第百二話 雷光
第百二話 雷光
1歩目から、トップスピードに。
石で作られた床を踏み砕き、ミノタウロスへと疾走する。接敵まで2秒、その勢いのまま剣を叩き込んだ。
迎撃する逆袈裟の斧と、こちらの袈裟懸けに放った刃が衝突する。
響き渡る轟音。風と炎を纏った一撃は容易く弾かれ、それどころかこの身すらも容易く弾き上げられた。
数十メートルはあろう天井に届くかと思うほどに打ち上げられながら、両腕の痛みに歯を食いしばって下を見た。
───雷光が駆け抜ける。
『精霊眼』が捉えた情報を脳が理解したのと、風圧が襲ってきたのがほぼ同時。
身体を横に流されながらも上を見れば、そこには夜空を模した天井を『踏み砕く』ミノタウロスの姿があった。
『■■■■■■■───ッ!!」
人ならざる雄叫びと共に下へと跳躍する怪物。重力の乗った戦斧を両手で握る剣で受け止めた。
瞬間、景色が消し飛ぶ。否、飛んだのは自分の方だと理解した時には、既に石床はすぐ傍だった。
「っ、ぁあ!」
風を最大出力で放出し減速。それでも勢いは止まらず、斜めに入った進入角もあって床の上を滑っていく。
盛大に土煙が舞い、足裏が石畳をめくり上げ、剣先が火花を散らす。
息をつく間もなく、粉塵を突き破って突撃してくる白の怪物。横薙ぎに振るわれた戦斧と、再度両手で握る剣が衝突した。
刀身からあらん限りの風と炎を放出。ジェット噴射じみた後押しを受け、一瞬だけ2つの刃は拮抗する。
ぶつかり合っていた武器がずれ、斧と剣は空を切った。コロシアムの観客席の一部が炎を纏った風に溶断され、地面は戦斧の一撃により爆撃でもされた様に弾け飛ぶ。
その衝撃波に逆らわず、利用して上へ。一足で30メートルほど上昇し、間髪入れずに反転。両足に風を纏わせ、踏みつける。
一本の、矢の様に……!
突撃。やった事は先ほどのミノタウロスと変わらない。炎と風を刀身から放出しての落下は、半瞬にて音速1歩手前まで到達する。
四肢が砕けるのではと錯覚するほどの加速。それを余さず斬撃に乗せ、怪物の脳天に振り下ろした。
受け止める黄金の戦斧。初めて、怪物もまた両手で柄を握る。
それだけで、奴の得物はピタリと止まった。だが、大気を震わせる轟音と共に足場が砕け散る。
元々多数の損傷を受けていた石床が完全に崩壊し、吹き飛んだ。視界が石と土で埋め尽くされる中、黄金が確かに閃く。
刀身への強い衝撃と共に土煙の外へ押し出された。どうにか足から客席に降りるも、衝撃で石材から削り出した見事な座席が粉砕される。
「ぐぅ……!」
全身が痛い。片膝をつきそうになるのを、剣を杖にして耐える。罅割れた骨が、裂けた肉が戻っていく感覚。歯を食いしばるも、目を閉じている余裕はない。
既に、ミノタウロスは己を砲弾として射出している。
『精霊眼』ですら追う事の難しい、雷速の豪脚。隕石でも落ちた様な爆音と衝撃波を生み出して、奴もまた観客席に跳び込んだ。
間髪入れずに突進してくる白の巨体。回避は不可能。両手で握られた戦斧が、横一文字に振るわれる。
胴を分かたれる寸前で剣を間に挟み、防御。勢いは止まらず、砕けた観客席の床に押し付けられる。
『■■■■■■───ッッ!!』
雄叫びをあげ、ミノタウロスは更に踏み込んだ。戦斧と石の床に挟まれ、両足が膝まで埋まる。
その状態での、疾走。上体が押し倒されるのを風と炎で耐えながら、この身で観客席を引き裂いた。
広大なコロシアムの観客席を、瞬く間に駆け抜けたミノタウロス。締めとばかりに、戦斧と石床の板挟みを耐えきった自分の脇腹へ蹴りが打ち込まれる。
咄嗟に、自分から跳躍して衝撃を軽減。胸甲から破砕音が響き、肋骨が軋みを上げた。
「かっ……!?」
息が漏れる。風に舞う木の葉の様に空中へ放り出された自分に、ミノタウロスが追撃。
空中で首を刎ねんと、牛と人が混ざった顔に獰猛な笑みを浮かべる。
なめ、るな……!
左腕に風を纏わせ、宙に叩きつける事で強引に方向転換。怪物の一撃は空を切り、無防備な背中が自分の真下にくる。
そこへ、全力の回転切り。炎が宙に弧を描き、白い巨体を打ち据えた。
硬い。肉を斬った感触がない……!
剥き出しとなった土くれの地面に叩きつけられたミノタウロス。その頭上から再度斬りかかるも、左肩を捉えたはずの刃はやはり肉を断つに至らなかった。
鮮血が舞うも、それは皮を裂いたに過ぎない。怪物は怒りの声をあげ、無茶苦茶に斧を振り回す。
背後に『Z』を描く様に下がりながら、回避。
猛追する攻撃に、ようやく慣れ始めた眼で対応する。
生半可な攻撃では奴に致命傷を与える事は出来ない。必殺必勝の、こちらも命を懸けた一撃でなければ仕留める事は出来ないだろう。
狙うのなら、喉か口腔、目玉。毛皮と筋肉の鎧を避け、確実に致命傷を与えねばならない。
思考を巡らせながら後退する最中、『精霊眼』が警告を発する。
直後に自分を襲う、地面から伸びた多数の腕。意思を持つかの様に四肢を捕らえんとするそれらを、間一髪で回避。
更に、突如左右から石の壁がせり上がる。ミノタウロスと自分を一直線で繋ぐそれは、横への回避を封じてきた。
『■■■■■■ッ!!』
「こいつっ」
迷宮の地形操作。やはりこの怪物が……!
地面を踏み砕き、鋭い角を輝かせての突進。それを受ければ、たとえ防御しても続く斧で胴を泣き別れさせられるのは必至。
───ならば、防具など不要。
『魔装』の部分解除。兜を、胸甲を、籠手を、脛当てをパージ。
それで広がった視野も、軽量化も、ほんの僅かな差に過ぎない。この身は既に、『覚醒の日』以前の常識とはかけ離れている。
されど、
「しぃぃ……!」
その僅かな差は、真上への回避を可能にさせた。
宙返りをする自分の下を通り過ぎる巨体が起こす暴風。僅かに魔力が乗ったそれを踏みつけ、加速。
土煙の中、白牛の怪物は地面を足で抉りながらこちらを振り向いた。
強引に体を捻り、ミノタウロスが迎撃の姿勢をとる。
直進する自分に、斧を高々と振り上げる怪物。その速さは、僅かに後者が勝った。
叩きつけられる戦斧が大地を抉る。巻き上げられる土煙の中───それを正面から浴び、額を切りながらも自分は在った。
風の加速を切る事で怪物の目測を誤らせ、眼前を斧が通り過ぎた。その金色の柄を踏みつけ、刃を引き絞る。
切っ先に全魔力を集中。概念干渉により火と風を混ぜ合わせ、相乗させる。
狙うは、怪物の首!
「おおおおおおおお!」
放たれた刺突。そこだけ冬毛の様に長い体毛に覆われた首元へと、切っ先を走らせる。
止めようと動いた奴の左腕も間に合わない。確かに刃は喉へと届く。
しかし、体毛に止められた。
皮は裂いた。肉も穿った。されど、浅い。骨どころか、重要な血管や気道を貫くにも至っていない。
白目などない、強すぎる星の光の様に輝く怪物の両目が細められた。笑っているかの様に。
刀身が握られ、斧を握っていた右手が拳を形作る。鎧を捨てた自分を殺すなど、無手で十分。
勝利の美酒を味わう顔を、睨みつける。
ならば、笑って死んで行け。
「弾け、ろぉおおおお!」
閃光が、白い身体を貫いた。
切っ先に留められた炎と風が合わさり、それは熱線となる。道中の怪物どもに放ったそれとは違う、真の熱線に。
刀身が砕け散り、反動で体が後方へと弾き飛ばされた。地面を数度バウンドし、片膝をつきながら停止。
息を乱しながら、顔を怪物へと向ける。
土煙に覆われ、奴の姿は見えない。
されど、『視る』事は出来る。
「………」
酸素を求めて大きく開かれた口を引き結び、『魔装』に魔力を回した。
再構築される鎧と、片手半剣。右手に握った刃を、柄の感触を確かめる為に横へ振った直後。
濛々と立ち昇る土煙を引き裂いて、化け物が姿を現した。
『■゛■゛■゛■゛■゛■゛───ッッッ!!!』
怒りの雄叫び。大地が、大気が、天井が揺れる。
ボタボタと大量の血を首から流しながら、ミノタウロスは輝く瞳でこちらを睨みつけていた。その手足に、僅かな痙攣も脱力もない。
尋常な生物であれば、頸動脈なり重要な神経なりを焼き切られて死んでいる。
しかし、あれは『化け物』だ。ただの『獣』ではない。
互いに睨み合いながら、得物を構える。数秒の睨み合い。いつの間にか、口の端から血が溢れていた。口の中を鉄臭い味が占領する。
わき腹を蹴られた時か、それとも先の至近距離で斧が振り下ろされた時かはわからない。
アドレナリンの放出で泣きたくなる程度の痛みしかなかったが、肺に折れた肋骨が刺さっていたらしい。一応、もう治った様だが。
鈍化していた痛覚が、遅れて正常な状態に戻り始める。まだだ。まだ、素面になるわけにはいかない。
だが、悪い事ばかりではない様だ。痛覚の帰還に合わせて、五感が、そして第六感までもが普段以上に研ぎ澄まされていく。自分の吐く息が、頬を伝う汗が鬱陶しい。
頭の一部が、やけに冷静な思考をする。
このままでは、勝てない。先ほどと同じ攻撃はもう通じないだろう。
勝機があるとしたら、それは援軍の到着のみ。こちらが奴の動きに目が慣れたのと同じように、ミノタウロスもいつこちらの動きに順応するか。
戦える味方がいる。そう、考えた瞬間。
「なあ、サナ君」
限界まで引き上げられていた聴覚が、彼女のを声を拾い上げる。
「───私と一曲、躍ってはくれまいか」
その言葉の意味を、理解するより早く。
『■゛■゛■゛■゛■゛■゛───ッッ!!』
怪物の雄叫びが思考を中断させた。第二ラウンドの開始を一方的に告げ、黄金の戦斧がギラリと輝く。
「くっ……!」
彼女を止めなければならない。だが、この怪物は自分しか眼中にないとばかりに猛進する。
薄氷の上を歩く様な斬撃の応酬の中、視界に一瞬だけ彼女を捉えた。
もはや最初見た景色など見る影もないコロシアムの、辛うじて原形を留めた観客席。
そこに立つ彼女が、銀髪をなびかせて微笑んだ気がした。
「分かり辛かったかね。ならば言い直そう。私と融合し、戦ってくれ。君とて、彼が死ぬのは本意ではあるまい。利害は一致するはずだ」
やめろ。
「聞こえているかはわからんがね、京ちゃん君。これは自暴自棄ではないぞ」
やめろ。
「私自身の生存の為でもある、賭けだ」
やめてくれ。
止めに行く事は、できない。白い怪物の猛攻は続き、防戦に徹しなければとうに死んでいる。
この動き、あの視線。間違いない。この化け物は、既に自分の動きに順応している……!
振り下ろされ斧を斜めに受け流した直後、繰り出されたボディブロー。反射的に後ろへ跳ぶも、半瞬遅れた。
胸甲が罅割れ、衝撃に肺の中の空気が根こそぎ押し出される。
「が、ぁぁ……!?」
地面をバウンドしながら吹き飛ばされ、回る視界の中。
こちらへ駆けてくる怪物の姿と、観客席の彼女の姿を捉える。
「さて。返答はいかに?フロイライン」
───精霊は、無機質な顔のまま。
紐を、一度だけ引いた。
「よろしい。では、踊り狂うとしようじゃないか」
コロシアムの砕かれた観客席。
そこに、地上に───『月』が、顕現した。
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