下っ端は可愛いんですけどね
念の為の療養期間ということで、一週間の休みが与えられてベッドの上でぬくぬくし続けて早五日。
休みと言っても普段からそう複雑な仕事してる訳でもないし、本格的なニートになっただけでいつもと変わらなかった。魔法書をちょっと読んでみたり、元の世界に帰りたいなぁとぼんやり思ってみたり、寝たり、食べたり。
毒でただれていたっぽい喉も最初の一日くらいでほぼ治ったし、もう毒の影響は残っていないと思う。
昔、インフルエンザにかかったときに最初の二日三日で治って、実質ただの連休になったのと同じような感覚だ。外には出れないけど休みなので暇的な。
憑依召喚のしくみみたいなのが書いていないか、スピリチュアルっぽい魔法書を読んでいると、コンコンコン、と間隔短く扉がノックされた。
いつもこの時間にやって来る給仕係の叩き方と違ったので不思議に思いつつも「どうぞ」と声をかけると、結構大きな音を立てて扉が開かれる。
「シグー! ご飯持ってきてやったにゃ!」
「……ミーニャ? 給仕の子はどうした」
「毎回同じやつで見飽きたろうから代わってやったにゃ」
「ええ……? あの子も一応仕事だから勝手に代わっちゃダメだよ」
「にゃ……ミーニャだってシグの部屋入りたいにゃ!」
「ああ、そっちが本心か……まあ、運んでくれたのはありがとう」
「にゃ!」
頭に生えた猫耳をぴょこぴょこさせた下っ端の猫人間ミーニャは、ワゴンを室内に入れ終わると真っ先にベッド目掛けて跳んできた。
「うわっ」
「ひゃーシグのベッドはやっぱ最高だにゃー! 魔王にゃだけあるにゃ!」
「……ミーニャ、俺飯食いたいんだけど」
「好きに食うといいにゃ」
「あ、はい」
ふかふかの布団に埋もれ、幸せそうにごろごろし始めた猫娘にベッドを明け渡してワゴンの上の食べ物を適当につまむ。
途中、大皿料理のクローシュを開けると魚が出てきた。好物を目敏く見つけたミーニャが案の定布団に包まりながらこちらへ降りてきたので譲ると、犬食いし始めたので顔周りの布団を剥ぐ。
「んめー!」
「布団汚したらマヤが煩いから汚さないでくれよ」
「スペアがあるにゃらいいじゃにゃい」
「どこのお妃様だよ……あとせめてフォーク使いなさいフォーク」
「ミーニャは文明化の波に乗らにゃい」
「なら牧草の上で寝るか?」
「やにゃ!」
むん、と口を尖らせたミーニャの、魚にかかっていたソースでべとべとになった顔をナプキンで拭いてやる。
「幹部が全員君みたいに可愛いだけだったら良いんだけどなあ」
「ミーニャは可愛いだけじゃにゃい! 賢いのにゃ!」
「そうだね」
「にゃんじゃあその温い目は!?」
髪の毛を逆立てたこの子猫を含め、下っ端達は比較的まともなんだけどなあ。
◇
ミーニャは猫人族の少女である。
魔王に仕える身ではあるが職位は所謂三下であり、本来であれば城に入ることもほとんどないはずなのだが、その気ままな性格と特異な能力から、頻繁に城の出入りを繰り返していた。
ミーニャは姿を隠すのが得意であった。
気配を消せる上に、その姿すらも消えてみせることができる。
さらに厚めの壁くらいであれば通り抜けることもできた。これのおかげで、彼女が行きたいと思ったところはたいていどこにでも入れた。
能力が能力なので、記憶を失う以前の魔王や、その腹心であるマヤなどに無闇に能力を使っていたずらをしないことをかなりの頻度で念押しされていた。
しかし当のミーニャは自由を生きる猫人族なので、その約束を結構な割合で破っていた。バレなければ大丈夫という理屈によるものだったが、これが意外と上手くいき、今日までキツいお灸を据えられるような事態にはなっていない。
魔王城を姿を消して自由気ままに歩くことができる彼女は、当然、魔王城内で起こることに関してそれなりに物知りである。
例えば、品行方正かつ穏やかで、近頃暴走気味の幹部達を上手く調整している魔王の腹心の企み。
魔王シグステラルが記憶を失って以降、どこか抜けていて危ういぼんやりとした人格になってしまったことに漬け込んで、魔王の部屋へ勝手に出入りしている。
本来魔王の部屋は、腹心のマヤでさえおいそれと入ることは許可されていないはずなのだが、「シグ様の職務の補佐のため」と入り浸る毎日である。
おまけにその腹心が日々寝る前、必ずペンを走らせる日記。
それの内容がどうも異常で、好奇心でうっかり覗いてしまったその中には、シグステラルへの病的なまでの執着心が渦巻いていた。下手をすれば殺意と紙一重の文言だってあったのだ。
よくそれでイッカクを諭せたもんだにゃ、というのが率直な感想である。
他には、そう、これは誰にも言っていない、おそらく言ったら最後、お灸どころではなくなる秘密も知っている。
既に『処理』された毒殺犯の下っ端と、クルエル嬢が繋がっていたこと。
深い愛情をもってして完成する凶悪な毒薬を、あの下っ端が作れるはずがないし、そもそもその製法を知っているとは思えない。あの毒薬を作るには、それだけ高度な技術と禁じられた知識を追い求める執念が必要なのだ。
ミーニャは、クルエル嬢の私室にある禁書を詰めた本棚でそれを知った。
そして、あの日より前にクルエル嬢は『処理』された下っ端へ、仕事の報酬として貴重なポーションを特別に渡したらしい。
内々にあった詳しいやりとりは不明だが、教唆者はクルエル嬢の線が濃いだろう。
その他にもたくさんの秘密を知っているミーニャは、この魔王城が、今の間抜けでクソ雑魚なシグステラルにとって安息の地などでは無いと真の意味で理解していた。
冗談のような顔をして、軽妙に、魔王へ日頃の鬱屈し歪曲した愛をもって、気付かないのならばこれ幸いと囲い込もうとしているのだ。
もうこの際だし、シグだけ残して全員『光の子』に追っ払われてくれんかにゃ……。
そう考えた矢先に魔王軍を窮地に追い込む事件が起こるというのは、流石のミーニャであっても分からないことだった。