勇者様は前が見えない
客館の正面に広がる庭園は、確かに見事だった。名も知らぬ季節の花々が、ぷっくりと傷1つない花弁を開いて咲き誇っている。レンがいたら「田舎者は文化的な空間よりも土の方がお好みらしい」なんて嫌味を言われそうだけれど、高級家具の詰まった客間で紅茶を啜るより、太陽の下、花をぼんやり眺めている方が、まだ少しは落ち着けた。
……これから、どうしよう。
レンの呪いをしっかり調べて、その安全性を確認するまでは彼と共にいると決めたけれど、広場での熱狂を見たら、いつそんなことができるかもわからなくなってしまった。
レンはこれからしばらく、英雄として各所から引っ張りだこになるのだろう。彼の周辺が落ち着くのを待っていたら、1ヶ月どころか半年近く経ってしまうのではないだろうか。
そこまで長い期間は待っていられない。私は今後も、しっかり出稼ぎをしなくちゃならないわけだし——
「あのぅ。魔導師アルタ様、ですよね?」
物思いに耽っていたところ、突然真横からそう声をかけられて、勢いよく顔を上げる。
いつの間にか隣には、丸眼鏡の女性が1人、人懐こく微笑みながら立っていた。
「は、はい。そうです。——貴女は?」
声をかけてきた女性を、失礼にならない程度に観察する。
眼鏡のせいで少し落ち着いた印象はあるけれど、その奥にある顔は恐らく私よりも年若い。何故か男物のジャケットに身を包んでいて、その手には小さなメモ用紙と筆が握られていた。
少なくとも、城内の勤め人ではなさそうだ。
「私、王国市民新聞の記者で、マーリンと申します。どうぞお見知り置きを」
「記者……?」
「怪しい者ではありませんよ。王室局より正式な取材許可を頂いた、認定記者です。ほら、これ見て下さい」
そう言いながら、マーリンは胸元のバッジを示した。それが、許可証ということだろうか。警戒しながらも頷くと、彼女は一気にまくし立てた。
「今、世界中の人々が勇者様とアルタ様に注目しております。皆が、お二人の生の声を望んでいるのです! 世の人々のために、そしてお二人のご威光を広く知らしめるために、いくつか質問させていただきたいのですが、お時間よろしいでしょうか!」
「……私に、お答えできることなら」
ぐいぐい身を乗り出して迫られて、私はやや後ずさる。少し怪しいけれど、国の許可を受けたという人物を無下に追い返すことはできない。
どうせ暇なのだ。別に隠すほどのこともないし、取材にはきちんと応じるべきだろう。
「ではでは、ずばりお聞きしますが、勇者様とアルタ様は本当に恋仲でいらっしゃるのですか?」
「……はい?」
1つめの質問が早速おかしな方向から飛んできて、しばらく静止する。それからとんでもないことを尋ねられていることに気がついて、私は慌ててかぶりを振った。
「違います! 何がどうなったらそんな話になるんですか。おかしいでしょう!」
「そうですか? 若い男女が、たった2人きりで命をかけた旅に出る……。こんなの、当人たちにその気がなくても、ちょっとした間違いの1つや2つ起きたって不思議ではありませんよね。というか、起きない方が不自然です。
実際、お2人が仲睦まじく旅をする様子が各地で目撃されていて、王都では勇者様と魔導師様はデキている、というのが通説だったのですが」
「なか、むつまじく……」
あまりにひどい勘違いに、目眩がする。そう言えば、クレスにも当たり前のように「君たち恋人なんだろう」なんて言われたっけ。
この誤解は一体どれくらいの規模で広まっているのだろうか。故郷の弟たちの耳にまで及んでいたら、姉ちゃんもう立ち直れない。
「もし違うと仰るなら、勇者様が1年の間にどんな女性とロマンスを繰り広げたのか。彼の趣味嗜好はいかがなものであったのか——なんてことを教えて頂けると助かります。そのあたりの情報も、大勢の人が求めておりまして」
「どうしてそんなことを」
にんまり、と口元を歪めるマーリンの顔が目に入る。
——その表情と口ぶりからして、彼女がどんな思惑で、どんな答えを求めているのかすぐに分かった。
いけない。ここで動揺を見せてはいけない。レンのためにも、自分のためにも、ここは毅然とした態度をとらなくては。
「……許可を受けた記者の方というなら、旅や魔王に関することは何でもお答えします。ですが、レンの私的な交際関係は、彼個人の問題であって、外野からとやかく言われる必要はないはずです。質問は、旅のことに限るようお願いします」
「まあまあ、そう言わずに。実際、魔王が倒された今、人々はどう魔王を倒しただとか、どんな戦いがあったかなんて、そこまで興味はないんです。彼らが知りたいのは、勇者様自身のこと。彼の素顔なんですよ。……それに、勇者様の事情を広めることは、アルタ様にとっても悪い話ではないはず」
「適当なことを言わないで下さい。どうして仲間の情報を流すことが、私のためになるんですか」
「実はですね、一部には妙な勘ぐりを働かせて、アルタ様を批判する者がおりまして」
「批判? 私に?」
「ええ。連中曰く、勇者パーティーがたった2人だけなのは、魔導師アルタが報酬と名声を独り占めしたいがために、勇者レンを籠絡し、新たなパーティーメンバーの雇用を禁じたからだとか」
「な……!」
「それが無茶過ぎる出鱈目であることくらい、私はよくわかっていますよ。というか、こんな馬鹿らしい話を信じる方がどうかしています。……ですが、どこにでも余計な勘繰りを働かせる暇人はいるものです」
まるで自分は唯一の味方だとでも言いたげに、マーリンは口調にわざとらしい同情をたっぷり染み込ませつつ、胸に手を置く。
「私は、アルタ様の誤解を解きたいのです。お2人の関係、そして勇者レンの素顔、知られざる彼のロマンス! それらを公に知らしめれば、下衆な勘繰り屋はすぐにその情報に飛びついて、アルタ様への誹謗中傷なんて忘れてしまうはず。ですからアルタ様、どうかご協力を!」
舞台俳優のように言い切ったあと、真剣な眼差しでマーリンは私を見据える。
……けれど、その表情が作り物であることなど、すぐに分かった。
揺らがなかったと言えば、嘘になる。マーリンの言う私の“悪評”が本当に出回っているのかどうかは分からないけど、周囲の人々が関心を寄せているのは、私ではなくレンであることは確実だ。ここで適当にあることないことを言ってしまえば、私が悪意を向けられることはなくなるかもしれない。
……でも!
「彼の名誉のためにも言わせてもらいますけれど、この一年間、レンは魔王討伐のみに焦点を絞っていました。ゴシップ記事に載せるような、ちゃらついた行いなど彼は一切していません!」
「……つまり、アルタ様は一年間2人きりでいながら、見向きもされなかったと?」
「ご、語弊はありますけれど、そういうことです。私たちは、貴方が勘ぐっているような爛れた関係ではありません。もちろん私も、これまでレンを異性として意識したことは一度もありません!」
「でもでも、勇者様も男でしょ? 間違いくらい、あってもいいのでは」
「間違い0です! そして今後も、レンと私が罷り間違ってどうこうなる可能性なんて、万に一つもありませんから!」
「……」
一歩踏み出し、真正面から強く睨み付けると、そこでようやく記者は黙った。
相変わらず、こちらをどう料理してやろうかという企みで目がギラギラと輝いている。けれど、多少なりとも私の怒りを感じ取って、戸惑ってはいるようだった。
「では、アルタ様は——」
「ここにいたか、アルタ」
マーリンの言葉に被さるようにして、尖った男性の声がする。
声のする方を向けば、見慣れた黒髪の青年が、いつものごとく眉間に皺を寄せて立っていた。
「レン!」
「迷惑な奴め。どうして大人しく部屋の中で待っていられないんだ、お前は」
と言うことは、一度客館に入ったあと、わざわざ私を探しに来てくれたのだろうか。
少し申し訳ない反面、今は彼の登場が有り難かった。レンを目の前にしては、このマーリンという記者も、失礼な質問を繰り返すことはできないはず。
——と思いきや、マーリンは瞳を更に爛々とさせて、紙とペンを振りかざした。
「勇者様、ちょうどいいところに! ちょっとお話を」
「消えろ」
「え」
取り付く島もないレンの態度に、流石のマーリンもぴたりと動きを止める。
しかし彼女はすぐに持ち前の粘っこさを発揮して、果敢にも食い下がった。
「私、これでも取材許可はちゃんととっていてですね。許可持ちの記者を追い返すということは、開示すべき情報の隠匿とも言えまして」
「知ったことか。目障りだ、消えろ」
「……い、いいんですか。私は大臣から、直々にお二人の取材をするように言われているんですよ」
「権威を振りかざせば、俺がべらべらと都合よく喋るとでも思ったか、この三文記者が。文句があるなら、次はその大臣とやらを連れて来い」
「う……」
それ以上、マーリンは何も言わなかった。
彼女は悔しげに口を閉じると、踵を返して庭園を去って行った。
彼女の背中が見えなくなったところで、私はほっと息をつく。……つい、カッとなってしまった。今思うと、私を怒らせるのも記者の計算の内だったのかも。
完全に怒りで我を忘れる前に、レンが現れてくれて、本当に良かった。
「ありがとうございます、レン」
「……なよなよとした態度をとっているから、あんな連中に舐められるんだ。気をつけるように」
「そうですね。次からはあんな人相手に取り乱さないようにしないと」
……おや。いつもと比べて、レンの言葉に切れ味がない。
てっきり「アホ顔を晒して愚劣さを隠そうとしないからあんな連中に漬け込まれるんだ、この無能が」くらいは言われるものと思っていたのに。
流石の彼も、大衆に囲まれ、そのあと国王陛下に謁見して疲れてしまったのだろうか。
(して……ない……して……ない……)
ん?
「後日、式典と祝賀会があるらしい。今から客館で、その打ち合わせをするそうだ」(異性として意識したことがない……異性として意識したことがない……)
「……!」
「セルデンが待っている。さっさと中に戻るぞ」(今後、俺とどうこうなる可能性は万に一つもない……今後、俺とどうこうなる可能性は万に一つもない……)
聞かれてしまった。つい、記者に煽られて放った否定の言葉を、がっつり聞かれてしまった。
凍りつく私をよそに、レンはくるりと身を翻して、客館へと足早に向かおうとする。……が、前をちゃんと見ていなかったのか、彼は顔面から勢い良くアーチの柱に激突した。
ゴゥン! と、痛々しい音が庭園に響き渡る。
「わ、わ! レン、大丈夫ですか!」
「は? 大丈夫に決まって、いるだろう。舐めているのか」(詰んだ……終わった……いかん、目の前が真っ白でなにも見えん……)
「あわわわわわ……」
レンはフラフラと亡霊のような足取りで、額から血を流しながら再び前を進む。
嘘では、なかったけれど。
私が怒りに任せて放った言葉は、全く予想していなかった人物を打ちのめすことになったのだった。