54■ その頃の負け犬
理不尽に震えながら、ダットは橋の下で頭を抱えていた。
彼は決闘の直後からファットマンの手で様々な嫌がらせを受けていた。
何故か知らんが初対面からあのデブは自分が嫌いだったようだ。
…今思い出しても、ムカつく。
あのクソ肥満。
決闘後にヤツはクララを見、それから俺を見た。
あの目はヤバかった。
汚物を見るかのような視線で、クソデブは俺を蹴った。
突然のことに理解できないでいると、ヤツは言い放ったのだ。
「代理人は終了だ、犬。とっとと行け。金輪際クララとマリア…そしてモニカに近づくな」
理不尽に言い返す前に、私兵の手で頭を強打された事は覚えている。
気づけば、最低限の金だけ与えられスラム街に捨てられていた。
「……あのクソデブ!!」
ダットは橋の下で、何度目になるかも分からない恨みごとを呟いた。
そこからは散々だった。
マリアには親父さんの鉄壁の防御で近付けない。
駄目もとで頼んだ姉妹からも無視され、末のイケメン弟君からは憐みの目を向けられた。
冒険者ギルドも、豪傑の庵も、ファットマン家の私兵が監視しており近づくだけでダットはボコられた。
ここまではまだ分かる。
時折、ファットマンの私兵がやって来ては、
「イケメン死ね」
「若も時折いい仕事する…とりあえずゴミ喰らえ色男」
「負け犬」
「モニカさんにフラグ建てたなクソが」
「マリアたんは俺が嫁にするんだ、死ねい……おい、お前ら何で俺を囲む?」
とゴミを投げつけられるのは何故だろうか?
――――意味が分からない
ダットは、ため息をつきながら小石を拾って投げた。
ぽちゃんと河に落ちる。
色々と不味かった。
せっかく転生したのに、モブキャラ。
さらに本編中盤の敵役であるクソデブからは異様に嫌われている。
クソデブが本編通りのスペックなら逆立ちしても倒せないだろう。
「ヒロイン、ヒロインかあ…」
リリシア=レーレロイの事をダットは考えた。
THE乙女ゲー主人公なビジュアルのあの娘にも、思うところがある。
自分の持ち物だった、古い王家の首飾りを取られた相手であるのだ。
…確かにサブイベントで必要だけどさ。
ダットはため息をつく。
ダットは自分のバックグラウンドをある程度絞り込んでいた。
あの首飾りをもっていたことから、没設定である旧王家の傍流キャラ…おそらく自分が該当するのはソレだ。
「…はぁ」
ダットは何度目になるか分からないため息をついた。
前世よりもイケメンになった。
魔法も使える。喧嘩も強い。ロボも操縦出来る。
だが――
「金が、無い」
ダットは頭を掻き毟る。
現金獲得手段がほぼないのだ。
王都を出て農民するって手もあるが、基本都会っ子の自分に出来る気がしない。
転生あるあるの料理やチートも持ち合わせていない以上、ほぼ詰んでいる状態だ。
「……」
ダットは胡乱な眼で橋を見上げる。
何故自分は異世界でホームレスをしているのだろうか?
転生にしてもコレはいささかハードすぎるのではないか?
「…暗部系にコネクションもねえしな」
ダットは空腹を訴える腹をさすりながら、悪役令嬢を思い出す。
カーミラならコネがあるはずだ。
なんなら今から盗賊にでも…
「あ」
声が出た。
ダットはすっかり忘れていたが、このゲームの設定上、治外法権があるんだった。
「そうだよ、空賊と海賊があるじゃん」
すくっとダットは立ち上がる。
低血糖でぐらっとしたがまだ我慢できる。
水夫としてなら潜り込める。それに俺は複製魔法なんて魔法も使えるんだ。
「おっし…」
ダットは意を決し、数多の飛空船舶が飛び交う空港へと向かった。
▽▽▽
空賊の当主の息子であるローレンスは、組の皆から認められる男であった。
幼少期こそ、セストラルの州都でとある令嬢にお菓子で拉致監禁されるような甘さが見られた。
だが長じてからは、安易さが抑えられ荒くれを視線のみで沈黙させ束ねるだけの凄みが出てきた。
木端のチンピラでさえ轟くその名の通り、ローレンスは着々と父の後を継げる用に成長していた。
そんな旧都の暗黒街の顔役になりつつある彼は、今日も旧根城で部下たちとスポーツしていた。
ダットは目の前の光景に目が点となった。
カタギに見えない荒くれどもが、ユニフォームを来てアルティメットしているのにドン引きしたからである。
入れ墨をアホほど入れた筋骨隆々の空賊たちが、一つの革製フリスビーを奪い合う。
審判はいないのだが、荒くれどもは奇妙なほどスポーツマンシップに則って試合をしている。
案内してくれた年かさの空夫は、カラカラ笑いつつ言った。
「ああ、あれなあ坊っちゃんがなあ…入れこんどる貴族の娘っ子から教えてもらったラグビを俺ら好みにしたんや」
ラグビー。
いや、あれはラグビーか?
ダットは疑いの目でアルティメットを見る。
…火を纏ってタックルしたり、土魔法で高低差をつけてからトライするなんて信じられない。
てゆーか、荒くれがなんでスポーツ?
試合が終わったらしく、清々しい様子でユニホームを交換しあう荒くれ。
ますます混乱した。
「スポウツはええぞ、今までは空港の利用の序列は喧嘩か金やった。でもなあ、スポウツなら若い衆が死なんでもええ」
そう言ってもなあ…
ダットは胡乱な目をして年かさの空夫を見るしかなかった。
場面は少し過去に戻る。
複製魔法使いで元傭兵の鎧乗りだが、雇ってもらいたい。
ダットは自分の価値を最大限に使い旧都の空港で求人を求めた。
スラムの汚れを落とすため、こっそり噴水で全身洗ったのも地味に効いたらしい。
何故か来なかったファットマンの私兵の監視を振り切ったダットは、ローレンスが所属する旧都最大の空賊【月夜舞う梟団】の本拠地にたどり着いていた。
空賊にも常に人材を募集している事情があるが、ダットがこれだけ早く面会を取り付けたのには理由がある。
ダットはすっかり忘れていたが、決闘騒ぎで貴族の鎧を落とした一戦をローレンスはよく覚えていた。
だからこそ、ダットが訪ねてきたということで彼は即座に面談を快諾した。
ただ、まさか本人がアポなし現地訪問してきているとまで連絡が上がらなかったため、ローレンスは趣味であるアルティメットを切り上げることが出来なかったのだった。
着替えがあると待たされたダットは、空港の一室に通された。
ほぼ飲まず食わずで過ごしてきた彼は、出されたぬるい茶すらありがたい。
ちびちびダットが飲んでいると、ローレンスがやってきた。
「待たせて悪いな、傭兵」
上から目線はゲーム通りか。
現地点で悪役令嬢に陥落されているとは知らないダットはローレンスを見る。
ローレンス、彼は姓を持てたない最下層出身だ。
よって彼はゲーム中盤まで「梟のローレンス」と名乗っている。
「いえ、梟のローレンスと会えるなんて光栄です」
ダットはゲームし知識を総動員しながら会話を試みる。
ダットは目の前の青年の設定を思い出す。
ローレンスは隠しキャラだ。
二周目の前半イベントであるフィールドワーク時に主人公と出会う。
主人公は自由な彼に魅かれ、彼もまた貴族らしからぬ主人公に好感を抱く。
ゲーム後半からは、空賊のコネと…本人や彼の家族も知りえなかった貴族の血を知り、乱世にて名乗りを上げる。
ゲーム中のスペックは特筆することとして、初期から飛行船舶を大量に動員できることが上げられる。
欠点としては、珊瑚や残る追加攻略対象のロラン同様、実家として兵を獲得しづらいことか…
「よせよ、大したもんじゃない」
ローレンスは照れることなく否定する。
気さくな兄貴的性格をゲーム中ではしていたが、どうにも目の前のローレンスも同じようだ。
「スラムでも名前をよく聞きましたよ」
彼は口の端を動かすと、この話題は終わりだとばかりに話しを変える。
「んで、傭兵はなんでウチに?まあ実際ウチが最大手だが、空賊のロクでもなさは知ってんだろ?」
ローレンスの言葉にウソは無い。
空賊の名の通り、彼らの本質は盗賊と同義だ。空を駆ける船を操り、荷を奪う。それが空賊の正しい形だ。
だが、乱世が続き未だ火種が燻ぶるアンケルト大島では事情が少し異なる。
乱世により街道が封鎖されたとしても空は続いている。
商機と商圏を守るため武装した商人が空賊まがいのことを始めるのは不自然なことではなかった。
こうしてアンケルトの空賊は、時に商人、時に貴族の雇兵、そして盗賊と様々な顔を持つことになった。
そんなアンケルト空賊の中で【月夜舞う梟団】は、旧都を本拠とし一帯の空を抑えることで権勢を誇った。
この権勢の源は、とある締約によるところが大きい。
物流を担うこと、そして敵対商人の排除すること。
この締約を【月夜舞う梟団】が旧都周辺の商人ギルドと締約を結んだためだった。
その上で、ダットはローレンスを見る。
現王家はいまだ奴隷を禁止していない、ローレンスはゲーム中では明言していなかったが彼らが正義の義賊でないのは間違いない。
今は、まだ、だが。
「傭兵ですよ。貴族様に言われりゃ、村や町への火つけ、略奪も日常茶飯事でしたから」
ダットが自分の経験を話すと、ローレンスは満足そうな顔をする。
「ならいいぜ。俺は傭兵、アンタを気に入った。腕も立つんだろう?」
「……まあ」
謙遜したのは、咄嗟の判断だった。
ダット本人としてはゲーム中に出てくる敵より強いなんてとても言えないが、一般人以上の自負はある。
けれど無名モブでもモニカの父のように、自分を完全封殺出来るような猛者もいるのだ。
調子にのって強さを盛るとロクなことが無い。その判断からだった。
「複製なんて珍しいものをもんてんだろ、そこは誇れよ」
気安そうにローレンスは言う。
どうやら、関門の一つは突破できたか…
そう安心したダットは話しを勧めようとしたのだが、叶わなかった。
二人が話し込んでいた一室に、若手の空夫が駆けこんでくる。
「坊っちゃん大変です!」
「坊っちゃん言うな!で、どうした?カチコミか?」
「いえ、カチコミって言うか」
歯切れの悪い空夫をローレンスは怪訝そうに見る。
「……ファットマン家が」
言いにくそうに言った空夫にローレンスとダットは絶句した。
ローレンスは、商人に金を貸し付けているファットマンを無下にできない。
ダットは、何故気がつかれたとの驚きである。
「誰に会いに来た、親父か?」
「それが…坊っちゃんを出せと言ってまして」
「はぁ?!」
ローレンスが驚きの声を上げる。
何故貴族が自分を呼ぶのだ。
その驚きからだったが…
「あ、あと…そのファットマン家が止まら」
哀れ若い空夫は最後まで言うことが無かった。
背後から思いきり蹴り飛ばされたからである。
ダットは驚愕の目でその物騒な訪問者を見た。
乱入者は若い男の二人組だった。
黒髪に目つきの悪い大きな男と、肥満の大男である。
「やあ、ローレンス会いたかったよ。カーミラ様と会った時ぶりかな?息災で良かった、うん」
デヴィド=ミンチ=ハムブルグ=ファットマンはニッコリ笑う。
若い空夫を軽々蹴飛ばした男は後ろに下がっていた。
「さてちょっとお願いが……ん?」
ファットマンは言葉を続けようとして、ダットに気付いた。
視線が剣呑なモノになり、彼は後ろの男に言う。
「アル、ローレンスの横のねずみを斬っとけ」
「…主、俺これ以上犯罪やりたくないんですが」
やんわりとアルと呼ばれた男が拒否する。
ダットはそのアルが、何処かモニカ、そしてマリアとクララに似ていることに気付いた。
「ならネズミは後でいい。さて、ローレンス話そうか」
どっかりと椅子に座った彼に、ローレンスは平静を取り戻し言い返す。
「お貴族様なのにとんでもねえ訪問だな。いくら次期後継者っても俺たちにも面子が」
「僕が当主になった。話しを聞いてくれるねローレンス」
ファットマンの口から出たのは、反論を許さない強制だった。
ローレンスは、己の胆力で癇癪を飲み込むと目の前の男を見た。
「どうぞ…」
「飛行船舶を一隻借り受けたい。期間は一か月、目的地は忌地カーラーン中央」
ファットマンの言葉に、ローレンスは悪態をつきそうになった。
「それはお仕事と理解しても?領地に飛行船舶があったと記憶しておりますが、何故俺?何故我が団ですか?」
疑問を口にすると、ファットマンは言う。
「金で済ませたいからだ。君を選んだのはお父上より組みやすいとしたからさ」
言い返せずにいるローレンスにファットマンは声を落として言う。
「ここにこれだけ持ってきた」
背後に控えたアルが、大きな荷物を置く。
テーブルが軋むことから相当な金らしい。
「悪い話じゃないだろう、なあ梟のローレンス?」
ローレンスはくそったれと内心呟いた。
それから脳裏に何処か抜けている令嬢と、親しい友二人が浮かんだ。
「では、また来るよ。断れないよな」
そう言うと、席を立つファットマン。
彼はきっちりダットの脛に蹴りを入れつつ、アルと共に去って行った。
残された二人は自然と顔を見合わせた。
「……傭兵、お前アレと知り合いだったな」
「俺のせいじゃないですよ」
「……失火があったときいてたんだが…」
ローレンスは頭を書く。
「カーミラに相談するか」
ローレンスはごく自然に、貴族関係で世話になっている昔馴染みの名前を出した。
だがダットにとっては驚くべきことだった。
ゲーム中で、両者に関係はこの時期、まだ存在していない。
ダットは、非常に嫌な予感を覚えながらローレンスに質問する。
「カーミラって、どなたですか?」
「セストラルのカーミラだ。……ガキん時に、とっ捕まったことがあってな」
ダットは唸った。
なんだこれは…なんだこれは…
脛も痛いが、どうやら厄介事に首をまた突っ込まされたらしい。
ダッドは己にとっての疫病神ファットマンに恨みを募らせながら頭を抱えた。