微かなズレ
学校が夏休みに入り、セミの声が五月蝿い七月中盤。
サラリーマンはジャケットを脱ぎ、ハンカチで汗を拭きながら歩き、年配の女性は日傘に手袋と、完全武装で日陰を探していく。
そんな最中、気でも違ったようなロングコート姿の少女が、一軒家の周りをロングゴートの裾をなびかせながら、リズム良くダガーを地面に突き刺しながら走っていった。
十本のダガーは均等に配置され、きれいな円を描いていく。
そして、ロングコート姿の砂那はそれの袖口で額の汗をぬぐい、三十代後半の秒〈A〉クラスの男に顔を向けた。
男は頷くと、大げさに左手を伸ばし、大きく、わざとらしい位にゆっくりとした十囲いで淨霊を始める。
「………」
これで良かったのだろうか。
その様子を見ながら、砂那は疑問を感じていた。
今回、総本山に依頼が来たのは、ごく有り触れた一般家庭からだった。
しかし現場の自宅にやってくると、悪霊らしきものは見当たらない。低級霊が二体ほど漂ってはいるが、霊障を起こすほどの力もなく、放置しておいても問題はないものだった。
たぶん、依頼人の身の回りでは運の悪いことが続き、それを霊のしわざだと疑っているのであろう。そういう考えはよくある。
悪い事が起こることは、なんでも悪霊のせいにするのは良くないと、説明してあげて終わりと思っていたところ、今回のチームリーダーの男が言った。
「それは悪霊のせいだ!」
「えっ?」
砂那は戸惑の表情で男を見た。
「この場所に悪霊が二体いる、それが原因だ。おい、すぐに囲いの準備を始めろ!」
「しかし………」
「危険な悪霊だ、十囲いでいく。急げ!」
砂那は戸惑ったまま、その低級霊二体に対して囲いの準備をしたのだ。
祓い終わった男に、依頼人は感謝を言っている。
砂那はその姿を見守りながら、再び、本当にこれでこれで良かったのかと自分に問いかける。
そのときはまだ、微かなズレだった。
「まだ、気が治まらないのか?」
蒼が鍋のままブリのあら煮を持ってくると、枕を抱いたままベッドに腰かけて、不服そうに唇を尖らせている砂那に声をかけた。
「だって、納得いかないんだもん!」
砂那は蒼の部屋にやって来るなり、ベッドの上に寝っころがると、バンバンと布団や枕を叩きながら、今回のチームリーダーの文句を言っていたのだが、まだ不服らしい。
「確かに、うちなら祓わず説明して終わらせるが、総本山には総本山のやり方も有るんだろ」
「だけど、あの低級霊にそんな力が無いのは一目瞭然よ! 本当に霊視ができるのって聞きたいわ! それに、依頼人も騙してるようで気が引けるし」
「悪霊と決めるのは個人差があるからな、難しいところだ」
「それは解っているけど………」
「それより、ご希望通りにブリのあらを照り焼き風に味付けしたぞ。温かいうちに食べよう」
蒼はそう言いながら冷蔵庫からお茶を取り出す。砂那はまだ唇を尖らせていたが、自分の希望したメニューの匂いに釣られてか、いつもの席に腰を下ろして箸を持った。
それでも砂那は、不満を口にせずに仕事をこなしていた。しかし、その微かなズレが次第に積み重なり、ついに我慢の限界の時が来たのだった。
それは、砂那が総本山に入って二週間経った時だ。
現場は三階建の一軒家で、昔に何らかの店舗を営んでいたのか、今は色あせて読むことが困難な、錆び付いた看板がかかり、大きなシャッターがついている家だった。
砂那たちはその家の、五十代の女性に案内され中に入っていく。
外から見えた元店舗部分は、今は倉庫として使っているのだろう、家具やダンボールで中に入るのが困難なほど、荷物が溢れかえっている。そこは空気がよどみ、いやな気配がしていた。
そして、その一階の元店舗部分を覗き込むように、薄く透けたおじいさんが立っていた。
おじいさんは砂那たちを見ると何かを言いたげにこちらを見ていたが、すぐに顔を戻してまた元店舗部分を覗き込む。
「………」
砂那だけでなく、今回のチームリーダーの秒〈A〉クラスの片岡 清彦や、砂那と同クラスの田中 航太もそれに気付き目を向けていた。
しかし、先に話を聞くために通り過ぎ、階段を上がり、二階の居間へとやってくる。
依頼人の経緯はこうだった。
以前この場所で両親が雑貨店を営んでいたが、両親が亡くなったことから店はたたみ、土地と建物を相続して、家族とともにこの場所に戻ってきたのだが、それからどうもおかしいらしい。
夜に寝ていると、顔をのぞき込まれるような気配を感じて目が覚めたり、誰も居ない部屋で人影を目撃したりすることがよくある。
嫁に行ったきり、面倒を見なかったことを、亡くなった両親が怒っていると依頼人の女性は言っていたが、砂那にはそれが原因ではないような気がした。
さきほどの店舗部分を覗き込んでいた老人は、まさしくこの女性のお父さんなのだろう。しかしその彼には悪意がなかった。
チームリーダーの片岡と田中はその話を聞くと、すぐに一階に降りて行く。たぶんその老人から答えを探して行くのだろう。砂那はもう少し詳しく聞くためにその場に残った。
「人影を目撃するのは、この隣の部屋ですか?」
砂那の問いかけに、依頼人の女性はどうして解ったのかと言いたげに、驚いた様子で頷いた。
先ほどの元店舗部分を覗き込んでいたおじいさんの目線は、上を向いていたからだ。
「はい、隣の部屋は娘が使って居ましたが、最近は気持ち悪くって誰も入ってないのです」
「見せてもらっても良いですか?」
「えぇ」
砂那は立ち上がると、その部屋の戸を開け中に入っていく。
この部屋も一階の元店舗の倉庫と同じで、しばらく使っていなかったので空気がよどんでいる。そのため低級霊が集まっていた。
しかし、この低級霊たちは数は多いが、まだ悪霊と呼べるものではない。
砂那は低級霊は無視して、コートからダガーを取り出し、それにお札を刺してから、その中でも一際気になっている場所に刃先を向けた。
この部屋にある押入れと呼ぶほどもない、半畳ほどの小さな物入れだ。
砂那はそこを一気に開けた。
荷物でいっぱいの物入れの中、その中棚の上に女性が真正面を向いて座っていた。
ゾクっと砂那は少し寒気を感じる。
その座って居る彼女の目には眼球がなく、真っ暗い穴が開いているだけだった。
視覚でも見ている者が嫌悪する状態をとって、悪意を周りに振りまいている。性質が悪い悪霊だ。そして彼女は、そこからゆっくりと這い出て近寄ってきた。
砂那は寒気を感じつつも、彼女から目線を背け、さらに辺りや物入れの中に注意を配る。
確かに何かが感じられるが、この悪霊からではない。
この物入れの近くからなのだ。
「………なんだろ?」
しかし、砂那の霊視では答えが見つからず、とりあえずこの悪霊だけでも祓っておこうと、ダガーをロングコートの中になおし、ガラス製の小さな文鎮を取り出すが、ある事を思い出してその手を止めた。
砂那が、総本山で一番始めに仕事をした瀬戸に、貼り手が勝手に祓ってはいけないと教わった。それを考えると今回も先に報告をしておいた方がいいだろう。
まったくもって面倒だが、砂那は悪霊をそのままに、部屋を出てチームリーダーの片岡を探しにいった。
彼らは、一階の元店舗部分を覗き込んでいるおじいさんの近くにいるのだろう。そう思い一階に降りた砂那は、信じられない光景を目にする。
今回のチームリーダーの片岡が、貼り手の田中におじいさんを囲わせている真っ最中だった。
砂那は思わず大声を上げる。
「あなた達、何しているの!!」
「なにって、悪霊を囲う準備だ。折坂、おまえも手伝え。こいつを十二囲いで祓う」
「祓うって、このおじいさんを?! 彼は悪霊ではないわ!」
砂那のその言葉に、片岡は鼻で笑うと、そのまま囲うように田中に指示する。砂那は思わず囲っているお札を蹴とばした。
「いい加減にしなさい!」
「何を邪魔するんだ!」
「悪霊でもないものを囲ってどうするの!」
「黙れ! こいつは悪霊だ! 今回の祓い手は俺だ! 囲い手の癖に偉そうにするな!」
その時、砂那の肩を押しどかそうとした片岡の手が、軌道を外れて彼女の鼻に当たる。砂那は鼻を押さえて倒れこんだ。
「あっ………じゃ、邪魔をするからだ。もう、向こうに行っていろ!」
砂那は鼻を押さえたまま立ち上がった。指の間からは鼻血がしたたり落ちる。
信じられなかった。
彼らは囲い師のトップに君臨する総本山だ。しかもチームリーダーの片岡は自分より、年齢もクラスが高い。なのに、こんな素人が間違えるような判断をするとは思いもよらなかった。
リーダーに反抗してはいけないのは解っているし、そもそも、依頼人の前でもめ事を起こすのは賢明では無いとも解っている。
だけど………。
「………がない………」
「あっ? 何だって?」
砂那の小さな声が聞こえなかったのか、片岡が聞き直す。
もう限界だった。
砂那の師匠に当たる、祖母の折坂 華粧ならおじいさんを祓わないだろうし、ベネディクトや蒼であっても同じなはずだ。
そして何より、いくら上司であっても、悪霊でもない死者に敬意をこめていないのは違う。
それは、自分の信念に反する。
彼女はきつい釣り目で睨みつけた。
「あなたには、情緒がない!」
今度は大きい声でそう言うと、まだチームリーダーに従い囲おうとしている田中を、片岡の方に蹴りつける。二人は重なるようにして玄関の方に倒れこんだ。
「痛っ! お前何を!」
「出てきて、我が式守神、八禍津刀比売!!」
砂那の背中の後ろには、女性の顔と胸を持つ八本腕の鬼が現れる。そして片岡の前までやってくると、右手の大剣の刃先を彼に向けた。
「なっ、しっ、式守神?!」
砂那が式守神に憑かれていることを知らない片岡は、驚きで目を大きく開く。
「あなたたちは、そこで少し頭を冷やしていなさい! 八禍津刀比売、彼らがこっちにやって来たら、遠慮はいらないわ、痛い目を見せてやりなさい!」
そう吐き捨てて、まだ何か言っている片岡を無視して振り向くと、砂那は袖口で鼻血を拭きながらおじいさんの横に並んだ。
老人は砂那を一目だけ見てから、再び元店舗の上の方を眺める。
「………そこに何かあるんですね」
砂那は元店舗の倉庫に入っていくと、荷物を踏み越えながら老人の視線の方向へと進んでいった。そして段ボールを踏み台にして、壁際のタンスの上の荷物を移動させて、ようやくそれを見つけた。
そこはちょうど、二階のもの入れの真下で、亡くなった後も老人が気にしていたもの。
「――――これだったんだ」
それは神棚だった。
商売をしていたころに祀っていたものだろう。現在の依頼者は知らないのか、埃がたまり放置をしていた様子だ。
しかもよりによって、神棚の前には干からびたネズミの死骸まである。砂那はハンカチを取り出すと、そっと手を合わせ、ねずみの亡骸をそれで包んだ。
「どうかなさったんですか?」
そこに、さきほどのもめ事の音を聞きつけて、依頼主の女性がやってきた。
砂那は段ボールから降りると、依頼主と老人に向かって頷いて見せた。
「騒がしくてすいません。でも、理由が解りました」
これは悪いことが重なった結果である。
神棚があるのがわからずにそれを放置し、早く気づいて欲しい神様が、色々と依頼主にちょっかいを出していたのだ。
それのほかに、依頼人が物を貯めすぎたために、空気がよどみ悪霊がやってきたが、そんな状態では神様は力が出ず、悪霊や低級霊が居座ることとなったのである。
「あの場所に神棚があります。それをきちっと祀ってあげてください」
「えっ? うちに神棚なんて有ったんですか?」
依頼人の女性はやはり知らないようである。
「それと、物を貯めすぎると、陽の当りや空気の流れが悪くなり、霊たちが集まりやすい環境になります。この際、捨てれるものは捨てて一度整理するのも良いかもしれませんよ」
砂那の言葉に、その女性は元店舗を眺めて頷いた。
「そうですね。お恥ずかしい」
「あと、貴女のお父さんは怒っていません。わたしに、ずっと原因を教えてくれてました」
そう言って、依頼人の隣で優しく微笑んでいるおじいさん見る。依頼人の女性は目を大きく開けてから、両手で顔を覆った。
後は二階の悪霊を祓い、砂那の出来ることは終わりとなる。
いつの間にか、チームリーダーの片岡と田中は玄関から姿を消していた。
久々の後書きで緊張しています。
何を書いたらいいかなーと。
活動報告書の方で散々謝ったし、今も土下座だし。
でもとりあえず、遅くてすいません。
内容的にも、まだまだ盛り上がらないところで、次の次ぐらいから少しだけ盛り上がってきます。
それまで頑張らなくては。
ここから、まだまだ砂那のうっぷんが溜まってきて、いつか大爆発するかもです。
今回は怒りの章ですね。
働いていたら、よくあることですがね。しみじみと。
まだまだ頑張って書くので、溜まったころに読んでいただいたら幸いです。
では、また次の活動報告書か、あとがきで。
ではでは。






