第九十五話 林崎家の事情
第九十五話 林崎家の事情
「なるほど。エリックさん達は貿易関係の仕事をしていて、色んな国を回っているんですね」
「ああ。娘まで連れ回すわけにもいかず、よく母さんに頼っているんだよ。あの子は元気にやれて……いるようだね」
「……はい」
エリックさんが運転するレンタカーの助手席で、乾いた笑いを浮かべる。
……オークチャンピオンに片腕吹き飛ばされたり、レフコースやレイ・クエレブレとの戦いで脱臼した話とかしていいのだろうか。
そんな事を考えながら、ちらりと後部座席に座る女性陣を見る。
「それでね、ママ!シーちゃんがこう言ったんだよ。『飛べないナスはただのナスだ』って!」
「あら、とっても詩的ね!」
「感性狂ってんのか」
「それに対してアーちゃんがね、『ナスは揚げナスが好きです』って!」
「さては現実逃避していたなあの人」
「よく言われるものね。『嫁に揚げナスとマルクスは教えるな』って」
「初耳ですが?揚げナスと経済学は1ミリも関係ねぇんですよ。あとせめて秋ナスにしとけ」
「京ちゃん……さては『ヤードポンド滅べ教』だな!?」
「ごめん。まずこっちの声が耳に届いていた事に驚いて良い?」
「京太君、そんなんじゃ将来苦労するわよ?」
「ああ、やっぱり海外だとヤーポンの方が主流だったりするんですか?」
「時代は尺貫法よ!」
「江戸時代じゃねぇか」
なんで漫画だったら集中線出すぐらい気合いれて言った。
出すな。線を。
「京ちゃん、そんなんで忍者やっていけるの!?」
やらないが?
「エリナのボーイフレンドがこんなあり様なんて……不安だわ」
「すみませんエリックさん。行き先を病院に変えてもらっていいですか?」
「京ちゃん!病院に行っても尺貫法は教えてもらえないよ!?」
「教えてもらうのは貴女がたの頭の治し方だよ」
「甘いわね京太君。既に匙は投げられたわ!」
「賽は投げられたみたいに言わないでください。カエサルもぶちぎれるわそんなん」
──カラコロ。
「本当にサイコロを振るんじゃありません。車の中じゃ失くしちゃうでしょ!」
「6だから600キロ移動だね!」
「行き先どこだよ本当に!」
「エリナ……やるわね!」
「張り合わないでくださいませんか。あと結局メートル法使ってんじゃねぇか!」
「ため口?」
「あ、すみません。つい……」
数秒だけ、車内に気まずい空気が流れる。
しまった。流石にアレ過ぎていつもの調子でツッコミを……。
「それと私の事はママと呼びなさい!」
「距離感バグってんですか!?」
「私、貴方みたいな子に敬語使われるの苦手なのよね」
「じゃあさっきまでので良かったやろがい!」
「京太君」
「あ、すみませんエリックさん。うるさくしちゃって」
「引き続き頼むね」
「運転終わったら向き合って下さいね。貴方の奥さんと娘さんに」
本来このポジ貴方ですからね?せめて奥さんの方だけでもお願いします。マジで。
なんだあのエリナさんを黒髪黒目にして少しだけ年取らせた様な人。姉妹とかじゃないよね?
その端整な顔を、里奈さんがキリっとさせる。
「妻と子に向き合う……ドラマの予感がするわ……!」
「放送事故だよこんなもん。何分くだらねぇ会話で尺使ってんだって苦情くるわ」
「京ちゃん!運転中に事故とか言わないで縁起悪いよ!」
「ごめん、言い直すね?視聴率のワースト競争でもしてぇのかあんたら!」
「どんな事でも、1位を目指すのって大事だと思うの」
「下の1位を目指すんじゃねぇ」
「京ちゃん。諦めたらそこで試合とか人生とか終了だよ!」
「諦めたいのはあんたらの頭じゃい!」
後部座席からのマシンガンに、そっと頭を抱える。銃口が2つに増えただけでこんなにもきついのか。
信じられるか?まだ車に乗ってから10分も経ってないんだぜ……?
とにかく話題を変えようと、視線を隣のエリックさんに向ける。
「それはそうと、今ってどこに向かっているんですか?」
「そうだね。まずは部下達や取引先用のお土産を買いに行く予定だよ」
「……?この辺で買える物より、貿易関係の人なら色んな所でもっと良い物を買えるんじゃ」
「いいや、京太君。そういう職だからこそ、『直接買いに行った物』に価値が出るのさ。それに、この辺りだけで買える物もあるからね」
「はあ……?」
* * *
そうして辿り着いたのは、一見すると大き目の宝石店の様な場所だった。
しかし、そこで取り扱うのは宝石でも時計でも、ブランド物のバッグや服でもない。
『モンスター産工芸品専門店』
最近、そういうお店が出来たらしい。先ほどスマホで調べたら、ダンジョン庁も関わっているようだ。
ようは、ドロップ品を加工して工芸品を作って売っている店である。
パッと見た感じ、何らかの牙を使った箸置き。ランクごとやモンスター別に分けられたコイン。妙に魔力を内包している銀色の仮面。装飾過多な鞘。その他諸々。
中には、自衛隊から払い下げられたという『Bランクモンスター』のドロップ品で出来た壺なんかもある。
もっとも、工芸品というだけあってどれも戦闘には使えなさそうな物ばかりだが。大山さんに加工してもらったら、ワンチャン……も、ないな。あの魔力の質は、出力はともかく強度に難がある。
「見て見てママ!このネックレスとか良いんじゃないかな?」
「そうね。確か今流行のドレスの色は確か……」
「ええ!こちら、蜘蛛型モンスターの糸を織り込んだ特注品の紐を使っておりまして」
厳つい、それでいて魔力からして覚醒者らしいガードマンが入口を守り、店内には複数の監視カメラ。
扱っている物が物だけに、警備は厚い。壁に背中を預け、エリナさんと里奈さんが店員さんと話しながらお土産を選ぶ様子を見守る。
こういうお店、というか、センスが求められる物品はよくわからない。
里奈さんは車で移動中に見せていたちゃらんぽらんな様子は消えうせ、今は何か難しい事を言っている。
なんだ、流行のドレスとかスーツとかって。ドレスはドレスで、スーツはスーツじゃないのか?
「妻はああ見えてオンオフの切り替えが上手いからね。それに取引先の奥さん達とも交友関係を広げてくれているから、助かっているよ」
「はあ……」
何故か、エリックさんはあちらに混ざらずに自分の隣にいる。
できれば空気に徹したいのだが、流石に無視は出来ない。曖昧な笑みで頷いておく。
「……なあ、京太君」
「あ、はい。なんでしょう」
「車では、娘は元気でやれていると言ったが……あの子は、『何回死にかけた?』」
「っ……」
自信なさげに問いかけてくるエリックさんに、思わず息を飲んだ。
表情や口調こそ不安そうだが、言っている内容自体には確信を持っている。そう、感じ取れた。
「母さんから偶に電話で娘の近況は教えてもらっていたが、それ以上にあの子の体質を考えると、ね……」
「体質……?」
どういう事かと首を傾げれば、逆にエリックさんは不思議そうにこちらを見た。
そして少しだけ悩んだ後、迷いながらも口を開く。
「あの子は……エリナは、痛覚がない」
彼の言葉に自分は……驚きよりも納得が先にきていた。
エリナさんは、これまで何度も大怪我をしている。腕が千切れた事もあれば、肩が脱臼した事もあった。
それなのに、彼女はいつも通り笑って戦闘を続行していたのを覚えている。
自分みたいにアドレナリンで誤魔化しているだけかと思っていたが、それでも違和感はあった。
「……そう、なんですね」
「正確には、なかった。というべきかな。覚醒者になって、痛覚が回復したんだ。でも、なかった時間の方が長いからね。あの子は器用だから、自分の意思で痛覚をオンオフできる……らしい」
何となく、エリナさんの方を見る。
無邪気に笑って、母親と喋る彼女。それはいつも通りの姿で、天真爛漫な表情をしている。
「小さい頃は苦労したよ。痛みがないから、他の子と違って怪我をしても気づかない。高い所からは跳び下りるし、ふざけて何度も壁に全力で体当たりをする。いつの間にか骨折していたなんて、しょっちゅうさ」
「何というか、お疲れ様です」
「そして……『他人の痛み』がわからない子になってしまわないか、心配だった」
「………」
『痛みに共感できない』
何とも中二病じみた思考ながら、実際にそうなったら笑いごとではない。
人は何をされたら嫌で、何をしたら危ないのか。そういうのを覚えながら成長する。
中にはちゃんと痛覚があるのにそういうのがわからない人もいるけれど、大抵の人は理解して大人になるのだ。
共感とは、社会で生きていくうえでどうしても必要になってくる能力である。
人は群れなければ生きていけない。そして、『他者の痛みがわからず、平然と暴力を振るう人間』には恐怖と忌避感を覚えるものだ。
実際、彼女のクラスメイト達は心底エリナさんを恐怖している。理解が出来ない、怪物として。
「だから、私はあの子に色んな武道を学ばせたんだ。剣道に、柔道。空手。人はどうしたら壊れてしまうのかを理屈で教えると共に、集団行動というのを知ってほしかったから」
「それで、あの身のこなしですか」
「……ただまあ、武道に興味を持ってもらうために漫画をたくさん読ませたせいで、少し影響されてしまったけど」
「少し???」
思わず胡乱な目でエリックさんを見れば、すぐさま顔を逸らされた。
あのやたら『忍者』に拘る原因、もしやこの人では?
「しょ、しょうがなかったんだ……!興味がある事しかやらない子だったから……!じゃあ漫画やアニメで興味を惹こうと……!」
「あ、いえ。正しいと思います。はい」
「まさか、あそこまで影響されるとは思っていなくって……!」
「それは予想できないですよね……」
エリックさんの言っている事は、筋が通っている。
だがそれはそれとして、『インビジブルニンジャーズ』なんてトンチキな名前の集団に入れられた身としては一言言いたくなってしまうが。
「おっほん!まあ、その。アレだよ。つまり、あの子は今でも戦う際は痛覚を切っている時があるだろうから、その分怪我も多いかなって」
「……はい。その、すみません」
「君が謝る事じゃない。全て、あの子の選択だ。エリナは自ら戦う事を選んだ。そこに他者が介在する余地はない」
娘を見ながら、彼は穏やかな口調で続ける。
「……強い子に育ったよ。私と違って」
「……?」
そう呟いた彼の瞳は、娘ではなく別の何かを見ている気がした。
だが、その視線もすぐに下を向く。
「……いや、なに。つまらない話だよ。忘れてくれ」
そう言って小さく首を振るエリックさんに、自分は何故か視線を向け続けた。
普段ならこう言われたら、すぐに引き下がる。しかし、今回だけは食い下がった。
というか、有栖川一族地雷多すぎんだよ。渋滞するからさっさと吐き出してほしい。
「2人ともまだお土産選びに時間がかかりそうですし、聞いても良いですか?」
「ええ?ど、どうしてもかい?」
「はい。どうしてもです。お願いします」
こちらの言葉にエリックさんは困った様に指をいじいじさせた後、ポツポツと語りだす。
「……その、だね。私が、養子だという事は知っているかい?」
「はい。エリナさんから聞きました」
「そう、か。事故で実の両親は亡くなって、私は7歳の頃に今の両親に……伯母夫婦に引き取られた」
何かを思い出す様に、エリックさんが天井を見上げる。
彼が見ているのは、きっと無機質なコンクリートではなくて……。
「優しい人達だったよ。本当の家族みたいに、私を育ててくれた。受け入れてくれた。……姉、以外は」
「……アイラさん達の、お母さんですか」
「ああ」
あまり良い印象のある人ではないが、エリックさんの口調は穏やかなものだった。
「私が今やっている会社は、本来姉さんが継ぐはずのものだった。海が好きな人でね。船で色んな国に行くんだと、まだ従姉弟だった頃はよく聞かされたよ」
「そう、なんですね」
「だがその夢を、私が奪ってしまった。あの頃の価値観では、長男が継ぐのが当たり前だったのもあってね。養子だが近い血縁であった私が会社を引き継ぎ、姉さんはどこかへ嫁に出る。それが、当たり前だった。まあ、結果的に私の苗字も変わったけど」
現代っ子としては、何とも違和感のある話である。
しかし、エリックさん達の時代……昭和だと、本当に当たり前だったのだろう。ましてや、有栖川教授の生家は英国の公爵家だ。
仕来りと言うほどではないが、そういう価値観でも不思議ではない。
「姉さんが何もかもに無気力となって、ただ周囲に流される様になったのは私があの家に来てからだ……。だから、その。なんだ」
まるで、罪の告白でもする様に。エリックさんは言葉を続ける。
「姉さんがああなったのも、その娘達が苦労したのも、私のせい……じゃ、ないかなぁって。迷っている。そんな、弱い男なんだよ」
「いや、それはおかしいでしょう」
彼の言葉に、すっぱりと返す。
何を言うかと思っていれば、何ともまあ。流石に卑屈過ぎる内容であった。
「貴方がさっき言った事じゃないですか。『選んだのはあの子だ』って。それと同じです。そういう道を進んだのはアイラさん達のお母さんだし、今の立場に進んだのも貴方の意思だ。それに、エリックさんが罪に感じる理由はない」
「……はは。妻にも同じ事を言われたよ」
「なら2対1ですね。多数決でこちらの意見が正しいという事で」
「えっ……本当に似た様な事を言うね。いや、あの時はもっと違う感じだったけど……」
「それと」
少し俯いていたエリックさんの顔を、正面に回って見つめる。
「貴方が罪悪感を覚える必要はないと思いますが、それはそれとして。そうして悩むのもしょうがないと思います。人として当たり前だと思うので、弱いとか強いとかありませんよ。たぶん」
そう言い切ってから、少しだけ冷静になった。
まただ。さっきまで車の中で騒いでいたせいで、そのテンションを引きずっている。
昔からこうだ。その場の空気が変わっているのに、つい感情で先走ってしまうのだ。TPOを読み間違える。
そうして中学でも中々クラスになじめず、昔馴染み達と隅の方でひっそりと過ごしていたのに。
我ながら学習しないと、少しへこみながら元の位置に戻った。
「……そう言われたのも、2回目だよ」
隣から、くつくつと小さく笑う声がする。
「私と似ているかもと思ったが、妻とも似ている気がするよ。君は。いや、そっちの方はエリナや母さん……あるいは、アイラちゃん達の影響かな?」
「その……すみません。調子にのりました」
「いや、いいんだ。そうだね……当たり前、か。でもそうして開き直るのも、紳士として少しどうかなって思っていたけど……悩みながらなら、良いのかな」
「良いんじゃ、ないでしょうか。わかりませんけど……」
「途端に不安そうになるじゃないか、京太君」
「いや、本当にすみません。他人が、こんな……好き勝手言って……」
穴があったら入りたい。というか時間を巻き戻したい……!
ちょっと泣きそうになりながら、全力で目を逸らす。恥ずかしい……!
「君みたいな子がエリナの隣にいてくれて、良かったよ。それと……アイラちゃんや、ミーアちゃんとも仲が良いんだよね?母さんやエリナから聞いているよ」
「え?それは、まあ。たぶん、ですけど……」
「大変だと思うけど、3人ともよろしく頼む。私はまだあの子達と関わるのは気まずいし、妻はこの件に口出ししないつもりらしいから……フォローとか、ね?」
「えっと……善処します」
こちらはカウンセラーでもないし、何ならコミュ力だって低い。
心の傷とかそういうのを癒すのには向いていない性格だ。出来るなら他を当たってほしいが、そうも言えない。
……いや。これは言いわけである。
不謹慎ながら……誰かに彼女らの隣にいても良いのだと言われて、ちょっとだけ喜んだ自分がいた。
本当に、ちょっとだけど。
「君も、中々に難儀な性格の様だね」
「そう、でしょうか……?」
「そうだよ」
柔らかく笑うエリックさんに、苦笑で返す。
そうして、数秒だけ笑い合っていると。
「NTRの気配がするわ!!」
うわ出た。
「うわ出た」
「まるでお邪魔な虫が出た様な言いぐさね。この泥棒猫!」
「誤解です。あと店内で騒がないでください」
思わず内心がそのまま口に出た自分を、里奈さんがキッと睨みつける。
「エリックの貞操は私のものよ!貴方には渡さないわ!」
「いりません」
「何よ!エリックに魅力がないって言うの!?」
「そういう事じゃありません」
「夜のこの人は凄いんだからね!具体的に言うと攻めが!」
「子供の前で何言ってんだこいつ」
「ママ、京ちゃん。何のはなしー?」
「いけませんエリナさん!お耳が汚れる!」
「エリナに妹か弟が出来ないのは、流石に船の上で子育ては大変だからという話よ」
「だからここお店の中だっつってんだろ!見てください店員さん困っているでしょう!」
「あ、お構いなく。頭わいているお客様も珍しくないので」
「そうなの!?」
「ねえ今そこの店員さん私の事頭わいているって言わなかった?」
「事実なので仕方がありません」
「そうわよ!!」
「ふっ。娘にまで言われるとは……これが子の成長、ね」
「エリックさん!貴方の嫁でしょ何とかしてください!っていねぇ!?」
隣に視線を向けるも、そこに彼はいなかった。うっそだろいつの間に!?
ちくしょう!目の前の残念美人どものキャラが濃すぎるせいで見逃した!
「あちらのお客様なら会計と発送の手続きをなさった後、先に車へ戻ると」
「逃げやがったあの野郎!?失礼しました!」
「それでは私達も失礼するわ。ごきげんよう」
「ありがとうございました!また来ますね!」
「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております」
完璧な営業スマイルでお辞儀をする店員さんに見送られて、店を出る。
駐車場に出るがエリックさんはおらず、周囲を見回せば反対側の歩道にある自動販売機の前にいた。
地味に行動が早い……!
そう戦慄しながらも、この残念美人を押し付けようと声をかけようとして。
間を遮る様に、白いワンボックスカーが停まった。
「は?」
「っ……!」
何であんな所で停車をと思っている間に、エリナさんが一瞬で『魔装』の展開と透明化を発動させる。
かと思えば忍者刀を抜いて駆けだそうとした彼女だが、別の車が数台目の前を走り過ぎ急停止する。
そして、視界が開けた後。
白いワンボックスカーも、エリックさんもいなくなっていた。
「ゆっ」
誰が、それを叫んだのか。
自分か、店の前のガードマンさん達か。それは定かではない。
「誘拐だぁああああああ!?」
読んでいただきありがとうございます。
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