第七十八話 助けに
第七十八話 助けに
「きゃあああああ!?」
そこら中から、恐怖にまみれた絶叫が聞こえる。びゅうびゅうと音を出す風にすら負けず、人々の悲鳴と何かが潰れる音が響き渡っていた。
突如として白と赤に染め上げられた、平和『だった』町。純白の雪は血に汚され、慟哭と咆哮が混ざり合う。
『GYAGAGAGAGAGA──ッ!!』
人とは異なる、幾つもの雄叫びが重なりあった不快な音。
それに眉をひそめながら『魔装』を展開し、潰れた車の反対側にいるエリナさん達へ呼びかける。
「エリナさん!転移の準備を!」
「わかった!」
そして、自分達の前に止まっていた車に視線をむけた。
中には、恐らく休日に買い物へでかけた家族が入っていたのだろう。魔力の反応は4つ。大人2人分と、子供2人。
助けるべきか。
自分達も余裕なんてないのに、一瞬だけそう思って。
その迷いは、けたたましい破砕音と共に踏み砕かれた。
金属が砕け、窓ガラスが割れる音。それに混ざって、柔らかい何かが潰れる音が混ざった。
『精霊眼』は、覚醒者の枠の中ですら高すぎる動体視力をもつこの眼は、その一瞬を見逃さなかった。見逃しては、くれなかった。
窓ガラスに額を押し付け、こちらを見ていた子供が踏み潰された瞬間を。
「────」
『GYGYGYGYッ!!』
嗤うように吠える、翼の生えた蜥蜴。潰れた車から漏れ出る液体は、オイルか。それとも……。
そこまで考えて、自分の中で何かが切れた。
「ミーアさん、『魔装』を展開してください」
「は、はい!」
背後にやった彼女へそれだけ言って、剣を抜く。
縦長の瞳孔と、既に視線が合っていた。どのみち相手も『ヤる気』なのだろう。であれば、ここで交戦する理由に少しばかり『雑念』が混ざったとしても関係ない。
降りかかる火の粉は払う。その中で、個人的な苛立ちを解消するだけだ。
『GAAAAAAAA!!』
「しぃ……!」
踏み潰した車の残骸を蹴飛ばして、こちらに飛び掛かるクエレブレ。それに対し、自分もまた剣を振りかぶりながら前へ。
互いの速度もあって、彼我の距離は文字通り瞬く間に縮まる。
ランクを考えれば、相手の強さは『レフコース』や『デーモン』と互角か僅かに下。勝算は、十分にある。
否、圧倒してみせる。
「らぁああ!」
迫る顎に対し、両手で握る剣を振り下ろす事で迎撃。
斬撃というより鈍器を叩きつける様にして、刀身がクエレブレの頭に炸裂した。雪の中で火花が散り、轟音と共に怪物の頭部が地面に叩きつけられる。
「っ……!」
硬い!岩の様な鱗は、しかし岩の何倍も硬かった。地面に叩き落とした頭がアスファルトの地面にめり込むも、鱗が数枚割れて血が滲んだだけ。頭蓋骨には罅すら入っていない。
『GY……!?』
頭を上げようとするクエレブレを、剣に力を籠める事で押さえつける。
一撃で死なない相手。それを仕留める手段は、酷くシンプルだ。
押し付ける刀身を、横へ滑らせる。薄い肉ごと鱗を剥ぎ取り、血に濡れた頭蓋骨を露出。
剥き出しとなったそこへ、左の鉄拳を打ち下ろした。衝撃で更に怪物の頭が地面にめり込み、硬い骨を貫いた直後『ブニョリ』とした柔らかい物を潰す感触が伝わってくる。
それを不快に思いながら、腕を引き抜いた。拳を斜め下に振るい塩に変わりつつある付着物を払い落として、もう1度前の車両に視線を向ける。
やはり、潰れていた。壊れた車体の亀裂から、だらりとした腕が覗いている。
その奥がどうなっているのかさえ、『精霊眼』には視えてしまっていた。
「………」
「京ちゃん!先輩!準備できたよ!」
車の残骸と氷越しに、エリナさんの声が響く。
感傷に浸っている暇はない。今は自分達の身を優先しなければ。
「行きますよ、ミーアさん。動けますか」
「はい、問題ありません……!」
青い顔で杖を握る彼女を一瞥し、いつの間にか足首まで積もった雪の中を進む。
他の車にいた人達は、それぞれバラバラに逃げ惑っていた。クエレブレとの戦闘があったので近くにはいないが、吹雪の向こう側で必死に走る影や、顎や爪に捕らえられる影が見える。
そちらへ向かいそうになる足を抑え、車の隙間を縫いエリナさん達に合流しようとした。
しかし、2人の姿が見えたタイミングで警告が飛んでくる。
「増援がきたよ!」
『GYGYGYGY!!』
不愉快な声をあげ、飛来する4体のクエレブレ。
スキルや技量の問題で奴らはレフコースに遠く及ばない。しかし、単純な膂力や速度は『Cランク』のボスモンスターに匹敵する。
いけない。転移には『溜め』がいる以上、まずはこの猛攻を凌がなければ……!
「先に撤退してください!」
『魔力変換』
『概念干渉』
風を足場に駆けあがり、空中へ飛びだす。
すれ違いざまに1体の開かれた顎へと剣を滑り込ませ、上顎を切り飛ばした。続いて2体目の翼を切断し、3体目の鼻っ面に拳を叩き込む。
しかし4体目が、無傷のまま自分の横を通過した。
こいつ、狙いやすい方に……!
転移を中断し、迎撃にエリナさんが動く。アイラさんを後ろに突き飛ばし、彼女自身は無表情で忍者刀を抜いた。
背後から追いかける刃と、前方で待ち構える刃。その2振に挟まれた竜は──。
ぐるり、と。一瞬だけ被膜を輝かせたかと思えば、物理法則を無視した方向転換をしてみせた。
「え?」
「は?」
自分でもエリナさんでもなく、クエレブレが向かった先にいたのは、戦う力なんてない人だった。
アイラさん。彼女の襟首が、竜の口に咥えられる。
あの人の『魔装』を、この時初めて見た。『ゴシック調のホームズ衣装』とでも言えば良いのか。膝丈の半ズボンな事も含めて、どこかコスプレめいている。
それを身に纏った銀髪のアイラさんが、呆然とした顔で連れ去られていった。
「はああああ!?」
「くそっ!」
「パイセン!」
一拍遅れて悲鳴をあげたアイラさんを追いかけ、自分も方向転換。近づいてきていた地面を蹴り、強引に急上昇し距離を縮めようとした。
しかし、吹雪の中怪物の背はどんどん離れて行く。
我ながら空戦の練度が低い!直線ならまだしも、それ以外の機動性では追跡すら……!
「っ!?」
背後から強襲される未来を視て、咄嗟に右へ回避。直後、顔面を殴り砕いた個体が先ほどまで自分がいた位置を通り過ぎる。
鼻先から大量の血を流すクエレブレが、こちらに身体を向け進路を遮る様に翼を広げてきた。
開かれた口から、紫色の氷で出来た槍が放たれる。その数、およそ12。
そのどれもが音速数歩手前。されど、風を纏わせた一刀で薙ぎ払える。問題は、それによって速度が下がる事。
「邪魔だぁ!」
再度体当たりをしにきたクエレブレに、こちらも前進。衝突寸前でバレルロールにて回避しつつ、下から長い首を斬りつける。
一撃では肉や血管まで断てない。故に、もう1回転。
肉を裂き骨まで割った感触を確かめる間もなく、風を蹴って再加速を試みる。
だがこの吹雪の中だと言うのに空を駆ける自分は目立つのか、次々と追加の敵がやってきていた。
「どけよ、蜥蜴が!」
「──、───!」
地上からの声を無視し、吶喊。
前方から追加でやってきた3体へと、強行突破をしかける。
『GYYYY……!』
軋む様な音をあげて放たれた、散弾じみた氷の槍。それらに対し、迎撃では距離を離されると両手を交差させて跳び込んだ。
籠手と兜、胸甲で弾き飛ばし、強引に間合いをつめる。衝撃でバランスを崩しかけるも、強く踏み込む事で無理矢理たて直した。
そのまま、先頭を飛ぶ個体とすれ違いざまに一閃。開かれた口に刃を滑り込ませ、上顎を切り飛ばす。
続けて弧を描く様に横から噛みつきにきたクエレブレの右目を剣で斬り払い、その隙に背後から近づいてきた竜に裏拳を叩き込む。
放置して進む事は、出来ない。怪物どもはギョロリと目を動かし、空中で互いの尻尾を追いかける様に巨体をくねらせた。
岩盤じみた身体で進路を塞がれた直後、至近距離で2つの口から紫色のブレスが浴びせかけられる。
氷の粒が混ざったそれは、恐らく毒だ。だが、そんな物は目くらましにしかならない。
「邪魔だって、言っているだろうが!」
魔力で大まかな位置を読み、首辺りに剣を叩き込む。返す刀でもう1体も斬りつければ、妙に柔らかい鱗に当たってそのまま頭を切り飛ばした。
だが、直後に斜め上から自分目掛けて急降下してくる別の魔力を察知。咄嗟に左腕を掲げる。
「ぐぅ……!」
こちらを噛み砕きにきた顎の、上顎を左腕が、下顎を左膝が押さえた。
だが勢いが止められない。軽トラほどもある巨体の重量と加速に、地面へと叩き落とされる。
右足1本で着地した瞬間、凄まじい衝撃と激痛が走った。積もった雪を煙の様にまき散らし、そのまま後ろ方向へ滑走。フェンスを吹き飛ばし、背中に硬い物がぶつかってようやく停止した。
「ぐ、ぉぉ……!」
一瞬だけ途切れかける意識。力が緩んだ手足から一旦顎を引き、クエレブレはすぐさま頭に牙をたてようとする。
しかしその側頭部に石の槍が直撃し、軌道が逸れて背後の壁を噛み砕いた。
舞い上がるコンクリの破片。間髪入れずに飛び退きながら剣を引き絞り、槍で割れた鱗へと突きを放つ。
頭蓋骨を貫き脳に切っ先を届かせ、風で中身を掻きまわす。ビクリ、と跳ねた身体から剣を抜けば、白い塩が散らばって雪に混ざった。
「っ、はぁぁ……!」
まだ衝撃が残っているのか、足元がふらつき近くの壁に手を付いた。軽く視線を巡らせれば、どうやらコンビニの後ろ側に自分はぶつかったらしい。
揺れる視界が治まるなり、剣を握り直して顔をあげる。
「京太君!」
「ミーアさん……!」
壊れたフェンスの隙間を通り、ミーアさんが駆けて来た。あの石の槍は、彼女の魔法か。
「援護、ありがとうございます……」
「それより!姉さんが!姉さんが連れ去られて……!」
「ええ。助けに行きます。とにかく追いかけないと……?」
空を見上げ、アイラさんが連れ去られた方向を確認しようとした。そして違和感に気づく。
四方八方から悲鳴が聞こえるが、その内の幾つかは空からだ。
最初は咥えた人間をすぐに地上へ落としているのだが、魔力の反応からして一部のクエレブレどもはそのままどこかへと飛行を続けている。それも、1つの方向に。
1カ所に人間を運んでいる?選定基準は?目的は?わからない。
わからないが……希望は見えた。
「アイラさんはまだ生きている可能性が高い……!あの方角に飛んでいったのでしょうか……?」
「わ、わかりません。エリナさんは、助けを呼んでくるって……」
「助け?」
酷く混乱した様子のミーアさんが言った言葉に、疑問符を浮かべる。そう言えばエリナさんがいない。
自衛隊か、警察か。どちらにしても、通報なんて既にそこら中からされているはずだ。今更、わざわざ伝えに行く必要があるとも思えない。
だが、彼女の意図を察する間もなく次の怪物がやってくる。
「ミーアさん、下がって。今は敵を蹴散らして、アイラさんを追いかけないと」
「はい!」
また1匹、クエレブレが飛んできていた。
低空飛行で地面と水平になり、その顎が開かれる。氷の槍が来ると、身構えた瞬間。
横から現れた何者かが、鱗に覆われた横っ面に跳び蹴りで抉り飛ばした。
「なっ」
急展開の連続に、一瞬だけ呆けてしまう。
降り積もった雪が舞い上がる中、黄金の鎖が宙を駆け巡るのが見えた。
それらが瞬く間にクエレブレの翼や尻尾を拘束し、固定する。当然怪物は藻掻くが、縛られた箇所はビクともしない。
高純度の魔力で編まれた鎖が、信じられない強度を発揮している?
いいや、違う。
アレは、『時間そのもの』を縛っているのだ。
『GY、GAAAA!』
雄叫びをあげるクエレブレの顔面を、華奢な足が踏みつける。そして、ギチギチという弓を引き絞る音。
直後、轟音が響き渡る。血の混じった雪が盛大に巻き上がり、その下にあったアスファルトも砕いたのか灰色の破片や土までもが飛び散った。
緊急事態だというのに、ミーアさんと2人して呆然とその光景を眺める事しか出来ない。
それを成した人物が、あまりにも予想外過ぎたから。
「状況は、エリナから聞きました」
落ち着いた声。雪にも負けぬ白く美しい肌。
緑と青を基調とした軽鎧と、手足を大胆に露出した衣装。その手には身の丈を超える弓が握られ、リムの部分には朱色の包帯めいた物が巻かれていた。
青い腰布をたなびかせながら歩く装いは、雪景色の中ではあまりに寒そうだというのに。しかし彼女の歩みに不安定さは一切ない。
「アイラを助けに行きます。協力してください」
普段は凪いだ湖面の様な瞳を怒りで燃え上がらせた、有栖川教授がそこにいた。
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