第百十四話 人面の獣
第百十四話 人面の獣
白いゲートを潜った先。ザラリとした土の感触が、ブーツ越しに伝わってくる。
少し乾燥した空気を感じながら、木漏れ日に照らされた周囲を見渡した。
薄茶色の地面とまばらに生える雑草。大地に根を張った巨木が大きく間隔を明けて、偽りの空へと伸びている。
上に視線を向ければ、長く太い枝が四方八方に伸びていた。厚い葉が豊かに生え、魔法で作られた太陽もどきの光でキラキラと輝いている。
見た目は典型的な森型のダンジョン。だが、空気だけが今までと比べてやけに乾いている様に思えた。
唇を少し舐めてから、腰の剣を引き抜く。
「ダンジョンに入りました。これより探索を開始します」
『うむ。気をつけて進んでくれ。特にエリナ君とミーア。ババ様の薬はちゃんと持っているね?』
「オッス!」
「はい」
他2人と頷きあい、歩き出す。
陣形は自分が先頭に『白蓮』、エリナさん、ミーアさん、『右近』と『左近』。
ここのモンスターはシンプルに厄介な能力をもっている。相性的に、彼女らは特に注意が必要だ。
ゆっくりと、警戒しながら進んでいく。ドーム型に岩で覆われているのに、僅かな風の流れがあった。ザワザワと揺れる枝葉の音に、神経が尖っていく。
ダンジョンは人か、人に類する存在が使っていた場所。ならば、この風も空気を循環させる為に吹いているのだろうか?
そもそも坑道の様なダンジョンでも、酸素濃度が外とほぼ変わらない。とことん、人が過ごしやすい環境を作っている。
集中力が乱れそうになるのを、意識して修正。視界の端に見えた布に目を向ける。
「アイラさん。ペイントを発見しました。『G-4』です。疑似太陽は進行方向から見て5時の方角」
『うむ。ではそのまま2百メートルほど直進すれば、『Q-8』というペイントが見えるはずだ。その時に右へ曲がってくれ』
「了解」
短くそう答え、視線を木と木の間で張られた布から外した。
そうして、再び歩き出して、約1分。
「待って」
エリナさんの言葉に足を止め、剣を握る手に力を込めた。
普段なら、彼女の口からすぐに敵の数と方角が伝えられる。しかし、今回は違った。
「ごめん、数も方角もよくわからない。たぶん2体以上。接近してきていると思うけど……」
歯切れの悪いエリナさんに、頷いて返す。
ここの敵が厄介だと言われる所以の1つ。それは、彼女ほどの索敵能力を持ってしてなお捕捉が難しい隠密性。
「了解。エリナさん達はゴーレムの影に。白蓮。防御に専念し、2人を守れ」
剣を腰だめに構え、足を開き重心を僅かに落とした。
どこからくるのかと、木々が生い茂る森の中に視線を巡らせる。
隙間だらけに見える、巨木が集った森の景色。だが、一方向から見れば死角だらけとなるのは道理だ。
そのうえ、所々雑草と枝葉の影で見えづらい位置もある。土と雑草の地面は、石造りの迷宮と比べ足音も出づらい。
決して油断などしていなかった。魔力を捉えようと、視線を動かして続けていた。
しかし、それは突如としてやってくる。
腕ほども太く、長い針。鋭い先端をもつそれは光沢もなく、光を飲み込む様に黒かった。
それが、無音で……否。音よりも速くこちらへ迫る。左斜め後ろの、上側。
通常の視野では捉えきれない角度から、自分のうなじ目掛けて放たれた一撃。
いかに覚醒者と言えど、見てから対応するのは不可能だ。この身が音速で動くには、足りないものが多すぎる。
故に、『視て』から先に動いた。
「おおっ!」
刀身に纏わせた風を爆発させながら、左斜め後ろへと逆袈裟に振りぬく。
切っ先が針の先端を砕きながら、暴風が全体を上へ打ち上げた。
そのまま自分が睨む先にいる存在が、ニタリと笑って飛びかかってくる。
筋力と重力をのせた長い爪を、振りぬいた剣をすぐさま袈裟懸けに振るって迎撃。硬質な音と共に爪は切断され、衝撃により空中でバランスを崩した怪物はくるりと猫の様にその巨体を捻った。
音もなく着地した瞬間にすぐさま刃を振るうも、後ろ足だけで奴は間合いの外へと跳んで逃げる。
枝葉の隙間から降り注ぐ偽りの太陽光が、不気味なその怪物を照らし出した。
熊よりも大きいのではないかと思う巨体。人の胴体ほどもある顔面には、人間そっくりの顔がある。
ニタニタと嗜虐心を隠しもしない笑みを浮かべた、青い瞳の怪物。オレンジ色をした獅子の鬣に、赤茶けたこれまた獅子の体。
強靭な四肢と、長い尾。長すぎる、尾。
5メートルはあろう尻尾は外骨格に覆われ、先端だけ皮膚が露出している。そこから、ずるり、と先ほどの針が生えてきた。
開かれた口元から、3列に並んだサメの様な牙が覗く。
『マンティコア』
古いペルシャ語で『人食い』を意味する名。伝説によっては、1軍を食い尽くすまで止まらない怪物とも語られる。
それに酷似したこのモンスターは、こと森の中ではその名に相応しい脅威だった。
1本だけ生えていた針が、花でも開く様に広がる。数百に分裂したそれが、自分に向かって放たれた。
さながら散弾だが、先の奇襲ほどの速度はない。正面から射出されたそれらを纏めて風で薙ぎ払い、吶喊。
大地を踏み砕き、一直線に怪物へと間合いを詰める。
直後、『予知』が発動。右真横、斜め上からの針に刀身を合わせた。
剣腹にぶつかった衝撃を、片足を軸に横回転する事で受け流す。減速はしない。一瞬だけ浮かせたもう片方の足で地面を強く蹴りつけ、眼前とマンティコアへと跳びかかった。
「任せた!」
「任された!」
横槍ならぬ横針を入れてきた敵への対処は、これで十分。まずはこいつから殺す。
青い瞳に驚愕を浮かべながら、最初の個体がサソリの様な尻尾を鞭の様にしならせた。
『ブブブア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛───ッ!!』
幾つものラッパを同時に鳴らしたかの様な雄叫びと共に放たれた横薙ぎを、地面と平行になるまで前傾となる事で回避。
兜をかすめて通り過ぎる尾を無視し、逆袈裟に刃を振るう。
同時に、マンティコアもまた両の前足を既に振るっていた。左右から鋭い爪が迫る。
関係ない。纏めて砕く。
自分を中心に発生した嵐が剣と共に解放され、爪をへし折り奴の顔面へと斜めに線を引いた。
ドバリ、と鮮血を回せながら、マンティコアが悲鳴をあげて後ろへ飛び退く。
だが、それより先に顎側の鬣を左手で掴んだ。
そのまま体を捻り、横倒しに地面へと叩きつける。砂埃と轟音が広がる中、剣を引き絞る様に振りかぶった。
マンティコアの人に似た顔面が、引きつる。
───嫌な顔だ。
切っ先をその眼球から脳へと届かせ、捻ってから引き抜く。びくりと一瞬だけ跳ねた巨体から手を放し、刃を構え直した。
白くなっていく赤茶けた巨体を視界の端に入れながら、後方を確認。そこでは、飛んできた散弾の様な針を白蓮がタワーシールドで受け止め、お返しとばかりに地面から生えてきた石の槍が怪物を貫いた所だった。
『ブ、ォォ……!』
かすれた息と血を吐き出すマンティコアの眼球に、苦無が突き刺さった。奥深くまで届いたそれが止めとなったか、動かなくなる。
2体が塩へと変わった後も、数秒の沈黙と共に周囲を警戒し続け、
「……他にはいないみたい」
エリナさんの言葉に、ほっと息を吐いて肩から力を抜く。
右近がドロップ品と苦無を回収していくのを横目に、2人へと向き直った。
「そっちも無事ですか?マンティコアの針には毒があるらしいので、かすり傷でも油断できませんよ」
「うん!私は大丈夫!」
「私もです。白蓮が壁になってくれたので」
ミーアさんの視線の先では、厚さ7センチのカイトシールドを携えた白蓮がいた。
桁外れの強度をもつ盾の表面には、細かい傷が幾つもついている。マンティコアの死後も暫くは毒が残る可能性があるので、帰ったらしっかり洗浄しなくては。
なお、今回は鎖付き鉄球でもバトルアックスでもなく、剣を白蓮は持っている。
木々の間隔が広いとは言え、他の武器は扱いが難しい。『ミノタウロスの迷宮』の時に壊したお詫びだと、大山さんが修理時におまけで打ってくれた物だ。
……ただで打つんだから、素材は一部提供しろと要求されたけど。
瞳孔の開いた彼女の眼を思い出し、ちょっとだけ背中に嫌な汗が流れる。どうにか爪と髪の毛で妥協してもらえたのは、毒島さんの介入があったからこそだ。
頭を振ってあの時の記憶を脇にどけ、意識をダンジョンに戻す。
「全員無事、戦闘を終了。探索を再開します」
『うむうむ。無事で何よりだ。でも油断しないでくれよ?それと、エリナ君とミーアはマンティコアの針が当たった場所には触れない様にな』
「ほーい」
「勿論です。というか、白蓮の盾を水で洗いましょうか?」
「あー、魔力が問題ないのなら、お願いします」
「わかりました」
ミーアさんが指先をクルクルとさせると、人の頭ほどの水球が出現。宙をプカプカと浮かぶそれが、盾を舐めとる様に洗ってくれた。
念のため後で丁寧に洗浄する予定だが、とりあえず今はこれでいいだろう。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
『しかし、大丈夫かね?特に京ちゃん君』
「はい?」
珍しく心配そうなアイラさんの声に、小さく首を傾げる。
だが、その意味もすぐにわかった。
『マンティコアの顔は、その……』
「大丈夫です。かなり、不愉快ではありますが」
苦虫を噛み潰した様な顔になってしまうのを、どうにか苦笑に変えた。
仕方なかったとは言え、自分で選んでここに来ている。被害者面はしたくない。
だが、それでも愚痴は言いたくなるのが人というものだ。
「やっぱり、精神的には疲れますけどね。大きさとか全体図で怪物って事が一目でわかる姿ですが、至近距離だと人面ってのが……どうも」
ゴブリン等の人型モンスターを殺した時は、特に何も感じなかった。
しかし、感情を剝き出しに向けてくるマンティコアの眼は苦手である。いや、それでも『人間とは違う価値観』というのが、放たれる魔力で何となくわかるのだが。
やっぱり、ああいう顔に刃を突き立てると胸がイライラする。今すぐにでも剣を投げ捨て、手を洗いたい気分になった。肉を抉った感触を忘れたい。
今まで殺してきたモンスターとの違いなんて、顔だけだと言うのに。我ながら情けない限りだ。
『……やはり、今回の探索では遺跡の撮影は無しだ。教授も事情を言えば納得してくれるだろう。君達は間引きのみに専念し、帰還してくれ』
「了解……。2人もすみません」
「いえ。パーティーは前衛のコンディションが撤退の目安です。何より、人面の怪物と戦って気分が悪くなるのは普通ですよ」
「私も問題ないよー」
「……うっす」
ミーアさん達に小さく頭を下げた後、深呼吸を1回する。
……よし、切り替えられた。そう思え、矢川京太。
マンティコアのドロップ品。ナイフの様に長く鋭い牙をアイテムボックスに入れた後、再び歩き出す。
『ウトゥック』や『鵺』のドロップ品より、この牙はやや取引額が低い。
気分的にも、収入的にも、難易度的にも。家から比較的近い『Bランクダンジョン』でなければ、来たくない場所だ。
その日はいつもより早めに探索を終え、帰還する。
あまり思い出したくないダンジョンであったので、その日はすぐに寝る……予定だったのだが。
* * *
『傷心気味な京ちゃん君の為にぃ……今日は徹夜でゲームしようZE!』
『イェーイ!!』
残念美人と自称忍者が『今夜は寝かさないぜ☆』してきやがった。
「嫌ですからね?徹夜でゲームとか」
『そんな事言うなよぉ。若者と言ったら徹夜だろぉう?若いうちにしか出来ないんだぞぅ?』
『そうだよ!!』
「声がでかい」
『それにレディが夜の誘いをしたというのに、『今日は疲れたから寝かせてくれ』は紳士にあるまじき行為でしてよ!!』
『そうわよ!!』
「黙れ似非淑女」
『はぁ?私様は立派な淑女だがぁ?』
『そうだよ京ちゃん!パイセンは血筋とかはちゃんとお嬢様名乗れるんだぞ!』
『ほら、エリナ君もこう言っている!私の勝ちだ!』
「それで良いのか?血筋しか認められてませんよ?」
『まだ抗うか!よかろう、ならば私を負かしてみよ!というわけでどのゲームやる?最初は君が選んでいいぞ?』
「どうあってもやらせる気か……」
『おっと。君達はまだお子ちゃまだから、エッチなゲームはダメだぞ☆お姉さんとの約束だ!』
「お子ちゃまと言えば、大丈夫でした?ミーアさんマジでベビー用品買っていましたけど」
『……お願い、忘れさせて』
「うっす」
『先輩は今お婆ちゃまとお話し中だよ!』
何も聞くまい。有栖川教授が何とかするだろう。
一瞬だけ『ブレーキ踏ませずにハンドルだけ操作する教授』の姿が脳裏に浮かんだが、きっと幻だ。
そんな衝突先だけ変える様なまね、まさか教育者の鏡である教授がするはずがない。
『さあ選べ、遊び人京ちゃん君!』
「そこはせめて勇者にしてください」
『おっとすまん。遊び人じゃなく魔法使い予備軍だったな!賢者にはよくなるのに!』
「エリナさん。今から2人だけでレースゲーやらない?」
『ごめぇぇぇん!謝るからハブはやめてくれハブは!あ、トラウマが……うっぷ』
「奇遇ですね。僕も中学時代3人組の友人グループで授業中に2人組作れと言われて1人だけ……うっぷ」
『2人ともどうしたの!?敵襲!?』
「いや……」
『過去は、消えない……!』
『どういう事だってばよ……?』
この後めちゃくちゃゲームした後、教授がアイラさんの部屋に突撃してお開きとなった。
『今何時だと思っているんですか、まったく!』
『突然電源切っちゃらめぇぇえええ!?』
ざまぁ残念女子大生。格ゲーで勝つ度に屈伸煽りしているからそうなるのだ。歯ぁ磨いて寝ろ。
……自分もこの後すぐに気持ちよく眠れたので、そこだけは感謝するけど。
手に残っていた感触は、もう消えてなくなっていた。
マンティコア君
「私の出番短くなぁい!?こっちとらわりとメジャーなモンスターなんですけどぉ!?」
コカドリーユ
「お?不遇モンスターの会新メンバーかな?」
読んでいただきありがとうございます。
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