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勇者様は竜に乗れない




「彼女がエルフィーヌで、こちらがオルフィーヌだ。美しいだろう。僕の大事なレディたちさ」


 レッドドラゴンの首筋を撫でながらクレスが言う。

 応えるように、ドラゴンが「アギュゥン」と色っぽく鳴いた。


(ドラゴンを自分の女扱いするところがこいつの気色悪いポイントだな)


 辛辣なレンの声。ひどい発言だけど、ちょっとだけ同意してしまった自分がいる。

 後ろめたい気持ちを隠しながら、私はクレスの方を向いた。


「以前連れていたのはかなり大きなドラゴンだったわね」

「マリアンのことかい。彼女は翼を痛めてしまってね。今日は連れてこられなかったんだ」


 ひどく残念そうにクレスは首を振った。鮮やかな赤髪が、ふわりと揺れてきらきらと光った。


「彼女なら、5人は余裕で乗せてくれるのだけれど。この子たちは、1頭あたり大人2人が限界だな」

「……2人」


 何だか嫌な予感がして、私はドラゴンの背に括り付けられた鞍に目を向けた。

 当然ながら鞍は1つで、跨るべき部分もさして大きくはない。馬用と変わらないように見える。


 まさか、と思いつつクレスへと視線を戻すと、彼は蕩けるような微笑みであっさりと言った。


「というわけで、二手に分かれて竜に乗ろう」

「!」

「!」


 彼の言葉に、私とレンの息を飲む音が重なった。

 2人ぶんの緊張を孕んだ視線がクレスを貫く。彼は私たちのただならぬ様子を察して、肩をすくめた。


「大丈夫だよ。彼女たちはどちらも人を乗せて飛ぶのがとても上手いんだ。僕が頼めば、ちゃんと君たちを運んでくれるよ。きっと馬に乗るより快適な空の旅になる」


 違う、そうじゃない。問題は別のところにある。

 と言いたいところだけど、言えるはずもなく。曖昧に笑って、私はそれとなく訊ねてみた。


「あ、あの。二手に分かれるということは、どちらかの竜には……」

「2人乗りするということになるね」

「ふたり……」

(乗りだと……)


 うわ、レンと被ってしまった。なんかやだ。


「えっと、ドラゴンに2人乗りするときは、どうすればいいのかしら」

「え? ただ鞍に2人跨がればいいだけだけど」


 当たり前な答えが遠慮がちに返ってきた。

 そりゃそうだ。2人で乗るから2人乗りなのだ。


 ならば先手必勝と、私は口を開く。


「クレス。私と一緒に」

「じゃあ、僕はエルフィーヌと飛ぶから。君たちは、オルフィーヌに乗って僕たちの後をついてきてくれ」

「えっ」


 竜の退屈そうな欠伸と声が重なる。


 あっさり言われて私がぽかんとしていると、クレスは「当たり前だろう」とウィンクしてみせた。


「世界を救った英雄2人が揃って王都に登場した方が、様になるし民も喜ぶだろうからね。君のエスコートができないのは残念だけど、その大役はレンに任せるとするよ」


(こいつ……良い奴過ぎやしないか)


 こいつ……調子良すぎやしないか。

 凄まじいレンの手のひら返しに言葉も出ない。さっき気色悪いとか潰すとか散々言っていたくせに。


 私が言葉を失って硬直していると、クレスが心配そうに顔を覗き込んできた。


「それともアルタ、他になにか問題でも?」

「ふぇ!」


 話を振られて、間抜けな声が飛び出てくる。ああ、どうしよう。


(もしかして、俺と竜に乗ることを嫌がっているのか)


 いつもの声が聞こえる。

 その通りだ。はっきり言って、非常に嫌です。別にレン自身が嫌なわけではないけれど。

 レンと竜に2人乗りくらい、2日前なら何も考えずにできただろう。だけど今は状況が違うのだ。王都までの数時間、逃げられない状況でレンの呪いに耐えられるわけがない。それで昨日はえらい目に遭ったし。


(やはり俺は臭うのだろうか……)


 うゥっ。その話題を出されるのはきつい。


(そうか、臭うのか。でなければ、これほど拒絶されることはないだろうな……)


 もしかして、心の声が聞こえているの分かっています? と言いたくなるくらいにピンポイントで体臭ネタをついてくる。昨日の罪悪感がまた蘇ってきて、私の胸と胃がギリギリ痛み始めた。


 そこまで言われたら、もう拒めない。レンの汚臭疑惑だけは、私の手で否定し消し去らなければならないのだ。

 迷いを断ち切る様に、私は「問題ありません!」と半ばヤケクソに叫んだ。


「ちょ、ちょっとドラゴンに乗るのが久しぶりで緊張しただけです。さあ、乗りましょうか、レン」

「ふん。さっさとしろ」(……っ。俺も緊張してきた)


 こっちは緊張どころの話じゃないのに。


「ギュオオオゥッ!」


 尚も躊躇っていると、どうでもいいからさっさとしてくれ、と言わんばかりにオルフィーヌが咆哮して、彼女のグロテスクな舌がちらりと見えた。

 「怒るなよオルフィーヌ」と、クレスが彼女の鼻筋を撫でる。

 うう。分かったわ。もう諦めるって。


 まず私がよいせ、よいせと竜によじ登り、鞍に跨る。その後ろにレンが軽やかな身のこなしで鞍の上に飛び乗った。


 ……近い。真後ろに、レンの気配を感じる。相変わらずフローラルな匂いがする。


(後ろにも寝癖があるな)


 心の声もばっちり聞こえる。やめてください。


 けれどレンも私を気遣ってくれたのか、あるいは体臭を気にしたのか、2人の間にはしっかりと隙間ができた。

 近いし気まずいし心の声は聞こえるけど、これなら、王都までの数時間、なんとか耐えられるかもしれない。オルフィーヌの背中にしっかりしがみついておこう。


 ——と、ほっとしていたら、クレスが首を振って騎乗する私たちを見上げた。


「ああ、だめだよ君たち」

「え?」

「そんな風に離れて乗ったら、重みがかかる場所が分散して、オルフィーヌが飛びにくくなってしまうだろう」

「じゃあ、どうすれば」

「馬と同じさ。後ろにいるレンが、アルタをしっかり支えるようにして手綱を握るんだ」

「そんな……」



『きゃっ』

『まったく、間抜けな奴め。何度落ちかければ気が済むんだ』

『ごめんなさい。思ったよりも、風が強くて。レンが後ろで支えてくれて、助かりました』

『ふん。旅の供が魔王討伐後に竜から落ちて死んだとあっては、俺の名に傷がつくからな。王都につくまではこうしておいてやる。……しっかり、掴まっていろ』

『は、はい。でも、それなら……。王都になんて、着かなければいいのに……』



「あ゛ああああああっ!」


 凶悪な会話劇が頭の中に響いて、私は悲鳴と共に鞍からずり落ちた。頭が地面にごちんとぶつかったけど、痛みを感じる余裕もない。


 ……なに、今の。今の、なに!!


 額から温かいものが流れてくるのを感じながら、私は頭上を見る。

 複雑な表情でこちらを見下ろすレンの姿があった。直視できなくて、すぐに私は目を逸らす。


 今、ばっちり私の声のようなものも聞こえたけど……これって、この人の妄想? この呪い、心の声以外まで他人に伝えてしまうの? 吐きそうなんだけど。


 聞いてはいけないものを聞いてしまった。

 ベタベタなロマンス小説のようなやりとりがレンの頭の中で展開されているのかと思うと、恥ずかしさで体がガクガク震えた。ギャップがひどい。レンのイメージはどこまで破壊されていくのだろう。ドケチで口が悪くて性格が歪んでいた頃のレンを返して欲しい。


 この呪いにも少し慣れてきたかな、と思っていたけど、まさかこんな隠し球的な機能を備えていたなんて。竜が飛び始める前に分かって本当によかった。危うく叫びながら転落するところだった。


 何にしても、このままレンと竜に乗ってなんていられない。これでは王都に着く前に、空から決死のダイブを決めることになってしまう。


「大丈夫かい、アルタ!」


 落竜した私にクレスが慌てて駆け寄ってくる。


 もはやなりふり構っていられなくなった私は、起き上がるとクレスの腕を引き、レンに聞こえないよう耳打ちした。


「お願い、クレス。私と一緒に竜に乗って!」

「そんな、どうして急に。レンと何か喧嘩でもしたのかい?」

「……く、詳しくは言えないけれど。数時間もレンとくっついて空を飛ぶのは、ちょっと無理なの」

「恋人なのに?」

「ち、が、う!」


 思わず怒気を込めた声が出てきてしまう。

 私の圧にびっくりして、クレスは翡翠色の瞳を見開かせた。その表情にはっとして、私は慌てて取り繕う。


「ごめんなさい。でも私たち、本当にそういう関係じゃないから」

「……いや、こちらこそごめんよ。1年も2人きりで旅をしているから、つまりはそういうことなのかと」


 ……もしかして、そういう勘違いが横行しているのだろうか。新たな懸念が顔をチラつかせて頭がズキズキ痛む。あ、これはぶつけたからか。


「とにかく、レンとは竜に乗れない。私、故郷に小さい弟と妹がいるの。まだ死ぬわけにはいかないのよ」

「死……? わ、分かった。いや、よく分からないんだけど、そこまで言うなら協力するよ」


 私の必死な訴えはクレスの心に通じたらしい。

 顔にいっぱいの困惑を浮かべながら彼は頷くと、少し気まずそうにレンを見た。


「レン。やはりアルタとは僕が一緒に乗ることにするよ。竜の2人乗りは、コツがいるからね」

「……」

「僕が先導するから、君はオルフィーヌと後についてきてくれ。それじゃあ、そろそろ出発するとしよう」

「……待て」


 レンは鞍から降り立つ。そして私をちらりと一瞥した後、クレスの前に立った。


 此の期に及んで、何かケチでもつける気なのだろうか。

 呪いも汚臭疑惑も全て私のせいでそれは申し訳ないのだけれど、こちらは命がかかっているのだ。こればかりは譲れない。


 レンはクレスを見据える。その眼差しは険しく、どこか凄みがある。

 そして彼は、2人と2匹に見つめられながら、ゆっくり口を開いた。


「俺は……高い場所が苦手なんだ」


 ……。

 ……はい?


 突然のカミングアウトに場がしんと静まる。


 少し遅れて、クレスが空気を和ますように「はは」と乾いた笑いを漏らした。


「勇者である君が、高所恐怖症? 君がそんな冗談を言うとは知らなかったよ」

「真実だ。勇者であるからこそ、隠して来た」

「でも、竜に何度も乗ってきたし、天空要塞でワイバーン相手に空中戦を仕掛けたことだってあるじゃないか」

「我慢していた」


 そんな馬鹿な。高所恐怖症の人間が、足場ががらがら崩れる空の要塞で、ピョンピョン飛び回って空飛ぶ敵相手に剣を振るえるはずがない。


 しかしレンは堂々と言い切って、顔の険しさを増していきながら更に言い足す。


「これまで高いところが死ぬほど怖いのを、ずっと隠し通してきた。俺が弱みを晒せば、敵に付け入る隙を与えるかもしれないからな。

 だが、昨日ようやく役目を終えることができたんだ。だから……今くらいは、無理をしたくない」

「えっと、つまり。竜での移動は、やめたいということかい?」

「いや。王が望んでいる以上、一刻も早く王都へと向かうべきだろう。ならば、竜での移動は不可避だ」


 じゃあ、レンは一体どうしたいというのか。彼の言葉が聞こえてこないから、その本意が分からない。

 いや、聞こえてくる声が本意だなんて確定したわけじゃないけど。

 レンは1つ深呼吸する。ふうううううっ……と丹田に力を込めるがごとく息を吐くと、鋭い眼差しでクレスを見据えた。


「だから……クレス。俺と竜に乗ってくれ」

「は?」

「は?」


 私とクレスの声が重なる。


(あ゛ああああああっ! くそっ!!)


 そして私の頭に、レンの悲鳴のようなものが響いた。


「竜自体に問題ないと分かっているが、鞍から無様にずり落ちるような間抜けを抱えて竜に乗るのは、正直不安だ」(不安なわけあるかくそが。最高に決まっているだろう。だがこれ以上拒否されると色々凹む。立ち直れなくなる前に、ここは身を引くべきだ)


 何だか心が痛む。


「1人で竜に乗るのも正直きつい。空中で竜を御する余裕はないからな。できれば、竜騎士であるお前に支援を頼みたい」(だが、数時間ものあいだこいつとアルタが接触するなど耐えられんッ。良い奴なのかもしれないが、その気がなくても女にベタベタ触れる輩は信用ならん。ならば——この道しかない)


 ……なんと。

 つまり……つまりレンは、「お空が怖いから俺と一緒に竜に乗ってくれ」と乙女のようなお願いをクレスにしているのだ。


 あの、プライドの高いレンが。

 私とクレスを2人きりにさせないという、くだらない目的のために。


(この際、己のプライドなどどうでもいい。それに、高所恐怖症など悪臭の称号に比べれば可愛いものだ)


 あ、はい。ごめんなさい。


「そ、そ、そうか。そういうことなら、僕は構わ、ないけど……。アルタは、どうかな」


 可哀想に、私とレンの間に挟まれて、クレスからは余裕が失われていた。それでも彼はぎこちない微笑みを浮かべて、私の意見を伺う。

 ……レンではないけれど、彼は良い人だと思う。こんなときでも笑みを絶やさないなんて。

 事情を知らない彼は、きっと今底知れぬ恐怖を感じていることだろう。


「……はい。私は1人で大丈夫なので、どうぞお二人で竜に乗って下さい」

「……恩に、着る」


 レンはこちらを見ずにそう言う。

 久しぶりに聞いたレンの感謝の言葉は、どこか弱々しかった。







「ゴオオオオオッ!」


 エルフィーヌは背中に男性2人を乗せ、少し重たそうにしながら空へと飛び立った。太陽の光に目を細めながら、私はその優美な飛翔姿を見上げる。


 クレスはどこまでも紳士だった。

 自称お空が怖い勇者を、後ろから姫君を扱うように優しく支え、彼は竜の手綱を操った。その分け隔てのない公平な姿勢こそが、彼のモテ男たる所以なのだろう。


 一方のレンは、眉間をぴくぴくと動かしながら、一言も発さず渋い顔で、最強騎士に身を委ねていた。

 彼らはこれからどんな数時間を過ごすのだろう。想像しただけで辛くなってきた。


「ギュウウン」


 さっさと行くぞ、とオルフィーヌが鳴く。私が頷くと、彼女は翼をはためかせ、地面を蹴った。


 “体臭がきつい”、“高所恐怖症”——

 レンは世界を救ったというのに、たった1日で勇者には似つかわしくない称号を2つも獲得してしまった。

 そのどちらもが、自分に原因があると思うと胸が痛い。どうしてこうなった。


 せめて今は罪悪感から逃れようと、私は眼下の広大な景色を無心で眺める。



 ——この数時間後。レンが3つ目の称号を得ることになるとは、このときの私は想像すらしていなかった。


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