王都鬼襲 七
「ふぅ……久し振りにひやっとしたな」
ここはどこかの民家の屋根の上。先程の貴族街とは真反対の平民街だ。
そろそろ麻痺が解ける頃だと思うが、この広い王都で隠蔽魔法を使っている私を見つける事は不可能だろう。
「……学校で疲れてるし、今日はこのくらいかな」
小さなあくびをしながら、そう呟いた。
別にハードな行事があった訳ではない。新しい環境と、いつまでもカグヤちゃんが見つからないという焦燥感が、精神的疲労を与えてくる。
「──ほう、貴様は学園の生徒なのか」
「なっ──!」
あの麻痺は最低10は分持つはずの物だ。
なのに、なんで──!
「賊よ、我が家の敷地に入ったからには、生きて帰れると思うなよ?」
何故追ってこれる!
◇ ◇ ◇ ◇
「──逃がすかぁ!」
「くっ!」
私は家々の屋根に跳び移りながら追っ手からの逃げていた。
「侵入者め、逃げられると思うなよ!」
追っ手は何故か先程のような瞬間移動じみた攻撃をしてこない。何か制限があるのだろう。
「チッ!」
相変わらず姿は見えない。声と屋根を蹴る音だけが、私を追っ手来ている。
(そろそろ魔力が……)
今使っているこの隠蔽魔法もラプラスも、結構な量の魔力を喰う。次いでに言うとあの家の前にも一軒捜索していたため、魔力はもう殆ど無い。
妖力は試験中に絞り取ったので0に近い。やれない事もないが、後が怖い。今は薬も無いし。
(どうする? もうさっきの方法は通じな──)
不意に、屋根の感覚が消失する。
脆くなっていた屋根を踏み抜いたと気がついた時には屋根の崩壊が始まっていて、私の体は民家の中に落ちていっていた。
「──チッ」
木の床が目前に迫った瞬間、追っ手の、苛立ちの籠もった舌打ちが聞こえた。
◇ ◇ ◇ ◇
「……かな」
「…………せん!」
「でも……」
眩しい。うるさい。
「──ん、ぁぁ……」
どこからか差す陽の光と言い争う男女の声。朝の訪れを告げる鳥たちの声が私を覚醒させた。
「あっ! 起きたよ!」
「……いつまでも眠っていれば良かったものを……」
痛む頭を抑え体を起き上がらせると、黄金を凝縮したような鮮やかな色彩の髪をした男女が私を見つめていた。
見ると、耳が通常より長い。どうやらエルフのようだ。どちらも美形で、差し込む朝日に照らされとても絵になっている。
「体、大丈夫? 昨日屋根から落っこちてきた時はびっくりしたよ」
腰の辺りまで伸ばした金髪を揺らし、翡翠色の瞳で彼女は私を心配そうな表情で見つめてくる。
穢れのない純白の肌は、彼女の容姿も相まって妖精のような面持ちを受けさせる。
(あれ? どこかで見た事あるような)
「回復したならさっさと消えろ。……忌々しい鬼が」
その端正な顔を険悪そうに歪めながら、もう一人の男は言ってくる。
整った顔立ち──イケメンなのにそんな顔をすると割と台無しだ。なんというか、師匠とは違うベクトルのヤクザ感がある。
(鬼って……あっ!)
気が付かなかった。今の私は隠蔽魔法も偽りの首飾りも使っていない状態だ。
鬼とエルフ。
犬猿の中で有名な種族が今、同じ部屋にいる。しかも、一人は敵意剥き出しで。
「ランス、そんな事言わないで? この人は悪い人じゃないよ」
「しかし姫様、この者は鬼なのです。しかも黒鬼ですよ? 鬼の中でも、最も忌み嫌うべき存在です!」
「じゃ、じゃあ、この人に何か悪い事されたの?」
「昨日、いきなり、天井から、降ってきたではありませんか!」
「……そ、それはきっと、何か大変な事情があったんだよ」
「とにかく、こんな輩早急に摘みだしてしまうべきです。
……おい貴様、いつまでそこに居る? 消えろと言っただろう?」
あー……この感じ、覚えてる。
この二人、アリスさんに連れ出される時に他の生徒と喧嘩してた人たちだ。
あの時はどうでも良すぎて、目立つ髪色しか見てなくエルフだと気が付かなかったのかな。
とにかく、今の私は黒鬼──ヨミだ。ただの人間として学園に通ってるツクヨじゃない。
……正体、バレちゃった。
「……まずはお礼を。突然屋根を突き破って出てきた私を追い出さず、看病までしてくれて。ありがとうございます。
──そして」
正体を知られてしまったからには。
「残念ですが、あなたたちには口封じをしなくてはいけな」
「貴女の気持ちは、よく分かります。きっととても重い理由で種族を偽っていたのですよね?」
私の声を遮り、姫様と呼ばれている少女が私の手を取った。
「私たちだって校内では軽い認識阻害を使ってます」
あ、そうなんだ。
いや、今はそんな話をしてるんじゃなくて──
「ひ、秘密を知られてしまったからには、口封じを……」
「ふふっ、どうやってするんですか? 私たちを酷い目に合わせたり?
そんな事をするようには見えませんよ?」
う……。な、なんだ。先日の喧嘩とか、さっきの会話とは態度が全然違う。
翡翠の瞳は心の底までお見通しと言わんばかりに輝いているし、声も震えていない。
「私たちは貴女の秘密を話しません。古き精霊王様に誓います。
私たちの事、そんなに信用できませんか?」
「うぐっ……」
「お友達になりましょう? 私はヴィオラ、そこにいるのはランス。家名はありません」
「ツクヨ、です……」
「私たちもうお友達ですよね、ツクヨさんっ」
その後私はヤクザエルフにどやされて部屋を後にした。
十分に警戒しながらも部屋を取っている宿屋に着いた私は、学園が休みという事もありハンターの仕事をしようとギルドに向かった。
ヴィオラたちが居た場所は私の居る宿屋よりもボロい小さな小屋で、とても“姫様”には似つかわなかった。
私は、特殊な事情がありそうなエルフたちに秘密を握られ、お友達になってしまった。
「……本当にいいのですか? 姫様。あの者は──」
「いいの、ランス。だってお父様も言ってたでしょう?
「精霊に好かれるものには良くしろ」って」
◇ ◇ ◇ ◇
ガチャン──
王都のギルドは他の街や村とは広さが桁違いだ。
生命の強さを感じさせる木柱と良く掃除された床や壁。
早朝だが人はチラチラ見かける。きっと今帰ってきたか良い依頼を先に取ってしまおうと企む人たちだろう。
「ギルドというより……銀行っぽい」
他のギルドではあった赤黒い染み、床やテーブル、壁等の欠けが無い清純な空間。
そこに受付がズラリと並ぶ姿はまさに銀行。
「さて、手頃なのあるかなあ」
私は入ってすぐ左にあるボードに貼り出されていた依頼書を見る。
「魔力もあんまりだし、採取系かな」
私はある程度の難易度のものを3つ程取り、受付へ持っていった。
◇ ◇ ◇ ◇
時は夕暮れ。
軽い採取に向かった筈の私は厄介事に巻き込まれ、やっと王都に帰ってきた。
「せっかくの休日が……」
疲れたのでさっさと報告を済ませて休もうと、私は朝方とは打って変わった賑わいを見せるギルドへ入った。
「今日はお前の昇格祝だ!! 飲め飲め飲めー!」
「フゥー!!」
「よし俺はエリちゃんに告ってくるぞ!」
「うっせえんだよジジイ共!! お断りだ!!」
血と汗と酒の臭い。
耳が割れそうな程の騒乱。
やはりギルドはこうでなくては。
(師匠……)
いつもなら、横に師匠が居る筈だ。
でも、皆居なくなってしまった。
ここ数ヶ月は一人じゃなかったから、なんだか、少し寂し──
「あれ? そこに居るのはもしかしてヨミ!?」
「ん?」
こんな喧騒の中でも、私の耳はその声を聞き分けた。
「やっぱり貴女か! 久し振り、僕のこと覚えてるよね?」
そう言って近づいてきたのは、薄茶色の髪をした青年だ。容姿も装備の普通で特に目立つこともない人物だが、私はこの人を知っている。
「久し振り、レオン」
私がパーティーを組んだ数少ないハンターの一人。
Dランクハンターレオン。
Dランクだが実力は確かで、近々Cランクへの昇格も囁かれていた人物。
あ、もしかして。
「この騒ぎの元はレオンなの?」
「まあね。Cランクに昇格したんだよ」
「そっか。おめでとう」
「軽いなぁ、ははっ」
「ん? だってわかりきってた事だし」
「でもさあ、なんかこう、あるだろう? お祝いに抱きしめてくれるとか──」
「また拳骨されたいの?」
「いえ結構です」
「──なぁんだレオン? そんな可愛い子に話しかけてよぉ。俺にも紹介しろやぁ!」
顔を真っ赤にした男がレオンにしなだれかかってくる。
酔っ払いに絡まれたくないので、何やら呼びかけてくるレオンを無視し受付に向かう。
「おいおいマジで可愛いじゃねえか……嫁になってくんねえかなぁ……」
「んでありゃあ誰なんだよレオン?」
「彼女はヨミ。Cランクハンターだよ。
ある街のギルドじゃ死神鬼なんて言われてる」
「……レオン、恥ずかしいから変な異名を言うなって言ってたよね?」
「アイリスっていう可愛い新人ハンターが居てね。その子が5人の馬鹿に襲われた時、彼女がキレてさあ」
「はぁ……」
駄目だ、完全に酔っ払ってる。もうレオンは止められないだろう。
なら、さっさとギルドから離れるが吉。
「……おめでとう」
私はギルドを後にした。
「その時、その場に居た全員が死神みたいな鬼の幻覚を見てさ──」
◇ ◇ ◇ ◇
「申し訳ありません、アリス様。屋敷に侵入した輩を取り逃してしまいました」
薄暗い寝室。
天蓋付きの大きなベッドの前に小さな人影が跪いていた。
「あら、珍しいわね。貴女が敵を逃すなんて。姿は見られてないでしょうね?」
「そこは問題ありません。この罰は何なりと──」
「そんな事は興味ないの。侵入者の情報は?」
スっ、と。跪く影に白く美しい脚が向けられる。
「いっ、隠蔽魔法を使っていたので性別はわかりませんっ。高度な魔法と高い身体能力、それに麻痺薬も使ってきました」
「……それだけ?」
脚が、ゆっくりと持ち上がっていく。
ゆっくり、ゆっくりと。影の視線は芸術的とも取れるその美脚に囚われ、まるで餌を前にしたロバのようだ。
「そっ、それと、学園の生徒だと言っていました」
「……へえ」
──ヒュー……。
部屋の熱を出すために開けられた窓から、悪戯な風が入ってくる。
「偉いわね。ほら、もう“待て”は終わりよ?」
薄い扇情的なネグリジェを纏った女がいた。
「どうしたのかしら? “伏せ”をしたいの?」
真紅の髪と同色のネグリジェを跪く影をからかうようにヒラヒラと動かす。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
影は発情した犬のように四つん這いでその脚に近づいて行く。
「──王都の人間が私の家に侵入するなんて考えられない。
別の街や国からやってきて学園に入学した生徒。
それにこの子から逃げられる程強い……ふふっ」
「みぃーつけた」




