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無事受験が終わり、大学の為に地方から引っ越し。田舎から都会にやってきた夏樹にとっては高層ビルや、駅にひしめき合う人などすべて目新しかった。
「ふぅ…」
額に浮かんだ汗をぬぐい、ひんやりとした空気が吹き抜ける地下道に逃げこむ。そこから徒歩5分ほどで夏樹にとってのオアシスに辿り着く。
「おかえりなさいませ」
そう、帰ってきたのだ。
「いつものお願いします」
「かしこまりました」
いつもの会話だ。安心する。これからもずっと通い続ける、と心に難く決意を固めた。今日のメイドさんも見目麗しい。一つ一つの所作が洗練されている。
「お待たせいたしました、ダージリンでございます。お注ぎしてもよろしいですか?」
「お願いします」
メイドさんと目が合い、声が裏返ってしまった。こちらの背筋もしゃん、とのびる。ダージリンの香りが夏樹の周りを囲む。
「失礼いたします」
天使がカウンターに戻ってしまわれた……。メイドさんを横目に紅茶をすする。
紅茶など全く嗜まない。だがここでは紅茶通のように振る舞う。実際ここの紅茶は美味しい。市販の人工的な香りだとか甘みが苦手で紅茶は美味しくないと昔から思っていたが、人が淹れてくれた紅茶は格別で、余計なものが入っていない紅茶本来の味に感動したものだった。
何度ここに訪れただろうか。
初めて訪れたのは大学の近くの物件に下見をしていた頃のことだった。
あまりの暑さに意識が朦朧としていたあの日、必死にチラシを配っているメイドさんを見た。とても困っている様子だったのでチラシを受け取りそのままメイドさんの誘導で扉を開けた。
「はぁ……」
おもわずため息が漏れた。
扉を開けるとそこには中世のイギリスを思わせる内装、アンティーク調の家具、濃紺を基調としたカーテン、レースをあしらったテーブルクロスにしっとりとしたBGMが流れている。素敵な喫茶店にたどり着いた。なぜこんなところに喫茶店が?という立地ではあったが、それが秘密の洋館という店名にふさわしい。店内ではお客さんそれぞれが思い思いの過ごし方をしていた。口下手な自分は進んでメイドさんとお話しすることはなかった。ただただ眺めているのが好きなのだ。
お気に入りの小説を片手に紅茶を飲む。
読むことに疲れたら目を閉じてBGMを聞く。
目を開くとメイドさんが見える。
夏樹にとって洋館は、癒しの場所、至福の時間であった。