風呂場事件
空が高く寒い冬の日。
放課後の教室。
窓側の席には一人の少年と少女が席に座っている。
少女は机に肩肘をつき、寝息を立てていた。
その頬には一筋の涙が流れ、太陽の光で照らされ眩しい。
ー数分後、私は目を覚ました。それ気づいた目の前に座っている男子生徒が微笑みながら声をかけてきた。
「おはよ。泣いてたけど、どうしたの?」
「...嘘。泣いてた?」
とっさに私は頬に触れ確認する。泣いていた?私が?なぜに?私は動揺しながら彼のほうに目線をやる。
「鏡、貸そうか?」
そう言って彼はポケットから小さい手鏡と櫛を取り出し、机の上に置いた。
「貸してくれ。...うわ、本当だ。」
手鏡で自分の顔を見ると、確かに頬に涙が伝っていた。私は服の袖で涙を拭うと彼に手鏡を返した。
「なんか苦しそうにしてたけど...どうしたの?」
「自分語りは嫌いだ。」
「...そっか。じゃぁ話したいときにでも話してよ。」
「待て、無理やり聞かないのか?」
「なんで?無理やり聞く必要ある?本人が嫌がってるのにさ。」
「...お前は、そういう奴だったな。」
「いやこれ普通でしょ。」
なんだそれ、と笑いながら返す。
彼も一緒になって笑った。
30秒くらい笑いあった。
私が彼とこんな風に話せるようになったのは、きっとあの日からだ。
1年前の4月の出来事。
当時中学1年生だった私たちは友達作りという重大イベントを迎えている。
みんな積極的に声をかけ、放課後に遊ぶ約束を作り始めていた。
私?私はというと、一人だけ友達が出来た。
ふわふわ系の女子で、花が良く似合いそうな笑顔が特徴的だった。
彼女は、花宮美香と名乗った。
茶髪のふわっとしたショートヘアに、黒色の大きな目、身長はやや低め、学校指定のブレザーを着た彼女は正直とても可愛い。
休み時間の時、私が1人で読書をしていると美香は微笑みながら、
「お話ししよっ!」
と声をかけてくれる。
私はそれが嬉しかった。
美香に映画に誘われたときにはひたすら服に悩んだ。
美香はころころ表情が変わり、見ていて飽きない。
売店でクレープを買い、写真を撮り共有。
2人でプリクラを撮ったときには加工の盛り具合に驚いた。
そんな私を見た美香は、
「凄い技術だよね!私も最初撮ったときは驚いたよ~!」
と両腕を組み首を縦に振る仕草をする。
私はそんな美香と友達になれたことが純粋に嬉しかった。
「花宮さんは...欠席ですかね。何も連絡を受けていないのですが...誰か知っている人いますか?」
ある秋の朝、担任の先生がホームルームの時にそう言った。
周りを見渡したが、誰も手を挙げていなかった。
ホームルーム終了後、私は先生に呼ばれた。
「確か、花宮さんと仲良かったですよね。何か知りませんか?SNSとかで連絡を受けてるとかでも何でもよいのですが...」
「知りません。昨日の夜に謎解きゲームをした履歴しかありません。」
「その時何かおかしなことはありませんでしたか?いつもと様子が違うとかでも…」
「...強いて言えば、久々に通話しようと言われました。」
「その時通話は受けましたか?」
「はい。でも特に変わったことなんて...」
ない?本当にそう言い切れる?少しでも声色が違った?いつもの元気がなかった?眠いだけではなく単純にテンションが低かった?ため息をつくことがあった?あの時美香はどんな顔をしていた?そういえば最後通話を切るとき、美香はなんといっていた?あの時美香が言っていたのは__
「...!」
私の脳みその中で全ての情報がまとまった。
もし、私の結論が正しければ…!
「先生、早退します。」
「大丈夫ですか!?保健室行きますか!?」
「いえ、家に両親はいないので、美香の家で安静にしてきます。」
「...分かりました。では、今からあなたは体調不良ということで自宅療養するんですね?」
「はい。では、先生さようなら。」
「ええ、お大事になさってください。くれぐれもお気をつけて。」
校門を出ると私は全力疾走で美香の家に向かった。
50メートル走、7.7秒のラッキーセブン。
小学生の頃から足は速かったのが幸運だ。
『この駄菓子屋さんの角を右に曲がって、まっすぐ進むと郵便局が見えてくるでしょ?そこを左に曲がって坂道を下ったら私の家はすぐそこだよ!』
昔美香に教えてもらった通りに進む。休業の看板が貼られた駄菓子屋さんを右に曲がり、真っすぐ走る。自転車が数台停まった郵便局を左に勢いよく曲がり、坂道を全力で下る。
『ここが私の家だよ!一軒家なんだ~!どうぞ上がって!』
赤色の屋根が印象的な2階建ての一軒家。
私は息を切らしながらインターホンを鳴らす。
ーピーンポーンー
数秒後、インターホンからは今にも消えそうな声で
{...ドアは開いてるよ。}
と聞こえた。
私はすぐさまドアを開け、家の中に入った。
靴を脱ぎ棄て、美香の名前を何度も叫びながら部屋を走り回る。
「美香!どこの部屋にいる!?」
応答の声は聞こえなかったが、2階から物音がした。
私は階段をかけ上り、「♡MIKA♡」と書かれた看板があるドアの前に立ち止まった。
深呼吸をし、息を整えると、
「美香?入るよ?」
と言い、ドアノブを捻った。
部屋のカーテンは閉められ、電気もついていなかった。
人影を探したが、どこにも見つからなかった。
机の下、ベッドの下や毛布の中、くまなく探したが見当たらなかった。
10分程たっただろうか。
私は冷や汗が流れ、息切れをし始めていた。
その時だった。
部屋の奥から、紙の落ちる音がした。
私はハッとし、ドアを勢いよく開け、床に落ちていた紙を拾った。
紙にはこう書いてあった。
私を探しに来た人へ
探しに来てくれてありがとう。
でもごめんなさい。
ほっといて。
花宮美香
私は紙を鞄のポケットに押し込むと、2階の部屋を探し回った。
私がインターホンを押した時に聞いたのは間違いなく美香の声だった。
そして、この家から聞こえた音はさっき2階から聞こえた物音のみ。
つまり、美香はインターホンに応答してからこの家から出ていない。
そして私が紙を読んでいるときに階段を上り下りした音は聞こえなかった。
この家のインターホンは2階にある。
私の思う結論はこうだ。
私がインターホンを押すと、2階にいる美香が応じた。私は1階で部屋を暗記しながら、美香を探していると2階から物音が聞こえ、私が2階で美香を探し始めるものの、時間だけが流れる。すると、なんらかの形で紙が落ちる。1階には、キッチン、リビング、客間、トイレ、物置部屋があった。となると必然的に2階には洗面所、風呂場、美香の部屋、両親の部屋(多分)があると推測できる。そして美香は2階から動いていない。最後に、昨日通話を切るときに聞いた美香のセリフ。
『ニュースするね。』
一見、謎のセリフだがこれは空耳でそう聞こえただけ。
実際にはこう言ったと思う。
『入水するね。』
私はその答え合わせのため洗面所のドアを開き、奥にいる美香に会うため風呂場の扉を開いて叫ぶ。
「美香!これが謎解きの答えだろ!」
「...」
美香は昨日の謎解きで不審な問題を出した。
『私の隠れた場所はどこでしょう?』
その時私は、通話越しだから知らない!と笑いながら言ったが、本当は今日どこで自殺をするかをあてる謎解きだったのだ。
「美香!今すぐ立ち上がれ!このままだと本当に死ぬ!」
美香は今、風呂のお湯の中に顔を沈め、入水自殺を試みている。
恐らくインターホンを鳴らした時に一度出たから少し呼吸できる時間は増えたが、それでも10分以上は経過している。
「...」
「美香!待ってろ!私が今すぐ立ち上がらせる!」
私は鞄を床に落とし着ていたパーカーを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり上げ、美香の脇下に手をかけた。
美香の着ているジャージは濡れ、重さが増している。
私はなんとか力ずくで美香の体を持ち上げた。
彼女の顔を見ようと顎を天井のほうに向けると、美香は目を閉じていた。
嫌な未来が脳裏を過った。
恐る恐る美香の手首に指を当て、脈を測ると無反応だった。
美香を下ろし急いでスマホを取りに走った。
スマホの緊急通報を開く。
番号を入力しようとしたが、焦りで指が上手く動かない。
なんとか入力し、赤い通話ボタンを押す。
約5秒後、スマホから声が聞こえてきた。
『消防ですか?救急ですか?』
「救急です!早く...来てください…!」
『落ち着いて!住所はどこですか?容体は!?』
「住所は東京の…容体は、脈がないです...」
『すぐ救急車が向かいます。原因は分かりますか?』
「...入水自殺です。」
『何分経過したか分かりますか?』
「10分以上は...経ってると思います...」
『今救急車が向かっています。ドアの前で立っていてください。』
「...はい」
そこで通話は切れた。
遠くから救急車のあの音が聞こえ、私は階段を下り玄関のドアを開いた。
外は、秋なのに太陽がまぶしかった。
そのくせ、風があって気温は少し寒いくらいだった。
30秒後、救急車が到着した。
中から救急隊員の人がぞろぞろと出てきて、ワゴンを運んでいる人もいた。
「通報した家はこちらであっていますか?」
「...はい。2階…風呂場に...」
「2階の風呂場ですね。すぐ向かいます。大丈夫です。必ず助けますから。」
どうせ無理かもしれないと分かっている。
あの時脳裏に過った嫌な未来。
それは美香が助からず私が病室のベッドで泣いているシーン、学校のホームルームで美香の死亡を伝えられるシーンの2つ。
そもそも私は美香が風呂場で入水自殺を試みているときになんですぐ通報しなかった?あの時すぐに呼んでいれば少しは生存している可能性はあった?どうして昨日時点で異変に気づけなかった?半年以上一緒にいたのに?
ーあぁ、私は馬鹿だ。
美香も救えなかった。人の心理状況を見れたら、少しは犠牲者を出さずに済んだのだろうか。
もし、心理状況の危険レベルを数値化できたら私の数値はきっと最大値の10に近い7くらいだろう。
【心理状況の危険レベル】
私:9レベル
花宮美香:0レベル
※この物語はフィクションです。