プロローグ
──死んだ。どうやって死んだ?
覚えてない。生前の記憶も思い出せない。
分かるのは、自分が男だったという事のみ。
「おぎゃ~! おぎゃ~!」
そして何故か今。死んだ筈なのに産声を上げている。
「可愛い……私の子」
◇ ◇ ◇ ◇
「ヨミちゃ~ん、ミルクですよぉ~?」
凄い光景だ。爆弾が降ってきている。
でも、中身が純粋な赤ん坊では無い事に罪悪感を覚える。
「お~吸ってる吸ってる。だがヨミよ、片方はお父さんのだぞ?」
「もう~あなたったら♪」
黒のロングヘアーを伸ばした女性──母に、がっちりとした体の男性──父が言った。
「冗談ではないぞ!」
「ちょ……あなた、ヨミが見てる……っ」
父は母の胸元に吸い付くと、赤ん坊(俺)からもう一方の乳房も取り上げ揉みしだいた。
目の前にいるのが赤ん坊だからといって、それはどうなんだ……。
……そろそろやめてくれませんか?
「ちょ、ちょっと待ってねヨミちゃん」
そうそう、ガツンと言ってやって下さいよお母様。──って!
「仕方、ないですね。もう……」
「ああ、ヨミがお腹に居た時は出来なかったからな。仕方ない」
いや、いや、いやいやいや。仕方なくない!
全然仕方なくない!
ここに! お腹を空かせた! 赤ん坊が居るんですけど!!
そ、そ、それなのに……
何で目の前でおっぱじめやがるんだああああ!!!
◇ ◇ ◇ ◇
8歳になった。
俺が転生したのは森の中の集落のような場所だ。
「あらツバキ、朝帰り?」
「うん!」
辺りは深い森に囲まれ、集落には柵が張ってある。櫓の上には見張りの人が居て、森の驚異が近づいたら皆に知らせてくれる。
これだけなら、まあ、どこかの民族的な人たちの間に生まれたと納得できる。
だが、この集落はおかしい。
「ふぅ~ん? 誰?」
「アサナギ君!」
「あら~! イケメンの!」
この集落に住んでいる人々の特徴を話そう。
まず、全員が黒髪黒目だ。
お父さんやお母さん。俺だってそうだ。みーんなそうだ。
「他の娘は居たの?」
「ううん。二人っきり」
そして、個人差はあれど、額に黒い角がある。
二本であったり一本であったり、多い人だと五本もあるのだとか。
これは“鬼”と呼ばれる種族の特徴である。
鬼の他の特徴としては、身体能力が桁外れに高い事と陽系魔法がからっきしな事。
「そうなんだ~。──ヤったの?」
「もう! あそこまでいってヤらなかったら黒鬼の名折れだよ!」
「あらごめんなさ~い。でも貴女初めて、痛くなかった?」
「う~ん……最初はちょっと痛かったけど、だんだん気持ちよくなっちゃった……♪」
鬼は、ツノと髪の色で分類が分けられている。
腕力に優れた赤鬼。
脚力に優れた青鬼。
五感に優れた黄鬼。
それら全ての要素を兼ね備えた、黒鬼。
俺はその黒鬼として生まれた。
いや、それだけなら別に良かったんだ。最初聞いた時なんだこのチート種族はと思った。
でもこの黒鬼には、他の鬼には無い最大にして最悪の欠点があった。
それは──
「あらヨミちゃん、また森に行くのー?」
「あっ……はい」
「ヨミー! 私昨日卒業したよー!
ヨミもそろそろヤったらー? ヨミ可愛いんだし」
「い、いゃ……」
「もうツバキ、ヨミちゃんにはヨミちゃんなりのペースってものがあるのよ?
ああでもヨミちゃん、森で動物とする時は安全な所でするのよ? まあ私は襲ってきたのも含めてらん──」
この、万年発情鬼がぁぁぁぁぁ!!!!!
黒鬼。
鬼族最強の鬼でありながら、その性への大らかさは有名。
その類い希なるスペックを生かさずいつもヤりまくりな彼らは、一部では残念種族。一部では土下座しなくてもヤれる便利種族。一部では貞操概念がぶっ飛んだヤリ──ヤリ──種族として嫌悪または歓迎されている。
そして俺は、その頭お花畑な種族に、女の子として生まれてしまっていた。
何で男じゃないんだ……。
◇ ◇ ◇ ◇
……ぁあ! いい! あっ──!!
「…………」
黒鬼の集落では、夜になると謎の音と声が響き渡る。
なんの音かはまだ8歳の純情な女の子である俺──私には分からない。
……眠れない。
「はぁ……」
男に生まれてたらよかったのになぁ……と、この時間はいつも考える。
仕方ない。外に出よう。
外と言っても、家の外ではない。集落の外だ。
◇ ◇ ◇ ◇
ガサッ、ガサッ、ガサッ。
草と枝を踏みしめながら、俺──私はいつもの場所へ向かっていた。
そうして歩くこと十分ちょい。とある湖に着いた。
そこには大きめの湖があって、周辺には木が生えていない。
夜空から降り注ぐ月光に精霊が舞い、幻想的な光景が広がっていた。
ポチャン、と。湖に足を入れて、その光景を眺める。
キラキラ、キラキラ。
大小様々な光が動き回っていて、まるで追いかけっこをしてるみたいだ。
「おいで」
そう言って静かに人差し指を差し出すと、赤い光が指に止まった。
精霊は穢れた者を好まない。
故に、黒鬼とは無縁の存在。というか、“鬼”という種族自体が嫌いらしく、滅多に鬼には近づかないらしい。
だが、俺にはこうやって近づいてきてくれる。
あの万年発情集団の中で暮らしていても、俺は純血を守ってきた。俺──あ、私はまだ清い存在だ。
「ねえ、今日もまた、魔法を使いたいんだ」
一般的な魔法の種類として、炎を顕現させたり、水を操ったりと、体の外で操る陽系魔法と、身体能力を強化するなど体の内側で使う陰系魔法がある。
鬼は基本的に陰系魔法を使う。というかそれしか使えない。
驚異的な身体能力を持った弊害か知らないが、鬼族は為べからず陽系魔法の適性が異様に低いのだ。
余談であるが、エルフという種族はそれの真逆を行き、陽系魔法に大きな適性を持つが陰系魔法が殆ど使えない。そして、精霊に好かれやすい。
鬼とエルフ。この二つの種族はどちらも長寿でありながらも真逆の特性を持っており、長年いがみ合っているそうだ。
私が魔法を使いたいと言うと、赤い精霊はくるくると私の周りを嬉しそうに回り、スッ──と、私の胸に入っていった。
私は立ち、虚空に腕を向ける。いつの間にか他の精霊たちも周りに居て、こちらをジッと眺めていた。
「『炎よ・我が魔力を糧として顕現し・真っ直ぐ直進しろ』」
ボウッ!
私はどうしても魔法が使いたかった。
もちろん陰系魔法は使える。しかし、せっかく異世界に転生したのだし、派手な魔法も使ってみたかったんだ。
鬼が陽系魔法を使う手段は大きく分けて三つ。
一つ。血の滲むような努力の末に、陽系魔法を習得する。
これはあまりにも非効率だ。
過去にこれをやった鬼がいたらしい。しかし、彼は半生を賭けて鍛錬をしたのに、習得したのは今私が出しているような炎一つだったそうだ。
二つ。古代遺跡から稀に見つかる魔道具を使う。
この世界には古代遺跡という建造物が存在するらしい。
ダンジョンとも呼ばれるそこには旧人類が残した遺物──魔道具が存在しているとか。
それをなんとかゲットして魔法を使う。
ダメだ。ダンジョンには魔物が蔓延っていて危険だし、もし魔道具が手に入ったとしても何の魔法が使えるか分からない。
あまりにも、リスキーだ。
そして三つ。精霊と契約する。
この世界で魔法を使う手段は一つではないことは分かっただろう。
その一つの手段として、精霊に魔力を通して魔法を使うというものがある。
私は、この湖の精霊と仮の契約を結ぶことで魔法使っていた。
私が放った火球は割と早い速度で進んでいった。
ここまま進めば行き着く先は森だ。放っておけば大変な事になる。
ならば止めよう。
(『身体強化』)
陰系統魔法の代名詞である身体強化魔法を掛ける。
そしてクラウチングスタートの態勢を取り、一気に駆け出す。
ドンッ! と私が踏み込んだ地面から爆発音のようなものが鳴った。
私は一瞬で火球を追い越し、ブレーキをかけた勢いのまま脚を後方から来る火球にぶつけた。
ブゥン!!! という音とともに、火球は虚空に消え去った。
これが私、ヨミの一人遊びだ。──いや、精霊が居るから、独りじゃないな。
◇ ◇ ◇ ◇
「母さん! 私はもう限界だ!」
「あ、あら? どうしたのヨミちゃん……」
「どうしたもこうしたも無い!
朝起きれば母さんたちのアレの音が聞こえて、外に出れば男たちが私を襲って!
夜は集落全体がアレをしてるしで! 私が落ち着ける場所は森の中しか無いんだ!
しかも!! 最近だれかが森でもシてるせいで変な臭いもするし精霊たちも元気が無いんだ!」
私はキレていた。
どうしてキレているのかは今言った通りだ。
16歳にして初めて、母にキレた。
口調は13歳の頃に完全に矯正された。
「おいおいヨミ、そんな怒ることじゃないだろ?」
「怒ることだ!」
最近起こった事を話そう。
まず、母さんや父さん、集落のおばさんたちからそろそろ卒業したら? とずううぅぅぅっと催促を受ける。
次に、集落の男たちからの激しいアピール。
それを無視していたら、夜這いされた。
最後に今日。
食事に、媚薬が入っていた。
そのせいで今も体が火照っている。この激情も火照りを発散するためのものしれない。
「毎日毎日毎日毎日いい加減にしろ!!」
バンッ! とテーブルを叩くと、並べられている食器が跳ねた。
「はぁ……ヨミ、いい加減にしなさい」
「こっちが言いたい! いい加減にしてくれないか!? 余計なお世話なんだよ!!」
溜まっていたストレスを発散するかのように、当たり散らす。
「あぅ……ご、ごめんねヨミちゃん……ヨミちゃんがそう思ってるって思わなくって……。
あの、良かれと思ってやったのよ……? だから──」
「──もういい」
「え?」
「出てく」
「ど、どこを……?」
「ここを出てくって言ってるの!!!」
◇ ◇ ◇ ◇
「ヨミ、考え直しなさい」
「ヨミちゃん……」
「………………」
簡単に荷物を纏めた。
後は家を出るまでというところで、親たちが待ち構えていた。
「どいてよ」
「ダメだ」
自慢ではないが、私はこの集落で一番強い。
だからやろうと思えば、父を倒して無理矢理──という手段もある。
母に目を向ける。
母は、薄らと涙を浮かべながら、不安そうな瞳でこちらを見つめていた。
──今更そんな眼したって、私は止まらないよ。
強行突破も視野に入れようとした、その時──
「ヨミちゃん」
母が、私を見つめていた。
それはあの日、産声を上げた日と同じ、慈愛の籠もった瞳で──
「体に、気をつけてね」
そう、言ってきた。
「っっっ!!」
なんで。
「お金はあるの? 服はあるの? 変な人に捕まっちゃダメだよ?」
なん……で。
「ヨミちゃんは可愛いから、色んな人が言い寄って来るかもだけど、お母さんみたいにちゃんと良い人を見つけるんだよ?」
なんで。なんで。なんで。
なんで、涙が、出てくるんだよ……
「それから、それからね……っ」
お母さんは精一杯の笑顔を浮かべ──
「いってらっしゃい」
「う、うぅ……い、ぃって、きま……す」
「気をつけてね?」
「う、うん。いって、きます!」
駆け出した。
後ろは見なかった。
お母さんが泣き崩れ落ちる音なんて聞こえなかった。
何でか分からないけど視界がぼやけて上手く走れないけど、なんとか湖まで着いた。
「『精霊よ──』」
両手を差し出すと、色んな色の精霊が集まった。
「『私は、旅に出ます。でもいつか、立派になってここに帰ってくる。だからその道中、私を助けてほしい』」
手に残った精霊たちを胸に持ってきて──
ドクン
契約が、完了した。
この日私は、16年育った集落を出る。
喧嘩別れみたいになってしまったけど、いつか帰ってくるから。
立派になって、帰ってくるから。
素敵な人は……うん。元男の意識があるから微妙だけど、帰ってきたら、お母さんの手料理を作ってください。
一度死に、黒鬼という種族の女の子として転生した私は今──異世界へと、旅立ちます。