空中ぶらんこ *3*
「孝ちゃん」
「お、久しぶり」
すっかり見慣れたショートヘアが目の前に現れる。何回か見に来てくれてたのはピッチから見ていたから知っていた。目も探し慣れている。
でも、こうして面と向かって話すのはあの時以来だった。
「久しぶり、じゃないよ」
眉をひそめ、唇を尖らせる。
「この前のこと、遼に喋ったでしょ」
「迷子になったこと?」
「……せっかくばれないうちに戻れたのに、恥ずかしかったんだからね!」
頬を膨らませた彼女の顔は、幼い顔立ちとも相まって悩殺的にかわいい。
「高橋優梨、好きなんだって?」
わざと彼女の話を流して、問いかける。
首にかけた大きめのヘッドホンは服装から少し浮いているが、それでも音楽が好きなのだろう。
「孝ちゃんもなんだってね」
孝ちゃんなんて呼ばれているのだ、こちらも名前で呼んでも怒られないだろう。
面食らう顔が見たくていちかばちか、名前で呼んでみる。
「柚希ちゃん、好きな曲は?」
「あ、柚希でもいいよ」
……さらっとハードルあげやがって。ほぼ初対面に近い女の子を呼び捨てになんてできるか、普通。
さすが遼の幼馴染だなと無駄なところで感心する。
「ふらここ、かな」
「本当に?」
「うん」
「俺もなんだけど」
「嘘!」
彼女の顔がぱっと輝く。趣味が完全に一致していた俺たちが仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。
*
「なんか新鮮!」
いくつか乗り物に乗り終わった頃、はしゃいだままの柚希がそう言い始めた。
「フリーパスで乗り物いっぱい乗りに来たりとかはするけど、のんびりひとつずつ乗るなんて久しぶり」
告白するつもりで遊園地に誘ったが、さっそくしくじったな、俺。やっぱそういうもんか。
「ごめん、俺あんまこういうとこ来ないから」
思わずそう謝った俺に柚希はいいの、と俺を見上げる。
「こうやってどれに乗ろうかって悩みながら乗った方が、ひとつひとつ大事に楽しめる気がするから」
いちいちそんな風に笑うなよ。俺の寿命は、今日でどれだけ縮んでいるだろうか。心臓が普段の倍、いや三倍ぐらいの速さで動いている気がする。
「それより、今こんなとこ来ないって言ったよね? 普段何してるの?」
通学圏内にあるこの遊園地は俺たちの高校に通う生徒達にとっては絶好の遊び場だ。一日の大半を学校で過ごす俺たちにとって、通学圏内は地元に含まれているようなもの。
だから、柚希もここで休日を過ごすことが多いらしい。でも、俺は。
「えっと……サッカー、かな」
「部活じゃなくて。休みの日は?」
休みの日。部活がない日、か?
いつもよりゆっくり寝て、遅めの朝ごはんを食べて。それから……
「……やっぱサッカーかな」
一人でやってる時もあれば、小学校の頃お世話になった地元のサッカーチームで子供たちに軽く教えてやったり、練習相手になってやったり。遼とやってる時もある。シーズン中、会場が近くならプロの見に行ったり。
――あれ、もしかして俺もかなりのサッカー馬鹿か?
「孝ちゃん……なんか、遼みたいだね」
「いや、一緒にするなって」
少し自覚してしまったからか、いまいちきっぱりと否定できない。
柚希はそんな俺を見てくすくすと笑っていた。
それから一緒にポップコーンを食べたり、ジェットコースターに乗ったりと遊んでいるうちに日暮れまで時間もわずかになっていく。
寒さも増したこの季節、日は随分短くて、すぐに一日が終わっていく。
「……ふぅ」
「どうした?」
ほんの少し漏らしたため息を聞き逃さず、柚希の顔をのぞき込む。
柚希は少し口ごもりながら実は、と言いにくそうに口を開いた。
「ちょっと足痛くなっちゃって」
そういえば、柚希は少しヒールのついた靴を履いていた。いつもはスニーカーなのに、と会ったときに思ったはずが、すっかり忘れていた。
「じゃあ、あそこのベンチにでも座る?」
「うん、ごめんね」
カラフルなベンチが2本の鎖にぶら下がって空中を回り、ビビッドな配色が目に刺激を与える。
どうせならメルヘンな動物たちがいるメリーゴーランドの前でのほうがよかったかな。
「休憩すんだら何乗る?」
「孝ちゃん何がいい?」
「俺はなんでもいいよ。何が一番好き?」
「空中ぶらんこかな」
じゃあ目の前だし、次さっそく乗りに行こうか。
俺がそう口を開くより早く、柚希は立ち上がる。
「孝ちゃんと乗るならなんでもいいんだけどね!」
……よくそんなことさらっと言えるな。
俺があっけにとられている間に柚希はベンチの隣にある自販機で温かい飲み物を買って俺に差し出した。
「はい、ココア」
「お、ありがとう」
触れただけでじんわりと温かい。
お金を出そうとするが、柚希はいらないよと譲らない。俺にもプライドってやつはあるんだけどな。
まあ、また今度何かおごってやればいいか。
そう、また今度。今度というときが来ることを願ってそう言い聞かせる。
俺はすぐに飲み干してしまったが、柚希は猫舌なのか、手に持ったココアはなかなか減らない。
沈黙がつづき、俺はようやく深呼吸をして心を決めた。
あのさ、と口を開く。
「手、繋いでもいい、かな」
驚いた柚希が俺の顔を覗き込んでいるのが分かるが、俺は目の前の空中ブランコから目を離さない。
恥ずかしいことをいきなり口にしたことは分かっているのだ。柚希の顔なんて見られたものじゃない。
拒否されたらなんて言おうか。そればかりを考えていると柚希の雰囲気がふっと優しくなった感じがした。笑ったのだろうか。
俺の手に暖かな手が絡められる。
「手冷たいんだね」
もらったココアもすぐに飲み干してしまったせいか、俺の手は冷えたままだった。柚希の手からぬくもりを奪っているようで申し訳なくなる。
嫌だったかな、と思って離そうとした――が、離せない。
離したくなかった。
「俺、柚希のこと好きなんだ」
繋いだ手がきゅ、と握られる。
「うん、私も」
「……え?」
「私も孝ちゃんのこと好き」
本当に?
柚希はカレカノだね、と明るく笑う。
無邪気に笑うこの子が俺のことが好きだなんて。信じられなくて、そっと頬をつねる。
「痛い……」
「当たり前じゃん」
確かに、こんなこと本当にするやつはなかなかいないだろう。てか、俺も初めてやったし。
「俺がこんなこと聞くのも変だけどさ、なんで俺のこと……?」
「どうして?」
「俺よりすごい奴、いっぱいいるじゃん。ほら、遼とか」
なのに、なんで俺のことを選んでくれた?
あいつは本当にすごい。うちのチームの得点はほとんど遼だ。小柄な割には体格差なんて気にせず食らいついていくし、シュートの決定力も他の奴らとは全然違う。
俺に出来るのは慎重なパス回しでのゲームメイク。だけどそれもミスを恐れるがゆえの技術であって、かっこいいものなんかじゃない。
「確かに遼もすごいんだろうけど、孝ちゃんもすごいよ」
柚希は俺の目を見てきっぱりと言いきった。
「遼、本当に孝ちゃんのこと信頼してるから」
初めて試合を見たときに、それが分かった、と呟く。
「遼だけじゃない、ほかのみんなからも。信頼してもらえるって、すごいことだよ。もっと、自信持ったらいいのに」
どうも、とおどけたように頭を下げて、照れくささから思わず話を変える。
「そういえばさ、なんで孝ちゃんなの? 確か最初からだったよな」
「あ、だめだった? 馴れ馴れしかったかな」
「そうじゃないけど。なんでかなーと思って」
「遼から孝ちゃんの話聞いてたから、うつっちゃった」
そろそろ行こっか、と手をつないだまま空中ぶらんこへと向かう。
待ち時間もほとんどなしにアトラクション開始のベルが鳴り、係の人が注意事項を読みあげる。
そのアナウンスにかぶせて柚希が前を向いたまま、話し出した。
「あのね。孝ちゃんって呼んでたのは、仲良くなりたいなって思ってたからだよ」
「え?」
「今考えたら、ひとめぼれしちゃってたのかもね」
だから。
なんでそういうことを、簡単に口にするんだ、君は。俺はどんな顔をすればいい。
火照った頬を冷やすように風が抜けていく。空中ぶらんこは回り始めていた。