55■ 箱庭の外側
「アナベル様。工作がしくじりました」
高価な調度品で整えられた寝室だった。
天蓋つきの寝台が据えられ、報告を聞く一人の令嬢がいた。
彼女の他に人影は無い、ただ男か女も分からない声が響く。
彼女は、横寝しながら配下の声だけの報告を黙って聞く。
「鎧が討ち破られ、当主重傷も目的は達成できずとのこと」
「御苦労、まあいいさ。どうせ楽に殺せるとは思ってねえ」
「…ファットマンの倅が武勇に優れるとは聞いておりませんが」
「ありゃ正面から見せる強さじゃないからな」
随分と雑な…そして令嬢では考えられないような粗野な物言いで令嬢は返事を返す。
その声は、少女にしては低い。
「んで、その豚の現状は?」
「当主就任と、屋敷の再建で頭を抱えているようです」
「なら、上出来だ」
令嬢は体を起こす。
彼女は寝台の上であぐらをかいた。
「じゃ次だ」
「よろしいので?」
声が怪訝そうに主に問い返す。
「ああ、シナリオ外の動きをしやがったから豚も転生かと思ったが違うようだ」
「転生、ですか」
「なんだ、俺の判断が誤ったことがあったか?」
「いえ…ですが…」
声の主の言う言葉を覚ったのだろう。
令嬢は、笑いながら答えた。
「これなら許せ…強制力だからな。まったくTS的な生活を10年近くやるとはな」
小便が大変だ。そう、彼はハッキリと言った。
容姿は中性的、だがその所作は男のソレ。
彼は声に言う。
「お前を拾ったのも転生と攻略本の知識だぞ?」
声は返答に窮する。
「固くなるなよ…なに、後すぐさ」
そうして彼は半生を振り返る。
自我が芽生えると、双子の妹がいると知った。
そして決定的な事件が起きた。
領地への移動中、敵対する貴族の襲撃を受け一家は呪われた。
やむなく彼は決断する。
…体面的に自分と当主は領地で療養のため隠棲したことにする。
こうして彼は父母を自領に押し込め妹と身分を取り換え、敵の目を欺いた。
「リリシアを手に入れれば、終わりだ」
アナベルは眼を細める。
自分は、このアクションRPG【ゲームオブアウトリュコス】の隠しヒーローだ。
二周目で攻略できるヒーローである。
彼は性別を偽り令嬢として過ごしている。一週目でもリリシアの友人となり手助けする。
二周目では、友情を信じリリシアに正体を吐露し、自分たちを陥れた貴族と戦う…
「ゲデヒトニスを倒し、ゼペットを排除する」
彼はそう続ける。
影が間を開けてから言う。
「現王朝が落ちると?」
「遠からずな、ウラージは先々代の運だけだった。あの臓腑公亡きあと、大陸との交易で財を集め臓腑公の後釜になったに過ぎない」
「臓腑公……」
「首塚が未だ王都に有るんだ、元は平民のな…あれがもし貴族出だったら霊廟すらあったろうよ」
アナベルは設定上のかつての覇者の名を上げた。
広大な現王都一帯をただ強かっただけで修めた梟雄。
それでいて、帝家に王権を強請らなかった異端者。
「彼こそ運だけでは?」
「あのゲデヒトニスが一度も勝てなかったのが運だけだと?」
アナベルはそこで歌うように呟いた。
「運も関係ない。せっかく転生したんだ……王にならなきゃ損だろ」
影は何も返事を返さない。
彼の眼が怪しく光った。
▽▽▽
天は漆黒。
輝くのは星々なのだが、その光は一切またたくことはない。
完全なる無音。
地に青い天体を見下ろしながら、【彼】は思考する。
――一蓮托生となった保護対象が行使する、謎の現象【魔法】。
彼は理詰めで動いてきた人間だった。
既に肉体は消え去り、血の通わない無機の棺桶に押し詰められようと、人であった頃から性分は変わらない。
彼にとって世界は物理法則に支配され、魔法は空想の産物であった。
神は信仰の中にあり、現実に出張るものではない。やや無神論の気のある彼はそう信じていた。
だからこそ、だ。
彼にとっては【魔法】も【ステータス】も嫌疑を向ける対象でしかなかった。
なるほど、事実として【ただの人間】が仕込みなしに火を吐く、水を操る、風を起こす、そいつは魔法だ。
だが彼の経験は、目の前の現象を本物の魔法だと判断しなかった。
それは彼の知識の中に物質生成を、たかだか人間一人の熱量で叶える方法は存在しなかっからであるし、何より彼の国には魔法が存在しなかったからだった。保護対象の暮らす国から隔絶した技術差をもつ彼の国でさえ、未だに無から有を作りだす真理は、まだ見出せていなかった。だと言うのにだ、この世界では何の機材も施設も必要なくソレが叶う。
彼はステータスのヘブライ語表記などこの世界の【魔法】を疑い続け、ついに疑問を実証する機会を得た。
疑問があれば実験するだけだ。
突発的な実行だったが、彼の予想通り彼は【魔法】を行使した。
そして何をこの世界の人間が犠牲にして【魔法】を放つかの答えも得た。
魔力と言ったが、彼の計測だと彼から失われたものは何もない。
ただ保護対象の熱量が消費されただけだった。
この事実を彼は思考する。
物理的にあり得ないが、想像の幅を広げてやればいい。
微小な機械が大気中に存在して、人間の熱量と引き換えに願望を叶えるのだとしたら?
それとも事象を転送する機械があって、望みどおりに持ってくるのだとしたら?
あるいは…眼下の世界は何もかもが実態が無く、それこそ彼のように無機で組まれた幻覚に成り立っているとか?
彼はそこまで思考を広げたものの、どれも違うだろうと否定した。
否定するだけの理由があり、同時に自分が保護対象と出会ったのも命令があったからだ。
敵は確かに存在していたし、同類もまた己と同じ命令、敵の殲滅を受けていた。
となれば眼下の世界が計算機の上に成り立つ幻と言うのはあり得ず、自己増殖するナノマシンの群体が散布され蠢いているのなら、どうして管理する者が存在しない状況でグレイグーを産まないのだろうか。世界全てがナノマシンで構成されていないと言うのは、保護対象の成分を分析した実績もある。
――ー確実に保護対象らの国の歴史の彼方には、確実に方舟が存在するだろう
人として播種されなければ、眼下の環境はあり得ない。
事実、彼らの主目的は人類の守護と確保である。
だからこそ、彼は疑う。
【魔法】そして【転生】が存在する、眼下の世界の在り方を…