002
家路につこうとしたまでは良かったんだけど、何しろ引っ越してきたばかりで行きの道よりかなり遠回りの道を選んでしまった。
途中で陽が暮れかけるし、人通りもまばらになってきたので自転車でくれば良かったと、後悔先にたたずをまさに体験していた時。
通りすぎようとした公園の方から何かが軋む音がして、何気なく目をやると…。
「……あっ! さっきの!」
ミルクティーの髪の人! 発見!
大きな声で叫んでしまったために、その男…もう男って呼ぶけど、その男がうつむいていた顔を上げて私を見た。さっきのような鋭い目つきではなかったけれど、思い出してしまって少し怖かった。
「ちょっと、あんなことしてただで済むと思ってるの?!」
公園に入ってブランコに座っている男の前に、少し距離を置きながら立つとその男は軽く揺らしていたブランコからピョンと飛び降りた。うう、近くなっちゃった…と思ったけど今更後ろに下がる気もない。
何か返事が返ってくると思ったけれど、返答なし。さらに無視してそこから去ろうとしていた。
「ちょっと、待ちなさいよ!人の話聞いてるの?!」
慌てて追いかけて腕を掴むと、ようやく立ち止まって振り返った。
「誰?」
「え…」
「君、誰」
「え、ええと。え…あの……。ろっ路地でぶつかりそうになったでしょう! 路地に入ったら怪我している人が五人もいたわよ!」
男は何の感情の変化も表さない。もっと慌てたり怒ったりするかと思ったのに。
「けっ、警察に捕まるんだから!」
「…………良く知りもしないで、首をつっこむのは良くないとおもうけどね」
「なんですってー!? 怪我させておいて何よその態度!」
「君に怪我を負わせたわけじゃないけど」
「そうじゃなくって!」
男はふうと大きくため息をついた。私にわざと聞かせたわね。
「他人のこと心配している暇があったら、自分のことを心配した方が良くないかな。君がさっきみた怪我人を作ったのはオレなんだよ?」
最後の言葉は私を揶揄するように言った。
ムカムカムカーッ!
「バカにしたわね…私のこと…バカにしたわね!」
「さぁ…ね」
「許さないんだから!」
「手、離してくれないかな」
あまりに腹立たしくて、私は掴んでいた手を離してそのまま男の頬に平手打ちをしようとした。
ぱしっ。
私の手はあっさりと受け止められてしまう。
「ちょっと、離しなさいよ!」
男は苦笑する。
そうしてパッと手を離すと私から数歩身を離した。
「君には関係ないことだろう。もう話しかけないでくれるかな」
男はそう言って、また歩き去ろうとしていた。
「警察に言うわよ」
「……構わないけど」
「なっ…! 言うわよ!? 本当に」
鞄から携帯電話を取り出しても、男は慌てる様子もない。
「言っても無駄だと思うよ。襲ってきたのはあいつらだからね」
「…………え?」
「オレだって怪我はしたくないよ」
「だ、だからってあんなになるまで…」
「もう、いいだろう。かけるなら好きにすればいいよ」
最後の言葉は優しくため息まじりだった。疲れた…といった感じだった。
「ちょっと、まだ話は終わってないってば。もっと、こう…良い方法は無かったわけ?」
「……しつこいなぁ…。……逃げれるならとっくに逃げてるよ。五人に囲まれて路地に連れて行かれて、さらにナイフを取り出されたら起き上がれなくなるまで叩きのめすしかない…だろう?」
「……ナイフ!?」
「ついでに説明しておくと、道の真ん中でやったら他に関係ない人が巻き込まれる可能性だってある。ああする事しか思いつかなかったよ。脅すために出されたナイフは、いつか本当に凶器になりえる。わかる?」
男はそう言った後、ため息をつきつつ頭をがくっと下げた。
「何、話してるんだろう…オレ」
「……慣れてる…のね」
「ん?」
「そういう風に絡まれることに慣れてるのね?」
「……何回も言うけど…君には関係ないことだよ」
歩き出した男の後を一定の距離を保ちながら付いて、私も歩く。
「ねぇ……あなたが着てる制服と、さっき倒れてた人達の制服…同じよね」
「……」
答えは返ってこない。
「引っ越してきたばかりで、どこの制服かは分からないけど…」
「もう関わらないほうがいい。怪我する事になるし、そうなってもオレは助けない」
振り返って立ち止まり、言った男子の瞳が冷たかった。バリアを張られたようだった。
「お、女の子が困ってたら助けるのが紳士ってもんじゃない?」
「あいにく、オレは紳士じゃないよ。目の前で君が死にそうになってても助けないし、今までそうしてきた。そうしても罪悪感なんてないし、文句を言われる筋合いはない。助けなければならない…なんて誰が決めた事?」
「そ、それは…常識として…」
「常識…ね。そんなものは人それぞれ違うよ。普通…っていうけど、本当は皆少しずつ違う。だから、君が持っている常識だって君の友達には常識じゃないかもしれないし、オレの常識じゃない。悪いが、わけの分からないカテゴリーに入れないで欲しい」
男はそう言って踵を返すと、歩き出す。今度は追いかけてはいけない雰囲気だった。