空中ぶらんこ *2*
「その新曲がさー」
俺の手にあったのは「高橋優梨」の最新CD。彼女は現役女子高生のシンガーソングライターで、最近じわじわと人気になりつつある新人だ。
しかしこいつはきっとそんなことは全く知らない。うんうんと頷くその返事が、徐々にいい加減になっていることにはうすうす気づいていた。
「これなんだけど……って遼聞いてないだろ」
「あー悪い。音楽とか興味ねえからなー」
「潔く認めるところはいいところだな」
高校一年の秋の初め。まだまだ暑いのは変わらなくて、俺と遼は家へ逃げ込んでいた。
遼は俺が集めているサッカー漫画を手に、フローリングの冷たさを求めて床に寝転がっている。
普段は漫画なんて読まないくせにあの漫画だけは楽しみにしているようで、新巻が出るたびに俺の部屋にやってくる。サッカー馬鹿はどこまでいってもサッカー馬鹿だ。
俺の部屋には何もない。本当に必要最低限のものしか置いてないし、散らかるなんてことは滅多にない。
でもそれは特別きれい好きだからだなんてわけじゃなく、ただ部屋にいる時間が短いからだ。
暇さえあれば近くの公園でボールと戯れている。勉強だってそんなにするわけじゃないし、することがないときはリビングでテレビを見て過ごすのだから散らかりようがないのだ。
だから急な来客にも困らない。礼儀として一応片付けはするが、今日みたいに暑さに耐えきれずに俺の家に逃げ込むなんてしょっちゅうだった。
「そういやお前、彼女はいいのか」
ため息をこらえながら話を変える。
ちょっとした強豪校と呼ばれる俺たちにとって、せっかくの数少ない休日だ。俺の家で漫画を読むより、彼女とのデートのほうが大事だろう。
「え? あー別れた」
「はっ? なんで」
「ん、飽きた」
漫画から目を離すことなく、下唇をなめながらそう答える。何度も聞いてきたいつもの返事に俺は言葉を詰まらせる。
別に女をとっかえひっかえしていたり、女癖が悪かったりするわけではない。彼女ができればきちんと大切にはしているようだし、もし本当に適当な奴だったらすでに女の子から嫌われているだろう、最低な男だと。
「お前、本当に好きなやつとか、いないのか?」
「どうだろうなー」
変わらず下唇を歯でかんだりしてもてあそんでいる。唇荒れねえのかな。
「本当に好きな女と付き合ったら、いろいろ辛いって言うだろ。だからいいんだよ、俺はこれで」
起き上がって顔をあげるとそれにな、とニカッと笑った。
「このままでも十分楽しいし!」
思わず額をおさえる。
俺が遼のこと考えてもしょうがないことはわかってるんだけど。
「なあ、さっき言ってたCD流して」
何を突然。興味ないって言っていただろう。
困惑する俺の様子を見て、髪の毛をかき回す。そして目をそらしたまま口を開いた。
分かりやすい照れ隠しだ。
「俺ら、気合うし好みも似てるし。興味ないから聞いたことなかったけどさ、孝ちゃんが好きな曲なら好きかもなーと思って」
……でも、そんな素直な言葉をからかえるほど、俺も素直な言葉に慣れていなかった。
遼もそう言うとまた漫画に目を戻し、背中を向けて横になる。
「最新じゃなくていいから、孝ちゃんのお気に入り流して」
お気に入り、か。CDホルダーを眺める。やっぱり「ふらここ」かな。すぐに机の上のプレーヤーにCDを入れて音量を調節する。
流れ出したのは切ない恋愛を描いたバラード。高橋優梨の曲の中で、俺が初めて聞いた曲だ。
恋人との別れを選ぶか、どうするか。ぶらんこに乗った恋人たちの揺れる心を描いたもの。
確か「ふらここ」っていうのは「ぶらんこ」って意味で、揺れる心とぶらんこをかけて――とか、ファンの間でも解釈が分かれている曲だ。
聞き終わるとすぐに、遼が口を開く。
「これ、前に柚希に無理やり聞かされたことあったわ。ま、嫌いじゃないけど」
あ、趣味じゃなかったんだな。気遣わなくてもいいのに。
俺の耳が聞きなれない名前に吸い寄せられる。
遼の口から聞いたことのない女の子の名前が飛び出してくることなんてよくあることなのに、なぜか今回は気になった。
「柚希? また新しい彼女か?」
今回のフリーの期間はいつにもまして短かったな。
そんなことを考えていると遼はきょとんとした顔で首を振った。
「あれ、知らないっけ? 隣のクラスの」
背はあいつくらいで髪はこれくらいで、と身振り付きで熱心に説明している。特徴を聞いているうちに見覚えのある姿が脳裏に浮かび、あの笑顔がふと脳裏をよぎる。
あの子の名前、柚希っていうのか。
「その子なら俺、この前の試合のときにちょっと喋ったかも」
「あ、そうなんだ? って、なんでまたあいつと?」
「なんか、迷子になったって。出口の場所聞かれた」
「は?」
一瞬目を丸くしてから腹を抱えて笑いだした。息をするのも苦しそうだ。
「なんだそれ! どんだけ方向音痴だよあいつ!」
今度からかってやろうと言いながら、遠慮なしにげらげらと笑い続ける。方向音痴は昔からだけど、ひどくなっているらしい。
たしかにあの会場で迷子になったのには俺も驚いたけど、そんなに笑ってやるなよ。
「大丈夫、俺ら幼馴染だから。これくらい全然オッケー」
「だからって……」
遼はそれでもしばらく笑い続けたままだった。