むじな2
赤坂の街を駆け抜け、たどり着いた青山霊園には、近所にある寺のお坊さんや、神社の神主さんが集まっていた。
彼らはいち早く異変に気付き、この場所から紅衣千千姫命を出さぬように拝んでいたようだ。
多くの墓石に囲まれ、拝まれて動けずにいる紅衣千千姫命は、かんざしで髪をまとめ、紅い牡丹がらの着物を纏った、和服の綺麗な女性の姿をしていた。
砂那はその姿を見て、今まで手に持っていたロングコートを羽織る。
確かに強力な神様だ。この前に蒼が祓った、姥ヶ池の大蛇ほどの霊力を感じる。
紅衣千千姫命もこの中で霊力の高い者が解ったのか、こちらに顔を向けた。
のっぺらぼうの原型と言われているその顔には、ちゃんと目も鼻も口もあり、口には色っぽい紅を差している。見た目はとても美人で、のっぺらぼうの原型と言われる意味が解らないが、危険な事だけは解った。
ゾクッ。
その表情に背筋が凍る。
紅衣千千姫命は砂那達を見た瞬間に、悦に浸ったように、トローンと目頭を下げ、だらしなく口を開き口角を上げていたからだ。
それは快楽を求めたようにも見える。
「綺麗な人だけど、なんだか気持ち悪いわね」
砂那はそう感想を残した。
しかし美的センスが違うのか、翠は彼女の台詞に不思議と首をかしげる。
「くそっ、やっぱり《むじな》だったか! どうするんだよ、今、総本山には座頭が居ないいんだぞ!」
そう言って、苦虫を噛み潰したように梶元は顔をしかめる。確かにそうだろう、紅衣千千姫命はAAクラスの彼では荷が重すぎる。
そこに、拝んでいたお坊さんの一人がやってきた。
「総本山の囲い師か、助かった。我々では抑えるがもう辛い! 頼む、早く囲ってくれ!」
その台詞に、梶元は目線を泳がせたまま曖昧な感じで頷き、砂那達の元にやって来た。
彼は暑さのせいだけでない大量の汗をかいている。
「とっ、とにかく、俺たちだけで囲うしかない。お前たち………頼むぞ」
願望にも似た台詞を残し、梶元は「二十六か? いや三十囲いか」とブツブツと独り言を言っている。その辺りが、彼が出来る最高の囲いなのだろう。
この現場は、彼がリーダーでは重すぎる。
篠田は、焦りと緊張で体を震わせている梶元の声を無視して、横にいる砂那に聞いた。
「どれぐらいだと思う?」
見極めの話である。彼女は睨んだように鋭い釣り目で紅衣千千姫命を見たまま、はっきりと答えた。
「百八!」
篠田は少し驚いた様子で目を見開いたが、すぐに口元をゆるめる。
「いい見極めだ」
梶元は自分の言う、二十六や三十囲いよりも遥かに多角に思わず大声を上げた。
「どこが良い見極めだ! そんなもの誰が囲うんだ? 今の座頭だって出来ないぞ!」
座頭の土御門 定長は、昔は百八囲いが出来たのだが、現在は歳のせいか出来なくなったらしい。それ以降、百八囲いは誰も囲うものが居ない、伝説的な囲いになっている。
なのに篠田は当然のように尋ねた。
「出来るか?」
それを聞く方がおかしい。囲い師のトップの座頭ですら出来ない囲いなのだから。
梶元が鼻で笑おうとしたところで砂那が頷いた。彼は口を開いた間抜けな顔ののまま、目を見開き砂那を見る。
「おっ、お前、解っているのか? 百八だぞ? 百八だぞ?」
信じない梶元の言葉を無視して、再度、篠田は当然のように話を続けた。
「解った、《貼り手》は俺と上高井が引き受ける。折坂さんは《囲い手》を頼む」
「《囲い手》って事は、祓わなくていいんだね?」
奈良の霧ヶ峰の鬼の時のように、紅衣千千姫命はこの辺りの重要な神様かもしれない。祓ってしまえば周りの神様たちの拮抗が崩れて、悪霊たちが増えたり、霊的障害が増えたりする恐れがある。
「話が早くて助かる。折坂さんに座布団一枚だ」
「お前らいい加減にしろ! こいつ、《むじな》はな、お前たち〈分〉が敵う相手じゃない!」
そういきり立てる梶元を、またしても篠田は無視して話を続ける。
「それとな折坂さん、総本山の連中は勘違いしているが、《囲い手》や《祓い手》をする者は、ふんぞり返って祓う事だけが仕事ではない。《祓い手》の本当の役割は、《貼り手》がお札を刺し終わるまで、霊体の足止めをすることなんだ。俺たちがお札を全て貼り付けるまで、しばらく一人で紅衣千千姫命の相手をしなくてはならない。それを――――君は出来るかい?」
篠田の意地の悪いところだ。彼は砂那に忠告したように見えて、遠回りに梶元に言ったのである。梶元は思わず息を飲み込んだ。
砂那は静かに目を閉じる。
少し前に、紅衣千千姫命と同じぐらいの霊力の持つ、姥ヶ池の大蛇の足止めが出来ず、蒼に任せて自分はD.I.Jとの戦闘を選んだ。
あれから練習もしたし努力もしたが、本当に出来るかと不安は残る。しかし、それをやらなきゃ、彼の隣に肩を並べないだろう。
砂那は目を見開いた。
「やって見る!」
そのキツイ釣り目には迷いは無く、ただただ、その瞳は紅衣千千姫命だけを見ていた。
紅衣千千姫命はその視線に、快楽を感じるように身体を身震いさせると、急に砂那を見下したように笑った。
「出てきて我が式守神、八禍津刀比売!」
砂那の背中の後ろには、女性の顔と胸を持つ八本腕の鬼が現れる。
「しっ、式守神!」
梶元が今度は目を見開ぎ、驚きで口を開いたまま一歩後退した。
式守神が術者に取り憑つく条件は難しい。
霊能力が強いとか、徳が高いなど、幾つかの条件が満たされないと式守神は憑ついてくれない。だから総本山の中でも、位の高い者しか式守神が憑ついている人はいない。
なのに自分より位の低い砂那が、式守神に憑いてもらっているとは知らなかった。
驚いている梶元に、さらに追い打ちをかけるように篠田も声を上げた。
「出て来い、我が式守神、三火八雷照!」
バチィ!っと大きな音を立てて、篠田の後ろに人影が現れる。
炎を纏とった発光体。
真っ赤に燃えた人型で、雷を体内から発している。
篠田は意味ありげに、翠に目線を向ける。
まだ半年と短い付き合いだが、翠には彼が言わずとしている意味が解った。
篠田は自分たちの実力を見せつけて、梶元に有無を言わせない気だ。翠は軽い溜息と共に、空気を読んだ。
「出てきて、我が式守神、祓戸狭霧神」
翠の後ろには四メートルは越える、大柄の赤黒い肌を持つ鬼が現れる。
三体もの式守神が現れると、周りからすれば、それは壮絶なものだ。
梶元は声を震わせた。
「おっ、お前たちも………」
自分より身分の低い、Bクラス全員が式守神を出してきた。しかも、この中で一番霊力の弱いと思っていた翠が、一番霊力の高い式守神に憑いていることも驚きだ。
そんな驚愕の表情をしている梶元に対して篠田は言った。
「ここは俺たちが何とかしますんで、梶元さんは周りの拝み屋さんたちの指揮をとってもらえませんか? それは俺らには出来ない、難しい仕事ですから」
難しいを少し強調して言う。梶元は思わず頷きこの場を離れていくが、ここまで明確な実力差を見せつけられて、嫌と言える状況ではないのは確かだった。
「これで邪魔者は居なくなった。いいか折坂さん、紅衣千千姫命はかなり厄介だから、俺らの式守神を君に預ける」
二人の式守神、三火八雷照と祓戸狭霧神は砂那の後ろに移動して、八禍津刀比売の隣に並んだ。
「ただ、百八囲いは大きく囲わないとならないから、後半は距離が開いてしまい、どうしても俺らの式守神は俺たちの元に戻ってしまう。そこからは、本当に折坂さん一人で戦うことになるから、身の危険を感じたら逃げてくれ」
式守神は強力な存在だが制限も多い。憑いているものから、そう遠くに離れられないのである。
「ありがとう、何とかしてみるね。それと、わたしのことは砂那って呼び捨てで良いよ。わたしの方が年下だし、総本山にはお父さんもいるから、折坂だとややこしいでしょ」
篠田は再び口元をゆるめた。
こんなに霊力の高い霊体を相手する前だというのに、そんな話をするほど砂那は落ち着いている。余裕のある証拠だ、心配はいらない。
「じゃぁ、そう呼ばしてもらう。砂那、紅衣千千姫命は見る者の心を読んで姿を変えてくる」
そこで納得したのか翠が口を挟んだ。
「だからね。折坂がさっき、紅衣千千姫命のことを綺麗って言ってたけど、あなたは落ち武者のような男が趣味なのかって、ちょっと焦ったわ」
着物姿の綺麗な紅衣千千姫命は、翠には矢がぶすぶす刺さった状態の落ち武者に見えていた。
「ちなみに、俺には犬の化け物に見えてる」
「………私たちは、違うものを見ていたの?」
「そうだ。紅衣千千姫命は見ている者で姿が違い、他人に説明できない事から、顔が無いと言われている」
それがのっぺらぼうの由来だ。
「これが案外やり辛いぞ。視覚ってのは大切で、ナイフを持っているものと、長い棒を持っているものでは対処が異なるだろ。紅衣千千姫命は急に姿を変えるから、変化に気をつけろよ」
確かに霊力が高いだけではなく、やり辛そうだ。砂那は頷くと、小さく「借りるね」と呟いた。
その瞬間に彼女の両手には、自分の身長ほどの大きな諸刃の剣が現れる。
篠田は思わず口元をゆるめて、「ほーっ、やるね」と感心した。
砂那と紅衣千千姫命はお互いに向き合った。
「それじゃ、お互いに健闘を祈ろう」
軽い感じで篠田が言うのを合図に、砂那は紅衣千千姫命に向かって駆けていった。