第百一話 迷宮の主
第百一話 迷宮の主
幅広い通路を埋めつくす様に迫る、怪物の群れ。その最後尾が見えないのは、暗がりのせいか。はたまた数が原因か。
長い海草を体毛の様に生やした牛人間の軍勢に、たった一騎で突撃を行う。
風の助力を得た体で石の床を踏み砕き、炎を纏った剣を躍らせた。振り下ろされる鉄槌を融解させ、薙ぎ払われる斧を叩き切る。
まるで意思を持った鎧の様に刀身を絡め取ろうとする海草もろとも、その下にある牛人間の木で出来た身体を両断。止まる事なく体を動かし、一気呵成に責め立てた。
身体が軽い。精神的な理由ではなく、実際に身体能力が上がっている。
強敵と戦い、それを討ち取れば膂力が上がる超常の現象が、覚醒者にとっては通常の事だ。
そして、この牛人間どもも間違いなく強者である。剛腕から繰り出される一撃は分厚い鉄板だろうとも容易く引き裂き、頑強さはライフル弾の掃射を受けてなお無傷である事が予測できた。
しかし、今の自分ならば。
「しぃぃ……!」
剣閃が躍る。炎がのたうつ度、牛人間どもが血飛沫の代わりに蒸気を散らした。
放たれる水弾を悉く打ち払い、前へ。後ろへは一切の攻撃を届かせない。
『ヴオッ!』
振るわれる斧をステップで避け、間合いに飛び込み袈裟懸けに牛人間を斬り捨てる。続けて横の個体の胴を薙ぎ、斜め後ろから突き出された槍を振り向きざまに左籠手でガード。
一瞬たわんだ槍の柄がへし折れ、使い手の首を刎ねた。
その瞬間を狙っていたかの様に、四方から振り下ろされる斧と鉄槌。それら全てを跳躍で避ければ、空中に身を躍らせた自分目掛けて多数の水弾が放たれた。
だが、その射角なら避けられる。
『概念干渉』
三段跳びの要領で風を足場に回避し、牛人間の集団から僅かに距離を取って着地。
即座に低く腰を落としながら間合いを詰め、足元を薙ぎ払う様に剣を振るう。刀身に纏わせた風が、牛人間どもを浮き上がらせた。
返す刀で逆方向に刃を振るい竜巻を発生させ、左手の指輪に魔力を大量に流し込む。
宙に浮いて動けぬ前列と、風と味方が邪魔でこちらに攻撃できない後列。それら纏めて、深紅の炎が飲み込んだ。
暗かったはずの通路が、赤く照らされる。
魔力の流れで後列の牛人間どもが水氷魔法で防御を固めたのを察知するが、構わない。そのまま火力を上げる。
暴風によって供給される炎が瞬く間に水の守りを蒸発させ、石造りの床を溶かし始めた。
数秒の放出後、残されたのは赤く染まり形を変えた石床と、それに混ざる様に散らばる塩と金貨の残骸のみ。
「ふぅぅ……」
息を吐き出しながら、赤熱する床に背を向ける。掌で顎を伝う汗を拭うが、籠手のせいで少し痛い。
そうして少し距離を取った位置で待ってもらっていたアイラさんと、合流する。
「戦闘終了しました。そちらは大丈夫でしたか?流れ弾がいかない様に注意はしていましたが」
「一切問題ないよ、京ちゃん君。それはそうと、君は怪獣か何かかね。遠目でも凄い熱線が見えたのだが」
熱線?……ああ、最後のアレか。
「熱線と呼べる物じゃありませんよ。炎と風を強引に混ぜ込んで、出力を上げただけのバーナーみたいなもんです」
「……私の目が確かなら、床の一部が溶けて変形しているのだが」
「全力で燃やしたので。そういう事もあります」
「……そうか」
まるで頭痛を堪える様に眉を寄せて目を閉じたアイラさんに、小さく苦笑する。
「別に、これが普通ではないと自覚はしています。たぶん、『冒険者の中では』僕もかなり強い部類になったかと」
「ああ、流石にそこは自覚していたか。てっきり『僕、またなんかやっちゃいました?』みたいな心境なのかと」
「レベルという分かりやすい物差しがありますから。今、『LV:40』なんでしょう?」
こちらの問いかけに、アイラさんが頷く。
彼女のスキルで視た結果、自分はいつの間にかレベルアップしていたらしい。おかげで戦闘もだいぶ楽になった。
それこそ、30体までなら同時に来られても問題ない程度に。
「これでも、まだ『レイ・クエレブレ』に単独で勝てる気がしないというだけです。このダンジョンが『Bランク』である以上、ボスモンスターは奴と同格ですから。油断も慢心も出来ません」
前回と同じく教授達の援護があるのなら、たとえレイ・クエレブレだろうとある程度安定して倒す事が出来るだろう。
しかし、今は自分しかいない。せめて教授か、エリナさん達と合流した後でなければボスモンスターと交戦した場合勝ち目は薄い。
本来なら、万一遭遇したとしても戦わずに逃げたい相手だが……。
「それで、アイラさん。さっきの話は本当ですか?」
「うむ。このダンジョン、『道が入れ替わっている』。壁のへこみや床の細かい傷からして、間違いない。ここは、既に通り過ぎたはずの道だ。ぐるぐる同じところを回っているわけではないのにね」
彼女の言葉に、兜越しに頭を抱える。
あの大岩の時といい、時折魔力が床や壁を走ったかと思えば、これまで通った通路がなくなっていた。
それは、何者か……あるいはこのダンジョン自体が定期的に道をシャッフルしているからである。
流石に自分達が今立っている場所とか、そういうピンポイントでの入れ替わりはない。
だが、子供がプラスチックの鉄道玩具の線路を取り換えるぐらいの気安さで、迷宮の通路が切り替えられるのだ。
これでは、まともにやっても出口にたどり着く事は出来ない。
『私達も同じ結論になっちゃったよー。私達がつけたチョークの印をまた見つけたかと思ったら、少し行った先で京ちゃんが壁につけたっぽい傷が見つかったし。なのに京ちゃん達の戦闘音が全然しないし!』
「……エリナ君。チョークで書いた印の所に、マーキングと番号はつけているかい?」
『もちのろんだよ!』
「では、私達が君のつけた印を見つけたら教えるよ。その時は合流しよう」
『合点承知!』
数少ない朗報だ。運任せだが、多少は合流できる可能性が上昇した。
しかし問題は、この通路の入れ替えの狙いである。
「アイラさん。ここって昔は人か、それに近い存在が働いていた場所なんですよね?」
「うむ。そして、その職員がうっかり罠に嵌った時の救済策も用意してある」
「つまり、この通路の変更って」
「恐らく同じ結論に到達しているのだろうな。このまま進んで行けば、『通路を入れ替え続けている存在』の所にたどり着く」
彼女の言葉に、思わずため息が出た。
この入れ替えの結果、本来の職員が迷子になったとして。それをどうにか出来るとしたら制御装置の所に向かう形になる。
「入れ替えを行っているのが魔道具なら、職員は予め知っている技術で操作すればいい。そして、それが門番であるのなら社員証的な物を見せればそれで解決する」
「未知の魔道具の操作方法も知らないし、門番的な存在がいたとしても侵入者扱いされそうな僕らは」
「……私や君のスキルで魔道具が動かせる事を祈った方が良さそうだ」
「あるいは、先にエリナさん達と合流して門番を……恐らく、ボスモンスターを倒せる戦力を用意するか……ですね」
じっと立ち止まっていても、状況は改善しない。むしろコンディションは低下していくばかりである。
かと言って進んだ先にボスモンスターがいれば、勝ち目は薄い。エリナさん達と合流できる確率を上げる手段もなく、来た道を引き返すのも通路の入れ替えがある以上は無意味である。
控えめに言って詰んでいた。後は、自分達に幸運が訪れるのを祈るしかない。
「サナくぅん。何か打開策とかないかなぁ!?」
アイラさんが、サナに持たせた紐を小さく引っ張る。
だが、返答はない。この精霊は、YESかNOで答えられる質問以外は基本的に首を傾げるだけである。
「はぁ……私は天才だが、天才にも得意分野がある。そして、こういうトンチが求められる状況は専門外だ。言語の解読とか、そっち方面の事をさせてくれ」
「あ、じゃあ帰ったら古文の宿題見てもらっていいですか?」
こちらの言葉に、アイラさんがキョトンとした顔になる。
『京ちゃん、まだ終わってなかったの?』
「数学とか他のは終わらせたんだけど……一応、まだ時間はあるし」
『んもー。旅行の前にそういうのは終わらせた方が良いんだからね!……って、シーちゃんもまだ終わってないってー』
夏休みの宿題は最初に頑張って、残りをのんびりとやる派である。
特定の科目ばっかり先に終わって、最終日辺りになってもそれ以外の教科の宿題が少し残っているのが自分だ。
「君達……この状況で夏休みの宿題について悩むのかね」
「生きて帰るつもりしかありませんからね」
『死んだあとの事を考えてもしょうがないよー、パイセン!』
「……僕の場合、エリナさんと違って意識的にポジティブな思考を維持しようとしていますが」
たらりと、冷や汗が流れる。
自分はわりとネガティブな方だ。それを自覚している故に、この状況でガチ凹みしたら『もうだめだぁ』と泣きながら通路の隅に蹲るか、自暴自棄になって喚き散らすか。どちらにせよ碌な事にならない。
「ここで泣き喚いても、死ぬ可能性が上がるだけですので。今は必死にポジティブな思考をしようとしています」
「……まるでプロの様だね」
「冒険者講習でプロから聞いた事なので」
講習をしてくれた自衛隊員の人が、それはもう恐ろしい実体験をやたら高い表現力で教えてくれたので。
あの自衛隊の人。正直戦士よりも役者か落語家さんの方が向いていると思う。
「ほう。ならば、現状私の命綱である君に、やる気が上がる事を言ってあげよう」
「と、言いますと?」
アイラさんがニヒルな笑みを浮かべ、ビシリと親指で自分を指す。
「先ほどの宿題を見てあげる件。『いかん女教師』の格好でやってやろうではないか」
「!!」
「更に宿題が終わったらご褒美としてミーアのバニーガール縄跳びだ。ババ様にも止めさせん。絶対に実行する」
「!!!」
この人の目は……本気だ!!
一瞬本気で跪き首を垂れるか迷ったが、ここはダンジョンの中。そこまでの隙は見せられない。
故に、ここは敬礼にて答えよう。
アイラさん……あんた、やる時はやる人だって信じていましたよ……!
「あ、この話ミーアさんが聞いたら脱出へのモチベーション下がりません?」
『今の話をしたら先輩が顔真っ赤にして蹲っちゃった!』
「ほらぁ」
「エリナ君。その時は私もなるべく露出の高いチアガールになると伝えてくれ」
『先輩が戦士の顔で拳を上に突き上げたよ!』
「ミーアさん……」
「ついでに京ちゃん君の乳首も露出させる!」
「正気か?」
『先輩がシャドーボクシングを始めたよ!』
「狂気か?」
わからない。意味不明だよ、ミーアさん。
わりとマジでそのシャドーボクシングの意味はなに?殴る気なの?僕の乳首を殴る気なの?この無害な乳首になにか恨みでもあると言うのか。
『あ、なんかまた蹲って違うんですとか連呼しているよー』
「大丈夫そうだな、ヨシ!」
「何を聞いてヨシって言ったんですか……?」
ミーアさんの奇行に対して一抹の不安を抱くも、暗くなりかけていた場の空気は多少和らいだ。
「行きましょうか」
「うむ」
そうして、通路をまた進み始める。
時に、吊り天井に押しつぶされそうになりながら。
時に、壁から突き出る槍衾に貫かれそうになりながら。
時に、落とし穴と水攻めが同時に襲い掛かってくる事もあれば、敵の集団に挟撃される事もあって。
それでも、歩き続ける事およそ30分。
道中でエリナさんのマーキングを見つける事は、出来なかった。
そして、最悪の予想が的中してしまう。
一本道に入った途端、通路に魔力が流れた。まるで動画を早送りで見ているかのように、背後の曲がり角と通路の先が変動していく。
立ち止まり、静かに剣を握り直した。アイラさんも最後の1本となった松明を手に、神妙な面持ちで前方を見つめている。
遂に、自分達の行先が決定した。
通路の奥から漏れ出る光。煌々と燃え盛る炎が、コロシアムの様な室内の壁にずらりと並んでいる。
その中央で仁王立ちする、白い巨体。
丸太を数本纏めた様な足の骨格は人のそれだと言うのに、足首から先は蹄の様に変化している。
石の床に突き立てられた戦斧は両刃であり、稲光の様な黄金の輝きを放っていた。
観察できたのは、そこまで。背後からゴロゴロという音が響き、僅かに傾斜のある床を振動させている。
退路はなく、背中を見せればあの恐ろしい怪物は転がってくる巨岩と共に自分達を押し潰す事だろう。
「エリナさん。一番嫌な予想が当たった。待ち受けるのは怪物だ。ご丁寧に立ち止まる事すら許してもらえそうにない」
『わかった。なるべく私達も移動ペースを早めるよ』
「可能なら、途中参戦してくれると嬉しい」
『行けたら行くね。全力で』
「期待してる」
やり取りを終え、大きく深呼吸を1回。
隣で硬直するアイラさんの背中を軽く叩き、どうにか笑おうとする。
だが、たぶん自分はかなり引きつった笑みしか浮かべられていない。我ながら、締まらないものである。
「行きましょう。岩とサンドイッチの具にされるぐらいなら、まだ勝てば脱出手段が手に入る相手と戦った方がマシだ」
視ればわかる。相手が纏う魔力と、通路に時折流れる魔力は同質のものだ。
奴こそが、通路の入れ替えを行っている存在。討ち取る事が出来れば、脱出の難易度は大きく下がる。
問題は勝てるかどうか。
ちらりと、彼女が抱える鳥かごの中を見る。
精霊との融合は、最悪死を招く。そうでなくとも、重度の後遺症に陥るかもしれない。それこそ『心核』でも癒せぬほどの。
……今は、進むしかない。
「生きて帰りますよ」
「ああ……!」
駆け足で通路を進み、その先にある空間に出た。
部屋の構造は、古代ローマのコロシアムにやはり似ている。すり鉢状に広がる観客席と、中央にある大きな円形。
壁にズラリと並ぶ篝火の明かりが、敵と自分達の姿を映し出した。もう、光源として松明は要らない。
揺れる炎に照らされる、見上げるほどの巨体。
3メートルはあろう体躯。その腹筋と両腕の筋肉は純白の毛皮の上からでもハッキリとわかるほどに発達し、纏うのは青い腰布のみ。
この怪物に、鎧など必要ないのだ。ただ立っているだけで、戦車砲の直撃すらそよ風の様に受け流すのだろうと想像ができる。
体毛が濃く生える首元。その上にある、人と牛が混ざった様な顔。白目などなく青く輝く瞳と、頭上に伸びる金色の2本角。
日本でゲームやアニメを楽しんでいる者なら、1度はその名を聞くだろう。
『ミノタウロス』
ギリシャ神話に伝わる人食いの怪物。それに酷似した存在が、ゆっくりと両刃の戦斧を構えた。
既に、相手はこちらを敵として認識している。大岩が転がっていたはずの通路は、いつの間にか閉ざされていた。
こちらも柄を両手で握り、腰だめの構えをとる。
「勝てよ、京ちゃん君……!」
「───はい!」
彼女が斜め後ろへ駆けだしたその足音が、ゴング。
迷宮の主。このコロシアムのチャンピオン。
ミノタウロスの雄叫びに合わせ、自分もまた吠えながら。
互いの得物を手に、前へと踏み出した。
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