第八十七話 お前マジで覚えてろよ
第八十七話 お前マジで覚えてろよ
「ああ、そうだ矢川」
「はい……?」
爪切りも終わり帰ろうとした所で、自分の曲がった背中に大山さんが話しかけてきた。
その頬が若干赤いあたり、彼女も異性の腕を脇に挟むのは恥ずかしかったらしい。いや、じゃあやるなよと言いたいが。
「お前の素材、『白蓮』の装備や『大車輪丸』以外にも使っていいか?」
「……誰の手に渡るかによります」
「『木蓮』。アタシらがお前から貰ったゴーレムだ。ついでに、材料が余ったら愛花用のも作るかもしれん」
「それなら問題ありません。好きに使ってください」
自分の素材の価値が高いのは、大山さんの様子やこれまでの戦闘で理解している。
しかし、あまりばら撒きたくはない。そうすれば金銭的にかなり余裕が出来るのはわかるのだが……。
もしかしたら、その武器が『錬金同好会』の手に渡るかもしれない。
もしかしたら、加工されたはずの素材の主を特定する術を持っているかもしれない。
もしかしたら、そこから『賢者の心核』に気づかれるかもしれない。
『かもしれない』ばかりだが、捕まって実験動物や人型の賢者の石扱いはごめんである。たとえそれが多くの人の幸福につながるとしても、断固拒否だ。
とにかく、見知らぬ誰かに自分の素材が使われた装備が渡るのは避けたい。
「おう。代金は分割で良いか?」
「はい。問題ありません」
「じゃあ値段はこんぐらいで。10回払いで頼む」
「………」
差し出された電卓を見て、そっと眉間を揉み解す。
少し、『精霊眼』に無茶をさせ過ぎたかもしれない。幻覚が見えている。
「……桁、間違ってません?」
「テンプレだな、おい。じゃあテンプレで返すが、これじゃ少なかったか?」
「テンプレってわかっているのなら、桁が多いって言いたいのもわかるでしょう……!」
というか、見間違いじゃないのかよこれ。え、僕の爪とか髪の毛ってこんな高いの?
嘘でしょ?覚醒したばかりの頃とか、普通に自分で切って捨てちゃったんだけど?
「そりゃあお前。こういうのは採取したタイミングっつうか……『今のお前の値段』だからな」
「……それは、覚醒者としてレベルが上がっているからって事ですか?」
「おう。『概念干渉』の方はともかく、『魔力変換』の出力に大きく影響するからな。『LV:1』の頃と比べたら、桁1つ2つ増えんのも当たり前だろう」
……『LV:1』の時でも桁2つ少ないだけだったのか。
若干へこむも、今は予想外過ぎる収入を素直に喜ぶとしよう。
「ついでに、エリナも『例の道具』にこいつの素材を使うからその分高くなるからな」
「もちのろんだよ!私が冒険者稼業で稼いでいるのは、理想の忍具を作る為と言っても過言じゃないんだからね!」
「そこは過言であろうよ」
「忍者が忍具に拘るのは当たり前だよ京ちゃん!」
マジかこいつ。
「まあ、アタシにはお前らがダンジョンに行く理由なんぞ関係ないがな。装備の方はやっておくから、こっちの依頼も頼むぞ。日程とかは愛花と相談してくれ」
「わかったよシーちゃん!楽しみにしていてね!」
「よろしくお願いします」
「おう」
そうして、今度こそ大山さん家を後にした。
嬉しいけど恥ずかしい、そしてそれ以上に理性がピンチだったひと時。色んな意味で夢の様な時間だったと言える。
しかし、人生という道には山も谷もあるわけで。
「ねえねえ京ちゃん!」
「はい?」
一度山に登ったのなら、その次には谷が待ち受けていても不思議ではないのだ。
「私、8割忍具の為に冒険者やっているけど、やっぱりプロ意識って大事だと思うの!」
「まあ、うん。そうだけど……」
「だからね……私、心を鬼にするよ!」
ふんす、と。帰りのバスでお胸様をはるエリナさん。この時、揺れる彼女のオッパイではなくきちんとその言葉の意味を考えるべきだった。
───そうすれば、あの『地獄』は回避できたかもしれなかったのに。
この時は、想像もつかなかった……!まさかあんな事になるなんて……!
「というわけで、虫系のダンジョンに行こうね!」
「はい。……はい?」
まあ『この時』のすぐ後に地獄の入口を教えられたのだが。
それに気づいたのは、乳の揺れに合わせて頷いた直後だった。
……え。あの、ミルメコレオとかではなく?ガチの虫……ってこと?
* * *
大山さん達から依頼を受けた、2日後。
「本日はよろしくお願いいたします」
「……はい」
「オッス!頑張っていこぉ!」
「おう」
昨日のうちに『下見』を済ませ、ここのダンジョンについてはある程度把握した。
命を預かる以上、事前の確認は当然である。その上で、あえて言わせてほしい。
2度も来たくなかった、こんなダンジョン……!
「あの矢川さんが妙に遠い目をなさっているのですが」
「あれ?どったの京ちゃん」
「……嫌な予感がしてきた」
「なんでも……ないです……!」
「何かあった時のリアクションだよぅ!?」
口を『へ』の字にし、目を逸らす。
今回は来ていないミーアさんが羨ましい。ダンジョンのゲートを潜って、同じ地点に出られるのは3人から4人。ここのダンジョンはストアのHP曰く4人まで。
そんなわけで、あの人は本日お休みである。ちくせう。
今すぐ回れ右して帰りたい衝動を抑え、視線を毒島さん達に戻した。
「ゲート室へ行く前にお聞きします。お2人は、ここのモンスターがどういう姿か知っていますか?」
「はい、ある程度は」
「でかい虫みたいなモンスターとは聞いてる」
「……そうですか」
セーフなのかアウトなのかわからないが、昨日聞かされたエリナさんの『持論』も頷けるものだった。
ここは、このままダンジョンに行くとしよう。レベルの問題で、自分達がいれば万に一つも死ぬような事はあるまい。
肉体は、だけど。
「わかりました。行きましょう」
『なあ京ちゃん君。エリナ君。私は今回必要なくないかい?ほら、事前に下見はしたのだろう?ならば私のナビゲート無しでもだね』
「何言ってんすかパイセン!油断慢心は駄目っす!常に忍者は全力なんだよ!」
『うっす……』
哀れ。アイラさんがエリナさんの勢いに負け、イヤリング越しにうな垂れているのがわかる。
自分もとぼとぼと歩きそうになるのを、気合で背筋を伸ばし。胸を張ってゲート室に向かった。
受付を済ませ、白いゲートの前に。白蓮の装備は前に自分がホームセンターの鉄板から作った物だが、このランクで壁役に徹するのなら問題ないだろう。
毒島さん以外が『魔装』を展開し、装備を確認。
その時、毒島さんの隣にいる木蓮の姿に思わず二度見してしまう。
「……リボン?」
なんか、赤いリボンが各所に取り付けられている。特に目立つのは嘴の様に面頬が伸びた兜、バシネットの両サイドに取り付けられた大きなリボンだ。
遠目にはツインテールの女の子が、兜から髪の毛を出している様に見えるかもしれない。
「やはり外した方が良いでしょうか?可動域に影響しない位置に取り付けたのですけど……」
「いや、別に良いとは思いますけど……」
「私は可愛いと思うよ!」
「ノーコメント」
少し不安そうにこちらを見る毒島さんに、苦笑いで答える。
木蓮は既に彼女らのゴーレムだ。リボンの位置もちゃんと考えてある様で、戦闘に大きな支障は出ないだろう。
ただ、少し気が抜けるけど。
そう言えば、前に『錬金同好会』のHPで何故タヌキ型のゴーレムを作っているのかという質問に、同好会副会長が。
『ダンジョンは様々なストレスを与えてくる場所です。そこで1時間2時間と行動する冒険者の心を少しでも癒せる様、愛らしいタヌキの姿にしました』
と、回答していた気がする。
それと同じで、木蓮が探索中彼女らの心のよすがとなるのなら言う事はない。
……このダンジョンでは、特にそういうのが必要だろうし。
「では、ゲートを潜ります。皆、肩を掴んでください」
自分を先頭にしてゴーレムを含め全員が鏃型に並び、それぞれ肩に手を乗せる。首だけ振り返って背後を確認後、イヤリングに触れた。
「準備完了しました。ダンジョンへ入ります」
『うむ。その……頑張ってくれたまえ」
「はい」
いつになく歯切れの悪いアイラさんに頷いて、ゲートへと足を踏み入れた。
相変わらずの不思議な感覚を味わった先。そこは、寂れた石造りの通路であった。壁に取り付けられた自衛隊のLEDライトが、罅割れた床を照らす。
幅は4メートル、高さは3メートルといった所か。雰囲気としては、廃棄された古城に思える。ダンジョンとしては、よくある内装だ。
鞘から剣を抜き、刀身を掴んで毒島さんに柄を向ける。
「これを使って下さい。流れ自体は、前回と同じですので」
「はい。わかりました」
「お前、本当にダンジョンの中だと人が変わるよな」
「仕事ですから」
そう、これは仕事である。仕事である以上は、割り切らないといけないのだ。
でもなぁ……!やりたくないなぁ……!
再度口を『へ』の字にして、イヤリングに触れる。
「ダンジョンに入りました。これより探索を開始します」
「びゃっちゃんにパイセンの鏡貼り付けたよー!」
『ああ、うん。今回は探索の様子を見たくなかったなぁ……』
「貴女も道連れですよ、アイラさん……!」
『くっ、酷いぞ京ちゃん君……!これが悪堕ちというやつか……!』
「悪堕ち!?つまり……抜け忍ってこと!?」
「黙れ」
「京ちゃん!?」
一言だけ自称忍者に吐き捨てた後、深呼吸を1回。肺の中にかび臭い、どこか湿気た空気が入って来る。
うだうだ言っていてもしょうがない。ならせめて、効率よく済ませよう。
「では」
「待って。前方から足音がする」
「え、もう?」
「もう。数は3体。こっちに向かってくるよ」
「了解。1体はエリナさんが仕留めてください」
「OK」
とんだ出迎えだ。エリナさんの言葉に重心を落とし、やってくるモンスターどもに備える。
背後で、毒島さん達も身構えたのが音でわかった。しかし、それ以上の足音が前方から迫って来る。
本来、アレに似た生物は無音に近いのだが……モンスター故か、それともサイズの問題か。不愉快な足音が通路に反響する。
───カサカサカサカサカサカサッ!
曲がり角から、それらは現れた。
黒々とした、4対の瞳。灰色の外骨格で包まれた、体高が膝あたりまである巨体。
8本の足を高速で動かし、哺乳類ではあり得ない形で開く大きな口。
『ジャイアントスパイダー』
その名の通り、でかい蜘蛛である。
生理的にきつい!
「きっ」
背後から、引き攣る様な声がして。
「きゃぁああああああああ!?」
大山さんが、絹を裂く様な悲鳴をあげた。
……悲鳴をあげるとしたら毒島さんの方かと思っていたのは内緒である。
流石に振り返っている余裕もないので、向かってくる蜘蛛どもに視線を集中。2体は床を走り、1体は壁を走っている。
その壁を走っている個体目掛けて斜め後ろからエリナさんが棒手裏剣を投擲し、その頭を貫いた。
衝撃でひっくり返り、足を無茶苦茶に動かすその個体。それを気にした様子もなく突っ込んでくる残り2体へと踏み込んで、右手に纏わせた風を下から上へと解放した。
足の付け根をこちらに見せて、宙に浮かんだジャイアントスパイダーども。一瞬でその隙間を通り抜け、背後から頭と胸がくっついた様な箇所を掴む。
外骨格に指先をめり込ませ、固定。8本の足が藻掻く様にガサガサと動く振動に、眉をしかめる。
元々虫は嫌いだが、今回はマジで辛い。
だが、どうやら自分以上にまいっている人がいるようで。
「おま、おま、お前ら!蜘蛛とは、蜘蛛とは聞いてないぞ!」
「ですが、ストアのHPを見ればわかる情報ですよ?」
「仲間に任せて、情報収集を怠るのは駄目だよ!シーちゃん!」
「わかった!謝る!謝るからこれは無理!帰る!帰して!」
ウォーハンマーをお守りの様に抱え、木蓮の後ろに隠れる大山さん。
しかし、その肩を掴んだエリナさんが強引に前へ出す。
「ごめんねシーちゃん。でも私は心を鬼にして、シーちゃんに前を向かせるよ!」
「なんでだよ!?必要ないだろこんな事!」
「世の中いつ氾濫が起きるかわからない。敵が蜘蛛の姿だからって、怖気づいちゃったら命の危機なんだよ!」
「その時は潔く逃げるわ!」
「逃げる事も戦いだよ!」
「うっせぇわボケェ!」
───ガサガサガサガサ!
「ひぃゃぁぁああああ!?」
あのぉ。この蜘蛛の足が動く振動を受けているの僕なんすけど。
伝わってくる不快感に、自分の顔が無表情になるのを自覚する。帰りたいのはこちらも同じだ。
「と、というか、なんでお前らは平気なんだよ……!」
「え、蜘蛛ってよく見たら格好いいよ?」
「スキルの影響か、私毒虫の類が大丈夫になりまして……」
僕は平気じゃありませんが?
「さあ、いつまでも京ちゃんを待たせちゃ悪いし!ゴーレムちゃん達!前、進!」
「木蓮、頼みます」
「白蓮、盾を構えて前へ」
ゴーレム達が蜘蛛たちに近づき、振り回される足を盾や鎧で防ぐ。
その隙間から、毒島さん達が攻撃する手はずだ。
「ここはあんまり他の冒険者が来ないから、たくさん倒せるよ!さあ、レベルアップしていこうね!」
「やだぁ……!むりぃ……!やぁだぁ……!」
「雫さん。泣いていても終わりませんから、ね?」
ふっふっふ……マジで足の音が耳に残るんだけど、どうしよう。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!キショイキショイキショイ!白蓮君が近付いたら必然私までドアップで見る事になるじゃないか!鳥肌たってきたぁ……!』
「僕は正直吐きそうです」
『……私は誓うぞ、京ちゃん君。必ずや、エリナ君の水着は私が選ぶと。そして、ババ様に怒られるギリギリのスケベ水着にすると……!』
「お願いします。マジで」
泣きじゃくる大山さんの肩を掴み、何やら瞳を輝かせ忍者の心得だの何だのを語る自称忍者。
彼女の言いたい事はわかる。有事の際、敵の姿など選んではいられない。幾度も氾濫に巻き込まれた身としては、その心構えは重要である。
それに、このダンジョンが『Eランク』だとレベル上げに最適なのも事実だ。人が少なく、モンスターの数が多い。
それでいてアシダカグモみたいに巣を張らない蜘蛛どもだから、こうして向こうから向かってくる。レッサートレントよりも効率は良いはずだ。
まさに一石二鳥。理屈はわかる。理屈は。
しかし。
───ガサガサ!ガサガサガサガサッ!!
お前マジで覚えてろよ。
「さあシーちゃん!忍者は標的を選ばないんだよ!」
「うっぐ……!ひっぐ……!」
「雫さん!後でお菓子奢りますから!エリナさんと私で!ね?だから泣き止んでください……!」
早くおうち帰りたい……!!
読んでいただきありがとうございます。
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