第八十九話 寝耳に水
第八十九話 寝耳に水
探索開始から約1時間が経過。途中、出口近くの壁にマーキング後、不思議な藻で照らされた洞窟を進んでいく。
『そろそろのはずだが……』
アイラさんがイヤリング越しにそう呟いた頃、通路の壁と壁を繋ぐように張られた1本の鎖が見えてきた。
何の変哲もない、鉄製の鎖。高さも脛の半分程度で、跨いで超える事は簡単だろう。
しかし、これは超えるという事は半分以上『死』を意味する。
「アイラさん。言われていた『目印』に到着しました」
『よろしい。くれぐれもその鎖から先に行ってくれるなよ?君達なら生きて帰れると思うが、私がババ様に怒られる』
「頼まれても超えませんよ」
やや呆れながら答え、鎖の先を油断なく睨みつける。
このダンジョンは、ストアのHP曰く『昔は通路が水に浸かっていなかった可能性がある』のだとか。
どういった原因かは不明ながら、この鎖の先にある湖が決壊。通路脇の水路を流れるだけだった水が、いつからか溢れてしまったのではないか……という説がある。
あくまで仮説ではあるのだが、かなり有力視されている話だ。現在は水位の上昇こそないものの、いずれこのダンジョンが完全に水没する日もくるかもしれない。
閑話休題。この鎖の先に行ってはいけないのは、先ほど言った通り湖があるからだ。
ケルピーは水中でも問題なく行動できる……どころか、むしろ水中戦は奴らの独壇場と言って良い。
真下からの奇襲をされたあげく、水中に引きずり込まれれば『Cランク冒険者』でも水中戦が得意な者以外はかなり厳しいだろう。
自分達がここに来たのは鎖の先が目的ではなく、
「パイセン!あったよ謎文書!」
『でかした!』
壁に彫られた文章に、エリナさんが手鏡とペンライトを向ける。
彼女が謎文書などと言うだけあって、相変わらず全く読めない文字の羅列。規則性はあるらしいが、自分にはさっぱりだ。
しかし、普段なら周囲の警戒に徹する所だが今回は足をそちらに向ける。
「じゃ、私は周りを見ているから、京ちゃんと先輩でお願いね!」
「はい」
「わかった」
エリナさんからペンライトとタブレット端末を受け取ったミーアさんが、壁に彫られた文章にそれらを向ける。
自分も手鏡を取り出し、念話によって繋がった向こう側を覗き込んだ。
『ではミーアにはそのまま文章を録画してもらうとして、だ。京ちゃん君。サナ君はちゃんと見えているかな?』
「はい。念話越しでも問題なく視認できています」
鏡の向こうでは、例の鳥かごを机に載せたアイラさんがいた。当然、その鳥かごの中にサナがいる。
相変わらずの無表情で、あの精霊はこちらを見ていた。
『では実験といこう。サナ君は『魔力の宿った文字』が読めるのか否かの、ね』
アイラさんが、そう言ってニヤリと笑った。ビックリするほど悪人面である。美人なので、悪の女幹部と言うべきか。
精霊は『言霊』……声に宿った無意識の魔力を読み取る事で発言者の意図を理解する。
そして、文字にはそういった魔力がのっていないので読めない……のだが。
では、『魔力が宿った文字』ならばどうだろうか?
今回の場合、文字自体というよりも『ダンジョンの壁』という微弱ながら魔力を宿した物体が重要となる。
ただそこら辺の板に魔力を付与して、文字を彫り込んでも直ちには意味などない。その言葉に魔力が自然に移るまで、最低でも数年。下手をすれば100年近い時間が必要になる。
その点、このダンジョンの文字の劣化具合はダンジョン庁曰く、数百年以上前に書かれた物である可能性が高いとか。
故に、文字自体に魔力が宿っている可能性が非常に高い。自分の『精霊眼』にも、薄っすらとだが魔力が視える……気がする。
まあ、これが成功した場合『その辺の板に書いた文字』をサナに読ませられる手段もあるが、一旦おいておくとして。
『では、まず京ちゃん君の言葉はサナ君に届くかな?』
「確認します。サナさん。こちらの声が聞こえるのなら、頷いてください」
───コクン。
「頷きました。言霊はダンジョンからでも見えている様です」
『よろしい。では、彼女にその文章が読めるか聞いてくれ』
「了解」
アイラさんがサナの入った鳥かごを鏡に近づけ、自分も手鏡を壁に彫られた文章に向ける。
斜め横から鏡を覗く様にして、サナに呼びかけた。
「サナさん。この文章が読めますか?その意味が理解できますか?」
イヤリングの方から、硬い唾を飲み込む音がした。
それにつられて自分まで緊張する中、サナは。
───コクン。
「……頷きました。意味がわかるようです」
『いっっっっよぉし!あっいったぁ!?』
イヤリング越しに『ガン』という音がして、アイラさんが呻く声が聞こえてくる。
『ひ、肘を思いっきり打った……!』
「大丈夫ですか……?」
『き、気にしないでくれ。今はそれより、この大チャンスを喜ぼうじゃないか!』
「はあ」
『ダンジョンから帰ったら、京ちゃん君は大至急うちに来てくれ!そして錬成陣を描く要領で板に文字を書き込むんだ!』
「一応言いますけど、インクは特殊な物じゃないといけませんよ?僕の方からも魔力を籠めるとは言え、文字自体に魔力を宿すとなると……」
『安心してくれ。そう事前に聞いていたから、ドロップ品の鉱物を削って作ったインクをババ様に用意してもらっている!それにより五十音表を書いてもらってだね、サナ君にこれまで記録した文章を視線で教えてもらうんだよ!これは大・発・見!だよ京ちゃんくぅぅん!!』
「はぁ……」
つまり、あれだ。自分は1文字1文字丁寧に魔力を籠めて五十音表を書き、サナにこれまで記録した文章と五十音表を見比べ、この単語は日本語でどういう意味かを視線で教えてもらうと。
……うん。
『君は次に、面倒臭いッピ!と言う!!』
「言わねぇよ。なんだその語尾」
いや面倒臭いとは思ったけども。
未知の文明を解き明かす事にロマンを感じないでもないし、その一助となるのもやぶさかではない。
だがめんどい。少なくともダンジョンから帰ってすぐにする事ではないと思う。
『頼むよぉ~。やってくれたら純粋に現金をあげるし、ついでにバニーガール衣装のミーアが縄跳びをしようじゃないか!』
「姉さん!?」
とんでもない飛び火に、タブレットで壁の文章を撮影していたミーアさんが大声を出す。
「聞いてないですよ、姉さん!?」
『今言ったからな!お願いだ、ミーア……こんな事、君にしか頼めない……!』
「も、もう。仕方ないですね……!」
ねえあの人大丈夫?将来とんでもない詐欺に引っかかったりしない?
「姉さんが一緒にやってくれるのなら……いい、ですよ?」
『え、嫌だが?恥ずかしいし』
「姉さん……?」
すぅ、と気温が下がった気がする。足元の水が少し凍っているが、きっと見間違いだ。
見間違いだと思いたい……!ミーアさんの瞳からハイライトが消えている事を含めて……!
『落ち着いてくれミーア。私はそんな生き恥を晒したくないというのも、確かに理由の1つなのだがね』
「生き恥とは思っているんですね」
『私がそんな羞恥心を刺激される格好で縄跳びをしてみろ。───死ぬぞ?』
「そこまで言いますか」
あと決め顔ならぬ決め声で言う事でもない。
『約3%の確率で縄に足をとられ、ごろりんちょした結果壁か床に後頭部を打って死ぬ』
「流石に貧弱過ぎません?」
「いや、まずなんですか『ごろりんちょ』って」
『私ほどの美女だぞ?転ぶ時も可愛い擬音がつくに決まっているだろう』
「死ぬ瞬間の効果音がそれで良いんですか?」
ミーアさんが疲れた様にため息を吐く。
「し、仕方がありません。では姉さんは私の隣でチアリーダーの格好でポンポンを振っていてください。派手な動きはしなくても良いので。なるべくミニスカートでお願いします」
「貴女は貴女でどういう注文しているんですか」
『……アンスコを履いても良いかね?』
「むしろ推奨します。それに救われる命もあるんです」
『ならば良し!』
「いいのか」
この姉妹についていけないのは、自分のコミュ力が低いからだろうか。それともこの2人がとても残念な人達だからだろうか。
なんか両方な気がする。
『で、どうだね京ちゃん君!絶世の美女2人があられもない姿をするのだ、受けてくれるのだろうね!』
「いや……あの。報酬のお金さえ貰えるのなら、多少面倒でも研究のお手伝いはしますよ?別にそんな事をしなくても。僕だってダンジョンにある文章に興味がないわけじゃありませんし」
『ほう。ではミーアのバニーガール縄跳びや私のチア衣装に興味はないと?本当に不要なものだと?』
「そっ!?そ、そうです、ね?べ、別に興味とかないですし……!」
嘘だ。超見たい。
たとえ中身が残念姉妹だろうとも!美人姉妹のスケベな姿がとっても見たい!!
できればポロリとかして欲しい!生乳が見たいです、安●先生……!
『なにやら京ちゃん君の心が悲鳴をあげている気がするので、その時の気分次第でやるか否かを決めようじゃないか』
「姉さん。声が笑っていますけど……」
『安全圏から年下をからかうのは楽しいからね。ハーッハッハッ!』
「この後家に行くのでしたら、安全圏じゃなくなるのでは……?」
『あっ』
偶にアイラさんって凄く馬鹿になるよな。
そんな事を話していると、1人だけ真面目モードを維持していたエリナさんから警告が飛んできた。
「皆、後ろ側から5体近づいてくるよ。全部ケルピーだと思う」
「了解。アイラさん、一度手鏡をしまいます」
『うむ。気を付けてくれたまえ』
エリナさんに手鏡を投げ渡せば、彼女はノールックでキャッチ。そのままアイテムボックスに放り込む。
それを視界の端に捉えながら、腰の剣を引き抜いた。
自分の耳にも聞こえてくる、ケルピーどもの足音。広い通路を、鏃型に並んでこちらに突っ込んでくる。
『ヒヒィィィィィィンンンッ!!』
「牽制します!」
怪物馬どもの嘶きに対抗する様にミーアさんの声が響いたかと思えば、数十の氷の槍が空中に生成。射出される。
通路の大部分を占め、もはや壁と形容できる冷たい殺意。それに対し、ケルピーどもが再度嘶く。
直後、奴らの周囲に水の槍が生成された。間髪入れずに放たれたそれらと、氷の槍が衝突する。
空中で氷の破片と水しぶきが舞う中を、5騎の怪物馬が駆け抜けた。あと少しで接近戦の間合いに入るという所で、自分とエリナさんがそれぞれナイフと苦無を投擲する。
先に届いたナイフが水の装甲に弾かれるも、彼女が投げた苦無は装甲に触れた瞬間暴風を発生させた。
まるで普通の馬がライフルで撃たれた様に、1体のケルピーが頭を爆散させる。
それに怯む事なく突撃を行う残り4体。だが、水底から突き出た石の槍衾に道を遮られた。
咄嗟に3体が足を止める中、先頭を駆けていた個体が勢いそのまま槍を跳び越えてくる。奴はこちらを真っすぐに捉え、口を開けた。
草食動物ではあり得ない、ズラリと並んだ鋭い牙。人食いの怪物は、長い犬歯をむき出しにして前脚を振り上げる。
重力も合わさった、必殺の蹄。水で固められた馬蹄がこちらの頭蓋に迫るのを、ハッキリと目視した。
故に、捕らえる。
ズシリ、と。右前脚の馬蹄を握って受け止めた左腕に衝撃がきた。足元の水が爆ぜる中、それに負けず肘を伸ばせば左の馬蹄は空を切る。
『ブルッ……!?』
動揺の声を出すケルピーをそのまま片手で押し返し、2歩踏み込んで一閃。無防備な腹に剣を振るう。
『概念干渉』
刀身が触れた水の装甲が激しく水しぶきをあげ、風と共に刃を押し進めた。
濡れた紙を裂く様に容易く馬体を両断し、すぐさま両手で柄を握る。
石の槍衾を踏み砕いた、残り3体。それを見据えながら、風と炎を刀身に纏わせた。
「燃えろ」
一瞬だけ球状に変化した荒れ狂う炎を、風にのせて前方に振り抜く。斬撃に合わせて解き放たれた焔の騎兵が、騎手なき水の騎馬どもを粉砕した。
白い水蒸気が辺りを包むが、風で自分達に来ない様に押し流す。すぐに視界も晴れ、残ったのは塩となって水に溶けていく『ケルピーだった』物だけ。
「ふぅぅ……」
このダンジョンの厄介なところは、塩が溶けた水でもあまり被るとスタンピードが起きる事だ。
無論、少々浴びた程度では問題ないが、大量に被るとモンスターどもに狙われる。
それでも他の『Cランクダンジョン』よりはやり易いと、人が来るらしいが。
「お疲れ京ちゃん。私苦無とってくるね!」
「うっす」
「右近。ドロップ品の回収を」
エリナさんとゴーレムが左右を通り抜けていく中、剣を肩に担いだ。
レベルがまた1つ上がった感覚。はたして、かつてテレビで見た……あの『Aランクモンスター』であるドラゴン相手の自衛が可能な領域は、いつになったら到達できるのやら。
小さくため息をついて、鍾乳洞の天井を見上げた。
当然、青い空など視えはしない。
* * *
ダンジョンから帰還し、ストアで着替え等を済ませた後。
ミーアさんはゴーレム達を乗せた軽トラを運転し、自分達はバスに乗り込んだ。
エリナさんが今度から転移でゴーレムを運ぼうかと言っていたが、そのうちミーアさんもバスでダンジョンへ通うようになるのだろうか?
そんな事を考えながら、何の気なしにスマホを見やる。
───すると、とんでもないニュースの見出しが画面に表示された。
それこそ、日本中を震撼させる大ニュースが。
『『トゥロホース』の本部に謎の襲撃!負傷者50人以上、行方不明者68名の大事件!!』
読んでいただきありがとうございます。
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