鬼の休日 五
「「「それでは、宿屋大地の鼓動を存分にお楽しみ下さいませ」」」
三人の浴衣を着た女の人に連れられやってきたのは、私と師匠が泊まる予定の部屋だ。
二人部屋だがそこそこ広さで、下には畳が引かれ、障子を左右に開くと、遠くに山が見える。
さらに露天風呂まで付いていて、私は日本に戻ってきたのではないかと錯覚した。
別館二人部屋、露天風呂付き。私と師匠はここに10日泊まる事になっている。
あの時見たお城が本館で、今私が居る所が別館だ。少し高い位置に建っているので、街を見下ろす形になる。
別館の外見は完全にただの温泉旅館だった
そしてお金はなんとツクモさん持ち。太っ腹だ。
「おお! 見てくださいこの景色! こっちの窓からはナリアの街並みまで見えますよ! ……師匠?」
あまりの衝撃にテンションが上がった。そしてふと、師匠が私の事をじっと見つめている事に気づく。
「どうしました? 変なものでも見えますか?」
これは、今に始まった事ではない。
私が師匠と一緒に行動し始めてから、偶に師匠は私の事を見つめてくる事がある。
でもその視線は、ギルドで向けられる無粋なものではなくて、どこか……そう、どこか遠い所を見て思いに耽ってるような視線だ。
そもそも師匠の目は特別だから、私の魔力を見てるだけかもしれないけど。魔力量には自信があります。
師匠の目は魔力を視る事ができる。
人、動物、魔物、物。区別なく、魔力を持ってるなら視れるとか。
こういう特別な目を魔眼と言うらしい。魔眼を持ってる人はとても少ないそうだ。
「いや……なんでもない。それより、カグヤたちの所に行かなくていいのか」
気を使ってくれているのだろう。でも、私は知っている。
師匠が、旅の初めに馬車に乗せてくれた商人さんと同じで気を抜いた私な変な事をしない安全な人だという事を。
「今更ですよ。でも、本館の温泉に入る約束をしてるので、行ってきますね」
そう言って、私はカグヤちゃんとツクモさんが居る本館に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
本館にあるのは、屋内風呂、露天風呂、脚風呂、混浴風呂などの様々なお風呂と、食堂や休憩スペース等の施設らしい。
宿泊者が入れるのは三階までで、そこから上は従業員のスペースになってるそうだ。
一階は食堂などの施設と宿泊者でなくとも入れる温泉。
二階は温泉のみ。
カグヤちゃんたち宿泊者の部屋は三階にあるらしい。
「私は混浴の方に行くから」
と言って、混浴と書かれた両開きの扉を開け混浴スペースに入っていくツクモさんをカグヤちゃんと二人で見送りつつ、私たちは女湯と書かれた扉を開けた。
「!?」
「わぁ……」
私の目に飛び込んできたのは、沢山の肌色だった。
「な、な、な、な……」
いや、白色もある。だが──
「皆、裸ですね……」
扉を開けると、タオルを巻いた女性が歩いているというなんともおかしい光景が広がっていたのだ。
勿論服を着た人も居るのだが、大体の人はタオルを巻いただけの格好をしている。
温泉に入るなら当たり前だが、ここは温泉に繋がる廊下だ。服を脱ぐには、些か気が早い。
「ん? どったの〜、君たち」
と、お酒の匂いと共に横から声を掛けられた。
きっと私たちの事だろうとその声の方向を見──
「ちょっ!?」
慌てて頭を下げる。
「何してんの? 女同士じゃん、釣れないな〜」
酔っ払い特有の喋り方をしているこの女性。
一瞬だけ見えたが、この人……腰にタオルを巻いてる。
いや、腰にしかタオルを巻いてない!
「な、何をしているんですか! しゅ、羞恥心はどこに!」
「え〜? そんなもんラボに置いてきちゃったな〜」
「今すぐ取りに戻ってください!」
「な〜んか、その反応懐かしいなぁ〜。君、ここ始めて?」
馴れ馴れしく肩を組んでくる女性。
お酒の匂いと彼女黒髪が顔に絡まる。……それと、胸も。
「そ、そうですけど」
「へぇ〜やっぱり〜。お姉さんは何でも知ってるんだぁ〜」
フラフラとよろめく女性がうっとおしいので、近くにある椅子に座らせる。
「ここはね〜、沢山風呂があるから、服脱いで歩いてもいいんだ〜」
「意味わからないですよ……。あの、お名前はなんて──」
「ぐぅ〜、がぁ〜。ぐぅ〜、がぁ〜」
「…………行こっか」
私は女性を放置して、風呂に向かった。
勿論、服を来て。
そして、時は2話前の冒頭に進む。
◇ ◇ ◇ ◇
「ひゃあああああ!!!」
突然、背後から胸を揉みしだかれた。
「巨乳討ち取ったりーーっス!」
聞こえてくるのは女の子声だ。
おかしい……。この私が、気配を微塵も感じなかった。温泉で浮かれてて、こんな失態を犯すなんて……!
「ぐぅ……この大きさ、弾力、美しさ……これは悪魔の果実ッス!」
「何をしているのですかミアさん!」
ゴツ、と。割と痛そうな打撃音がして、私の悪魔の果実を揉んでいた手が離される。
「うぼぁ!」
「そこまでして大きな胸を触りたいんですの!? さっき私とリベラさんのを散々揉んだ癖に!」
どうやらこの人は常習犯らしい。さしずめ数多の果実を手にかける狩人、未知なる果実の探求者。……何を言ってるんだ私は。
「うちの連れが申し訳ありません!」
頭を下げる女の子は、確かに探求者の魔の手に掛かりそうな程のバストの持ち主だった。
桜色の髪と普段なら優しそうな瞳が、今は厳しく引き締まり探求者に向けられている。
「いや、まあ大丈夫ですよ。……女同士ですし」
まあ、私は目を逸らすけど。
二人は湯船の近くとあって、何も体を隠す物が無い。謎の湯気さん、早く来てください。
「私はリーシャ。この娘はミアです。
……ミアさん。何か言う事、ありますよね」
「デカパイ、死すべし……。──がくっ」
まるで殺人犯に殺された被害者のようにうつ伏せになり、ダイイングメッセージのように指で「デカパイ」と書くと、探求者ことミアさんが意識を失った。
「はぁ……。あの、本当に申し訳ありません。私はミアさんを運ばなくてはならないのでこれで失礼します。
よっっこいしょっと」
リーシャさんが倒れたミアさん腕を自分の首に回す。
「あ、はい。本当に気にしなくていいので、本人にも──大丈夫ですか?」
首に回して……それだけ。
どうやら、重くて持てないみたいだ。
ミアさんの体は細いし身長も低い方なので、これは単純にリーシャさんの力が足りてないようだ。
「い、いや、大丈夫ですよ? ふんっ! ……おわっ!」
「危ないっ!」
滑って頭から転びそうだったので、種族の力を遺憾なく発揮して受け止める。なお、今の私は偽りの首飾りを付けている。
「私が運びますよ」
「……お願いします」
◇ ◇ ◇ ◇
「ふぅ…………」
ジェイドは別館にある共用露天風呂に入っていた。
部屋にある露天風呂は、ヨミが帰ってきた時の事を考え案内された時から選択肢外していた。
長旅の疲れを癒すように肩まで浸かる。
扉に貼り付けてあった紙に書いていた作法、「頭に畳んだタオルを乗せる」を実践しているため、絞りきっていなかった水分が額を伝って頬まで降りてくる。
「魔石城か、なるほど」
この宿と呼んでいいのかも分からない宿屋の正式名称は、大地の鼓動。
通称、魔石城と言うらしい。
それの理由をジェイドは“視て”いた。
「このオンセンは魔石から出ているのか。だが、一体どうやってこれ程の魔力を供給している?」
ジェイドの目は、魔力を視る魔視の魔眼。
そして、使い方次第ではある程度物体を透過して魔力のみを視るという事も出来る。
それを使い、ジェイドはオンセンの下を視た。
そこには拳大の魔力の塊があった。それは恐らく、魔物が体内に持つ魔石と呼ばれる物だ。
「結界か、チッ」
そこまで視て、ジェイドは空を仰ぐ。
魔力を視るにはかなりの集中力が要る。更にそれを数十秒続けてやっと薄っすらと見える程度だ。要するに、かなり疲れる。長旅の身には、辛いものがある。
「ふぅ、やっぱこっちは静かだな」
ガラガラと扉が開き、ジェイド一人だった露天風呂に侵入者が現れる。
その人物は、蒼天の髪色をした一人の青年だった。
戦う事を生業としているのか、引き締まった体にはしっかりと筋肉が付いている。
青年はそのまま湯船に浸かるとジェイドに声をかけてきた。
「最近、ワイバーンとかの竜種が活発になってきてますよね。龍峰の方でなんかあったんですかねぇ」
一般人にはあまり馴染みの無い話題。
だが、ジェイドやこの青年のような者たちにはかなり近しい話だ。
「さあな。ワイバーン程度に遅れを取るようには見えないが、注意しておくに越した事は無い」
「俺はいいんですけど、仲間に思いっきし戦闘向きじゃないのが一人居ましてね。いや、戦えるは戦えるんすけどねぇ」
「その仲間を守るのも、仲間の役目だろう。だが、必要な物とそうでない物の区切りは付けた方がいい。
そうでないと思わぬ所で足を掬われ、大切な物を失う事になるぞ」
「んーやっぱ年上の言葉って重みありますねぇ……。ふあぁ、なんか眠くなりません?」
放おっておくとそのまま寝てしまいそうな青年。
ジェイドは、気まぐれに青年の魔力を視てみる事にした。
「……何者だ、お前。いや、仲間が居ると言ったな。お前ら、か」
瞬間、ジェイドは自信に強化魔法を掛け戦闘態勢を取った。
「え、どうしました?」
「質問に答えろ。その魔力はなんだ!」
「──ああ、分かるんですね」
青年が目を開ける。
その目は先程とは違って、ジェイドがよく知る戦士の目になっている。
「三日。俺たちは今日を合わせて三日間ここに滞在する」
青年が立ち上がる。
「三日後、また俺はここに来る。そこで答えを聞こう」
「待てっ! 答えろ、お前らは何者だ! それは一体何なんだ!?」
「今アンタに答えられる事は殆ど無えよ。だがまあ、特別に一つ教えるなら──」
青年の髪、目、そして魔力。
それら全てが、静かな青色から燃え盛るような赤色に変化していた。
それに伴い、青年の口振りも荒く、猛々しくなっていく。
「俺らは覚醒者。
アンタがどんな今どんな気持ちでも、知っちまったからにはもう戻れねえ。
良い答えを待ってるぜ。なるべく荒事にはしたくねえしよ」
そう言うと、青年は露天風呂から出ていった。
「覚醒者……か」
青年の言葉を、噛みしめるように脳裏に刻みつけていく。
それは、ジェイドが長らく探してやっと見つけた手がかり。
「カグヤ……。ぐっ!」
唐突に、ジェイド体を激痛が襲う。
「クソ!」
ガァン! と、力を込めた手が地面を破壊してしまう。
「三日……保つか……?」
湯船に写るジェイドの姿。
その半身が、赤い鬼の化物のようになっていた。