5話
「俺はシーラ=トラバス……です。ええと、カールス王子、ご機嫌麗しく……」
「構わん構わん。公用というわけでもあるまいし、普通にしてくれ」
カールスがそう言って、現れたシーラに席に座るよう促した。
「……すまん、助かる。俺はこのおっさんの長男で、ルビィの幼馴染だ」
「やあ、はじめまして。俺はカールス、史学科の4年生だ。一杯どうだ?」
「いや、未成年なんで……。あんた本当に王子様なのか?」
至極明るい口調にシーラは戸惑っている様子だが、カールスは気にも留めずにぶどう酒をあおる。
「ま、今時貴族だ王族だと言っても大した権力があるわけでもないさ。酒が飲めないならノンアルコールかな?」
「いや、それよりも一言言わせてもらいたくて」
「え、えっと、シーラ……」
ルビィは、シーラの顔を心配そうに見た。
シーラは度胸こそあれど、カールス王子のように弁舌が回るタイプではない。
いざとなれば藪蛇にならないよう私が助け船を出さねば……などとルビィは考えていた。
「俺はバカだから見当違いなこと言ってるかもしれねえけど17歳の女の子に国の歴史がどうとか、跡継ぎがどうとか、話がおかしくねえか? ……って思うんだ」
「いや、それはそうなんだがなシーラ。これはヤポニカ魔導王国にとっても大事な……」
コバールが、自分の息子の口ぶりを聞いて制止しようとした。
だが、シーラは気にせずに話を続けた。
「知らねえよ。名前だけのよくわかんねー国を続けるも捨てるも、そりゃルビィの勝手だろ。俺も、親父も、そこのカールス王子も、勝手に決めていいことじゃねえと思う。つーかルビィ」
「あ、うん」
「国がどうしたとかじゃなくて、まずおまえの結婚なんだろ。カールス王子が旦那で良いのかとか、一緒にどういう家庭を作るとか、この歳で結婚決めちまって良いかとか……。まず自分のことを考えろよ」
「あ」
忘れてた。
という言葉が、思い切りルビィの表情に出ていた。
「お前なぁ……」
シーラは大仰に溜息をついた。
「ご、ごめんなさい」
「つーわけでさ、カールス王子。こいつ、まだ17歳のガキなんだよ。そりゃちょっと生まれた家は特殊かもしんないけど、普通の学校に通ったり、普通のレストランでバイトしたりする、普通のやつなんだ。あんまり結婚だなんだって答えを急かさないでほしいんだ。頼む」
あまりにも当たり前な正論だった。
この場では一番年下の16歳なのに、彼に正論を言わせてしまった。
ルビィはそう思い、舞い上がっていた自分が急に恥ずかしくなった。
その父親のコバールはもっと立つ瀬がなくて肩身狭そうにしている。
「……そうか」
カールスは、そうぽつりと呟いた。
「ルビィくん」
「あ、はい」
「きみは、王族として育ったわけではなく、平民として育ったわけだな」
「まあ、そうです」
「そうか、ならば……謝らなければならないな。すまなかった、ルビィくん。そしてコバール殿、シーラくん」
と言って、カールス王子は頭を下げた。
「あ……いや……はい」
ルビィは何を言えばよいかわからず、ただそのカールス王子の謝罪を曖昧に受け取った。
そして、その場は解散となった。
◆
次の日の朝、ルビィが家を出て玄関を開けてもカールスは出待ちしていなかった。
学校に行っても、向こうから会いに来ることはない。同級生から「どうしたもうフラれたか」などとからかわれたが、まあそんなところと曖昧に言葉を濁した。カールスは色々と破天荒な行動をするので、今回もそんな奇抜な行動の一つだったのだろうと流されていた。これで安心だ。
「浮かない顔だな」
「え、そ、そう?」
ルビィは自炊をサボってトラバス家のレストランに来ており、コバールの作ったごはんを食べに来ていた。出てきたのは太刀魚のポワレだ。ちょっとハイソなものが出てきてルビィは驚いたが、昨日酔っ払って暴走したお詫びのつもりらしい。そんな風にカウンターで食事を堪能するルビィの隣に、シーラがどかりと座って話しかけてきた。
「……拍子抜けっていうか……なんだったんだろうなって」
「話をわかってくれたってことだろ」
「そうなんだろうけど……」
あんな簡単に物事を諦める人だっただろうか。
ルビィの頭の中には、そんな疑問があった。
「……案外、本気だったんじゃねえの?」
と、シーラが真面目な顔で呟いた。
「へ?」
「政略結婚とかじゃなくて、普通に結婚したかったとか」
「いやいや、まさか」
ないない、と言ってルビィは手を横に振る。
「そりゃまあ、昔みたいに王子様だからってなんでもできるわけじゃないだろうけど、お嫁さんなんてよりどりみどりでしょ。私にこだわる理由がないし」
「んじゃ聞くけどよ、ルビィ。お前、お見合い相手がよりどりみどりって嬉しいか? あの人はイケメンですよ、あの人はお金持ち、さあお好きなをどうぞと言われて、困らないって言えるか?」
それをシーラから言われて、言葉に詰まった。
「……恋人ならともかく、結婚相手として考えると悩む、かな」
学生時代の友達や恋人ならともかく、一生の付き合いをするのだ。最初から打算づくめで夫婦となって、その後を健やかに幸せに暮らせるだろうか。
「そこで、気心の知れた人間と結婚できるチャンスが来た」
「……え?」
ルビィはそこで、はたと思った。
ルビィはカールスと初めて出会い、一年くらいになる。
丁度その頃、大学部へ進学希望する高等部の学生達に向けての説明会があった。
人気の学科は、魔術や工学、そして魔術工学の複合学科だ。
最近は景気があまり良くない。
手に職付けることのできる学科に人が集まる。
史学科はさほど人気は無い。
カールス王子目当ての学生はぼちぼち居たが、それでも盛況とは言えなかった。
しかも大体、王子の姿を見て満足して帰る者ばかり。
今、史学科でトルキオ地方史の研究室入りが内定して出入りしているのはルビィだけだ。
そんなルビィに、カールスは遠慮無く近付いてきた。
カールスは人が減るのを恐れてか、ウザいくらいにルビィを構った。
だがそこに、色恋沙汰の気配は無かった。
カールスには友人が多い。
他の史学科の知的な男性とも見目麗しい女性とも仲が良く、あるいは他学科の人間もよくカールスに声を掛ける。
ルビィはなんとなく「後輩」の位置に安住していた。
カールスにとって特別なのは、ルビィが「王女」であるという一点だけ。
そのはずだ。
「ま、そりゃ無いか」
シーラが、自分で自分の考えを撤回した。
「そうだよねー」
ルビィは、それに追従してしみじみ頷いた。
だが、心の底でそれを認めるのは、なんだかそれはそれで納得がいかなかった。