第1話 疑問
空知要は、情報が外見年齢20代半ばと名前ぐらいしか情報のない男に纏わりつかれていた。
「空知要、まだ進展はないのかい。」
「冥さん、うるさい」
冥の奉神と名乗った男を邪険にするわけにもいかず、空知要は辟易としながらも適当に返事をする。自宅の浴室に突如現れた理由も、空知要に付きまとう理由もわからない。わからないけれど、不信感も遠ざける気持ちも湧かず、時折現れる彼の戯れに付き合って、かれこれ二週間が経過した。
二週間は検査入院等、過保護な両親による庇護のもと自宅にいたため、久方ぶりの高校である。
幸福の奉神に身体を放り投げられた際に掴まれていた左腕は、案の定折れていた。
しかも複雑骨折である。全治半年、最悪一年はかかる。
三角巾に覆われた左腕を見つめてため息を吐く。
新学期早々ついていない。
「その腕だと暫く苦労するね」
「そうだね。まあ腕だけで済んだから…。」
「腕だけで済んだのは導師のおかげ…。」
「それ何回目?」
中身も意味もない会話ばかりを続けている。
冥は空知要に事あるごとに話しかけてくる。
病院へ行くときや気分転換のために散歩するときには、内側に大輪の花が咲き誇る不思議な黒い傘をさして冥の奉神が現れる。
今も、口にチョコレートバーを咥えながら、傘の持ち柄をくるくると回転させている。
空知要は175cm、冥の奉神は目測190cm近い。目線を上げ、冥の奉神を見つめる。
「冥さん、俺これから授業なんだ。ひとまずここでお別れだ。貴方が俺を助けてくれたから、出来る限り話には付き合うけど、学生の権利は奪わないでくれよ。」
「ああ勉強が必要なのは、理解しているとも。邪魔をするなとも厄介な御仁からも厳命されている。でもね、本当に大丈夫かい?」
「なにが…幸福の奉神ならもう捕まえただろ。それに俺はPTSDも出てないし、心配されるようなことはないはずだけど」
「君が”本来の視界”を取り戻し始めていることが心配なんだ。導師が傍にいたほうが概ね安心かと思ったんだが…」
「俺の疑問ばかり増やさないでくれ。本来の視界ってなんだ。貴方はどうして俺に付きまとう。貴方は俺の何を知っている。貴方は何なんだ。」
冥は鼈甲色の瞳に真摯な光を浮かべて空知要の問いに返答する。
「人が不死国に関わることを理解するには時間と順序が必要だからだ。その疑問は順を追って解消されると明言しよう。」
空知要はわざと前面に不満を押し出した表情を浮かべた。冥はう~んと困り眉になる。
「ならひとつだけ。」
「うん、なんだ」
空知要は早速自身の疑問が一つ解消されると悟り、目を輝かせる。
さあ、どの疑問が解消されるのだろう。
「導師は…」
「ああ。」
「ロマンチックな出会いと別れが大好きなんだ。」
「…いってきます」
空知要は足早に立ち去った。
突然ロマンチックが好きだと公言した、チョコレートバーを咥えた派手な傘を持つ190cm男
不審な点しかない男に付き合う必要はないと学びを得た空知要であった。
自身に背を向けて走り去る学生服に覆われた背を見つめる。
先ほど自身に向けられた、すべてを見通す灰色の瞳を思い出して笑みを零す。
「いつの君も、間近に迫る危機を指先で跳ね除けてしまうのだろう。」
冥の奉神は、傘越しに青々と広がる空を見上げて空気を吸い込んだ。