第百十八話 物の怪
第百十八話 物の怪
天国なのか生き地獄なのかわからない目にあった日曜日から一夜明け、月曜日。
自分含め4人しか生徒のいない教室へ行って授業を受けた後、家に帰って着替えたらすぐにダンジョンへ行く支度をする。
……なんだか、随分と『日常』も変わったものだ。
ダンジョンが、モンスターとの戦いが、どんどん身近なものになっている。そうして常識が変わってしまった人は、きっと自分だけではない。
この変化が良いものか悪いものかもわからないが、世の中自体が変わってしまったのは事実だ。
リュックを背負い、両手に大荷物を抱えて玄関に向かう途中。ふとリビングでつけっぱなしになっていたテレビに視線がいく。
『『覚醒の日』よりもうすぐ2年と4ヵ月ですが、世界はどの様に変わってしまったのか。それについて本日は専門家の皆さんと───』
『やはりね、モンスターの脅威こそ最も警戒すべきものなんですよ!特に幽霊みたいな、普通の武器じゃあ攻撃できないやつらはですねぇ』
『街頭インタビューの結果、覚醒者に対する冒険者業への義務化について約60%が反対。30%が賛成という結果になり、その他にはダンジョン法の』
リモコンでテレビの電源を切り、洗濯物を干している母さんの背に声をかける。
「母さん、行ってきます」
「え?……あんた、今日もダンジョンに行くの?」
「うん。まあ……」
振り返った母さんが、心配そうに眉を八の字にする。
「前にテレビで言っていたけど、ダンジョンには週に2回か3回行くのでも多い方らしいよ?京太達のチーム……パーティー?だったかしら。ちょっと頻度多くない?」
「週に何回行くかはランクごとにバラつきが多いし、『Bランク候補』ではこのぐらい普通だよ」
この前ダンジョン庁でもらった資料だと、パーティーによってはそれこそ週5で通っているとか。このランクだと、冒険者を専業にしている人も多い。
無論、母さんの心配はもっともである。学生でこれは、確かにハイペースかもしれない。少し気まずくなって、目をそらした。
「だからまあ、大丈夫だよ?」
「……大学の先生が面倒みてくれているから信じているけど、本当に大丈夫なのね?」
「探索中に大きな怪我をした事もないし。大丈夫。どちらかというと、ダンジョン外での方が危ない事多いし」
「それは……」
苦笑を浮かべる自分に、今度は母さんの方が目をそらした。
両親も2回、氾濫に巻き込まれている。1回目は『オークチャンピオン』の。2回目は『デーモン』の氾濫に。
その脅威は、痛いほど知っているはず。
「……無理はしないでね。お父さんと私も、覚醒修行やっているんだから。それが上手くいったら、あんたが戦う必要もなくなるからね」
「……なんか。そういう風に言われると、親が新興宗教にドはまりしているみたいで怖いんだけど」
「私も言っていて思ったわ……。世の中、随分と変わったものよねぇ」
「ほんとにねぇ……」
今や小学生のなりたい職業ランキングで、トップ3に『冒険者』が入る。
ドロップ品の一部売買自由化で収入が上がったのもあるが、やはりRPGみたいに迷宮で怪物と戦うのに憧れる子が多いのかもしれない。
大人達の間でも、小さい頃から覚醒修行をすると覚醒しやすいとか、覚醒者の子供の方が覚醒しやすいとか。色んな話がテレビでもネットでも飛び交っているとか。
覚醒者に偏見の目を向ける人が多い反面、なりたいと思う人も多いらしい。それは、今も増加傾向にある気がする。
日米合同で作られたという、覚醒支援センター。あそこへ応募する人も増えているとか。
「っと、そろそろ行かないと。エリナさん待たせているかも」
「……気を付けて行ってきなさいね。安全第一よ?危ないとなったらすぐに逃げて、自衛隊に助けを求めてね?」
「うん。わかってる。『Bランク候補者』には緊急用の魔道具も配られているから、安心して。それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい……」
心配そうな母さんに背を向け、玄関に向かう。
こういったやり取りも何回目か。少し、申し訳ない。
でも、力がいる。いつどこで氾濫が起きるかもわからない現状、抗う力は必要だから。
靴紐を確認し、イヤリングに触れる。
「もしもし、エリナさん?」
『おう!どったの京ちゃん。準備できたー?』
「うん。悪いけど、お願い」
『任された!今京ちゃんの家に転移するねー』
分解した『白蓮』の入ったバッグを担ぎ直し、反対の手には鍵付きの武器ケースを持つ。
玄関のすぐ外に転移してきたエリナさんの気配に、扉を開けた。
さて。今日もダンジョンへ行くとしよう。
* * *
エリナさんの転移と、ミーアさんの車でダンジョンまで一緒に連れて行ってもらう。
今回、ミーアさんは軽トラではなく黒いバンに乗っていた。なんでも、軽トラは自前で買ったものでこのバンはレンタカーらしい。
18歳で車を持っているって、きっと凄い事なのだろう。それが軽トラなのは、まあゴーレムの事を考えたら実用性的に正しいのだろうけど首を傾げたくなるチョイスだが。いや、うちの周りってよく軽トラが走っているけども。
なんとなく、お金持っている大学生ってスポーツカーとか乗っているイメージがある。偏見だとは、自覚しているが。
閑話休題。バイパスから出て暫くして、目的のダンジョンが見えてきた。
車に乗ってから約1時間。結構な距離だが、それ以外の手段だとここに行くのは難しい。
『ウトゥック』のダンジョンとは、また別の『Bランクダンジョン』。公共交通機関がろくに通っていないそこへ、バンで乗り付ける。
「ん……」
駐車場で、車から降りたミーアさんが軽く伸びをする。白いシャツの下で揺れた彼女の爆乳から目をそらして、小さく頭をさげた。
「ありがとうございます」
『京ちゃん君、セクハラか?』
「ちげーよ。運転に対してだよ」
そっちの感謝は内心にとどめている。そんな事を表立って言ったら、殴られるか訴えられるわ。
「いえいえ。少し肩は凝りますが、全然大丈夫ですよ」
そう言って、軽く右肩を回すミーアさん。それに合わせて小さく『たゆん』と揺れる大きなお胸様。
……肩こり。
「先輩。それアーちゃんの前では言わないでね?私、なんでかこの前怒らせちゃったから」
「アーちゃん?……あ、あー。毒島さんですね。はい、それは……気を付けます」
無垢な瞳で遠隔攻撃を発したエリナさんに、ミーアさんが苦笑を浮かべた。
哀れ毒島さん。男性が思うほど女性はそんなに胸の大きさを気にしないと聞いた事があるが、周囲にいる人間が軒並み大きいとコンプレックスも抱きやすいのだろう。
思い返すと、ここ最近知り合った異性はお胸様がご立派な人ばかりだな……。新しい担任の先生も、スーツ越しながらわりと『ある』様に見えたし。
例外は毒島さんと教授ぐらいか……すごいな、覚醒者。覚醒すると血行が良くなると聞くが、それも影響するのだろうか?謎である。
「どうしてアーちゃんはあんなに怒ったのかな……不幸自慢は嫌われるってやつ?」
「え、それ僕に聞くの……?」
「だって共通の友達だし」
エリナさんの視線から逃れ、ミーアさんにパスしようと彼女を見た。
彼女は困ったように笑った後、小さく咳ばらいをする。
「エリナさん。人には人それぞれの悩みがあるものです。他者を頼る事は大切ですが、自分と相手との対話で気づくのも大事ですよ」
「そうなの?わかった!今度アーちゃんに聞いてみる!」
「ちょ、直接はやめましょう。こう、あくまで普段通りに関わる中での気づきこそ重要なのです」
「よくわからないけど、わかった!」
どや顔で頷くエリナさんに、そこはかとなく不安を抱く。まあ、毒島さんとセットで大山さんもいるだろうから、後は彼女が何とかすると信じよう。少なくとも、自分よりは同性の方が仲裁に適しているはずだ。
エリナさんにはバレないように、ミーアさんへ小さく頭を下げる。
「ありがとうございます……」
『セクハラかね?』
「天丼するには最初から滑ってんぞ、残念女子大生」
『なん、だと……!?』
そんなやり取りをしながら、入り口に向かう。
更衣室で着替えを済ませ、ゲート室に。やはり、基本的な流れは普通のダンジョンと同じだ。
冒険者免許を提示し、白い扉の前に通される。
「ふぅぅ……」
1回だけ深呼吸をしてから、『魔装』を展開。
ゴーレム達の起動も終え、仲間達の準備も終わった事を確認する。
「アイラさん。これからダンジョンに入ります」
『うむ。ウトゥックのダンジョンに負けず劣らず、油断ならないモンスターが出る。くれぐれも気を付けてくれたまえ』
「はい」
エリナさんとミーアさんがこちらの肩をつかんでくれたのを確認し、ゲートへと足を踏み入れる。
慣れる事のない、足元が消えたのに浮遊感がない違和感。直後、足裏は踏み固められた様にしっかりとした地面を感じ取る。
腰に下げたランタン型のLEDライトが照らす、薄茶色の足元。暗がりの中、真上で弾けた『雷光』により周囲が一瞬だけハッキリと目視できた。
2車線から3車線ほどの道幅。左右には木造の建物が長く伸びている。時代劇で見る、長屋にどこか似ていた。
見える範囲、全ての木製の戸は全て固く閉ざされている。まるで、いないはずの住民が外から響く雷鳴に怯えている様だった。
都市型のダンジョンの特徴である、岩のドームに覆われた街。だがここの天井は、真っ黒な暗雲に包まれていた。
時折稲光が地面を照らす中、イヤリングに触れる。ここの雷は特別だ。こうして道に棒立ちでも、『それだけなら』落ちてくる事はない。
「ダンジョンに入りました。これより探索を」
「京ちゃん!」
エリナさんの鋭い声が響くのと、『精霊眼』が未来を視せてきたのがほぼ同時。
直後に『ビョォォウ』という、風の音とも鳥の鳴き声ともとれる声が降ってくる。
「っ……!」
反射的に左腕を頭上に掲げた直後、稲光が弾けた。
雷撃、ではない。
雷がごとき、真上からの不意打ち!
『ビョォォウ……!ビョォォウ……!』
耳障りな鳴き声を響かせ、先の欠けた長い爪を舐めながら数メートル先に着地した怪物。
それに意識を向けながら、こちらも剣を抜く。
鞘を握った己の左腕が、視界の端に入った。盾代わりになるほど頑丈なガントレットに、くっきりと爪痕が刻まれている。
片手半剣を構えた自分と、先の一撃を放ったモンスターが互いを睨みあった。
こちらを見つめるのは、猿の顔。黒い肌に赤い瞳が爛々と輝き、口からは鋭い牙がのぞいている。
長い爪の生えた手足は、強靭な虎の足。胴体はたっぷりと脂肪ののった狸のそれであり、尻からは琥珀色の蛇が尾の代わりに伸びていた。
身の丈3メートルはあろう巨体。日本ではメジャーと言える『妖怪』が、眼前にいる。
『鵺』
『ビョォォウ……!』
稲光に照らし出された物の怪は、猿の口にニタリとした笑みを浮かべた。
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