ほら、あんたが『愛しのヒーロー』を前にやらかさないか心配でねー。ヤるのなら場所と時間は選んだ方が」
「うるせぇババァ!」
瞬間湯沸かし器の様に顔を真っ赤にした大山さんが、母親の背を押して作業スペースから追い出す。
「ちょ、ごめんって。麦茶ここ置くから、後で返しに来なさいよー!」
「わかったからどっか行けよ!あと親父にもこっち来るなって伝えといて!」
「そこは安心しなさい。今工場内はアンタを応援している側とまだ早い側で、前者の方が勝っているから!互いの妨害工作と賭け事で出歯亀どころじゃないわ」
「何やってんだ馬鹿ども!」
ハンマーを手に布の向こうへと消える大山さんと、工場から聞こえる悲鳴とも笑い声ともとれるオッサン達の声。
それを見送った後、首を傾げる。
「あの……まさかとは思いますが」
「はい。矢川君の事ですね。ヒーローって」
少し恥ずかしそうに、毒島さんが笑う。
「私にとっても雫さんにとっても、貴方は良くも悪くも『変な人』ですから」
「ヒーローと変人は別では……?」
称えられているのか、バカにされているのか。
思わず真顔になる自分の何が可笑しいのか、毒島さんはクスクスと笑う。
「ごめんなさい。でも、いつもギャップが凄いので」
「ギャップ?」
「ええ。最初エリナさんの紹介で会った時は、普通の男の子だなって思いました」
「まあ、はい」
あの時はきょどりまくって、少ししてから仕事モードに切り替わる事でどうにか会話をしていた。
今でも少し緊張するけど、それでもだいぶマシになったと思う。
「でも次にダンジョンで見た貴方は、凄く頼りになる先輩冒険者でした。同時に、少し怖いって思うぐらい強い人」
「……」
自分が強く見えたのは、レベル差があったから……とは、もう言えない。
これでも『Bランク候補』だ。覚醒者として、かなり才能がある側だと自負している。
過ぎた謙遜はどうこう、って以前に、その意識を持っていないと冒険者なんてやっていられない。
「そんな圧倒的に強い人が、ダンジョンの外ではやっぱり普通の……女子に興味津々なのに、どう接して良いのかわからない年頃の男の子でした。その違いにちょっと混乱したぐらいです。なんだこの珍獣はって」
「珍獣」
ミーアさんにも、前にそう評された事がある。
思わず視線をエリナさんに向ければ、彼女は区切りの布から顔だけだして工場内へとヤジを飛ばしていた。
あっちの方が珍獣っぽくない……?
「そして、体育祭。私より胸が大きい貴方に、ちょっと嫉妬もして」
「いやアレ詰め物ですからね?」
「怪物達が、空から降りてきました」
すみません、ボケた直後にシリアスぶっこまないでください。ツッコミきれないんで。
「正直、混乱で絶望するどころじゃなかったですよ。私も、雫さんも。他の生徒達と一緒にパニックになっていたら、走り出した貴方の姿が見えたんです」
「それは……」
「メイド服のスカートを翻して、羨ましいぐらいの美脚を動かす姿を今でも覚えています」
「忘れて?」
あと息継ぎみたいにボケないでもろて。ツッコミインターバルを入れてほしい。
それと美脚具合は貴女がナンバーワンだと思う。わりとマジで。
「そこからは、圧巻でした」
個人的には色んな意味で忌まわしい記憶なのだが、毒島さんはどこか遠くを見る様にその時の心情をこぼしていく。
「鎧袖一触。私達では100回戦っても敵わない怪物達が、貴方の前では路傍の石になり果てた。剣を振るう度に悪魔は切り伏せられ、人々が救われていく。まるで、神話でも見ている様でした」
焦点が合わなかった瞳が、こちらに向けられる。
その際にはしっかりと視線がぶつかる様になり、瞳に映る感情も見えてきた。
ただ、正の感情としかわからない。でも、心地よい魔力が流れている気がする。
「それでも、貴方は人間でした。デーモンの砲撃から皆を守ろうとして、墜落した。瓦礫に埋もれ、意識を失った」
「……皆、じゃありません。両親と、ついでに友達を守っただけです。僕は、ヒーローじゃない」
買い被りも甚だしい。そういった憧憬は、正直迷惑である。
だが、どうもそれだけではないらしい。毒島さんの言葉に、そのまま耳を傾ける。
「そうですね。貴方は絶対無敵の存在ではなかった。それでも、立ち上がって戦ってくれました。自分だけなら、いいえ。貴方とご家族だけなら脱出できたのに」
「それは、まあ」
「無敵でなくとも、貴方はヒーローです。少なくとも、私達にとっては」
静かに笑う毒島さんに、照れくさくなる。
発言の内容は認めがたいが、やっぱりこの人も顔が良い。美人っていうのはそれだけで得だとわかる。あまりにも綺麗な笑顔に、反論を飲み込んで目をそらすしか出来ない。
「その……えっと……」
「すみません、照れますよね。実は、私もです」
そう言う毒島さんも、長い髪を少しだけ掻き上げながら頬を染める。
何とも言えない空気に、数秒だけ無言となって。
腰に手を当て、無言で頷くエリナさんの存在を思い出した。
「え、エリナさんも勿論凄かったですよ!ええ、ヒーロー。いえ、ヒロインでした!」
「そうだね!忍者だね!」
「忍者とヒーローは別では?」
「!?」
そんなショックを受けた顔をされましても。
どうにか空気が有耶無耶になった所で、大山さんが肩を怒らせながら大股で戻ってきた。
「ったく……!あの暇人ども……!」
彼女はまだ少し赤い顔のまま、ハンマーを近くの机にゆっくり置いた後に麦茶の入ったコップを乱暴にとる。
そのまま一気飲みしてから、キッとこちらを睨んできた。
「お前らもう今日は帰れ。エリナも鉤爪の整備はしただろう」
「ほーい!そう言えばシーちゃん」
「なんだっ」
「シーちゃんのお母様の発言的に、シーちゃんって家では」
「よし、殺す」
「どうどうどう」
「ちっ」
ハンマーを再び手に取ろうとした大山さんが、盛大な舌打ちと共に手を下した。
「これから炉に火を入れるから、マジで帰れ。邪魔だ」
そう言って彼女が視線を向けた先には、ガスボンベに繋がった横に長い直方体だった。
『ウトゥック』の粘土を使っている様で、ハッキリと魔力を感じられる。
……エリナさんの事だから友情で販路は作っても、お友達価格にはしなさそうだが。よく買えたな、大山さん。
工場全体が、もう彼女の作る装備に力を入れている様だし。それだけ儲かっているという事だろう。
魔力を帯びた武器の需要は、どんどん増していると色んなメディアで報じられていた。
友人が成功している事を喜ぶべきか、物騒な世の中だと嘆くべきか。
「あと矢川」
「あ、はい」
大山さんがこちらに近づき、下から睨みつけてくる。
だが、圧力はない。代わりに接近したお胸様の圧に心臓が高鳴る。
「お袋が色々言ったが……忘れろ。良いな。それと、アタシが今作っているやつに関しては楽しみにだけしておけ。聞くな」
「うっす。……でも、値段だけは事前に教えてくださいね……?」
「気が向いたらな」
悪戯っこの様に笑う大山さんに、こちらも苦笑を浮かべる。
需要の高まりによってドロップ品で出来た装備の価格もどんどん上がっているのだが、きちんと払える範囲である事を祈ろう。
「わかりました。楽しみにしておきます。貴女の装備は、命を預けられる物だ」
自分は普段使わないが、白蓮の装備は全て大山さんのハンドメイドだ。
デーモンの時もミノタウロスの時も、彼女の作品が無ければ死んでいたかもしれない。
その腕前に疑う余地はないし、自分の為に作ってくれるというのなら光栄である。
値段だけは心配だが、喉から手が出るぐらいには欲しい装備だ。
内心でそう頷いていると、何故かポスリとお腹を殴られた。何故だ。
「お前……!」
「京ちゃんって顔に出やすいからね!」
「えっ」
待って。それはつまり、ここまでのお胸様への感想まで表情に出ていたと?
実質心が読まれている!?まずい!
「うう……雫さんが乙女らしくなって、私も嬉しいです……!」
「なんでお前が泣いてんだよ」
いや、大山さん。友人は大切にした方が良いと思うよ、マジで。
ハンカチで目元をぬぐう毒島さんに胡乱な目を向ける鍛冶少女に、小さく頷く。恥じらいって、大事。
「ああ、それと」
大山さんがツナギのポケットから、1枚の紙を取り出した。
はて。これは……クーポン券?
「近所のコンビニで使えるやつだ。こいつでコンドー」
「乙女力注入!」
「むぉ!?」
白いワンピースに緩いベルト姿の、夏のお嬢様スタイルな毒島さんが大山さんの尻にタイキックを打ち込む。
べちーん、と。綺麗な音が鳴った。
「何しやがる!」
「恥じらいを取り戻してください!乙女以前に人として!」
「恥ずかしいから、アタシ自身の手では買いに行かないんだろ!」
「普通にセクハラだって事を思い出してください!女性から男性に対してでも成立するんですからね!」
ギャーギャーと騒ぎ出した2人を横目に、エリナさんが両手の平を上に向けて『やれやれ』と首を横に振った。
「仲良しさんが過ぎるね、京ちゃん」
「あー、うん。そうだねー」
なんかもう、そういう事にした。
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