お給仕日誌 小町
お給仕日程 小町
「おかえりなさいませ、ごしゅ、旦那様‼」
今日も元気にお客さんをお出迎えする。お嬢様の場合間違えることはないのだが、男性客の場合戸惑うことが多い。小町はかつていわゆる萌え系と呼ばれるメイド喫茶でアルバイトしていたことがあった。そこでの男性客の呼称は ご主人様 であった。故に洋館に来てから旦那様という呼び方をするのだと思うたびに間違えてしまうのである。
黒髪ボブにパッチリお目目の元気なメイド、昔働いていたという経験からトーク力もある。人気がないわけがなかった。活発に動いているが故に、お淑やかさは少し足りないという自覚がある。
「今日も元気だねぇ、小町ちゃん」
常連のフジモトさんだ。様々なコンセプトカフェに出入りしているおじさまで、お料理などをブログに書いているブロガーおじさん、小町は心の中でそう呼んでいる。
「フジモトさんもお元気そうで何よりです」
微笑む。なんと返すのが的確か、なんてことはもう考えなくとも体が勝手に動く、口も回る。ある種の才能であると思う。
「最近卒業イベントが多くて悲しくなっちゃうねぇ、小町ちゃんはまだ卒業しないよね?」
おじさんのこの発言で周りにいたお客さんが一斉にこちらを見ている、のを感じる。
「卒業するわけないじゃないですか~小町は永遠のメイドですよ~!」
ほっと胸をなでおろした大勢の客の反応をみて内心にやり、とする。
だが最近各地のメイド喫茶で、キャストが次々に卒業イベントをしているのはとても気になった。小町が昔働いていたメイド喫茶でもついこの間店一押しの可愛いキャストが卒業しているからだ。
「ならよかった、小町ちゃんがいる限り通い続けるぞ~」
フジモトが満面の笑みで意気込む。
小町はそんなフジモトのことよりも謎の卒業ラッシュについて考えを巡らせていた。
一般にコンセプトカフェでは規約違反であったり一身上の都合であったりで卒業するキャストが多い。学生のアルバイトであるならば、三月、四月が就職等を区切りに卒業するのは頷けるが今は七月。卒業には早すぎる。
チリン、と扉が開く。
「おかえりなさいませ、旦那様」
初見のお客様二名だ。
「メイドさんだ……どうする?メイドさんだよ!」
「わ~萌えビームください~!」
典型的なメイド喫茶オタクというか、なんというか。ここはそんな店ではないぞ、と内心突っ込む。
「おかえりなさいませ、二名様ですね、ご案内いたします」
反射的にカウンター、つまりメイドが作業する場所から一番遠い場所に誘導した。
「あのあの、メイドの萌え萌えオムライスとかってありますか?」
「ございません」
一人目のオタクが目を閉じた。
「あのあの、萌えビーム一回お願いしたいんですけど?」
「ございません」
二人目のオタクも目を閉じた。
なんなのだ、さっきからその顔は。小町は経験上たくさんのお客さんを見てきたが、このタイプは初めてだ。
「旦那様方、こちらのメニューの最初に当店で過ごして頂くにあたっての注意事項が記載されていますのでそちらご覧ください」
二人とも目を閉じている、もう知らない。反応が無いなら注文が決まるまで話しかけない。
「失礼致します」
小町は面倒ごとが嫌いだった。面倒な客も友達もいらない。
栞のことは好きだ、いい具合に面倒臭くない。研修が明けてから感情の起伏がなくなったのか、ここで演じるという事を分かったというのか、なんだかより人形のように美しく、儚くなったように感じる。小町は大学も中退した。小町の居場所はここしかない。
「メイドさん、オーダーお願いします」
そんな思いをメイド服の中にしまい、スカートを翻しオーダーを伺いに向かう。
「かしこまりました、お伺いいたします」
見るとそこには様変わりしたオタク達が居た。
眼鏡にキャラTシャツ、肩にはタオルの井出達だったが、いつの間にか眼鏡の曇りは取れ、タオルも折り畳まれている。Tシャツにプリントされたキャラクターだけが浮いて見えた。
「お伺い致します」
「ダージリン一つ御願い致します」
「私はローズティ一つ御願い致します、あの、先ほどはご無礼を致しました、申し訳ございません」
二人そろって頭を垂れる。
「い、いえ、大丈夫ですよ、旦那様方、気になさらないでください!」
面倒だと思ったのが少し申し訳なくなった。
「こちらの注意事項を読んで我々は過ちに気付きました。世界観を壊してしまう発言を一生悔い改めます」
聞き分けの良いオタクは好きだ。小町はちょっと嬉しくなって微笑んだ。
「では、お紅茶の準備をさせていただきますね!」
元気いっぱい返事をして紅茶を作る。
「お待たせいたしました、ローズティでございます。お注ぎしても宜しいですか?」
「お願い、致します」
「失礼致します」
ゆっくりと、こぼさないように丁寧に注ぐ。
「萌えビーム」
そっと小声でつぶやく。二人が目を丸くしてこっちを見ている。こういうサービス精神もありだなと思った、小町のお茶目なサービスだ。
「ごゆっくり、お寛ぎ下さいませ」
いつのまにかファンになってくれるお客さんは多い。しかしそれは恋愛的な意味で好いてくれているわけではないだろう。
洋館で働いているメイドは、他のメイド喫茶とは違って恋愛禁止では無い。応募要項に既婚者でも可 と入っているくらいだ。品性が足りていれば誰でも働くことができる。実際、小町には彼氏がいる。年上のとっても優しい彼氏で、大好きだ。
そんなことは公言しない、ここの世界観を崩す。
「いってらっしゃいませ」
本日最後のお客さんお見送りをして、クローズの作業に移る。
「見習い君、結構業務に慣れてきているようで安心したわ~また色々教えてあげて頂戴ね~」
「あぁ、はい」
他の男など興味もない。顔はほとんど見ていないがそれなりのルックスのようだ。だが小町の彼氏の方がかっこいいという自信がある、タイプではない。
洗ったグラスを拭きながら適当に返事をした。
「最近物騒な事件が多いみたいよ~、小町ちゃん家まで一人でしょう~?これから執事君に送って行ってもらう~?」
「いや、結構です、彼氏に送ってもらうので」
「あら、そう~なら安心ね」
「では、失礼します」
店長は実は小町が結構ドライな性格で、演じる能力がある事も知っている唯一の理解者だ。
「気を付けるのよ~」
彼氏に送ってもらうというのは嘘だ。帰り道は一人で帰りたい。
洋館から小町の実家まで徒歩十五分程、まあまあの距離がある。
少し不安があったため後ろを警戒しながら、早歩きで家路を急いだ。
「それにしても疲れたなぁ」
キャラを演じながら半日過ごすというのは精神をすり減らす。栞のあれは素なのだろうか。
考えごとをしていたら、後ろから迫っている影に気づかなかった。
バタバタと後ろから何かが迫ってくる音がした。メイド長から聞いた話と勝手に頭が結び付けて、本能的に殺されると思った。気のせい?いや、殺されては意味がない。杞憂であるなら杞憂でいい。
振り返ってはだめだ。見たからと言って殺される。
普段から運動はしない方だし、できなくて不自由することは今までなかった。家でもテレビを見ているだけ。運動といえばお給仕で歩くくらい。基本的な筋肉しか小町の足にはないだろう。
限界まで足を回す。がむしゃらに手も動かした。息も切れてきた。もう後ろに人がいるかどうかもわからない。
振り返らずに家まで来た。乱暴に扉を開けて鍵を閉める。
「はぁ、はぁ……はぁ」
なんだったのだ、さっきのは。
家じゅうの鍵がかかっているか確かめる。良かった全部かかっている。
胸を撫で下ろしてベッドに腰掛けた。
ピロロロロロッ――ピロロロロロッ――
声にならない悲鳴を上げた。着信だ。ディスプレイを確認するとメイド長からの電話だった。
「もしもし~あっ小町ちゃん?ごめんなさいね~急に電話掛けちゃって」
「大丈夫ですよ、どうかされました?」
「いやいや~物騒な事件が多いって言ったでしょう~?だから心配で」
本当のことを話すべきだろうか、だが確証がない。
「無事帰れましたよ、ご心配をお掛け致しました」
「なら良かったわ~春君に聞いたわよ、彼氏と仲良さそうに帰っていたって、うふふ、良かった良かった」
今日は一人で帰ったはずだが人違いだろうか、でもここで本当のことを言うと一人で帰ったのかと責められそうだ。
「はい、店長も気を付けてくださいね、おやすみなさい」
「おやすみなさい~」
電話を切り、考えを巡らせる。不可解な点が多すぎる。