片思い *2*
「サッカーなんて見飽きてるよ……」
柚希の声は無視して試合会場に向かう。
幼馴染がサッカーをやっているという柚希は小さいころから何度も観戦しているらしく、格好もずいぶんラフなものだった。
「咲良、そんなおしゃれしても無駄だって」
わかってるよ。これだけたくさんの人がいて、私のことだけ見てもらえるなんて思ってない。試合に集中してるのに、私が視界に入るなんて思ってないよ。
でもね、やっぱりもしかしたらってことがあるじゃない。好きな人の試合に来たんだから、おしゃれぐらいしておかなきゃ。差し入れ渡す時に会えるかもしれないしね。
「せっかくなんだから、柚希もおしゃれすればいいのに」
「なんで私が遼の試合見るためにおしゃれするの……」
「もしかしたら、何かが始まるかもしれないじゃない?」
ないない、と顔の前で手を振る。
「きゃー! 杉浦くん頑張ってー!」
会場の応援席に着くと最前列にはものすごいギャラリーが出来ていた。その隙間から見えるグラウンドで少し困った風にはにかみ、手を振る男の子が見える。
どうやらこの女の子たちのお目当ての男の子は彼のようだ。
「あいつのどこがそんなにかっこいいかなー」
柚希の幼馴染は騒ぎの中心の彼らしい。こんな競争率で誰か付き合える人がいるんだろうか。
「咲良、頑張ってね」
「へ? あ、うん」
呆れたようにそういう声が聞こえる。
私が好きなのはその人じゃないんだけどね。って、柚希にはまだ広瀬くんがすきって言ってないんだけど。
試合開始のホイッスル。汗だくになりながら、一生懸命ボールを追いかける彼。積極的にシュートを決めに行くわけじゃないけど、周りのことをちゃんと見て、綺麗にパスを回している。
ゴールネットを揺らして揺らされて、接戦を制したのはうちの学校だった。
「えーやだもう!」
試合後、私はトイレで悲鳴を上げていた。
「だから言ったじゃん。おしゃれしても無駄だよ、って」
試合前に柚希が言っていたのはこのことだったのか――とやっと合点がいく。
髪は崩れているし、白いブラウスは風に吹かれたせいで砂がつき、黄色くなってしまっていた。
でも一から直している時間はない。手早く髪を整え、服をはたく。
「差し入れ渡してくる!」
「うん、西出口で待ってるねー」
笑う彼女に背中を押され、私はトイレを飛び出した。
「広瀬くん!」
噴水の近くで立っている想い人の姿を見つけて声をかける。
ゆっくりと振り向く彼に、ひとつ深呼吸をすると紙袋を差し出した。
「あの、これ……差し入れなんだけど――受け取ってくれる?」
広瀬くんは紙袋に目を落とすと、中身を見て一瞬怪訝な顔をした。やっぱり。
「やっぱり手作りはだめ……だったかな」
覚悟していたことだ。今まで何度も応援に来ていたり、仲のいい友人なら話は別かもしれない。でも、知らない子から手作りの差し入れなんて、受け取ってもらえなくても不思議じゃない。
こんなことなら買ったものにするんだった、と後悔していると、スッと手が差し伸べられる。
「いや、大丈夫。ありがとう、受け取っとくよ」
言葉にならない嬉しさで胸をいっぱいにしながら、頑張ってねと言うと彼は優しく笑ってくれた。
柚希との待ち合わせ場所に向かう途中、トイレで緩んだ頬を引き締める。いくら柚希にでも、こんな顔を見られるのは恥ずかしかった。
「どうだった?」
「受け取ってくれたよ! 笑ってくれたし!」
よかったじゃん、と満面の笑みで一緒にはしゃいでくれた。
「あ!」
話している最中、重大な事実に気付く。
「どうしたの?」
「名前言うの忘れた!」
まあ、また見に来ればいいか。柚希を連れまわすのは気が引けるけど。
お風呂から上がり、たっぷりのボディクリームを手に取って脚全体に伸ばす。ひんやりとした感触が脚に伝わって、ピーチの甘い香りが部屋をいっぱいにする。
元々は美容にだって無頓着だった私が、いつしかこれも日課とするようになっていた。
ふと携帯が光っているのに気付いてメールボックスを開く。差出人の名前を見て胸の奥がとくん、と音を立てた。
広瀬くん。何度か差し入れを渡しているうちに仲良くなって、最近やっと連絡先を交換したのだ。
『ごめん、遅くなって。試合のビデオ見てたんだ。咲良ちゃん、何してる?』
『ぼーっとしてるだけだよ。どうかした?』
ぱちんと音をたてて携帯を閉じる。
あなたからのメールを待ってたなんて、絶対に言わない、言えないけれど。
他愛もないメール。たった数行の言葉たち。それでも私にとってはこんなにも胸の奥を温めてくれる大切なものなんだ。
しばらく経って、再びメールの着信音が響く。うきうきとした気分で携帯を開くが、次の瞬間その行動は後悔に変わる。
『ちょっと報告しておこうと思って。柚希と付き合うことになったんだ。確か仲良かったよね? もう聞いた?』
え?
お風呂で温まったはずの体温がスッと下がるのがわかる。
冗談じゃないの? 冗談だって言って――でも、そんな願いが届くわけはなく、メール画面が変わることもない。
聞いてない。聞いてないよ、柚希。
『そうなんだ! まだ聞いてなかったよ。柚希が好きだなんて知らなかった! 言ってくれたら協力したのに!』
メールでよかった。もし目の前にいたら、きっと泣き出してしまう。もし電話で声を聴いていたら、震える声を隠せていなかっただろう。
『ずっと前から気になってて、昨日告白してさ――……』
柚希はきっと、明日の朝一番に教えてくれるのだろう。あの子は大切なことは直接言いたいというタイプだ。
今まで好きな人を言わなかったことにもきっと他意はない。私だって言ってなかったんだし、それは同じだ。
すぐそばに置いたボディクリームが視界に入ってきて、すぐにぼやける。身体からは甘いバニラの香りがする。彼のためのこの香り……