平穏と帰路が遠すぎる
今日の月は大きく、その白さが一際目立って真っ黒な海に光の道を作っていた。
海へと吹く風は冷たい。
「シグ、風邪引くにゃよ」
「大丈夫だろ、多分。体は丈夫だし」
空中から音もなく現れた猫娘は魚をくわえていた。
「カルクくんは?」
「もう帰ってくるにゃ」
「そうか」
我ながら荒唐無稽な命乞いが通じちゃって、魔界では伝説レベルで『光の子』と言われてる人間と一緒に暮らしている魔王とは俺のことだ。
驚いたことに『光の子』――カルクくんも、俺と同じような世界から来た人間らしい。
多少の差異はあるみたいだったが、少なくとも魔法ではなく科学が発達した、地球という惑星に生きていて、さらにはその中の日本と呼ばれる島国に暮らしていたという点で俺たちは同類だった。
最も大きな違いは彼が一度死んで神の手によって生まれ変わった『転生者』で、俺は精神体だけこっちへやって来てしまった『憑依者』だというところだ。
カルクくんは俺の話を聞いた後、とりあえず俺の精神が元へ帰ってしまうまでは魔王を監視がてら保護することに決めた。
彼は神から悪の討伐という宿命を課された『光の子』だということを、魔王城の戦いの中で自覚したようで――どういうことだろう、事前に教えられてなかったのか? 適当だな――とりあえずは魔王軍の幹部を魔王討伐を掲げる連盟とやらに引渡し、魔王は亡命したということにしたらしい。
バレたらただじゃ済まないような危ない橋なのでは、と尋ねた俺にカルクくんは人形のような、あるいは能面のような無表情のまま言う。
「どうでもいい。もしバレたとしても、どうにもならない。誰もおれを殺せない。神でさえ」
起伏の乏しい声だったけど、どことなく憂いを帯びたものを感じた。
それと……なんとなく、俺よりよっぽど魔王の素質がありそうだとも。
カルクくんを生まれ変わらせたとかいう神様、なんか変なミスしちゃったのかな。
「ミーニャ、シグ。そこで何をしてる」
「あ! 来たにゃ!」
「おかえりカルクくん。夜風に当たってたんだ」
「そうか……あまり外へ出るなよ、昼に処刑予定だった幹部達が脱獄したらしいからな」
「えっ、そうなんだ。気を付けるよ」
「ああ」
ぜひそうしてくれ、と言って崖の一角に建った小屋へ入ろうとした彼に続こうとして、はたと気付く。
今、この人なんて言った?
「だ――え、脱獄?」
「やっぱ聞き違いじゃにゃかったんかい! どっ、ど、どういうことにゃカルク! あいつら逃げたんか!?」
「ああ、サヌバトロ牢獄が半壊したとか。魔王を探しているらしい」
「シンプルにやべーにゃ……」
「え、めっちゃ嫌なんだけど。殺されるかどっか閉じ込められるか封印されるかするじゃん、連盟とやること変わんないじゃん!」
「まあ、おれがいるから大丈夫だろう」
「な……なんか、カルクくんが言うとすげえ頼りになるな……」
「最強だからな」
「急に転生者らしいこと言うよね君」
珍しくその口の端が微妙に上げられる。
……笑った!?
それから数日後の昼、どこから嗅ぎつけたのか、まず最初にやって来たラムダをカルクくんが返り討ちにした。
その日の夜に怪我の手当すらしないままのラムダと、追加でクルエル嬢、イッカクというキレキレトリオが突撃してきて、その次の日の夜にはマヤを含め幹部の全員が殴り込んで来た。
それを難無くいなしたカルクくんは、虫の息の彼らを前に武器を下ろしてため息をつく。
「揃いも揃って面倒だな。一度敗北したのを忘れたのか? 俺は神との制約により生物を殺せない。だから、ぜひそちらで諦めてくれると嬉しい」
そんな制約あったんだ、と思うより前に、正しく『ヒーロー』という呼び名が相応しいカルクくんのその背中に惚れてしまった。
……俺もそっち側が良かったなあ。
「行こう、ここはもう使えない。新しい家を探すぞ」
「あ、うん」
「かなり執拗そうだが、まあ、お前が帰るまでは面倒は見るさ」
なんだろう……すごく、保護者だ。
いやもはや守護者だ。毎日拝もう。
「おいこらァ! イチャイチャすんにゃ!」
ミーニャへ。
嫉妬してくれるのは可愛いですが、それは誤解です。間違いなく。
「……できるだけ早く帰ってくれると助かるんだが」
「すんませんホント」
彼もまさか幹部や連盟からの逃亡生活が一年も続くとは思っていなかったようで、薄ぼんやりと祝福の光に包まれた『光の子』はほんの少し、疲れた顔をしていた。
俺、いつ帰れるんだろ。




