第一話
「姫様、今すぐお逃げください!」
双子と主婦が去って少し経った頃、帰ってきて早々に叫ぶサーシャを見て、リジェは薬を調薬していた手を止める。
そして、からかうように口元をニヤニヤと緩めた。サーシャがリジェを「姫様」と呼ぶことなど滅多にないのだから、相当に焦っているらしい、といたずら心が湧いたのだ。
「ふうん、どうしたの? 他の誰でもなく、偉大なるサーシャ様がそんなに慌てるだなんて珍しい」
「…冗談を言っている場合ではありません。町の中心に魔物が出現しました」
魔物が出現したというサーシャの報告に、リジェはピクリと眉を動かす。
「被害は?」
「町の部隊が対応していますが、十分も持たないかと」
通常の魔物ならば、そこまで手こずることはない。想定よりも思わしくない状況に、リジェは思わず顔をしかめた。
「魔物への対策は万全のはずじゃなかった?」
ブランシャ王国は魔物が頻繁に出現する国。ブランシャの町ならば、魔物対策は既に整っているはずだ。そんなリジェのその考えを汲み取るように、サーシャがこくりと頷く。
「何者かが意図的に魔物を放ったようです」
「根拠は?」
「召喚の魔法陣を近くで発見しました」
「はあ…とりあえず、現場に行ったほうがよさそうね」
サーシャの声が、外に行こうと立ち上がったリジェを止める。
「行けません。お逃げください」
サーシャはリジェの頑固な性格を知っている。そしてサーシャ自身も面倒なことはしないタイプだ。引き留めるなんてらしくない行動の意図を読み取ろうと、リジェはサーシャの顔をじっと見つめる。
「なぜ? 私が自分の身を守れる術を持っていることくらい、サーシャも知ってるでしょ?」
「…」
押し黙るサーシャを訝しながらも、リジェは時間がないがため、ひとまず現場に行くことを優先することにする。
「理由を言うつもりがないのなら、止めないで。いいね?」
「…承知しました」
浮かない顔をするサーシャを尻目に、リジェは隠してあった剣を取り、外に出た。
「サーシャ、あなたは召喚の魔法陣の周りを見張ってて。もしかしたら犯人が戻ってくるかもしれない」
御意、という言葉を残し、サーシャは姿を消す。そしてリジェも、魔物のいる町の中心へ向かい走った。
◇◇◇
町の中心に着き、目立たぬよう死角に魔物をおびき寄せ仕留める、を繰り返しながら、リジェは思う。
(こんなにいるなんて、聞いてないって! 確かに部隊だけじゃ十分も持たないとは言っていたけど…)
「はあ…今仕留めたので五匹。で、残ってるのが二十匹以上。どんだけ召喚したわけ?」
しかもローブをかぶりながら戦っているから、仕留めるのにいつもより時間がかかる――リジェがそう考えているとき、辺りに響き渡るほどの子供の悲鳴が二つ、唐突に上がる。
リジェは、その悲鳴に聞き覚えがあった。
(今日店に来た双子の声!?)
リジェは慌てて悲鳴のしたほうを振り向く。案の定リジェの目に映ったのは、二匹の魔物に追い込まれている双子の姿だった。離れ離れになってしまったのか、母親の姿はない。
蜘蛛型の魔物が双子を攻撃しようとしたその時、ある男がその魔物を剣で斬り、双子は間一髪で傷を負わずにすむ。
しかし安心したのも束の間、リジェは、もう一匹の魔物も双子に襲い掛かろうとしていることに気づく。男もそのことに気づいているようだ。
(ダメだ、あの位置関係じゃ、あの男がどんなに腕利きでも、双子を庇おうとすれば重傷は免れない。双子はあの飴玉を舐めているおかげで、どんな攻撃も軽傷で済むというのに!)
リジェが懸念した通り、男は自身の身に構わず双子を庇おうとする。
「あーっもう知らない!」
意を決したリジェは異能を発動し、魔物の後ろに転移する。そして、一瞬で魔物を切り裂いた。
「…はあ、危機一髪」
そう呟くと、リジェはこみ上げてくる怒りに身を任せ、男の胸倉を掴む。
「あんたねえ、子供を助けたかったのは分かるけど、身を挺する必要はないでしょ!」
そんなリジェを、男は冷たく見据える。
「では、見殺しにしろと? 助けてくれたのには感謝するが、余計なお節介はいらない」
「……」
双子は魔法の飴を食べたから大丈夫だった、と言うわけにもいかず、リジェはぐっと押し黙る。
「何が欲しい? 金か?」
「は?」
非常識な質問に更に腹が立つリジェだが、大事にはしたくないことから、穏便に済ませることにする。
「結構。私はもう行くから」
パッと手を離すと、そう言葉を残し、リジェはその場を後にした。
(…何あいつ、気に食わない)
リジェは知らなかった。この出会いが、今後自分の身にどのような影響をもたらすのか。
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