勇者様はにおいが消せない
いくつか分かったことがある。まず、レンの声は常時聞こえっぱなしというわけではない。条件は分からないけれど、彼の心の声(?)は、聞こえるときと聞こえないときがあるのだ。
それに、距離もどうやら関係がありそうだ。レンに肩を貸してもらっていたときは、おかしなセリフが頭の中にガンガン流れてきたけど、こうして私が自分で歩けるようになってからは、その頻度はかなり減っている。ある程度レンから離れれば、声は完全に聞こえなくなるのかも。
ただ、そんな発見が待ち受ける不安に役立つかというと話は別だ。
魔王城から歩き続けること数刻。防壁に囲まれた今日の目的地、デネルの町が見えてきた。久しぶりの人里だというのに、私の心はちっとも晴れない。
……結局、何の対策もないままここまで来てしまった。
もちろんレンにはまだ呪いのことを伝えられていない。すべき対策も思いつていない。
本当に、何の策も講じずに、私はレンと人里に突入しようとしているのだ。
どうしよう、怒られるかな。嫌だなあ。……あれ、でも誰に怒られるんだろう、私。王様? 神官長? 聖女様? レン? ……レンならいいや。罵られ慣れているし。
……そうだ。人々に呪いのことがバレてしまったら、「私には聞こえない」としらばっくれるのはどうだろう。理由なんて「解呪のときに私も呪いに触れたから」とか、「魔王の魔力に耐性がついた」とかそれっぽいものはいくらでも用意できる。
レンだって、無理に真相を追及できまい。実は私にも聞こえていたと暴いたところで、何も得るものはないし。ひたすら気まずい空気が流れるだけだ。
そう考えると少しだけ気が楽になった。
聞こえないフリをすれば、こんな呪い私にとっては無きに等しい。とにかく知らぬ存ぜぬを貫き通そう。
デネルの町は魔王城に近い辺境だ。強力なモンスターが多いため腕に覚えのある冒険者には人気だが、町自体は中規模の大きさで、人口もそれほど多くない。しかも、もうすぐ夕暮れ。人々は家路につき、通りは閑散としはじめているだろう。
それなら、起こりうる被害もそれほどではないはず。
こっそり町に入って、なるべく人と接触しないようにする。
バレたら即「私には聞こえない」。
——この作戦で行くしかない。
覚悟を決めて私は足を進める。
(シチュー……ポトフ……いや、ここはミネストローネか……)
レンは本日汁物の気分らしい。さっきから彼の食べたいものリストが私の頭の中に流れてくる。
この人こんなに食い意地のはった人だったっけ。
これまでの声と比べれば健全な内容だし、ちょっと微笑ましくもあるけれど、やはり頭の中に直接他人の声が響くのはあまり愉快な感覚ではない。
私はそれとなくレンと距離をとろうと歩む速度に緩急をつけたけど、図ってか図らずか、彼は私の歩調に合わせて道を進む。結局町の入り口に立つまで、ぽつぽつと響いてくる料理名と付き合う羽目になった。
「思っていたより到着が少し遅くなりましたね。宿に空きがあるといいのですが」
「こんな物寂しい町に旅行者が詰めかけることもないだろう。いらない心配はするな」
そんな会話をしながら防壁の門を2人でくぐる。
そして町の入口広場に目を向けて——私は硬直した。
広場は、溢れんばかりの人で埋め尽くされていた。
強力な魔物の影に怯え、日が落ちる度に門戸を閉ざし沈黙していたはずのデネルの町。しかし今は、日が暮れ始めているにも関わらず、町全体に陽気な音楽が鳴り響き、大勢の老若男女が歌って踊っての大騒ぎをしている。酔いつぶれて屋外で眠る人の姿まである。
こんなデネルの町、見たことがない。
私はしばらく呆然としてこの光景を眺め、それから「はっ!」とある考えに至る。
——そ、そうかっ! お祭りか! 魔王が消えたことを知って、皆お祝いをしているのか!
そりゃそうだ。ながらく生活を脅かしていた魔王が倒れ、酸の雨を降らす毒雲も消えたのだ。みな喜んで、お祭り騒ぎくらいしたくもなるだろう。
レンのメニューを呟く声に気を取られていて、この大騒ぎに気付くことができなかった。隣のレンも、驚いた顔をしている。彼も食事のことで頭がいっぱいで、こんなお祭りが繰り広げられていることを察知できなかったようだ。
「勇者様……?」
若い男性の声がする。声の方を見ると、少し離れた場所で、エールの入ったジョッキを持つ1人の若者がレンを凝視していた。
彼の声にレンもそちらへ顔を向けると、青年は目を大きく開く。
そしてレンを指差し、大声で叫んだ。
「白銀に光る聖剣……! 勇者様だ! 勇者様がこの町にいらしたぞおっ!」
「えっ、勇者?」
「勇者様がこの町に?」
広場にいる人々の視線が、私たちへと注がれる。
……まずい。
こんな大勢の人に囲まれたら、レンの呪いはあっという間に露呈してしまう。
「勇者様! まさか勇者様にお会いできるなんて!」
「世界をお救いいただきありがとうございます!」
「なんて素敵なの」
「生勇者だぞ、生勇者!」
「ありがたやありがたや」
人々は瞳を尊敬や憧憬で輝かせて、歓喜の声と共にこちらへと迫ってくる。
大挙する人の姿は、まるで押し寄せる波のようで。意外にも多い人口数に、私は戦慄した。
そ、そうだ。「何も聞こえない作戦」だ。
呪いの効果がレンにバレようがなんだろうが、聞こえなかったと言えば、私は——
『は……は。勇者……よ。それは、呪い、だ。お前を待つのは、華々しい未来では……ない。お前は誰にも近づけず……生涯を、1人孤独に過ごすことになるのだ……!』
そのとき。魔王の最期の言葉が、脳裏を過ぎった。
生涯1人の孤独。魔王は、レンが己の気持ちを他人に悟られまいと、最終的には孤独を選ぶことになると言いたかったのだろう。
この声が本当にレンの気持ちなのか、まだ確かめられていない。
——でも。
怪しげな自分の声が周囲の人の頭に鳴り響いていると知ったら、レンはきっと傷つくだろう。レンを拒絶する人も出てくるかもしれない。そしてレンは本当に、孤独になってしまうかも。
そんなの駄目。何が「何も聞こえない作戦」だ。自分の保身ばかりを考えて、なんと情けない。
レンは私を庇ってこの忌々しい呪いを身に受けたのだ。私には知らんぷりも責任逃れも許されない。誰よりも私が、彼を守らなければならないのだ——!
「だめー!」
気づけば私は叫びながら、レンを背後へと突き飛ばし、両手を目一杯広げて人々の前に立ちはだかっていた。
町人たちは、私に制され「なんだなんだ」と不満げに足を止める。
「どうしたんです、魔導師様。俺たち、勇者様のお姿を近くで拝見したいのですが!」
「そうだそうだ」
「わしゃ老い先短いんじゃ! 冥土の土産に勇者の雄姿を見せとくれ!」
あちこちから不平不満の声が上がる。
分かっている。誰だって、勇者を一目近くで見たいと思うはず。けど、彼らをレンの声が聞こえる近さにまで、行かせるわけにはいかない!
とはいえ、咄嗟に前に出たものだから上手く言葉が出てこなかった。
しどろもどろになりながら、私は必死に口を動かす。
「い、いけません……! 勇者レンに、それ以上近づいては、いけません!」
「どうしてですか!」
「それは、その。呪い……いや……」
呪いと言ってはいけない。呪いの存在事態を隠さなければいけないのだ。
何か、何か人々が納得する上手い言い訳を考えなければ。
「レンは……そのっ……えっと……!」
私はぎゅっと目を瞑り、拳に力を入れる。人々は私のただならぬ様子に、ごくりと息を飲む。
——そして。
私は力の限り叫んだ。
「勇者レンは、体臭がひどいんです! それに口も超臭いッ!」
どさどさっ、と、後ろで音がする。
振り返ると、荷物袋を落としたレンが、愕然とした表情で私を見つめていた。
「体臭……?」
「そう言えば、風上から臭いが流れてくるような……」
今度は群衆からざわめきが起る。人々は眉を顰めてレンを見た。中には、鼻を摘んで手をパタパタと扇ぐ人までいる。
「私たち、一週間もちゃんとお風呂に入っていなくて! もう獣臭とかゴブリン臭とか猫のおしっことかを煮詰めたような、どえらい異臭がするんです! 口も腐った卵の臭いがします! 嗅ぐと鼻が曲がります! 目が潰れます! 嘔吐します! だからレンに近づいてはいけません!」
人々は私の言葉を聞いて、顔を見合わせながら数歩後ずさりした。そしてレンに、「お前そこまでやばいのかよ」と険しい目線を送る。
この距離だと、私にもレンの声は聞こえない。けれど、悲しみと戸惑いが混じった視線が背中を刺すのを感じた。
あああっ、ごめんなさい、レン! けどこれも、すべて貴方を守るためなのよ!
一方で、私の言葉は効果覿面だった。
「勇者様体臭がひどいんだって」
「えーショック。憧れていたのに……」
「顔が良くても臭いがアレじゃね……」
という若い女性の声が聞こえる。
「ま、魔導師様がそこまで仰るなら、我々も勇者様を遠目で拝むことにしますか……」
「そうだな、あんまり大勢で囲んでは迷惑だし……」
先頭で私に不満を言っていた青年たちも、取り繕うように言って気まずそうに笑った。
私を押しのけてレンの方へ突進しようという人は現れない。
……良かった、ひとまず目の前の危機は回避した。
レンの名誉を著しく傷つける結果となってしまったが、これも彼の身を守るためだ。
ひどい体臭vs心の声が周囲に聞こえてしまう呪い。
前者の方が、レンへのダメージは少ないはず。……多分。
すっかり何かをやり遂げた気分になって、私はほっと息をつきながらレンの方を振り返る。
そこには、筆舌に尽くし難い表情で立ち尽くすレンと、鼻を摘みながら彼に蹴りを入れる子供たちの姿があった。
「くっせー! 勇者様くっせー!」
「聖剣でにおい消せないのかよぅ!」
いかにもな悪ガキたちは、そう言って今度はレンの腕をぐいぐい引っ張り彼にまとわりつく。
レンはされるがまま——というより、心ここに在らず、子供に絡まれても反応できないでいるようだ。
「あ、あなたたち! 近づいちゃダメって言ったでしょう!」
私は慌てて駆け寄って、子供をレンから引き剥がす。何とかこの子たちを、レンから遠ざけなければ!
……しかし、私の必死な行動も虚しく。頭の中に、レンの悲痛な声が響いた。
(アルタ……町へ向かう間も、妙に俺と距離をとろうとしているような気がしたが……。俺の臭いが嫌で、俺から離れようとしていたのか)
ああぁ、違う。そうじゃない。それはおかしな声を聞かないようにするためだったんです。
(思えば、魔王城でも——俺が近づいた瞬間、アルタは悲鳴をあげて倒れた。あれは……本当は、そういうことだったのか)
レンの中でわりと筋の通った推理が組み上がって行く。
違うと言いたかった。別にレンは臭くない。いたって普通ですよと声をかけたい。
しかし、子供達の様子を見て、「鼻を摘めば近寄っても大丈夫」と判断したらしい群衆が、いつの間にか私とレンをを取り囲んでいて。
もはや逃げ場のない状況で、更にレンの声は続く。
(俺は——惚れた女性の真横で、のうのうと悪臭を振り撒いていたというのかッ!!)
「ち、違います! 皆さん、今のは魔王の呪いによる幻聴でして! これは彼の声では決してありません!」
惚れたのどうのと(心の声で)叫ばれて、私はそれをかき消すように声を張り上げた。
今のはダメだ。多分、町民たちにも完璧に聞かれてしまった。
レンの呪いは多くの人の知るところになるだろう。
私のせいで、レンは人々の前で思いを曝け出してしまうことに——
「……はあ? 何を言っているのですか、魔導師様」
先ほどの青年が、鼻を摘みながら首を傾げる。
「……え?」
「別になにも聞こえやしませんが。それより、鼻を摘めばいけそうなんで、勇者様を近くで拝見してもいいですかね」
「え……あの……」
「……好きにしろ」
私が状況を飲み込めず口籠っていると、後ろでレンが弱々しく答えた。
その言葉を皮切りに、人々がわっとレンに押し寄せて、彼をもみくちゃにする。
私もまた人々の波に飲まれながら、悲しい顔で皆に囲まれるレンを呆然と見つめた。
(……ふっ。もう手遅れだ。俺が彼女の鼻に刻んだ悪臭をなかったことには出来ない。俺は取り返しのつかないことをしたのだ……)
諦観に満ちたレンの声。けれど、彼を取り囲む人々に、不思議な声に戸惑う様子など一切ない。
この場にいる人間のうち、レンの声が聞こえているのは私だけだった。
ご覧頂きありがとうございます。
ちょっとしょうもなさすぎるので、今後修正するかもしれません。