紅葉に染めて~番外壱『八重、お華を少々』
※あくまで『憧れの習い事をやってみた。』だけです。
八重ちゃんのいいところは他にたくさんありますから!
※今回は”習い事の顛末シリーズ”と題して、千鶴ちゃんの人生の師・八重ちゃんの”お華のお稽古”の実態を、彼女を良く知る幼馴染み・義治君に語って貰いたいと思います。
え、八重の華道の習い事の成果?
…それ、本人に聞いちゃいけねぇな…ここだけの話だぞ、俺が話したって事アイツに内緒にするって約束出来るんなら、こっそり教えてやるよ。
そもそも八重が華道の習い事をするなんて事になったのは、日頃からお転婆なアイツに何か一つでも女らしい特技を持たせてやりてぇって親父さんとお袋さんの”儚い”願いだったんだよ。
ほら、八重って元気がいいのは結構だが、お転婆でよく走り廻ってる印象だろ?女将の見習いを本腰入れてやりだした今でこそ、まだましになったもんだが、ひと昔前までは度が過ぎるっつーか…勢いが良すぎて失敗するなんてザラだったんだ。
何にも知らねぇ客なんかは、器量よしだとか随分と上手く纏まった感想でもって褒めちぎってるが…それこそ千鶴が手本にするほど器用な奴じゃないんだがなぁ。でもこれを言ったら千鶴の夢を壊すからって、兄貴馬鹿の実裄に口止めされてるから未だに何か勘違いしてるみたいなんだよな。
まぁ八重と千鶴が昔から姉妹みたいに仲が良いのは良い事だし、言わぬが華とも言うから俺も黙るに徹してる訳だ。
で、本題の”八重の華道はどうだったのか”って話だが…、
”習い事をした”と”習得した”は別物だって事だ。かじったからって皆が皆上手くなるとは限らねぇよな。つまり…確かに”習うには習ってた”って事さ。
そう、八重の親父さんとお袋さんに後から聞いた話なんだが――
以下、就寝前の夫婦の会話
「そろそろ義治くんも跡継ぎとして菓子職人の修業を始めるらしいし、八重も『女将見習い』始めましょうか」
「んー確かにそろそろ頃合いかもなぁ。八重は落ち着きに欠けるから、少し早めに始めたほうがいいだろうしな」
「そうなのよね、女らしい所作の一つでも習ってみれば少しは変わるかしら」
「八重に出来そうな行儀の良い習い事って、あるか?」
「王道といえば、お茶?」
「いや…アイツの場合茶より茶菓子だろ」
「そうよねぇ…じゃあお華?あの子お花好きだし」
「茶が駄目なら、華しか思いつかねぇし。いっちょやらせてみるか!」
その安易な選択が間違いだったんだ…。
以前から周りの娘達のように習い事に興味があった八重は、あっさり「やるやる!」と随分意気込んで稽古に通い始めたんだが、花は好きな物をただぶすぶすと挿してやたらと盛りすぎだし、家で練習すりゃあ花の残骸で散らかし放題だったらしい…。最終的には「お花は一輪のほうが素敵じゃない?」とお袋さんがなんとか単純な八重を上手くいい包めて、『一輪挿し』だけしかさせなかったんだとよ。
だから『櫻屋』には何時何処の部屋を見ても一輪挿ししか飾ってないって訳だ。
まぁ一輪挿しだって悪かないし、今後人前で披露するわけでもないからいいんじゃないか?本人はアレで一応『華道の真髄』ってやつを極めた気になって満足してるし。
だから、間違っても八重に『一輪挿し』以外をさせるなよ!
終。