28■ メインヒロインの気鬱
リリシアの心情です。
旧都の屋敷だった。
夜も深まり家人が眠りに就こうとする中、リリシアは屋敷の厨房で茹で上がった卵を見ていた。
キッチンの中は彼女一人だ。
使用人も料理人も誰もいない。
「あれ、イベント外よね?」
彼女は手早く殻を剥く。
白く温かい卵を火傷に気をつけつつ、彼女はナイフで刻む。
手慣れた手際はリリシアの鍛錬の成果だ。
攻略の為の子道具作りに、主人公は余念無い。
「悪役令嬢が動かない以上、そう言うのもあるのかな?」
彼女は手を止めることなく、手早く弁当を作る。
このリリシア=レーレロイも転生者であった。
「ま、私が安全ならいいんだけど」
貴族だからこそ出来るチョップサラダをお弁当箱に詰めながら、彼女は自身の半生を振り返る。
…気がついた時には赤ん坊だった。
右も左もわからないまま成長し、やがてリリシアは自分が貧乏伯爵の娘だと気がついた。
父は戦下手、母は買い物狂いの面もあったが自分には優しい、ごく普通の貴族の家庭だ。
…そんな家の一人娘が、家名を聞いた時の衝撃をなんと言えばいいのだろうか?
自分が【アウトリュコスの花束】のヒロインだと知った時、リリシアはハッキリとした恐怖を覚えた。こちとら死んだ記憶がないが普通のJDである。ゲーム中のヒロインのような勇気や根性なんて無い。
また…いくらイケメンとの貴族生活が待っていると言っても、ゲーム前半だけである。
中盤の折り返し後、主人公の自分を待ち受けているのは泥沼の内乱だ。
最終的に勝つと知っていても、彼女はその過程の過酷さに悶えた。
「……それに国母とかなりたくないし」
彼女も、一般市民の女の子らしくお姫様になってみたいと言う夢はあった。
だが、それは転生した時に叶ってしまった。
偉くなりたいとか、立派になってみたいとか、一般人だったからこそ夢見たものだ。
実際に自分で他人を蹴落とし乱世を勝ち抜いてまでやりたいとは彼女には到底考えられなかった。
リリシアは、パンを手に取る。
ナイフで切り分けながら、彼女は攻略対象の事を考える。
王子は俺様。
大将令息は脳筋。
枢機卿嫡子は陰険腹黒。
西国貴族は天然。
魔法学校主席は自己愛。
ゲームで遊ぶ分にはキュン!ってときめく。
ハラハラしながらゲームをプレイしたものの…
「リアルは…、リアルは…うん…」
典型的な大衆定食屋を営む中流家庭出身、二次元好きのJDにはキツかった。
それでも今の実家が吹っ飛ぶと大変なので、彼女は妥協の結果として武力に秀でたヘリオスとだけは仲良くしようと頑張った。
気分は部活のマネージャーである。
選手とは嫌われず仲良くと、心がけた。
「それがどうして…逆ハーのフラグになるの?」
ため息をつきながら、リリシアはお弁当を作り上げた。
5人分である。5人分。
なかなかの手間である。
「はあ…」
最初は、弁当の差し入れはヘリオスだけの心算だった。
放課後の剣の稽古の後、彼は軽く何か食べたいと言ったのを聞いたからだった。
成長期だよね、わかるよー。
と軽ーく作ってやったのが、リリシアの運のつきだった。
弁当を味見する馬鹿。
毒見だからと続いた腹黒と自己愛。
珊瑚をのけものにするわけにいかず、別の機会に陸稲と押し麦で握り飯を作ってやったら、ケーワイから異様に懐かれた。
………異世界なのに、ぬか漬けとレーズン酵母から麦みそを作る羽目になるとは。
リリシアは深い深いため息をつく。
「ぬか漬けぴくるす」はうまいうまい。
と貪り食う学生どもを思いながら、リリシアは今日もぬか床をかき混ぜる。
ここは乙女ゲームの世界だからか、日本人が好きそうな食材の大半は存在していた。
コーラは無いけど、チョコレートがあった時はリリシアは頭を抱えたものだ。
「でも考えようね」
ぬか床の手入れを終えて、ポジティブを装いながらリリシアは言う。
「このまま行けば、4家…そして大陸を越えなきゃいけないけど、西国からの支援も行けるわ」
ぬか床の出来栄えに満足しながら、リリシアはいそいそと弁当を抱える。
このまま氷室に入れて、明日朝持っていくつもりだ。
「サブイベントのアイテムは傭兵から飯屋で回収したし、次のイベントは実地のフィールドワークかな?」
リリシアは手を洗うと、目を閉じる。
浮かび上がる半透明のステータスウィンドウを見ながら、彼女はボソリと呟く。
「カーミラが来ないのが怖いんだけど……」
カーミラが聞けば腰を抜かしそうな発言をリリシアはした。
普通のJDにとっては、苛めで兵隊やら暴力に訴えるカーミラは恐怖と警戒の対象である。
互いに出会わないことを祈ってることを知らない主人公は懸念を零す。
「ステータス上げた方がいいかな……?あの決闘の時の女の子ばりに、無理に上げなくてもいいだろうけど…」
心配性なリリシアは、キッチンの椅子に腰かけると自分のスキルツリーの検討に入った。